その7
なんで、今ここで。
「はー飲んだ食った喋った楽しかったぁ!」
「美恵子、オヤジみたい」
「うるさいわい」
ほろ酔い気分でばしばしと香織の肩を叩けば、苦笑いが返ってきた。いや、未成年だからお酒は飲んじゃいないんだけど、もし飲んだとしたらおそらく今の気持ちがそうじゃないかなって思う。脳内がふわふわとしてて、ぽーと頬っぺたが熱くて、なんだか楽しい気分で。飲み会から帰ってくるお父さんがそんな感じだから、多分私もそうなるんだろう。むしろ、お酒が入っていなくてこんなハイになっちゃうとしたら、実際にお酒を飲んだらもっと凄いことになりそう。まあそれはともかく。
「あーもう自分の誕生日って最高!」
そんなことが言える私は、本当に幸せ者だと心から思う。
季節は真夏真っ盛りで、夕方になってからようやく暑さがやや遠のいた。遠くでヒグラシの鳴く声が聞こえる。
久しぶりに遠出した私たちは、扇風機の回る電車内で絶えず話し込んでいた。両手には数々のカラフルな包み。ちょっと服装もお洒落で。本当はあと三人ほど人数があったんだけど、皆途中の駅で降りたから同じ駅で降りる予定の香織と二人、こうして取り留めなく喋っているわけだ。
八月十二日。夏休み真っ最中。そして、私の誕生日。
「それにしても、えっちゃん大人っぽくなっててびっくりしたー」
「そうだね。南高ってホラ、結構全国から人が集まるっていうし。周りの影響だったりして」
「きっとそうだ、ありゃ彼氏いるよゼッタイ」
「ふふ」
香織は中学時代から変わらないふんわりとした笑みを浮かべた。ギャザーの付いたワンピースが彼女の雰囲気に凄く似合っている。ちなみに、本人の奥ゆかしさを顕すかの如くミニとは言い難い丈の長さだが、逆にその清楚で守ってあげたくなるような慎ましさがそそられ……じゃない、かわいい。
「瀬乃は相変わらずだったね。昔っから苦労性な顔してる」
「苦労性?」
「うん。やっぱあのお母様も相変わらずなんだよ、きっと」
「ぷっ」
思い出したのか香織は軽く吹き出した。
「それと恭ちゃんはやっぱ可愛いねーまさに子犬並み。食べちゃいたい」
「もう、美恵子ホントにオヤジみたい」
「ええ、ええ酔っ払ってますからー」
「ジュースで?」
「うん。ジュースで」
また私たちはけらけらと笑い、ここは公共の電車内なのだと気づいて、慌てて声を潜める。その繰り返しだった。
前述したけど今は夏休み真っ最中で。運よく中学時代からの友達の予定が空いていて。しかも前から皆で色々と用意してくれていて。そんな中、誕生日を迎えられた私は、本当にラッキーというか、幸せ者だ。
「あーみんな大好き」
胸に抱えた四つのプレゼントを抱きかかえる。ボックスの向かいの席に座った香織と視線を合わせ、呼応するかのように二人して微笑む。
乗客の誰かが開け放した電車の窓から、涼しげな風が吹き込んでくる。
聡く優しい私の親友は、私がひとしきり笑った直後ぼうっと意識を巡らせたことに、気づかない振りをしてくれた。
「今日は本当に、ありがとね。嬉しかった」
「どういたしまして。えっちゃん達にも伝えとくよ」
「ううん、私から言う」
携帯を取り出してみせると、香織は笑って頷いた。
「そっか。じゃあわたしからもよろしく言っといて」
「うん」
手を振って、いつもの方角で分かれた。
歩きながらよいしょ、と色とりどりのプレゼントの包みを持ち換える。二つはバッグに入れて、残り二つは腕に抱え込む。少し持ちにくいけど、なんとか大丈夫。
蝉の鳴き声がこだまする中、ゆっくり歩きながらもう一方の手で携帯を操作し、次々と電話をかけていく。歩き出してから十数分後、三人目のコール音が響いた。
『はい』
「あ、もしもし恭ちゃん? 美恵子だけど。もう家に着いてる?」
『うん、もう着いてるよ』
「今日はありがとう。本当に嬉しかったよ。香織も皆に逢えて喜んでた」
『うふふ、どういたしまして。私も久しぶりに美恵ちゃんとカオちゃんに会えて、嬉しかったー』
耳元で明るい声が柔らかく響く。脳裏に、今日久しぶりに会った相変わらず可愛らしい友人の顔が浮かんで、思わず顔がにやけた。
「私も、逢えて嬉しかった。また逢いたいな。今度はそっちの誕生日に」
恭子の誕生日は私と一番近い日にちなのだ。運よくその日は休日だし、他メンバーは無理そうだけど私の予定は空いてる。地元から一番遠い学校に通う彼女の家もだいぶ駅を跨ぐけど、出来得る限り会いに行きたいと思う。さすがにしょっちゅうは無理だけれど。
『ありがと。……けど、ごめん、丁度外せない用事があってさ、誕生日なのに』
「そっか。でも予定が空いたら言って。逢いに行くから」
『ネツレツに告白されちゃった気分』
「当然だよ。大好きだもん」
『きゃー』
ふざけ半分、でも本気で照れているらしい彼女の声に一通り笑い、意味も無くにやつく顔で通話を終了した。ああもう、恭子は本当に可愛い。というか私の友達は洩れなく全員可愛い。ちくしょーこれじゃオヤジ化もするってもんよ。
『わたし美恵ちゃんとラインしたいよ。美恵ちゃんなら楽しいスタンプいっぱいつけそうだし』
「なんか楽しそうだよねそういうの」
『楽しいよー? 前に買いたいって言ってたよね。どうぞスマフォご購入検討よろしくカワカミさん』
「前向きに善処致しますネ」
高校生になってから周りはぞくぞくとスマフォを持ち始めて、私の友達もほとんど持ってるけど私は未だ持ってない。中学生の頃から使ってるガラケーのままだ。この二つ折りが使い慣れていて使いやすいというのもあるけど、単に色々新しく覚えるのが面倒だから。でも、友達がメッセージアプリとかで楽しくやり取りしてるのを見るに、スマフォもそろそろ買っていいかもしれないなと思う。お母さんは「月額がバイト代で半分以上支払えるなら何してもいいよ、お父さんが許すなら機体も買ってあげる」って言ってた。お父さんに相談してみよう。
ふんふんと鼻歌をしながら昔懐かしの携帯を畳む。いつの間にか歩を止めていた足をまた動かそうと道の前方を見上げ……。
視線を上げて。
目の前に、立っている人がいた。
スニーカー。
ジーンズ。
黒いシャツ。
そこまで視線で辿って。
それだけで、私はそれが誰なのか解ってしまった。
息を呑み込む。
やかましい蝉の鳴き声が一瞬聞こえなくなった。足が動かない。
手からも力が抜けた。腕にかけていたバッグと抱きかかえていたプレゼントの包みは大丈夫だったけれど、手の平に持っただけの携帯がするりと落ちて、硬い道路を転がった。
がつっ、……という鈍い音。壊れたかもしれないと思う間も無く、目の前の背の高い姿がゆっくりと屈み、その手がそれを拾い上げる。
(スマフォじゃなくてよかった)
そんなことをふと考える。二つ折りのガラケーは衝撃に強い。でも、今の私は精神的な衝撃で動くことが出来ない。
小振りの携帯電話が余計に小さく見える。大きな手、その手首に巻きついている腕時計。嫌になるほど見覚えがあった。だってそれは二年ほど前、私があげたものだから。当時の全財産をはたいて買ったプレゼント。それでも充分安物だったけど、想いの丈をこめて贈った。私にとっての今日と同じ日に。
彼の誕生日に。
「……久しぶり」
ほんの少し掠れた低音が、声を紡いだ。その直後、周りの音が戻ってくる。
蝉の鳴き声。
なんで、
なんで。
なんで、ここで、このひとが、いるの。
「まなぶ、くん」
彼以上に掠れた私の声は、ヒグラシにかき消された。
* *
「ちゃーお学ぅ!」「はろう桐ちゃん、こんな暑い中湿っぽい寮でクサクサしてないでさあ、今日はぱあっと繰り出そうぜぱあっと! ……って桐ちゃんいないよ!?」「げ、本当だなんでいねえんだ!? はっ、もしかして新しい女のとこか? やりい、ようやく学の奴、本調子になりやがった!!やったな山田」「きっと俺らのお陰だよ、やったね野村!」
「お前ら何不法侵入している」
「あ、アリー! 聞いてよやっと桐ちゃんが……」
「桐原なら実家に帰省している」
「「じっかぁ!?」」
「本調子とやらになったのかは知らん、しかしケリをつけに行くと言っていた」
「「けりぃ!?!?」」
「やっと腹を括ったらしい、人に散々手間をかけさせておいて」
「な、なに。意味わかんねーよ有坂、説明しろよ」「そうだよアリー、説明してよ桐ちゃん復活の立役者にさあ」
「誰が立役者だクソバカコンビが―――この一ヶ月、脈々と人の安眠を妨害しておいて」
「「教え(ろ)てよー」」
「……帰ってきたら本人から聞け」
「うわ、多分ぜってー教えてくれねー」「うん、そうだろーね」
「……」
* *