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その6


 新しい生活を楽しもう。それを否定するようなことは、思いつかないふりをして。



 高校生になってから二ヶ月。部活に入ってから一ヶ月以上、バイトを始めてから一ヶ月未満。そんな月日が流れていた。

 まだ半年も経ってないのに、実に濃密に感じられる学校生活。この辺も、中学時代とは違う。充実した毎日だけれど、どれもこれも順調というわけじゃない。失敗もしたし、辛いこともあった。ただ昔から共通しているのは、それを全部ひっくるめて楽しい、ということだった。私は自他共に認める楽天主義な性格だけど、それが運よくプラスに働いてるというわけ。

 ただ、時々。

 ふっと頭の中に陰がよぎる。私、何か忘れてない?何かとっても大事なことを、無かったことにしてない?

(ううん、そんなことない)

 そんな思いが過ぎるたび、それをさらりと打ち消した。だってこんなに毎日が楽しいんだもの、無理にそれを否定するようなことを思い出す必要なんて無い。うんうん、必要無い。

 高校生活は、楽しい。


**


「まあ学、お帰りなさい! 珍しいわね、面倒くさがりのあんたが週末帰省するなんて。泊まってくんでしょう?」

「泊まらない、すぐ寮に戻る」

「そんなに慌てることもないのに。何か急な用事でもあったの?」

「別に」

「そう。もうあんたが寮生活初めてから一年にもなるのねえ。そういえばお隣の美恵子ちゃんも高校生になったのよ、覚えてる? もう高校生になるとさすがに変わるわね、この前久しぶりに会ったけど綺麗になっちゃって……」

「出掛けてくる」

「あら、どうしたの急に。どこ行くかは知らないけど気をつけてね」


**


 今日も今日で目一杯働いた。ファミレスでのバイトはやっと軌道に乗り始めたところ。お小遣いを稼ぐために始めたバイトだけれど、肝心の学校生活に支障をきたさない程度に。部活もあるから、半日授業以外の普段の日は入れずに休日の正午から、空いた時間を見計らってシフトを入れている。この時間帯が実は最も忙しいらしく、出勤する日数が少ないにも関わらず店長から感謝された。逆に申し訳なく思った、私はまだ新米で、慣れないとはいえ失敗も決して少なくないのに。

 せめて、新米なりにと一生懸命働いた。お盆や注文表を持って何往復、お皿洗いと会計を何回繰り返しただろう。部活の直後だというのもあるけれど、流石にくたくたになる。

 今日もたまの休日だけれど、午後からがっつり働いた。とにかく忙しいので後半は体力勝負。ああ、店員さんってこんなに大変だったんだ。窓際の席、そこに座ってはしゃいでいる女子高生と同じ立場だった一年前までの自分を思い起こす。香織と二人、お金の無い中学生の身なのでお茶だけ注文し、よくあそこに座って取り留めなくお喋りしてた。何も考えずに蒸されたお絞りで手を拭き、出されたお冷を飲み、注文して運ばれてきたアイスコーヒーを啜り、何時間もそこに居座ったっけ。こうしてみるとおもてなしする側とされる側って凄い違いだわ、うん。今度から他のレストランに行くときも、そこで働くウェイトレスさん並びスタッフさん達に感謝しなくては。

 そこでまた、陰がよぎる。

 そういえば、あの席。丁度一年前、私ったらあの席で何か重大なことを話してなかったっけ。あれ、なんでこんなこと急に思い出すんだろう。

 何を話してたんだっけ。

 ……。

(まあいっか)

 例の如く、さらりと陰を打ち消す。思い出せないことをあんまりくよくよ悩んでいても仕方ない。元々私はこういう性質なのだ、重いこと、都合の悪いことはすぐに忘れる。我ながら便利。

 取り敢えず今日の分のバイトは終わったので、帰宅することにする。タイムカードがっしゃん。時計を見ると夕飯時をとっくに過ぎている。常に漂う厨房からの食べ物の匂い、それがじわじわと身体に染み渡った。お腹空いたな。

「あれ、河上さん今帰るの? 外は暗いよ、うちの人とか迎えに来ないの?」

「あ、はい家は近いんで大丈夫です」

「駄目駄目、最近は物騒なんだからこんな遅く一人になっちゃ危ないよ。俺が送ってあげる、丁度通り道だし」

「そんな、いいですよ先輩。悪いですから」

「遠慮しないの」

「そうよ美恵子ちゃん。あなた可愛いんだから」

「そうそう、こんな可愛い子がひとりなんて危ない危ない」

「琢磨の好意に甘えてやりなさい、河上ちゃん。普段賄い余分に食らってる分、残業として扱うから」

「うわそれ酷いっすよ店長―。まあそれはともかく河上さん、俺に送らせてよ」

「でも」

「いいからいいから、ね」

 そんなわけで(半分押し切られる形で)丁度同時に終業したバイトの先輩と一緒に帰ることになった。琢磨さんは隣の高校に通う二つ年上の先輩だ。店長や他の先輩店員さんと同じく優しくって面白くって面倒見の良いお兄さん。顔も結構かっこいい。同じ高校にいたら凄くモテそう。実際お店のお客さんとか、明らかにこの人目当てで来てるって人も少なくない。店長以下先輩スタッフからはそれをいいように扱われてるけど。

 自転車を押す琢磨先輩と二人、ぽくぽくと歩きながら、他愛も無く話をする。時刻は午後九時を回っていた。先輩達が心配した通り、外はとっぷりと日が暮れている。

 十分も歩かないうちにすぐ家の前まで来た。改めて先輩に頭を下げる。

「本当に済みません、ありがとうございました」

「いいってことよ。帰るついでだったし、俺個人としては職場のアイドルな河上さんと帰り道デート出来て役得だったし」

「そんなこと言って。彼女さんに叱られますよ?」

「だいじょぶ、だいじょぶ。俺愛されてるからねー」

「あはは」

 羨ましいな。

 ふとそんなことを思ってまたも脳裏に陰がよぎった。まただ。

(私、疲れているのかな)

 すぐ横を歩く琢磨先輩の横顔に道端の電灯が陰影を作っている。にこにこした端正な顔、太い首。マウンテンバイクのハンドルを握る血管の浮き出た手。細身に見えてがっしりした身体。優しくって包容力があって、こんな頼りがいのある彼氏がいたら本当に――

(何、考えてんだか)

 頭を振って、私は無理矢理顔を繕った。そんなことを一瞬でも考えた自分が恥ずかしい。先輩は確かにかっこいいし男の人として魅力がある、けどそんな対象として見ているわけではない。そんな熱情も想いも欠片も無い。あるのはただ単に、年上の男の人に対する憧れだけだ。

 私が想っているのは。想っているひとは。

「……どしたの?」

 ふと、目の前の先輩の表情が変わった。戸惑うような瞳。そこで初めて、私は先輩の顔を凝視、つまりガン見しているということに気が付いた。

 うわ、恥ずかしい。

「あ、いえなんでもないですごめんなさい」

 多分熟れたトマト化しただろう頬を押さえ、顔を背ける。何やってんの自分、傍から見ると誤解されても仕方ない。先輩の顔を見つめながら当の頭の中は別の事柄で占められていたのに。別の事柄。別の男の人の顔。

 先輩はぷっと吹き出した。

「うわ、かわいー。もしかして美恵子ちゃん、俺のこと好きなの? やー困ったなーどうしよっかなー俺彼女いるしー」

「な、何言ってるんですか」

 慌てて否定する。頬の赤らみをますます感じながら、ぶんぶんと両手を振った。冗談だとはわかっているんだけど、こういう時さらっとかっこよく流せない辺り、やっぱり私は子供なんだろう。

「わかってる、別のことを考えてたんだよね」

 不意に先輩は表情を静かなものに変えた。大きな手が伸びてきて、私の頭をぽんぽんと優しく撫でる。

「何か困ったこととかあったら、俺達にいくらでも相談して。河上さんがたまーに暗い顔してるとさ、気になるんだよね。可愛いから目立つし」

「え」

 もしかして、普段から暗い顔をしていると思われていたのだろうか。恥ずかしいというか居た堪れない。

「……私、そんな顔してましたか」

 ショックを隠せず呟くと、頭上からまたも明るい笑い声が降ってきた。

「ううん、俺のカン」

「カン、ですか」

「うん」

 思わずそっと見上げれば、電灯に照らされた柔らかで力強い微笑がそこにあった。自然と釣られて笑顔になる。

「何かあったら、先輩に頼りなさいよ、悩まないで」

 優しいひとだ。

「……はい」

暖かな気持ちが胸を満たした。

 お兄ちゃんって、こんな感じなのかな。

「……琢磨先輩、本当にありがとうございました。もう大丈夫ですので、彼女さんを迎えに行ってあげてください。そのために反対方向に帰宅途中なんでしょ?」

「バレたか」

「バレバレです」

 先輩は笑いながら自転車を跨ぎ、ペダルに足を乗せた。

「じゃあお言葉に甘えてもう行くよ。あいつ待たせると怖いし。まーそんなところが可愛いんだけどね」

 出た、琢磨先輩の惚気。いつものことだけど、先輩は彼女さんのことを話すとき、本当に幸せそうだ。いいなあ、ともう一度思う。

「惚気は別な人にお願いしまーす」

「いーじゃんよーところ構わず惚気させてー」

 軽口を叩きながらちゃりりと音を響かせ、琢磨先輩は暗闇を軽快に去っていった。笑いながら後ろ姿が見えなくなるまで見送り、私はひとつ充足感による溜息をつく。くるりと身を翻し、家の扉を開けた。

「ただいまー」

 部活とバイトで疲れたけど、今日も充実した一日だった。琢磨先輩を始め、私のバイト先はいい人ばかりでやりやすい。おかげで一日が終わったあと感じるのは、後味の良い疲労感。

「おかえり。暗かったけど大丈夫だった?」

「うん。先輩のひとりが送ってくれたから」

「それは良かったわね、最近変質者がここらで出たって噂があったから。これからも送ってもらえば?」

「そんなわけにはいかないよ、毎度は先輩に迷惑かけるし。ていうか変質者出るの? やだなあ」

「そうよ、美恵子一応女の子なんだから気をつけないと。夜遅くなる時は電話しなさい、休日ならお父さんが迎えに行ってくれるみたいだから」

「わかった。けど一応って何」

 そういえば少し離れた別の電灯の下、誰か居たような気がしたけれど気のせいかな。変質者だったら嫌だし、特に気にしないでおこう、うん。

 今日も疲れた。


**


「あら学、お帰りなさい。早かったわね」

「……帰る」

「え、もう? 帰省してからまだ一時間も経ってないじゃない、お父さんが帰ってくるまでもう少しゆっくりしていってもいいのに。ほら、何か食べ物でも持って帰りなさいな。今包むからもう少し待って」

「いい、要らない。すぐ帰る」

「―――どうしたの、学。顔色が悪いわ。真っ青よ」

「……」

「具合でも悪くなったの?」

「違う、平気だから。なんでもない」

「こら、なんでもなくないでしょう。さっき家を出て、何があったの。何か嫌なことでもあったの? それとも嫌なものでも見たの??」

「帰る」

「あ、こら学! せっかくだからお隣さんにも挨拶していけば……学!!」


* *


 翌日。またいつもの高校生活が始まる。部活をして、授業を受けて、部活をして。帰ってきてから課題と授業の予習して。お風呂に入ってから香織と電話で長話して、お母さんに怒られて。たっぷり疲れてたっぷり眠る。

 高校生活は本当に、楽しい。ただ、最近ちらほらと目に付き始めた光景がいやに目に残るようになってきた。

 ……やっぱり普通、高校生になると彼氏が自然と出来るものなのかな。未だに出来ない自分って変なのかな。

 少し悩んだけど、まあいっかと開き直るのは早かった。いつもながらありがたい自分の志向だなあと思う。

 人は人、自分は自分。私にとって、今夢中なのは目下のところ部活とかだし。

 それでも、正直なところを言えばほんのちょっとは思う。……彼氏がいる人のことを、いいなあと。


**


「まーなぶ」「きーりちゃん」「「はよー」」

「……」

「めずらしーじゃん学、週末帰省したんだってな。この前の合コンで知り合ったサエコんとこかと思ったら、もう別れてたんだって?」

「……」

「どしたの桐ちゃん――ありゃ、なんだか顔色悪くない? 野村、お前が変なこと言ったから」「ばっ、ちげーよ山田。な、学。お前が女と数日で切れるのっていつものことだし別にそんなんで凹んでるわけじゃねえよな?」

「……」

「じゃなんで桐ちゃんの顔色がドドメ色になってんだよ」「知るかよ、俺が。それにドドメ色ってのやめろ山田、下品だ」「そうかな」「そうだよ。……どした学。そーんな土色饅頭みてえなツラしやがって。らしくねえじゃん」

「……」

「土色饅頭? 野村こそセンスないじゃん、大体桐ちゃんは饅頭ってツラじゃないよ。下膨れてないし」「ん、そりゃそうだ。じゃあなんて言ったらいいんかなあこの顔色。カビ色?」

「……」

「おいおい野村。桐ちゃんますます顔色悪くなってくじゃんか」「わ、まずいな。やっぱりドドメ色の方が良かったか?」「良かったかもね」「でも下品だ」「いーじゃん桐ちゃんがそっちがいいってんなら……」

「てめえら俺の前から永久に消え去れ、クソバカコンビが」


**


 高校生活三ヶ月目。初めてのことが起きた。男の子に――告白、された。びっくりした。「付き合って欲しい」って。

 急なことでびっくりしたし、その人のことあまり知らなかったから断った。その後も、なんだか堰を切ったようにどんどん同じようなことを言ってくる人が増えた。けれど、そのどれにも首を縦に振らなかった、いや振れなかった。

 ある友達は言った。「何も重く考えないでお試しってことで付き合えばいいじゃん。そのうち相手のこと好きになるかもよ?」それもアリだと思うけど、私はどうしてもその選択が出来ない。

「好きだ」とか「付き合って」とか。言われることは大体一緒。そう言われることは正直嫌じゃない。なのに、なんでだろう。

 周りの人たちはみんなそういう風になってる。影響されてるってのもあるけど、私だって彼氏欲しい。そのはずなのに。


 どうしていつも、断っちゃうんだろう。


**


「桐原」

「……有坂。今、何時だと」

「午前二時十八分だ。どうせお前は起きていると予測していた。山田と野村、それと情けで俺からの差し入れだ。食え」

「……いらない」

「食え」

「……いらない」

「桐原」

「……いらないと言った」

「黙れ。食え」

「……」

「扉を閉めようとするな」

「……知るか」

「俺の迷惑も考えろ。『有坂ぁ、学がやばいんだって。ここ一ヶ月女と全員切れてるって言うし、ガッコに来たら昼はなんも食わなくて日に日にげっそりしてくんだよなんとかしろや、同じ寮生だろ?ホラこれにも既読つかんし』とは午前十二時四十九分からメッセージを連打し続ける野村の言、『桐ちゃんが毎日顔がまるで寝てないドドメ色で、休み時間は電源切って真っ黒なままのスマフォ睨み付けて微動だにしないよコワイよなんとかしてアリー、同じ寮生でしょ?』とは午前一時三十二分から電話を鳴らし続ける山田の言だ。睡眠妨害もはなただしい」

「……お前物真似うまいな」

「話を逸らすな。あのクソバカコンビに体調不良を悟られるような阿呆のせいで、こうして無駄で非有意義極まりない時間を取らされる破目になったのだ。同じ寮に住むからといってなぜ俺がこんなことをしなければならん。夜中にわざわざ近場のコンビニへ走り、荷物両手に野郎の部屋に赴くなどと。まったくもって非有意義極まりない」

「……それこそ、知るか」

「食え。食わずに廃棄することは許さん。これでなくとも何か食物を口にしろ。食ったらすぐに寝ろ。寝れなくとも寝ろ。近日中に基準値まで体重を戻せ。それか毎晩、平均的睡眠時間を取れ。そのどちらかを、いやどちらも達成しろ。でないとあのクソバカ共がまたも十分毎に電話を鳴らす」

「……」

「桐原」

「……」

「もう一度だけ言う。食物を口にしろ、そして寝ろ。何が起きたのかは知らんが、それ以上生体活動に支障をきたすようならば寮監と教師に報告し退学させる」

「……俺は」

「反論は許さん、いいな」

「……」


* *


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