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その4

※こんな学校はあり得ませんのであしからず


そして昨今の中学生はどの程度までが「受験勉強の息抜き」にあたるんだろうか……


 考えてみよう。これからのことを。




 数年後。学くんは前述の宣言どおり、中学卒業後は天草学園という高校に進学した。私の志望校とは違う学校に。というか、私の入学出来ない学校に。

 別の学校に通う。学生にとって、その違いは大きい。


 私の志望高である北高校、通称北高は。


 進学校。偏差値はまあそこそこ。かの御三家とまではいかないけど、それでもここらへんの地区ではそれなりの学力基準にある高校。家からも比較的近いし、公立なので学費もそんなにかからない。加えて言うなら、数学を苦手とする私が他の教科で頑張ってカバーしてなんとか入れそうな高校。ついでに言うなら男女共学。

 対して。


 学くんが進学した天草学園、通称天学は。


 間違いなく進学校。偏差値は(色々な意味で)高水準。かなり特殊な校則及び特待制度をとっている、県内でも異質の私立高校。無論、普通に入れば学費は高い。非常に枠の狭い推薦入学及び奨学生のみ授業料免除。場所は電車で駅を八つほど越えた先。加えて言うなら当時の中学で総合成績が学年トップだった学くんだからこそ入れるような高校。ついでに言うなら全寮制の男子校。

 冒頭でも説明したがそんなこんなで学くんが進路を決定したとき、取り敢えず私は絶望した。


 進学校。

 私も学くんも、進学するという方向では進路は同じ。けれどそのレベルが違う。せいぜいクラスの中の上、偏った得意科目で平均を引っ張りあげてる私の学力に比べ、学くんのそれはまさしく弱点なし。クラスは勿論学年全体においても成績は常に上位を維持し、最終的にはぶっちぎりで一番になっていた。その時点でまさに雲上人といっていい。されど所詮は都心から遠く離れた郊外地方、そんな学くんが進学を目指すとしても、手ごろで通学距離も短い北高で決まりだろう、周りも私もそう思っていた。本人もそう言っていた、間際までは。間際になってから急に前言撤回した学くん、かの天草学園に路線変更しあっという間に見事推薦枠で合格、さっさと入学してしまった。私では逆立ちしたって手の届かないレベルの進学校に。


 男子校。

 女子である私は勿論入学など出来るはずもない。ただでさえ低かった同じ高校へ入学という可能性がすっぱり絶たれたも同然だ。それに付け加え、心配事も尽きない。普通ならば「彼が女に触れる機会も少なくなる」と前向きに考えるべきなのかもしれない。けれど、そういったことを毛ほども問題にしない魅力(文武両道容姿端麗)と性質(中学時代は女ホイホイと噂されていた)を持つのが学くんである、中学時代付き合っていた彼女の数は片手どころか両手でも足りない(時には複数同時進行ありというえげつなさ)。そもそも私たちは浮気だのなんだのの関係にもなっていないのだ。ならせてもらっていない。女子禁制、そんな空間においても何事も問題は無いように、むしろその中でこそ学くんはどこからか彼女を作るのだろう。そういう人だ。あ、なんだか哀しくなってきた。


 全寮制。

 極めつけである。電車で八つの駅の向こう、片道一時間半、家から遠く離れた寮で暮らすこととなる学くん。なんでも、天学の寮はかなり優遇された環境および設備が整っており評判が至極良い。相部屋ということに堪えうるなら相当居心地の良い空間らしい。手に取るようにわかる、結構物ぐさで面倒くさがりな学くんのこと、きっと休日も家には帰らない。長期休み以外、帰省はしないだろう。快適な寮か現地の彼女の家とかに入りびたりになるに違いない。……更に哀しくなってきた。


 とにかく。


「学くんに志望高天学だって聞いた時はさ、元々無かった脈の根源を更に抉り取られたかと思った。でもなんとか自分に言い聞かせたよ、今の世の中には携帯電話っていう文明の利器があるんだって。まったく繋がりが消えちゃうわけじゃないんだって。なのに、なのに……」

 ぶつぶつと吐き出しながら、私は目の前のテーブルに突っ伏し顔だけ横に向けた。あの衝撃の学くん志望校変更から半年後、場所は近所のファミリーレストラン。脇には中学の指定鞄と上着、卓上にはお絞りとお冷、アイスコーヒーのグラス。そしてテーブルを挟んだ向かい側にはお馴染みの顔。

 中学入学来の親友、萩村香織の眉がほんの少し顰められる。両手におさまった暖かなミルクティーのカップが湯気をたてた。

「……桐原さんて、本当にマイペースだよね」

「でしょ。もうマイペースもマイペース、キングオブ唯我独尊、ゴーイングマイウェイ驀進中もいいところだっての」

「日本語変」

「いいのっもうあいつなんか知らないっ」

 あんな乙女ゴコロのわからん奴なんか。言い捨ててぐいっとアイスコーヒーを呷る。これが大人だったら、ヤケ酒といったところか。中三でヤケ酒ならぬヤケコーヒー。むなしい。付き合うように、親友もカップを傾けた。

 何度目になるかわからない愚痴だった。小六のあの日、自覚させられ否応に認識させられ続けた恋心。度重なる現実の辛さと自分の片想いっぷり、しかし消えるどころかますます強固になっていく感情。

「意地になってるだけとか、そうは思わないの?」

 私の気持ちを、それとなく代弁してくれる香織。

「………何度も、思ったよ」

 かたんとグラスをコースターに置き、またも突っ伏して逆の方角を向いた。ひたひたと雨が降り水滴が店のガラスを打ち付ける六月の午後。

「こんなに必死なのに、振り向いてもくれない。それどころか、あからさまな私の気持ちわかってて知らん振り。まるっきり相手にされないくらい脈無いんだ、私はそういう対象じゃないんだ。もう意地になって追いかけてるだけなんだからいい加減諦めよう、何度もそう思った」

 手にしたままのグラスを握り締める。中に氷の残っているガラスの表面は冷たい。

「諦めようと思ったよ、何度も!! でもね」

 ぐす、と鼻を啜った。花粉の季節だっけ、今。

「何度そう思っても……駄目なの、どうしてもすきなのだいすきなの、どうびだらいい?がおり」

 言葉の最後は鼻声と涙声が混じって潰れた。香織が差し出してくれたティッシュで涙をぐいぐいと拭って鼻をかむ。多分今の私の顔は相当みっともないことになってる。こんな顔、学くんには見せられない。もう見せてるのかもしれないけど。

 親友は困ったように呆れように溜息をついて、けれど済まなそうに言った。

「正直なところ、なんとも」

「うん、ただの愚痴だから。どうぞ華麗にスルーしてちょうだい」

「いつものことだしねぇ」

「……ふぁい、すんません」

 毎度毎度。そのコトバが頭を過ぎってまたも深く沈む。ましてや、まだ恋もしたことがないという純粋でまっさらな香織に対してこのどろどろ堂々巡りの愚痴。

 けれど。

 眼前の長い睫毛が色白の頬に伏せられ桜色の唇がカップから離れる。くりくりと柔らかそうな猫毛。白く細い、たおやかな身体つきの香織は、いわゆる深窓の令嬢っぽい雰囲気を持つ実に可愛い女の子だ。

 つまりは、私と違う。

「いーなー香織はかわいくて」

 ぽつりと零れた心からの言葉は小さく、聞き取れなかった親友はカップから顔を上げてきょとんとした。

「ん?」

「なんでもなーい」

 ふいっと顔を背けて表情を香織に見られないようにした。今の私がひどい顔をしているだろうということもあったけれど、何よりこんなぎすぎすした心で香織の顔を真正面から見ることが出来なかったからだ。その綺麗な髪と同じ色の、まっさらな瞳を見ていたら、嫌な言葉まで口走ってしまいそうで。

 ああ嫌だ。なんで保育園のあのときのまま、純粋な気持ちでいられないんだろう。いや、無理だってことは知ってるけどなんとなくね。

 目を瞑った。鼻水が出てきたので新たなティッシュを顔に押し付ける。香織は甲斐甲斐しく新たなポケットティッシュを鞄から取り出し、私の目の前に置いてくれた。まさかとは思うけど私がこうしてところ構わず泣くから、この子はティッシュを大量に持ち歩くようになったのだろうか。だとしたらごめんね香織。そして、ありがとう。

「学くんなんて嫌い。がおり、あいじでるー」

「はいはい」

 ティッシュ追加。

 学くんの衝撃の「気が変わった」発言から半年、私はこうして中学三年の半ばを過ぎた時期に差し掛かっている。季節が巡るのは早い。ちなみに前述の通り、学くんは天草学園に見事合格し、寮にも入り、今では立派な高校生だ。またも私は学くんと会えない時間が増えた。それも今回は、だいぶ長く。

 高校に上がってからの学くんの学園ライフは、おおよそ私が予想した通りだった。休日になっても寮に居座り、帰省は長期休み(しかも顔見せ程度の極短期間)のみ。連絡はたまに家にあるらしいがそれも必要最低限で寮生活および普段の生活サイクルについての詳細は不明。でも私は確信してる、多分今頃は新しい彼女出来てる、それも高校入ってから複数人目の。なぜかって、わかってしまうからだ。それだけ、学くんを見続けてきたから。その傾向とか癖とか。頭の中に入ってるから。

 むなしい。なんで私、離れてもあのゴーイングマイウェイ男がすきなんだろ。

 久しぶりに受験勉強の息抜きのつもりで香織と入ったファミレス(中学生にお金があるはずもないので文字通りお茶だけの一服だ)、けどいつの間にか(私の)一方的な愚痴大会になった。どうも香織といると心にある蟠りを打ち明けたくなるというか、辛いことを吐き出したくなるというか、縋り付きたくなるというか、まあそういう雰囲気を持ったひとなのだ、私の親友は。それはとてもありがたいことであり、申し訳ないことでもある。

 こうして半年も前からぐちぐちと貯め続けてきた蟠りを吐き出したあと、楽になるのは確かだが、冷静になってから襲う自己嫌悪。とても受験勉強の息抜きにはならなかったであろう親友を恐る恐る上目で窺うと、暫く何かを考え込んでいた綺麗なその目がこちらを見返し、ぱちっと合った。にっこり優しく、柔らかく微笑まれる。

 どきりとする。香織は、本当に可愛い。そして、全てが柔らかい。外見的な意味でも、内面的な意味でも。

「美恵子」

 柔らかに、呼ばれる。

「……なぁに」

 今更な罪悪感と、それすら溶かしていってしまう香織の微笑みに板ばさみにされながらおずおずと返事した。親友は手にしたカップをソーサーに戻し、言う。

「わたし、思ったんだけど。少し距離をおいてみたらどうかな」

「距離?」

 ぽかんとして聞き直す。

「美恵子が今、こうして不安定になってるのって桐原さんに送ったメールに返信が無いからでしょ?」

「う、うん。いつもなら一言なり必ず返信があるんだけど、ここのところ無くて……無視、されてるのかなって……」

 口にしたらまた凹んできた。そう、きっかけはぱたりと途絶えたメール返信だった。学くんが入寮した直後から、私はなんとか学くんと繋がりを持とうとしてきた。学くんは中学時代にはタブレット端末をすでに持っており、高校入学と同時にスマートフォンを購入し使いこなしているようだけれど、私はそのどっちもまだ持ってないガラケー派だ。専用アプリによるメッセージのやり取りは出来ないけどショートメールならなんとかできる。電話よりはメールの方が手軽だし厚かましくはないだろう。毎日……は流石にウザいから、せめて週に一度。それでも駄目なら月イチ。たまの「お元気ですか? 寮生活頑張ってね」的メールなら受け取ってもらえるかと思って。面倒くさがりではあるものの律儀なところのある学くんは、一応返信はくれる。「夜更けにメールするな。早く寝ろ」とか「俺は今疲れてる。寝る」とかごく簡単な、どれも素っ気無い文章だけど。それでもちゃんと応答があるということだけで、私は安心していた。

 それが、最近では。

「全ッ然、音沙汰なし……」

 やっぱり、ウザいのかな。お隣に住む幼馴染、ひとつ年下の妹分ってもう面倒くさいものなのかな。そんなのにあからさまに恋愛対象にされて、鬱陶しいのかな。

 たぶん、どれかが正解でどれもが正解。そう思ったらまた泣けてきた。

「どうせ私は学くんからすればただの中坊のガキんちょのしつこいドジみーだもん。わかってるもんじづごいって」

「けれど、それでも繋がりは欲しいと」

「……うん」

 自己嫌悪を押しつぶしながら盛大に鼻をかむ。誤魔化すように、香織に向き直った。

「で、なんなの?距離を置くって」

 親友は、うんと頷いてポットに手を伸ばし、空になったカップに新たな紅茶を注ぐ。添えつけのミルクを入れて静かにかき混ぜながら、

「私、そういう経験が無いからこんなこと言うのも変かも知れないけど。美恵子は、相手に歩み寄り過ぎてる気がするの」

「歩み寄り過ぎてる?」

 まるで鸚鵡のように繰り返す私。

「美恵子みたいに、好きな人に好きって気持ちのまま接することが出来るのは素敵なことだと思う。美恵子は―――素直だから。わたしはいつも、それが羨ましいって思ってる」

 透き通った綺麗な目でまっすぐ見つめられ、照れてしまった。

「な、何よぅ急に」

「本当だよ。いつも思ってる。……わたしにも、ちょっとは美恵子成分があったらいいのにって」

「ミエコセイブンってなに」

 真面目腐った口調と変な言葉に、思わず吹き出す。けれど、香織の目は真剣だった。何か、自分に無いものを本気で羨み、憧れているかのような表情。まさか、と思う。私の方こそいつも香織のことを羨んでるというのに、その香織が私を羨むだなんて。

「まあ、それはともかく。美恵子の素直さや人への接し方は私は好き。好きなんだけどやっぱり場合とか人とかによるんじゃないかな、と思ったの。例えば、桐原さんってべたべたされるのが好きって思う?」

 思わず、一瞬詰まった。学くんの怜悧な横顔が浮かぶ。冷たい声。

『関係ないだろが』

「――思わ、ない」

 下を向いてぎゅっと膝の上で拳を握った。

「わ、私、やっぱりウザい、よね」

 まずい、本気で泣けてきた。

「違うよ、責めたいんじゃなくて」

 香織が慌てて鞄に手を突っ込み、またポケットティッシュを取り出した。四個鷲掴み。いくつ入れてるんだろう、この子は。

「……なんて言ったらいいのかな」

 その一つでちーんと鼻をかみながら、言葉に詰まっているらしい香織の顔を黙って見つめる。多分私の鼻、真っ赤になっているだろうな。暫くの沈黙ののち、言葉を選ぶように香織はゆっくりと言った。

「ええとね。わたしが言いたいのは、相手に近づきすぎて、歩み寄りすぎて傷つくこともあるんじゃないかなってことなの。人と人との距離ってえっと……なんだか焚き火みたいだと思わない? 遠く離れたら熱も何も感じないけど、近くに居すぎたら火傷しそうになる、とか。温度は人それぞれで、ひとりひとり違う炎を持っているの」

 久々に聞いた彼女の独特の口上に、ぽかんと目と口が開いた。

「香織ってさ……ポエマーだよね」

 詩人香織の白い頬がさっと赤くなる。この子は、文系の方角での本好きなのだ。華奢な身体に似合わないごつい鞄には、大量のポケットティッシュの他に分類多岐な本が数冊、常に入っている。超余談。

「と、とにかく。今美恵子は火傷してる状態なのかもしれない。近すぎて、傍に居すぎて、傷ついてるのかもしれない」

 こくりとミルクティーで喉を潤し、私の親友はその綺麗な目で私を見つめた。

「本当に相手に合った距離を探すためにもさ。歩み寄りすぎた距離を少しだけ、見つめなおすってのもアリだと思う」

 考えた。わたしの、学くんに合った距離ってなんだろう。

 保育園のときから一緒。小学校の時も一緒。そして今は。物理的な意味でも、精神的な意味でも私はいつも。

「……考えてみる」

 しゅんと俯いた私の頭を、香織の小さな手がぽんぽんと優しく撫でた。

「いつでも聞くから」

「痛み入ります……」

 心から嬉しく思った。愚痴を聞いてくれて、実のある助言をしてくれる人が傍にいることを。


**


「学ぅ、最近つれなくない」

「ん、なんで?」

「こっちこそ『なんで』よ。学がスマフォ見るのクセなのわかるけどさ、見すぎ。あたしがいるのに。二日ぶりに逢ったんだよ?」

「うん」

「『うん』って……ッ、ねえ、ラインの相手女じゃないでしょうね」

「は、女じゃねえよ」

「ほんとに?」

「ほんとに」


**



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