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その3


 きっかけはいつ、何になるのか、わからない。



 小学校生活は順調だった。勉強は少し苦手だったけれど友達は沢山出来たし、学校行事は楽しかった。何より、学くんがいた。

 新入生になったその初めての登校日、勝手がわからない私のために、お母さんはお隣さんに頼んだのだ。正しくは、お隣に住む娘よりひとつ年上の小学生に。学くんはそんなわけで、お隣に住む自分よりひとつ年下の新入生と一緒に登校することになった。そればかりか、下校まで一緒にしてくれるようになった。お母さんに感謝。

 朝、だいすきな学くんと一緒に学校に通う。

「おはよう、まぁくん」

「……ん」

 学くんは朝が苦手だ。声を発するのはかろうじての応答(反応?)のみで、あとは私が好き勝手に喋りまくるのを横に黙りこくったまま亀もかくやというスピードで歩く。私の声どころか何も耳には入っていない状態なのだけど、取り敢えずお隣のおばさんから仰せつかった勤めを果たしてくれている。その歩く屍な学くんの隣で、一方の私はというと朝っぱらから絵に書いたような極楽元気モード。だって学くんと一緒だもの。幸せ。

 登校してからの学校生活内では保育園とは違って四六時中一緒に居れるわけではないけど、それでも何か困ったことがあるとここぞと学くんを頼る。だって数少ない学くんに会える口実だもの。わざとしてるわけじゃないけど(保育園からの「どじ」志向を引き摺っていた私はしょっちゅうナチュラルに物を忘れていた)、それでも何か学くんに会える口実を見つけるたび心が躍る、単純というかダメな児童だった私。教科書忘れたから貸してとか給食着忘れたから貸してとか、本当にしょうもないことで学くんに会いに行っていた。

 なぜか、学くんは一年前の教科書やら予備の給食着やらを持っていた。まるで私が頼ってくるのを見越してたように。私が「まぁくん!」と教室の扉から呼びかけると、教室にいた人たちは「ひゅうひゅう」と冷やした、学くんは無視した。黙ったまま教科書を貸してくれる。幸せ。

 夕方、だいすきな学くんと一緒に家に帰る。

「まぁくんあのね、みー、きょうは国語のじかん読み方がうまいって褒められたんだよ褒めてほめて!」

「褒められたんだろ、もう褒めなくていいだろうが」

「まぁくんに褒めてもらいたいのー」

「あっそ。えらいえらい」

「わーい」

 幸せ。

 そんなわけで、私のひとりお気楽極楽な小学生ライフは過ぎていく。つくづく単純だったな、私。

 ……本当に、進歩無い。

 まあそれも置いといて早々と月日は流れる。私小五、学くん小六。ここまでくると大抵、物の考え方やら人間関係やら悩みやらも多様化してくる。俗に言う、思春期一歩手前というやつだ。適当だけど。

私だっていくらなんでも、保育園のころから全く進歩無しというわけじゃない。自分のことを「みー」と呼ぶ癖も抜けて、むやみやたら転ばなくなったし忘れ物も減った(もう「どじ」じゃない)。ここだけの話、胸がちょっと膨らんできて周りに見られるのが恥ずかしくなった。勉強とかは相変わらず好きじゃなかったけれど、その中でも苦手なのと苦手じゃないのがはっきり分かれるようになった。人も好きな人とあんまり好きじゃない人、両方がいるって知った。けど学くんは相変わらずだいすきだった。

クラスも何度か変わり、友達も話し方や考え方が変わったりしてちょっと戸惑った。辛いことがあると泣いたりした。どんなに好きな人でもその時はあんまり好きじゃなくなって、そんな自分も好きじゃなくなったりした。けど学くんはずっとすきだった。

 そんな学くんは保育園の頃からずっと変わらなかった、背がぐんぐん伸びて見上げないと目線が合わなくなったということ以外。かけっこは誰より早かったし(というより運動神経全般において抜群)皆が知らないような難しい言葉を知っていたり(というよりテストの点は常に満点)、顔も相変わらず可愛らしい(というより凛々しく整った美少年)。保育園で一番‘すごい’男の子は、小学校でも一番‘すごい’男の子だった。対する私は略。

 学くん関連で変化といえば、高学年に上がったころから変わったことがひとつある。なんと学くんが私に、勉強を教えてくれるようになったのだ。あまりにも苦手な勉強と苦手じゃない勉強の差があり過ぎた私を危惧してか、されど塾通いもお金と手間の都合上させたくなかったお母さんが、またもお隣さんに頼んだのだ。ただしくは、お隣に住む塾なしでも優秀だと評判なひとつ年上のお兄さんに。かくして学くんは、学校が終わってからお隣に住むひとつ年下の妹分に勉強を教えることになった。お母さんの図々しさに、感謝。

 夕方、いつものようにだいすきな学くんと一緒に帰って、そのまま学くんのおうちにお邪魔する。

「おじゃまします。まぁくん、教えて」

「どこ」

「ここ。掛け算」

「またか。進歩無いな」

「だってわかんないんだもん。わかりませんって言ったらすぎむら先生に怒られた。リナちゃん達もくすくす笑ってた。わたしやっぱりばかなの?」

「ばかみー。やらないうちから諦めるのが本当の馬鹿だ。やってみろ。それから決める」

「(算数できなくても怒らないし笑わない、やっぱりまぁくんだいすき……!)うん」

 幸せ。

 ちなみにその日、やっぱり算数は出来なかった。それでも学くんは(いちど大きく溜息をついたけれど)根気良く教えてくれたので直後のテストでは落第点は取らずに済んだ、学くんは教え方も上手。今も数学関係は苦手だけれど、あの時ほど勉強が苦手なことを嬉しく思ったことは無い。本当に単純だな、私。

 ……いい加減、学習しようよ。色々な意味でさ。

 とにかくそれは置いといて、またほんのちょっと月日は流れる。小学校の最上級生、つまりもうすぐ卒業間近という時期に差し掛かった。

 人によるけど何人かは思春期、それを予感させることは多くあった。その頃くらいから生理も始まった。一年前まで悩んでいたこととかが解決したり、逆に新たな悩みが始まったりした。けれど新たな楽しみとかも増えた。全部ひっくるめて学校は楽しかった。相変わらず勉強は、というか算数は苦手だったけれど。

 更に背が伸びて肩幅も広くなって、お父さんに似た低い声になったということ以外、学くんは相変わらず保育園の頃から変わらない。かっこよくて勉強も運動も出来て目立ってて。私の学くんへの想いも変わらなかった。変わるどころかますます強くなっていったように思う。理由はというと、単純に会えない時間が増えたことだった。

 学くんは小学校を卒業し、中学校に通うようになっていた。地元区内の学校といえど小学校とは別の方角および遠い距離にある中学だったから当然、登下校は別になる。部活にも入ったみたいで朝は早く帰りは遅い、忙しい上に疲れているだろう学くんにそうそう勉強を見てもらいにお邪魔するわけにはいかない。いくら私だってそのくらいはわかる。図々しさとちゃっかりでは天下一品なお母さんも流石に矛先を収めた、ちぇっ。

 生活サイクルの変わってしまった学くんに会えるのは、休日や部活の無い日だけ。そんな時でも大抵は学くんは机に向かって勉強しているから、私はまともに構ってもらえない。けど少しでも会いたくて学くんの傍にいたくて、学くんの部屋に上がりこんでは連立方程式とか解いてる学くんの後ろで静かに漢字ドリルをした。苦手な算数の宿題は持ってこない、だって学くんに迷惑かけたくないから。背を向けたままの学くんの後ろで一緒に勉強する、それだけで満足していた。お陰で国語の点数は上がって算数の点数は下がった。お母さんは複雑そうだった、学くんはどうでもよさそうだった、私は幸せだった。

 逢えない時間が愛育てるのさという詞の歌が昔あったとか。逢える時間が僅かで有限だったからこそ、たまの逢瀬(使い方間違ってる?)は濃密に感じられたし気持ちも強固になっていった。当時の私は自覚がなかったけれど。


 自覚というか、大きな変化があったのは、修学旅行から帰ってきたある日のことだ。


 巨大なリュックと共に家に帰った私は「ただいま」もそこそこにその荷物を玄関に置き、靴を履き替えないままお土産と漢字ドリルと白文帳を引っ張り出し、それらを抱え、桐原家を訪れる。泊りがけの学校行事から帰ってくれば、大抵の小学生は疲れきっているだろう。けれど私は違った。少なくとも気持ちの上では。

 今日は確か部活が無かったはずだ、その証拠に外から見た部屋に明かりが点いている。

(帰ってきた、やっとまぁくんに会える!!)

 二泊三日の修学旅行、それは確かに楽しかったけれどやっぱり心の底でいつも思っていた、「まぁくんも一緒にいればもっと楽しいのに」と。つくづく私って……いや、もうやめておこう。

 とにかく、私は。

「まぁくん、ただいま!」

 その一言を言うべく、また当人の顔を見るべく当人の家に赴き当人の部屋をばあんと開けて。

「ノックしろ。みー」

「桐原くん、誰この子?」

「隣に住んでる幼馴染」

「ふうん。こんにちは」

 当人と、当人の初彼女と邂逅したのだった。


 きっかけはいつ、何になるのかわからない。

 すきという感情に複数の種類があるなんてこと、保育園の時は知らなかった。誰かが教えてくれるわけもない、ただ漠然と無意識に感じていただけだ、お母さんもお父さんもエリちゃんもキョウコちゃんもケンタくんもみんなすき、けど学くんは一番すきで、それが『だいすき』っていうこと。それだけで、満足していた。それはその時ぎりぎりまで、そう思っていた。

 きっかけはいつ、何になるのかわからない。


 学くんの部屋に、知らない女の子。


「こんにちは。えっと……しつれいしました」

 取り敢えず、自分はここにいちゃいけない。そう直感した私はぼそぼそとそう呟いてから学くんの部屋のドアを閉めた。そのまま玄関先へ後退。「あら美恵子ちゃん、どうしたの。今日ね学ったら、美恵子ちゃん以外の女の子連れてきてねえ。今お茶菓子用意したのよ部屋で一緒に」そんなおばさんの言葉を断って「丁度ようじを思い出したので帰ります、これどうぞ」、お土産(学くんも食べられる甘くない生姜クッキー)を渡して桐原家を出た。その間、握り締め過ぎて漢字ドリルと白文帳に皺が入ったことにも気づかなかった。

 さて家に辿り着き。

 二度目の「ただいま」を呟きながらふらふらと部屋に向かう。台所からお母さんの「お帰りなさい……って美恵子さっきも『ただいま』って言わなかった?」という声が聞こえたけれど応える気が無かった。正しく言うなら気力が無かった。

 部屋に入ってドアを閉めた。皺の入った漢字ドリルと白文帳を机の上にぽんと投げ出した。ベッドに沈んで、枕に顔を埋めた。

『学、誰この子?』

『隣に住んでる幼馴染』

 胸が痛い。学くんのお部屋に知らない女の子がいた、それだけのことがいやだと感じた。ううん、それだけじゃない。その子に言った、学くんの言葉もいやだと思った。本当のことを言って紹介してくれたのに。どうして。なんでだろう。


 すきという感情の種類。それは複数あるのだと、ちゃんとわかっていたと思っていたのはやはり気のせいだったのかもしれない。その証拠に、学くんに対する『すき』のみ特別だと感じているだけでその正体は解らない。

 解らない?本当に?

「ウソ」

 呟いて、はっきりわかった。私のウソつき、本当はずっとずっと前からわかってた。ただ、知らない振りをしていただけ。

 学くんのことがだいすき。いつだって会いたい。傍にいたい。学くんの傍なら算数も頑張れる。褒めてくれればもっと頑張れる。離れていてもいつも学くんのことで頭がいっぱい。一緒にいれば幸せ。

でも他の女の子が学くんと一緒にいるのはいや。

 それだけでこんな嫌な気分になって、胸が痛くなる。だって学くんの一番近い場所にいる女の子は私だって思ってたから。学くんの部屋に入れるのは私だけだって。

 ……学くんを独り占めしたい。一番近くにいたい。でも、学くんが嫌がるならやめなきゃって思った。だって、学くんに嫌われたくないから。ちょっとでも、良く思われたいから。出来るなら、私と同じ気持ちになって欲しいから。

 だいすきって。

 こんな『だいすき』は、多分というか間違いなく特別なもので。私はその名前を知っていた、随分前から。

 恋。

 わたし、まなぶくんにこいしてる。

 足掛け九年目の自覚というか、はっきりとその『だいすき』に自分で名前を付けた瞬間だった。本当に、きっかけはいつ何になるのかわからない。

 それから先、私は学くんのことを「まぁくん」と呼ぶのをやめて、ノックをしてから学くんの部屋に入るようにした。もしくは、玄関先におばさんのそれではない女物の靴があったその時は部屋に上がりこむのは止めるようにもなった。学くんに彼女がいるとわかった時も、その彼女と別れたと聞いた時も、新しい彼女が出来たと知った時も、私は学くんの傍をつかず離れず纏わり付いた。そのたびに一々傷ついたり喜んだりまた傷ついたりした。それをずっと繰り返して今の今まで時は流れる。

 ひとえに私は昔から、諦めが悪いのだ。

 ……今では、そうはっきり思える。



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