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天学へようこそ 5


 過去のことをいつまで経っても引きずる自分の執念深さと嫉妬深さに少ししょんぼりしながら、階段を下る。と、階下で何やら騒がしい物音がすることに気づいた。ドタンバタン、とかガサガサ、とか。

 踊り場から用心しながら見下ろすと、階段すぐ下まで敷き詰めてあった足ふきマットが無くなってる。お掃除の時間なのかな、とゆっくり下りてみると、やっぱり玄関に魔法陣の如く敷き詰められていたマットが一部無くなっていて。

 その周辺が、何やら血まみれであった。

「!?!?」

 突然のスプラッタ。

(あれ?)

 いやこれは――よく見ると血じゃないっぽい?お馴染みの鉄の匂いでなく、何やら野っぱらに転げた時のような、草っぽい青っぽい匂いがうっすら漂っている。

「あ、すみませんー!」

 マットが無くなった床の上で、一人立っていた人が声をかけてきた。私と同じくらいかそれより小柄か、体格も全体的に華奢な人。ふわん、と茶色の猫っ毛が揺れた。

「ちょっと汚しちゃって、マットを取り換えてます。外に出るの大丈夫ですんで、どうぞ」

「……はあ」

 華奢な腕でズルズルと大きなマットを引きずりつつ、寮生らしきその子はにこやかに言う。横には大きめの段ボールが蓋を開けた状態で置いてあり、中から覗くのは赤い汁で汚れたお米の袋とかペットボトルとか、幾つもの真っ赤な……

「……トマト?」

「はい。仕送りなんですけど、こけてぶちまけちゃって。寮のマットは泥で汚すのはいいんですけど、それ以外のもので汚しちゃったら怒られるんですよね。なので新しいのと取り換えて、今のうちに洗っちゃおうかと」

 幼さの残る顔立ちといい、敬語といい、多分一年生かな。

「大丈夫ですか、おひとりで……」

「大丈夫です!」

 華奢な体格に添わず引きずっているマットは大きく、そしてこの惨状は一人では後始末に相当時間がかかるのではと思った。

「大丈夫です、大丈夫。今はまだお昼前ですし。夕方になったら先輩方の帰宅ラッシュなので、それまでになんとか済ませちゃいます!」

 だけどその人はそう言って、汚れたマットを丸めて一か所に纏めようとしている。にこやかだけど、どう見ても焦ってる。公共の場で公共の道具をダメにしてしまったこと、そして長くこの場を占領してはいけないことによる焦燥がひしひし伝わってくる。

(やっぱり一人じゃ無理なんじゃ)

 気温も高くなってきた正午近く、その子の白い額には汗が滲んでいた。きっと、外から重い荷物を一人で運んできたんだろう。暑い中、やっと休めると思ったら玄関でこんなことになっちゃったんだな。災難過ぎる……。

 ふわふわと、汗に濡れてない猫っ毛が揺れている。脳裏に天然茶髪パーマの親友が浮かんだ。

(なんだかこの子、髪型だけだけど、香織に似てるなあ)

 そう思ったら、たまらなくなった。

「あ、あの!」

「はい?」


「私も、手伝います!!」


 猫っ毛の寮生は、ぱちくりと目を瞬かせた。



 その子がマットを外に運んで洗っている間、私は寮備品である掃除用具モップでその場を綺麗に清掃。新しいマットを運んで敷き詰め、モップも洗って、なんとかお昼前には作業は完了した。こういうのは複数で分担してやった方が断然早い。そしてこの時間、奇跡的に誰も出入りしなかった。良かった。

「助かりました! 自分ひとりだともっと時間かかってたと思います、本当にありがとうございます」

 最初は恐縮していたその寮生も、私が荷物をその場に置いて本格的に手伝い始めてから意を汲んでくれて、テキパキ動き始めた。短時間で終わったのはそのせいもあるだろう。

 やっぱり大きな失敗した時って一人で収めようとしても限界があるし、完遂まで時間かかりそうだと気も滅入るもんね。無理して頑張ろうとして、余計どん詰まりになることだってある。助けを助けだと理解し、差し伸ばされた手をしっかり握る的確な判断力も、時には必要なのだ。

――そう、誰だって。予想外のことが起きた時は、そして袋小路になった時は途方に暮れちゃうもの。

(私……香織がいなかったら、きっと、学くんへの恋も挫折していただろうしなあ)

 つくづく、過去に実のあるアドバイスをくれた親友に感謝だ。人の輪って尊いよね。


「何かお礼を、……えっと、あーあ、良さそうなのあんまり無いなあ。トマトいります?」

 仕送りの段ボールを漁り始めたその子を、慌てて押しとどめる。

「いいです、気にしないでください。こちらの勝手でお手伝いしたので」

 本当だ。ちょうど自分のかっこよくない部分に落ち込んでてブルーだったから、何か気持ちが晴れるようなことをしたかった。人助けならぬ、自分助けのようなものだったのだ。学くんの「すぐ寮内から出ろ」という言葉が一瞬過ぎったけど――別にこれくらいならいいでしょ、まぁくん。

「でも……。あ、そうだ、ちょっと待っててください!」

 猫っ毛の寮生はくりくりお目目を動かしてたかと思うと、次の瞬間ぱっと駆け出した。

はやっ)

 栗色の髪はびゅっと寮内のどこかへすっ飛んでいったかと思うと、数分とかからず戻ってきた。

「ミカンとリンゴ、どちらがお好きですか!?」

「えっと、ミカン、かな」

 どっちも好きです、と言いそうになったけど、脳裏にはなぜかミカンを欲しがってるまぁくんが浮かんだ。リンゴはさっき食べたもんね。

「どうぞ!!」

「え、いいのに」

 缶ジュースを手渡される。キンキンに冷えてる果肉入りみかんジュース。寮の一階給湯室の横には、なんと自動販売機があるらしい。そこで買ってきてくれたんだ。

「遠慮なさらずどうぞ! あ、これじゃない方が良かったですか?」

「いえいえ! ……ありがとうございます、いただきます」

 その子の仔犬みたいな表情に圧され、その気持ちも嬉しくて。ありがたく、いただいた。

 それにしてもさっきの足、速かったな。お米の袋入りとかどうみても重そうな段ボール箱を運んできた膂力といい、重そうなマットを一人で担いできた時も思ったけど、この子見かけによらず身体能力凄くない?男の子ってそういうものなのかもだけど。

 目の前で、一緒にりんごジュースを買ってきていたその子が早速プルタブを開けている。少し赤くなったほっぺでにこにこと嬉しそうだ。甘いジュース好きなのかな。可愛いな。

「ッはー、生き返るー」

「ですねー」

 暑いし喉も乾いていたし、その場で一緒に飲んだ。労働の後の一杯(?)って美味しいよね。さっきまで落ち込んでたけど、このジュースの美味しさが帳消しにしてくれるような気がした。

 やっぱり人助けっていいよね。相手がこうやってきちんと感謝を表明してくれるいい人だったりすると、やり甲斐もなおアップ。

 オートロック付きのガラス張り玄関扉から見える空は、ほどよく雲を残しながら晴れ晴れとしていた。



「――寮生のご関係者ですよね。お帰りの時に邪魔してすみませんでした」

「いえいえ。丁度通りかかって良かったです」

「本当、助かりました。待ちきれなくて仕送り受け取ったその場で段ボール開けちゃったのがまずかったんです。今度から寮室で開けることにします。――うちの寮って、比較的自由なんですけど当然ながら最低限のルールがあるし、後輩にはぶっちゃけ厳しくて。誰か先輩が通りかかったら、チクチク言われちゃうとこでした。どこもそうだと思うけど、こういう場所ってヒエラルキー厳しいんす」

 肩を竦め声を潜めてくすくす笑っている。こういうことを言ってもイヤミが無い人って得だよねえ。バリアフリーなスロープでこけるとか、ちょっとドジっ子なのもある意味チャームポイント。

「凄い大荷物ですけど、お部屋までおひとりで持ってくんですか。重くないですか」

「はい、平気です!もう今度はこけませんよ、さすがに」

 目が合うと、髪とお揃いの色したくりくりの瞳が和やかに笑う。うっすら散ってるそばかすがあどけなくも、自然体で実に可愛い。まだ声変わりもしていないようだし、傍に寄ってきても身構えなくていいような、そんな安心感もある。

(?――なんで私、そんなこと思ってるんだろ)

 なんとなくだけど、この子は今まですれ違った天学生とも何かが違う。何がって聞かれてもはっきり言えないんだけど。一対一で話しているから、人を置き去りにしないで会話してくれる常識人っぽいから?ううん、それだけじゃない。

 単に華奢で可愛い顔立ちで朗らかで爽やかなだけでなく、その何か違う雰囲気が、私を安心させている。だから助けたくなったし、初対面なのにこうして気安く話せてるんだ。

 ちなみに、みーの第六感は何も警告を発してこない。普通だったら彼氏持ちとして男性を警戒するだろうに、やましいことを極力避けるだろうに。ほぼ同世代の男子相手なのに、まったくそういう気持ちにならないのだ。もし私に弟がいたら、こういう感覚なんだろうか。

――いやそれとも多分、違う。なんだろう。この子は香織に髪型が似てるせいかと思ってたけど、それ以外に。

(なんだか不思議だなあ、この子、男の子ってより……)



「あれぇ、友坂トモサカ。なにやってんだぁ?」



 そんな和み空間に、誰かの声が割って入ってきた。




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