笑顔を手渡す日 こうへん
※まなぶくんの葛藤を想像しながら、ご覧ください
「ごめんなさい」
二月十四日。私はやっぱり、謝っていた。誰にって、彼氏に。
「キャラメル、ぜんぶ配っちゃった……」
「………」
私の彼氏―――前日の自称家庭的(笑)女にその存在をすっかり忘れられていた学くん―――は、何も言わず溜息をついただけだった。
バレンタイン当日、午後から私は計画通りだった。HR終了時にクラス全員に手作りお菓子を配り終えたし、他クラスの友達にもあげられた。部活仲間にも予定通り手渡せた。みんな喜んでくれた。香織も「こういうの面白い」と褒めてくれて、絶品な生チョコもゲットできて、こちらもすこぶる満足。上機嫌のまま学校が終わって、その帰り。いつものように甲斐甲斐しい学くんが校門まで迎えに来てくれていて、その顔を見た途端思い出したのだ。
(そうだ、今年は『あげてもいい』んだった……っ)
そう、本来なら学くんの分を真っ先に包み、特別な包装をして特別なメッセージを添えて、最高の笑顔と一緒に手渡さなきゃいけなかったのに。
片想い暦が長かった私は、すっかり忘れていたのだ。今年のバレンタインデーは、「学くんに堂々とチョコを手渡していい」ことを。
初バレンタインをコケさせるとはなんつう不甲斐なさ。なんつうヘタレ彼女。昨日、「私ってもしかして家庭的なのかも」と悦に入ってた自分が情けない。女子力高いどころか、底辺の部類だ。
その自覚があるだけに、私は学くんに謝り続けるしかない。
「ごめんなさい、本ッ当にごめん!」
「………別に、いい。俺のことは気にするな」
とか言いつつ、あからさまにがっくりきてる。表情を出さないいつもの端正な顔も、夕日のせいでなくほんのり陰が落ちてる。学くんが付き合う相手に結構気を遣うことはわかってるけど、そういうのは「彼女」に通用しても「みー」には通用しない。何年幼馴染やったと思ってるんだ。
「謝るな。今までだって、準備したことなかっただろ」
「う、それ、は」
今まで学くん――紛れも無い本命――にバレンタインデーを関わらせなかったのは、色々と理由がある。でもそれを突き詰めると自分のヘタレっぷりを更に露呈することになるので、口ごもった。気を取り直して、名誉挽回を試みる。
「――とにかく、何か埋め合わせさせて。学くんが食べたいものとか、奢るよ」
「俺より貧乏なお人よしに、奢られるつもりはない。先月のバイト代、菓子作りでぜんぶ消えただろ。美恵子はそういうのに自腹切るタイプだからな」
見抜かれてる。そういや幼馴染暦が長いのはお互い様だった。
「ぬぐっ……じゃ、じゃあちょっと待ってて。急いで家帰って取ってくるから!」
「落ち着け。別に俺は甘いもの好きじゃないし、そんなに菓子が欲しいわけでもないから」
それも知ってる。学くんにバレンタインプレゼントあげてもいいと自覚があったなら、甘いお菓子じゃない何かをもっと早い段階で準備してただろう。でも、今の状態は言い訳不可の無能状態だ。完全なる出オチだ。ヘタレ彼女のレッテルを貼られたまま、「みーはやっぱりドジみーだな」と認識されるのか。否、このままではいかん。
決意し、きりっと学くんを見つめる。高い位置にある切れ長の瞳が、ちょっとたじろいだ。その勢いのまま、ずいっと近寄る。
「学くん!」
「な、なに」
戸惑った風の学くんに、本気の提案。
「殴っていいよ!」
「―――断る」
提案した罰を、学くんは一言で両断してみせた。さすがだねマイダーリン。
☆ ★ ☆
片想いしてた頃、学くんにだけはバレンタインチョコをあげられずにいた。
理由は単純なもので、学くんには常に彼女がいたから。その人はもちろん、周囲の女の子達もこぞって学くんに手作りお菓子を手渡していた。甘いものが苦手な学くんが毎年難儀してるのがわかっていたので、困らせる要因を増やすことも出来ず、私はお菓子を作っても渡せずにいた。そうやって遠慮していくうちに学くんにだけはバレンタインプレゼントが出来なくなっていた。こちらの気持ちは打ち明けているし、あげるとなると「義理」でなく「本命」だとわかってしまうので、そういうのは重たいかなと考えたのだ。
(恒例って怖い。傍から見れば不自然でも、自分だけだとそれが当然だと思っちゃうもんね)
思い出す。中学時代、学くんはバレンタインデーとなると沢山の包みや袋を抱えて帰宅し、食べきれないそれを周囲の人にこっそりあげていた。なんだかんだ言って、学くんは優しい。全然関係ない私にもそのお菓子の一部を分け与えてくれるくらい、優しい。ウザかった幼馴染を黙らせるためだったのかもしれないけど、とにかくバレンタインデーだけは私は学くんのモテ恩恵にあやかっていた。甘いもの大好きだったしそれなりに幸せだった。ただ、どうしても拭えないものは溶け残りのチョコレートみたく、胸の底に蟠ったままだった。
色とりどり、形も様々なお菓子。学くんへの、数え切れない想いの欠片たち。
―――その中に埋もれるのが、一番いやだった。
☆ ★ ☆
「それ、もらったやつか」
「あ、……うん。香織と、あと部活でもってきたひとがいたから、その子と交換して……」
「ふぅん。よかったな」
「うん」
「お前、昔から甘いもの好きだからな」
「……うん!」
学くんにそう言ってもらえて、思わずでろりと顔がとろける。ちょっと前まで完無視に近い状態だったことからすると、こんなことでも嬉しいのだ。ゲンキン、とは学くんを前にした私にとって、今更な言葉である。
あっという間に浮上した心地のまま、言うつもりの無かったことが口を次いで出た。
「えへへ。実はね、」
「?」
「昔に学くん、貰ったバレンタインのお菓子くれてたでしょ。小六、よりちょっと後。中学入ってから」
「あ、―――ああ」
視界の片隅で、ぎゅっと骨ばった拳が握り締められる。それには気づかず、私は当時の心境をべらべらと喋った。
「実はさ、悪いなーとは思ってたけどチョコレートいっぱい食べられて嬉しかったんだよ。学くんモテるんだ~ってことはフクザツだったけど、やっぱりタダでお菓子貰えて嬉しくって。最初は私もお菓子準備してたんだけど、学くん甘いの苦手だし、いっぱいチョコもらってることは知ってたから、やっぱり困らせちゃいけないかなって思ってた。だから今まで、あげたくってもあげられなかったの」
ごめんね、その延長で今年もシカトしちゃって。そう伝えると、横を歩く学くんは唇を噛み締め、動作を目に見えて固まらせた。
「学くん?」
歩みが遅くなった彼を覗き込むようにすると、眼鏡の奥の瞳は伏せられていた。そしてゆっくりと瞬いて、私の好きなひとは自嘲気味の小さな声を洩らす。
「…………なんでもない。それより、もう謝るな。そういうことなら、仕方ないんだから」
なぜだかその様子が苦しそうでさびしそうで、私はちょっと不安になった。付き合い始めてまだ数ヶ月、まだまだ学くんのことはわからない。
(だめだな、これじゃ。やっぱり学くんの彼女っていえない)
そう考え、内心で拳を握る。ヘタレっぷりを恥ずかしがってる場合じゃない。
「あのね学くん。私チョコ食べながらやっぱり悔しかった」
「…………え?」
相手の気持ちがわからないなら、こちらの正直な気持ちを伝えるだけ。理解しようと思うなら、こちらを理解してもらうよう、素直にぶつかるだけ。
「学くん宛てに届けられたいっぱいのチョコ、その中に自分のを入れたくなかった。『その他大勢』になるのが嫌だったの。私、結構前から学くんの『特別』になりたいって思ってた」
今更な暴露で、ちょっと恥ずかしい。けど、当時の素直な感情を今なら打ち明けられる。
「………」
「だからね。あの時食べてたチョコレートは美味しかったけど、悔しかったからやっつけ作業で、どんなのだったかとかは全ッ然覚えてないや」
気恥ずかしさを誤魔化しながら、えへへと笑う。だって今日はバレンタインだもの。大切なひとに、最高の笑顔を手渡す日。
「今も昔もだいすきだよ、―――まぁくん」
その気持ちを、伝える日なんだから。
「―――」
久しぶりの呼称と改めての告白に、私の大切なひとは耳までぼぉおっと赤くなった。その顔を見て、大きく開けられた瞳と華やいだ表情を見て、私は安心する。ああ、このひとがこの顔をするなら大丈夫だと。
「美恵子」
この顔になり、人目が周囲に無い場合。ぎゅっと手を握り締めてくるのも、私の彼氏のちょっとした癖である。
「わ、」
そうして今日は、無言のまま歩き出す。片手で私の鞄と荷物をひったくり、片手で私の手を握り締めたまま。
「ま、学くん、いきなり、どうし、」
長い脚での早歩きなんでついてくのが精一杯だ。さっきの一言で私の彼氏に変なスイッチが入ってしまったらしい。
「部屋は、とってないけど。今日は、相部屋の奴がいない、から。一晩だけなら、だいじょうぶ、だから」
そうして、切れ切れに意味のわからないことを喋ってる。
「さいごまで、しない。さわるだけで。さわりたいんだ」
「もう触ってるじゃん!」
「もっとさわりたい」
「な、なにを!?」
「いろいろ」
やっぱり意味がわからない。耳まで真っ赤のままだし、鼻息も荒い。クールだったはずの学くんは、本日行方不明のようだ。バレンタインだから仕方ないのか。
そうこうしてるうち、眼前に駅が迫ってきた。このままだと冗談抜きで学くんの学園寮に連れ込まれる。引っ張られてる手が痛い。いつもならこんなに強くする前に緩めてくれるのに、今日はなんだか違う。
「ちょっ……、まなぶくん、お願い、はなし、」
「埋め合わせ、してくれるんだろ。今、してくれよ。今日、これから」
(ええええええええええ)
唐突な言葉に脳内で絶叫する。学くんの感情的な気分の変調は今まで少なかったから、こんなときどう対処したらいいのか未だにわからない。わからないが、流されるのは本意じゃない。
学くんの望みには応えたいが、それとこれとは別だ。このままだと非常にヤバい気がする。乙女の第六感というやつだ。
声を、なんとか振り絞った。
「―――ま、まぁくん! みー怒るよ!」
かつて地団太してたのと同じパワーを振り絞り、叫ぶ。渾身のことばは、きっと届くと信じて。
私の好きなひとはやっぱり、その想いを聞き入れてくれた。
・
・
・
「ごめん。すまなかった。反省してる」
「もう、いいよ」
「手、痛かっただろ。本当にごめん。詫びにならないかもだけど、なんでもする。なんでもするから、赦して」
「だからもういいってば……これでバレンタインのおあいこにしとこう、ね?」
先ほどとは打って変わって、こちらにまたも土下座する勢いで謝り倒してくる学くんを宥めながら。私はほんわりとした感慨に包まれていた。
(これからはこうして、新しい思い出とか記念日とかが重なっていくんだろうなあ)
それはまるで手にしているチョコレートみたいな、甘い予感だった。
そして学くんの過去の所業反省タイム・並び煩悩タイムはこれから先も続くのでした。
番外編も読んでくださって大感謝です!




