まなぶくんのじこまんぞく 2
※ヘタレが中途半端に黒さ爆発ですよ!
あいつの勘違いを、利用するんだ。
みー自身も周囲も、勘違いしていた。「河上美恵子が一方的に桐原学に付きまとってる」と。そしてそれは、俺が巧妙にそう仕組んだ結果でもあった。
自分が世間にどう見られているのかはとっくの昔にわかっている。そして、その中でどのように振舞えば有利にことが進むのも把握している。従って、それは周囲の人間をどう誤解させれば俺にとって都合が良いか、気分がいいかも知っていた。
(こいつは、俺だけしかみえてないんだし、何やったって平気だ)
内実は、真逆だったのに。
小学校の頃から告白してくる女子は大勢いた。けれど、そのすべてを振り切ってきたのはひとえに、タイミングを見計らっていたからだ。
(どういう場面だと、一番みーに衝撃を与えられるか)
そんなことを考えつつ、今日も部屋に上がりこんで共に勉強をする真剣な横顔を眺める。こいつに勉強を教えるようになった経緯も、母親経由で情報を流したからだ。「高校生になったら時給の良い家庭教師のバイトしたいんですけど、練習台になってくれるような子はいないか」と。案の定、仲の良い母親同士の繋がりによりこうして近い位置で日常的に過ごすようにもなった。登下校だって似たか寄ったかな経緯で一緒に行動することに成功し得たのだ。そうして、みー自身には俺の本意でないように振舞った。あいつは誤解したことだろう、「まぁくんはどこまでもみーの面倒みてくれるんだ」と。そうして、俺の思うような方向に気持ちが傾いていく。
少し考えれば、わかるだろうに。俺がすべてに準備周到であったことに。なんとなく、状況が不自然であることにも。しかし、こいつは気づかない。だって、俺に夢中だから。恋は盲目、とはよく言ったものだ。
(あとは、みーに自覚させるだけ)
自覚させて、告白させて。そうしてそれが当然なんだということを、教えてやろう。
(そうすれば、もっと俺は満足できる)
だって、こいつは俺しか見えてない。どんな言葉を投げかけたって、どんな態度を取ったっていい。そう、例え目の前で他の女と一緒にいるところを見せ付けたって、気持ちは揺るがない。告白を簡単に流したって疑問にも思わない。だってみーは俺のものなんだから。俺のしたいように振舞って、全然構わない。反応を愉しむのは当然の権利だ。こいつがどう思うかなんて関係ない。むしろ、ショックを受ける様だけ満足感が得られる。それだけ、こいつは俺に夢中なんだから。哀しんだら哀しんだだけ、俺のことが好きだってことだろう?
実際に成功したときの快感は、想像以上だった。告白してきた女子の中から適当なのを見繕って、部屋に招き入れる。丁度みーが修学旅行で帰ってくる頃合い、気持ちが昂ぶってる絶妙なタイミングで「鉢合わせ」させる。思ったとおり、みーはショックを受けた様子だった。そして俺の言葉に、素直すぎるほどに傷ついたようでもあった。
それから以降、狙い通りことは進んだ。みーは俺を目に見えて意識し始めたのだ。ちょっとだけ誤算だったのは、思った以上にみーは俺に気を遣ったこと。告白してくる時期が遅く、苛々した。
その気分が出たのか、とうとうそのときが訪れた際は予定以上に冷たく素っ気無い声が出た。
『学くん、だいすき』
『しってたし』
実際のところはこれ以上無いほど上がってたテンションを押し隠しながら、落胆の色を滲ませるみーを横目で見てせせら笑う。
ああ、やっと。やっとこいつは俺に告白した。
(でもまだ、足りない)
そう、足りない。俺の完全な満足には程遠い。だって、それだけのことを、こいつは大昔に俺に仕向けたんだ。今の「桐原学」は、紛れも無いこいつのせいだ。今までそれなりに苦労してきた分、こいつにも苦労させてしかるべきだ。
そんな考えが加速し、俺は企みが成功したのちも好き勝手に振舞った。すなわち、手当たり次第女と付き合ったのである。そして案の定、告白を宙ぶらりんにされたまま付かず離れずとなったこいつの苦しげな表情を見るたび、満足した。
(ああどこまでも、こいつは俺のものなんだ……!)
ことが上手く進みすぎると、人間は誰しも慢心する。そのことを思い知らされたのは、間も無くのことだった。
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薄暗い、部屋の中。
「……」
電気もついてないし、ひとの気配も無い。週末なので、相部屋の後輩は実家に帰省しているのだ。そしてそれは、今の俺にとって都合が良かった。
無言のまま、二段ベッドの上に登る。そうしてそのまま、敷きっぱなしの布団に身を埋めた。
「……」
もう、何も考えず寝たかったから。気を抜くと、あの光景が延々と脳内で連続再生するだろうから、意識を強制的に無くしたかった。
―――見知らぬ男と一緒にいて、顔を赤くしながら微笑んでたあいつ。
「……ッ馬鹿か」
なんでそれだけで、これほど俺はショックを受けてる。あいつと離れるってのはどういうことなのか、想像してなかったのか。こういうのだって、想定内のはずだ。
(高校生だろう。ちょっとくらい、気の迷いだってある)
そう、どじみーだって一応女なんだから。あれは単なる気の迷い。気の……
(本当に気の迷いか。もしかしたら真剣に付き合っているのかもしれないのに。そう、俺のことなど忘れて)
「――」
それ以上考えたくなくなり、瞼を閉じた。どうして、みーの気持ちが俺に向いてないと考えただけで無気力になっちまうんだろう。
(ありえない。だってあいつは、昔から俺だけのものなんだから)
そう考えないと、正気でいられない。
本当の意味で、想定していなかったのだ。あいつと離れるってのが、具体的にどれだけの影響を、俺に及ぼすのか。そして、河上美恵子という人間を無理矢理俺の枠に当てはめて考えていた。
――あいつは俺なんかよりずっと毅いってことは、とうの昔に識ってたのに。
現在の高校を選んだのは、意図的だった。保育園の頃から組み立てていた人生設計の一環として、家計をさほど圧迫せず大学の医学部へ進むことが出来るよう、それなりの奨学金を手にしようと考えていた。そのうえで、特別な特待生制度がある天草学園はまさにうってつけともいえた。なので元からそこに進学するつもりだったのだが、みーには敢えて途中で進路を気紛れに変更させたかのように振舞った。案の定、あいつは素直に俺の言うことを信じた。信じて、「自分は学くんにとってそれほど重要な位置の人間じゃない」と思い込んだようだった。そしてそれこそ、俺の狙いだった。
(そうだ、お前は俺にとってなんのことはない存在。でも、)
それでも、みーはそうじゃないだろう?昔からどじで、素直で、一途で、頭の悪いお前は、どんな扱いされたって俺の元に戻ってきた。そして、情けをちらっと投げかけてやるたびに仔犬みたく尻尾を振って、こちらの一挙一動に馬鹿みたいに翻弄されて。こっちがどんな関心の薄さをみせようが、揺らがない。そのくらい、俺のことが好きだろう?
(みーは、そういう女だから。きっと俺と離れたがらない。例え、物理的に離れたって、あいつの気持ちは揺るがない)
そのことを、確信したかったのだ。
今はただ、自嘲する。当時の俺はただ、あいつより優位な立場に立ちたかった。――実際のところ、執着心が募ってだいぶ危ない人間になっていたのを、精神的に誤魔化したかっただけ。
(離れたって――これから先、逢えない期間があったって、俺は平気だ。耐え切れる。だって、みーは俺にとってそんな重要な存在じゃない)
そう、思い込みたかっただけだ。
案の定、表面的な余裕は長続きしない。
みーと離れてからの新生活は、まったく楽しくなかった。やっていることは今までとそう変わらないのに。勉強して、運動して、鬱陶しい周囲の期待にほどほどに応えて高校生たる「桐原学」の日常を練り上げていく。
けれど、今までと違って目に映る範囲にあの姿が無い。真っ直ぐに見上げる視線も、呼びかけてくる声も、こちらの言葉に輝く表情も。
俺はみーがいたからこそ、「桐原学」でいられたのだ。無気力なガキが無気力でなくなったのは、あいつのお陰。型にはめた生き方がさほど苦痛でなかったのも、俺をいつでも見つめてくれていた好きな女いてこそのことだったのだ。当時の俺はそのことに蓋をし、どこまでも傲慢だった。そして強がっていた。
しかし、実際問題みーがまったく無いという生活は、心身に視えないストレスをかけていく。今までと同じように手当たり次第女と付き合っても、それを見せ付けるための相手がいない。これまで愉しんでいた行為だって、途端につまらなくなった。甘い声、派手な外見、媚びてくる態度、そういうものに飽きるのが中学時代より恐ろしく早くなった。だって、実がまったく無い付き合いだったから。これまでの相手だって、みーに見せ付けて嫉妬させること前提で選んでた。そして、本命相手の予行演習のつもりで――どこまでも傲慢に――彼女らを扱ってた。そう、俺はあいつ以外の女全員、その程度の視線でしか見れていなかったのだ。
なのに、それが意味する執着心の強さに自分で慄き、否定していた。俺が本当に欲しいのはこういうのじゃない。そう己が叫ぶのを無理に押し込め、慣習となってしまった好きでもない人間と恋人同士の真似ごとを繰り返す。俺はみーがいなくたってこういう行為を愉しめる、と。そしてその都度相違感に苛まれ、精神をすり減らしていく。
正直、キツかった。
(……違う。俺は、美恵子がいなくても平気だ。たった数ヶ月離れただけで、そんなに参ってない)
今日も今日とて「桐原学」たる日常を無心でこなし、何人目かの女と早々に別れたあと、寮に戻る。疲弊しきっているのは主に精神だ。胸の奥底をぎりぎり磨り潰されるような心地。募る飢餓のままスマフォを取り出す。数えきれないほど届いているその他大勢からのメッセージは全部無視。専用のそこに保存されている、ガラケーからのショートメール。高校に入学して寮生活を送るようになってから、毎月一、二度ペースで届くあいつからの便り。今日も一通届いていた。
『お元気ですか?』『寮生活頑張ってね』
差出人の名と、その文面を見てるだけで、ぎりぎり磨り潰されていた胸郭の辺りが緩むような気がする。募っていく様々なものを無理矢理押し殺し、素っ気無い返信文をしたためながら、心身がじんわりと温められていった。メールを打っているだろう姿を思い浮かべたら、勝手にそうなったのだ。
俺にとって運が良くも不運だったのは、みーがガラケー派だったということ。子供が当たり前のように物心つく頃からタブレットやスマートフォンに触れている家庭が一般的になりつつある昨今、みーの生まれ育った河上家はそういった家ではなかった。みーの両親を見ていればわかる、その強かさ。さほど経済的に貧窮しているわけでないのに携帯料金支払いのために毎週入れている飲食店のバイトといい、本人がある程度自立を示すことで親がそれに見合った物品を与えるという古風な教育方針の家庭。だからこそみーは両親に愛されつつ決して慢心しない。ぽやぽやしつつ、いつも前を向いている。前向きで、元気で、そして他人を心配する思いやりも持っている。でもそんなものが無くても俺は。
俺は。
(……あいつは)
あいつは、どんな想いでこのメールを送ったのか。俺のことを考えながら送ってくれたんだろうか。逢いたい、とかそう思ってくれてるだろうか。きっとそうだ、だって、今、俺がこんなにも――
そこまで考えて、スマフォの電源を乱暴に切った。
(冗談じゃない)
俺は、そこまで参ってない。参っているのは、あいつだけなはずだ。
「桐原学」どころか――俺のすべてが、芯からあいつ次第なんてことは、あり得ない。
メールを無視し始めたのは、その時期からだった。差出人の名前を見るたび身体が勝手に寮を飛び出し、電車に乗り込みたくなるのを抑えるためにしばらく携帯を開かず、暇さえあれば受信を確認してしまう自分を抑えるため電源も切った。
そして、精神的な満足感を得るどころか、肝心の折り返し連絡も途絶える結果となり、心身が更に弱っていくのも、間も無くのこと。
すべては、自業自得。今は、そうはっきりと言える。
策士策に溺れるってやつです




