その1
アホっぽいノリとややシリアスもどき、そんな現代高校生ものです。
「えええええええええ」
その時の私の悲鳴は、これまでの人生において一番長く大きかった。
「みー、うるさい」
案の定、そのつんざくような大声を一番間近で聴く破目になった本人が、さも迷惑気に顔を歪める。今日は午後からデートだからとかで整えた服装、形の良い眉をぐっと顰めた嫌そうな表情。ああ今日も学くんはかっこいいなあ……って今はそれより。
「ま、ままま学くんしょれ本当!?」
学くんの手触りのいいカッターシャツの襟を掴んでチョーカーの革紐ごとがくがく揺さぶりたいのを堪え、代わりに彼の座る革張りのソファの背凭れ部分をぐぐっと握り締め、私は再度問いかけた。問いかけたはいいが動揺のあまり噛んでる、お、落ち着け私。
「嘘でしょ?」
「嘘つく必要がどこにある」
ふんとつまらなそうに鼻を鳴らし、私の十年来の幼馴染はソファ越しにこちらを見た。その心底見下げたような冷酷な眼差しも素敵、ではなくて。
「で、でででもでも」
わなわなと震えつつ、去年の今頃確かに言質を取った言葉を搾り出す。
「学くん、北高受けるって言ってたじゃん……!!」
「気が変わった」
お見事。実に見事な前言撤回だ。見事すぎて涙が出そう。
「うそぉ……」
「だから嘘つく必要がどこにある」
すらりとした腕に時計を巻きつけながら言い放つ彼の姿にがく、と身体の力が抜けた。握り締めすぎて爪も立てそうだったソファから手が離れ、だらりと下に垂れる。本当だ。本当なのだろう、学くんのことだから。
「ちょ、ちょい待って。理由、理由を教えてよ!」
脱力するぎりぎりのところで踏みとどまって、顔をやっとのことで上げ眼前の綺麗な顔を睨み付ける。
こちらの悲嘆と非難にまみれた視線なぞ意も介さず、腕時計を付けた手を伸ばしてテーブルの上のレモネード入り耐熱グラスを持ち上げ、底に沈む輪切りレモンを軽く揺らす学くん。く、今はそんな何気ない仕草に見惚れてなんかやんないんだから!
「まあ最初はみーに言った通り、北高受けるつもりだったけど。教師が天学の推薦入学の件薦めてきてさ。やけにごり押しするし、しつこいし、もうそっちでいいかと思って」
「だ、駄目だよなんで抵抗しないのなんで最初の意志を貫き通さないの! 見損なった! それでも桐原学なの!?」
「みーの分際で何説教モードかましてんだよ」
「痛ッ何すんのふがふが」
グラスを持ってない方の手で、でこピンをかまされた。反撃しようとしたらひょいとかわされ、鼻を長い指で無造作に摘ままれる。逃れようともがいてるところを尻目に優雅にレモネードを呷る学くん。女の子扱いは皆無な上、こっちは両手使ってわたわたしてるのに向こうは左腕一本。腹立つ。腹立つくらい見事にあしらわれてる。いつものことだけどね!
やっと開放されてぷはっと息を吐き、私が気づいた時には空になったグラスが既にテーブルに戻されていた。
「まあ全寮制ってのが面倒だけど。それ差し引いても進学率は北高より高いしなんか色々特待制度があるみたいだし? 家の為にもそれがいいかと判断したわけ」
「確かに天草学園は推薦枠で入れば、授業料が大幅に免除されるって聞いたことあるけど……」
「そ。以上」
話は済んだ、とばかりにソファから立ち上がる学くん。すらりとした体躯がリビングを離れ、さっさと玄関に向かおうとする。最近また背が伸びて逞しくなったその肩、その後ろ姿に向かって私は最後の悪あがきを試みた。
「――でも、でもさあ!?」
「何」
肩越しに面倒そうに振り返る学くん、その端正な横顔に向かって訴える。
「せめて――」
せめて一言欲しかった、その言葉は冷えて固まった。
形のいい切れ長の瞳は鬱陶しげに細められたまま、冷たい口調で言い放たれたから。
「俺の進む高校がどこだろうが、みーには関係ないだろが」
まさに両断。
「………そ、そう、だけど」
「ならいいじゃん。じゃあ俺行くから」
全身の力が抜ける。膝も崩してへなへなとその場に座り込む私を一瞥もせず、広い肩はリビングの扉を閉め姿を消した。しばらくして玄関の扉と鈴の音、外へ出て行く足音が響く。外で土いじりをしているおばさんと交わしているらしい会話が小さく聞こえる。
―――あら学、出掛けるの?美恵子ちゃんは。――みーはまだ家ん中。まー適当に帰ると思う。―――ちょっと学。美恵子ちゃん用事があったんでしょ。―――大丈夫だって、もう済んだし大した用事でも無かったから。―――あら、そうなの?
そんな会話を最後に学くんの声は聞こえなくなり、辺りに静寂が訪れる。
ぼそぼそと、言えなかった言葉が洩れた。
「学くーん、天学は全寮制及び男子校なんだよ女子の私はそこ入れないこと決定なんだよしばらくもう会えないかもしれないんだよぉ……」
誰にも受け取られることなく放たれた独り言(そう、まさに独り言)は空気に溶けて消え、再び静寂を取り戻す。しんとなった家の中、玄関近くの庭でおばさんが手鍬で土を掘り返すざくざくという僅かな音を背に、私はまだ打ちひしがれていた。頭の中はどんよりと重いのに、これからの学くんの行き先を思い描いている自分。
これからデートだって言ってたなあ。デートってどこ行くんだろ。私彼氏いたことナイからわからないけど、映画館とか喫茶店とか?楽しそうだなあ。……今日は天気もいいし、彼氏はかっこいいし、羨ましい。本当に、羨ましい。
せっかくのお母さんがお隣におすそ分けにと持たせてくれた佃煮は冷蔵庫の中。桐原家のおばさんが淹れてくれたレモネードはガラステーブルの上。どっちも大好きなものだ。
けれど今はどちらも遠い。遠いったら遠い。
「関係ない、かぁ……」
片思いって辛い。特に、期間が長ければ長いほど。
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「ねぇ学ぅ。私うれしいんだけど」
「なにが?」
「今日は一緒にいる時スマフォいじってない。『話しスマフォ』が無いのうれしー」
「そうだっけ?」
「うふふ。何かいいことあったのぉ?」
「……強いて言うなら思った以上に薬が効きそうだってこと」
「くすり?なに、学ってば薬飲んでんの?」
「飲んだのは俺じゃないけどね」
「ペットか何か?」
「まあ、そんな感じ」
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