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茜空の彼方に 

作者: 藤木 琢磨
掲載日:2011/01/15

  茜空の彼方に その一


               ☆

 コーゥ・コーゥ・コー・コーと賑やかに餌を求めて鳴く鶏の声が聞こえてくる。

 弘子は今日も五時過ぎに起きて、いつものように山裾の細い道を朝露に濡れながら鶏舎に向かう。朝日が昇る前に午前中の作業を終えることが夏場の鉄則である。日中、鶏舎の中は鶏舎用扇風機を回していてもうだるような暑さだ。だからここ毎日五時起きが習慣となっている。東京にいる時は夫の栄治の出勤に合わせて七時より早く起きたことはなかった。高原の夏は夜が明けるのが早く生きものは待ってくれない。鶏舎の扉を開けて中に入ると、舅の栄作はもう既に餌やりを始めていた。鶏糞の匂いがむっと鼻をつく。

『おじいちゃん、お早うございます。遅くなってご免ね」

「おう、ゆっくりしとってもよかったのに助かる、助かる。そこの栓をひねって水をやってくれるか」

「はい、わかりました」

 弘子は簡易水道の栓をひねり早速鶏舎全体に流れるように給水を始める。鶏の水やり装置は舅の栄作が雨どいを利用して、ゲージの前を自然に流れるように工夫している。水が全体にほぼ行き渡ったのを見届け、サイロから手押し車に合成飼料をおろして餌やり作業の応援をする。コーゥ・コーゥ・コー・コーと鳴きながらコツコツ餌をついばむ鶏の前を、手押し車を押す弘子の脳裏に夫の栄治が倒れた時のことがよみがえる。


 栄作が東京から郷里の賀陽町に引き上げる前、弘子は栄作の三男の栄治と縁あって結婚し、目黒に住む栄治の母愛子と同居していた。コンピューター時代の幕開けを迎えた時期で、夫の栄治は仲間と三人でコンピューターシステム関連の会社を立ち上げ、ソフト開発の仕事が軌道に乗り始めていた。持ち前の器用さとアイデアマンの取り得が幸いしたのか、面白いように仕事が舞い込んだ。企業からの注文が多い時などは何日も家に帰らずプログラミングを続ける事もしばしばであった。

 こうして仕事に明け暮れる栄治であったが、結婚して半年程立った頃体重が急速に減少し手足のむくみが目立ち始めた。


 ある日夫が久しぶりに早く帰ってきた夜、弘子は半月ぶりに栄治に抱かれた。しかし栄治は弘子を抱いたのはよかったが、とうとう最後まで弘子を満足させることは出来ずに終わってしまった。弘子は栄治の腕の中で最近気がかりだったことをついに口にした。

「あなた、随分手足がむくんできたんじゃないの?」

「ああ、最近身体に力が入らなくなってきた。徹夜が続いたのが原因かなぁ」

「いちど病院で検査をしてもらったら」

「そうしたいところだが俺が抜けると仕事に支障をきたすからなぁ」

「そんなこと言ったって身体をこわしたら元も子もないわよ」

「解っているよ。そうヤイヤイ言うなよ」

「お願いだから検査に行って頂戴よ」

 その後も弘子は何度となく病院に行くことを勧めたが、仕事の多忙を理由に栄治は行こうとしなかった。それから三ヶ月ほど経ちとうとう職場で倒れてしまった。会社からの連絡で弘子が慌てて病院に駆けつけてみると、一応の処置は終わりベッドで点滴をうけていた。担当医から「アルコール性肝障害」と告げられた。弘子が心配したとおり、毎晩身体のしんどさをアルコールで紛らせていたツケが回ってきたのだ。アルコール厳禁、塩分制限をしてしばらく入院加療が必要ということだった。命にかかわるほどでは無いと聞いて弘子は一先ずホッとした。

 食事療法と定期検診を続けていたが栄治の体調はもう一つすぐれず、ハードな仕事を続けていると病状が悪化して寿命を縮めること必定と医者から宣告されながらも、相次ぐ注文をさばききれず相変わらず多忙な毎日を送っていた。

         ☆

 栄作の郷里は吉備高原の中央にある、岡山県の臍といわれる吉備郡賀陽町(今は吉備中央町)だ。県都岡山市には比較的近く、地域の人たちはまとまった買い物はほとんど岡山市で用を足している。

 ここ賀陽町は日中国交回復の陰の功労者である岡崎嘉平太氏の出身地で、地元の人々は嘉平太氏がこの地から出たことを誇りにして生きてきた。近年、県の開発が進み「吉備高原都市」として脚光を浴び始めている。M電気の工場誘致も成功し八百六十戸の住宅団地も売り出されて、病院や郵便局やスーパーもできるし住環境は申し分のないものになってきた。

 なだらかな山に囲まれた高原には南北縦横に道が走り、岡山市からのアクセスはずいぶん便利になって、車で一時間ほどで繁華街に行ける。近々飛行場の建設もこの吉備高原の南のあたりで始まるという。こんな情報を耳にして栄作は思い切って帰郷の英断を下したのだった。 

 栄作が、田舎生活をしようと決断して賀陽町に帰郷する際、後妻の愛子はとうとう付いて来るとは言わなかった。戦争中、東京の空襲が激しくなり賀陽町に一時疎開した時の印象が尾を引いているのだろう。今は「吉備高原都市」に生まれ変わり、あの時とは一変していると口をすっぱくして話し、一度下見に連れて来たがそれでも頑として首を縦に振らなかった。栄作はそれはそれで仕方がないことと自分を納得させるしかなかった。そして東京の家屋敷一切を後妻の愛子に譲り、単身で郷里に戻ってきた。そして始めたのが手っ取り早く生計の立つ養鶏であった。

☆


 弘子と栄治は見合い結婚であったが、夫の栄治は夫婦生活に淡白で、弘子が時々会う同級生との会話でも、子供が出来ないのは無理ないと同情されることがしばしばであった。結婚してから栄治が弘子の身体を求めてきたのは、三年の間に数えるほどしかなかった。淋しい毎日を送りながらの日々が続いていた。栄治がその気になれないと言う。これも肝障害から生じた症状であったのだ。やっと納得のいった弘子ではあるが、どうしても子供が欲しかったので友人の勧めもあって、栄治と相談のうえ人工受精を受けることにした。その頃、K病院にその筋の権威の先生がいるということで、友人の父親の紹介で治療を受け、そのお蔭で真一と誠の二人の息子を授かった。


 弘子はあの日子供たちが学校から帰ってくるまでに、おやつのクッキーを焼き上げておこうとオーブンに火を入れた直後だった。

「もしもし、奥さんですか?社長が又会社でお倒れになりまして、いまK医大病院に搬送中です。至急おいで下さい」

 藤田専務から口早の電話を受け弘子は頭の中が真っ白になるのを覚えた。

「・・・・・・・」

 しばらく言葉が出なかった。

「済みません、もう一度」

「救命士の話では心筋梗塞の疑いがあるということです」

「えっ、心筋梗塞?」

 徹夜に近い仕事をここ数日続けていたが、又救急車のお世話になるなど思いもしなかった。医師の指示通り食事には十分気をつけてきたつもりだが、前回の病気とは関係ないようで、タクシーの中で弘子は気が気ではなかった。急を要する場合東京の渋滞は容赦なく乗客を地獄におとしいれる。

 やっと病院にたどり着いた弘子は、ショルダーバッグをたすき掛けにして小走りに手術室に向かう。手術室の廊下には専務の藤田と事務員の佐藤さんがベンチに心配顔で座っていた。

「やっぱり心筋梗塞だそうです。先ほど手術が始まったばかりです。我々が気づいた時は全く意識がなくて、発作が起きてどれくらい時間が経過していたのか不明です」

「藤田さん済みません、半年も経たないうちに又ご心配をお掛けして。連絡をもらってすぐに出たんだけれど渋滞に遭って遅くなったの」

「心臓外科の権威のF医師がちょうど勤務の日でしたからきっと大丈夫と思いますよ」

「最近特に何も言っていなかったので突然で驚きました」

 心筋梗塞は下手をすると命取りになると聞いていた弘子は、祈るような思いでベンチに座って手術の終わるのを待っていた。

 弘子が病院にかけつけたのが午後の三時すぎ、手術中の赤い表示灯が消えたのは六時を少しまわっていた。手術室からマスクをはずしながらF医師が弘子たちの前に姿を現わしておもむろに口を開いた。

「残念です。手を尽くしましたがお助けできませんでした。冠動脈が詰まり六十パーセント壊死が進んでいました。もう少し早く運ばれていたら・・・・・」

 弘子はその言葉を耳にして突然気を失い気がついた時は病院のべッドの上だった。


 夫栄治の葬儀を終え幼い二人の子供を抱えた弘子は、今後の身の振り方についてあれこれと悩んだ末、子供たちを自然の中でたくましく育てようと舅栄作の勧めでここ賀陽町

に英断を下してやってきたのだった。でも今になって思うとこうして賀陽町にやって来て正解だったと思いながらエサやりに専念する弘子だった。


          ☆

 弘子達がやって来た時、高原都市はまだ建設途上で自然が一杯であった。

「おじいちゃん、とても空気が美味しいわ。東京を離れて良かった」

「ああ、わざわざ森林浴などに行かなくても毎日がそうだよ」

「排気ガスの臭いが全くしないわ。空も澄み切ってとても綺麗だし」

「夕日はもっと素晴らしいぞ。茜色に染まった山の姿は抜群なんだ。いつも夕焼け空を見るたびに、東京は住むところじゃあないとつくづく思ったもんだ」

「そうねぇ、こうして東京から離れて田舎に来て住んで見るとよくわかるわ」

「そうじゃ、わしが言った通りじゃろう。あんたはきっとそう言うと思うとった」

 栄作は弘子が田舎生活をどう思っているかずっと気にしていたが、弘子の言葉でその心配も消え内心ホッとした様子だった。

「ウグイスの鳴き声が毎日聞けるなんて信じられなかったわ」

「春先は練習不足のウグイスがいてのう、『ホーケキョ』とホの一字抜けた鳴き方をするから面白いで。でもよくしたものでそのうち練習を重ねて『ホーホケキョ』と上手に鳴きだすからなあ」

「まあそうなんですか。練習不足ねえ」

「ウグイスは夏近くまで縄張りを主張しながら四方八方で鳴くんだ。遠くで鳴いたと思うと、しばらくして別のウグイスが鳴く。すると今度はまた別の方角から縄張りを主張して鳴くんだ」

「ウグイスの競演ですか」

「これから色んな野鳥の鳴き声が聴けるぞ。楽しみにな」

「どんな鳥がいるんですか?」

「ウグイスやメジロは勿論だが、ホウジロとかジョウビタキとか、夏になるとホトトギスが『テッペン、カケタカ』と大きな声で夜中に鳴く。またフクロウや山鳩の鳴き声も夜は聴けるぞ」

「フクロウが夜鳴くのは知っていましたが、ホトトギスも夜鳴くんですか」

「ああ、ホトトギスは夜に喉から血を吐くように鳴くので、昔から『死出の道案内』などと言われてなぁ、気味が悪いと嫌われていたらしい」

「そうなんですか。夏が楽しみだわ」

「それに冬の空気が冷え冷えとする早朝に、目の前に広がる雲海は絶景だよ。まるで雲の上にいるような気分になるからなあ」」

「雲海ですか。まだみたことがないわ」

「それにな、秋の澄み切った天気のよい日は四国の剣山がここから遠くかすかに見えて壮大な気分にしてくれるし、夕焼けも目が染まるのではと思われるほど見事な茜色になるんじゃ」

 栄作は東京からやってきた弘子に熱っぽく吉備高原の自然の素晴らしさを語ってくれる。

やがて季節は夏から秋、そして冬へと移っていった。


 田舎生活に満足して活き活きと暮らしている弘子を見るたびに栄作はホッと胸をなでおろすのだったが、息子の栄治と若くして死別した弘子が思案の末、栄作の薦めに応じて賀陽にやってきて田舎の生活に満足して明るく振舞っていればいるほど、その姿に接して不憫に思うことがある。そんな同情の思いがつのりとうとう一線を踏み外すことになってしまった。いい年をしてと人はあきれるかもしれない。不憫に思う栄作の気持と、女盛りなのに夫から全くかまってもらえない弘子の気持が呼応して、とうとうハードルを踏み越える結果を引き起こしてしまった。一度一線を踏み越えてしまうと歳とはいってもなかなか歯止めが効かなくなるものだ。 最初栄作から誘いを受けた弘子はとんでもないことと拒んだが、今では弘子も心待ちするようになってしまった。古希を過ぎた栄作だから時にはただ抱かれて眠るだけのこともあるが、時間をかけての手のこんだ愛撫は時に女の喜びを与えてくれることもある。もう少しという時もあるが弘子はそれで満足している。

 今夜も弘子は子供たちが寝静まった深夜、足音をしのばせながら二階から下りて、座敷に休んでいる栄作のもとに滑り込んだ。病気がそうさせている栄治を恨む気持は無いとはいえ、栄治が抱いてくれないからだと心の片隅に自分を正当化する気持が潜んでいるのも事実だった。

 栄作によって体の芯の疼きを癒された弘子は二階の自分の布団の中に戻り、いつものことだが罪の意識に駆られる心と、相反する体の疼きに女の業の深さを覚えるのだった。


 正月三が日も鶏は休ませてくれない。弘子は朝早くから長靴を履いて霜柱の立つ野道を鶏舎に向かう。手袋をはめていても手がかじかんで指先は凍える。手袋の上から息をハアハア吐きかけながら鶏舎に行くと、栄作はもう既に忙しく餌やりを始めていた。いつものように簡易水道の栓を開ける。《あれ!今日は水が出ない。大晦日の夜ずいぶん冷えていたせいで水道管が凍ったのだろうか?》

「おじいちゃん、水が出ませんよ。水道管が凍ったのでしょうか」

「なに?水が出ないか。水道管じゃないと思うで。多分ポンプのブレーカーが働いたのじゃろう。ちょっと待ってくれ」

 そう言って水道ポンプの丸い蓋を外して、栄作は赤いボタンを押す。シュゥンという音を上げてポンプが回りだした。

「弘子さんは初めてじゃなぁ。水が出んときはこの蓋を開けてな、この赤い復帰ボタンが飛び出していたらプッシュしてくれるとたいていはモーターが回りだすからな」

「ああ、そうだったんですか。分かりました。次からはそうしてみます」


 こうして十時前に朝の作業を終えた二人は陽だまりの縁側に座ってティータイムとなった。弘子は栄作が教えてくれた通り、今日も庭の梅の木のつぼみの着いていない小枝を選んで、蜜柑を輪切りにして刺した。梅の蕾は以前からすると少しずつ膨らんできているように見える。寒いとは言っても自然は敏感に陽射しの変化に反応しているのが判る。

「梅はいつごろ咲くんでしょうねぇ」

「まだ少し早いじゃろう。このあたりは二月も終わり頃かのう」

「山の中ですから海辺とはだいぶ違うのでしょうね」

「月ヶ瀬の梅林祭りも二月の十日からと言うからのう。まだ咲いてないよ」

 のんびりとこんな会話をしながら、昨晩ダルマストーブで作った蒸しパンと紅茶を頂きながらふと庭に目をやると、今日もメジロが二匹やってきて蜜柑をついばんでいる。栄作の言ったとおり本当に手が届くほど近くまでメジロがやってくる。二口三口蜜柑をついばんでは白い縁のついた愛くるしい目で、あたりをキョロキョロと見回して警戒し又ついばむ。チュル・チュル・チュー・チュルと仲間を呼んでいる声も可愛い。弘子はメジロのさえずりがこんなに高くて鼓膜にびんびん響くなど想像もしなかった。毎朝蜜柑を枝に刺してはメジロのやってくるのを待つ間が楽しい。メジロはスマートな姿で愛くるしく、目の縁の白い眼鏡、首に掛けた黄色いマフラー、濃い黄緑の背中、首から腹の薄い羽毛のコントラストは素晴らしい。姿は、ウグイスよりもメジロのほうが一段と美しいと弘子は思う。

 ところが時々ピーピーと鳴いてヒヨドリがやってくることがある。メジロより何倍も大きい鳥で、折角喜んで蜜柑をついばんでいたメジロは、いち早く近くの金木犀の茂みの中に隠れてしまう。ヒヨドリは蜜柑をついばんでいるうちに、枝から丸ごと落としてしまう。庭に植えてある千両や万両や南天の赤い実も好物で、せっかく赤く色づいて庭に彩を添えてくれだすと食べられてしまう。

 山の木の実がなくなると里に下りてきて荒らすのでヒヨドリには悪いが弘子は始末が悪い鳥だと思う。 

 そうは言っても一年をこの吉備高原で過ごしてみると、本当に豊かな自然の恵みに感謝である。ちょっと近くの山に足を運べば、春はフキノトウ、ワラビ、ぜんまい、タラの芽などが幾らでも採れて、山の珍味に不自由はしない。一度には食べきれないので、軽く湯がいて塩漬けにしておくと年中重宝する。狩猟期になると近くの農家の男達が、雉や猪を仕留めておすそ分けもある。マツタケは少なくなったとは言え、少し山を歩けば家族が食べるぐらいはまだ手に入る。

 また周囲の自然は四季折々に変化を見せ、早春から春にかけて万作、さんしゅゆ、福寿草、山桜、コブシの花、初夏から秋は春蘭や彼岸花、ワレモコウ、そして白く可憐なセンブリの花が咲き誇り目を楽しませてくれる。その中でも弘子が一番気に入っているのは、東山魁夷の描く絵のように山のあちこちに転々と咲き誇る山桜である。周囲の新緑の木々の中にポッと鮮やかに彩を添えている姿はなんともいえない。

 賀陽の自然は一年中弘子を飽かせることなく歓待してくれているようだ。


          ☆

 秋の収穫を終えた十一月の最後の日曜日、地区の氏神様である荒神様の、四年に一度の大祭りの日がやってきた。大祭りの年は荒神神楽を奉納するのがしきたりである。栄作の話ではかなり経費がかかるので、最近は八年に一回ぐらいしか奉納していないと言う。弘子たちは一度、十二年前に栄作の招きで荒神神楽を見物に東京からやってきたことがある。あれから八年が経過していたのだ。子供がまだ小さい頃で、真一を背負って見物した思い出がある。

 賀陽町にやってきた年に荒神神楽があたり弘子は運が良かった。

 松のうさんが登場してひょうきんな語りを聞かせてくれたり、大国主の命が登場して、国譲りの話をしたり、ヤマタノオロチ退治などが舞われたのを思い出す。中でも大黒様が福の種を播くのを拾うのが子供たちにとっては一番の楽しみのようだ。

 祭りの前日、栄作も年寄り株ではあるが地区の一員として準備に出かけて行った。朝八時に公会堂に集合する。

「荒神様に運ぶものは白板に書いとるから、よう見て軽トラで運んでくれ。物置の中にあるからよう確認してな」

地区長の敏さんが大きな声で指示する。

「畳が書いてないがどうするんなあ」

「畳は神社の中に積んであるんよ」

「湯釜の用意は前回の写真があるけえ、それを見て設営してくれぇよ」

 五月と八月の盆前と天神様の秋祭り前と年に三回は、協同で道のほとりの草刈りをしており、その時荒神様の草も刈っていたので、あまり茂ってはいなかったが年寄りたちで綺麗に除草した。

 道具も揃い荒神様の社の前の広場にシートを敷き、その上に八畳の畳を敷いて舞台の準備をする。

「オイ、誰か竹を四本切ってこい。舞台の四隅に立てるんじゃから手ごろなのを頼むで。

先の方の笹は少々残しとけえよ。」

「湯釜の神事の設営を誰かしてくれんか、写真があるからそれをよう見てな」

地区長の指示がひっきりなしに飛び交う。若い衆も年配の者も指示に従っててきぱきと動き昼過ぎにはじゅんび完了だ。

 翌日は天気もよく祭りには最適だった。午前中、神楽太夫が家々を廻って家祈祷をして

公会堂でお神酒を戴き、なおらい (食事)を済ませると太鼓を叩いて宮上がりだ。

 神主の祝詞と湯釜の神事が済むといよいよ神楽の奉納である。今回の一座は成羽の神楽社中を頼んであるそうだ。八年前に弘子が見たのは総社の一座が公演をしたように思う。栄作に言わせればいずれの社中も備中神楽だからそう違いは無いと言う。弘子は家祈祷が済むと急いで神社に向かった。 

 栄作が子供の頃は、午後二時頃から舞い始めて、夜中の十時頃までかかったと話していた。今は経費の関係と年寄りの夜道を気遣って二時から六時までの四時間ほどになったらしい。栄作は最近は一つ一つの舞う時間を短縮して一応全ての舞を奉納すると言っていた。

 トン トン トコトン トン トコトン 「よー ハイ」トン

「さぁーて舞い出だす神を いかなる神と思うらん・・・・・・」トコトン トン

太鼓の音が周りの森にこだまして心地よい。役指の舞に始まって、榊舞、白蓋神事、導き舞、猿田彦命舞と神事舞が続く。時間短縮とはいっても神事舞は省くことなくきちんと舞うのがしきたりだ

 そして弘子の待っていた神話を基に劇風に創作された神能がいよいよ始まった。まずは『天の岩戸開き』だ。岩屋に閉じこもった天照皇大神を知恵の神様(思兼命)、踊りのうまい女の神様(天宇津女命)、日本一の力持ちの神様(手力男の命)たちが登場して、とうとう天照皇大神を岩屋から誘い出して神能の一は終わる。

そして舞台は神能の二、『国譲り』の舞に移る。大国主命は出雲神話の主役で、なかなかの艶福家だったと伝えられ生まれた子供は百八十名に余るというのも神話とはいえ面白い。

 いよいよ大国主命が福の種を播く場面が始まるようだ。見物席がざわつきだした。弘子も持ってきたビニール袋を出して福の種を拾って入れる用意をする。

 今も昔も変わらず見物の人達はエキサイトする。栄作は紅白の福の餅を百個奉納させてもらい福の種を播くほうにまわっている。

「大黒さん、こっち、こっち」

「栄作さん、こっちにも投げてくれえ」

 弘子も餅を三個、菓子袋を六つばかり拾った。人々は大国主命とは呼ばず大黒さんの愛称で呼んでいる。相変わらず賑やかなことだ。 


 そしていよいよクライマックスの神能の三『素戔鳴命の大蛇退治』が始まった。まず

トン トン トコトン トン トコトン 「よー ハイ」トン とゆっくりしたテンポで

素戔鳴命の地舞が始まる。ヨーイソリャ ヨーイソリャーの音楽さんの囃子と太鼓のリズムに乗って登場してきた。弘子の一番好きな舞である。手さばき、足裁きも優雅で面をかぶった首を上手に左右に振りながら舞っている。神楽の舞の中でも極め付きの圧巻といってよい。弘子はその舞に引き込まれ、太鼓のリズムに合わせて自分も首を振っているのにハッと気づき、そっと周りを見回した。皆の目は舞台に吸い寄せられているようで弘子は顔を赤らめながらもホッとするのだった。

 やがて『じじ』『ばば』が登場して嘆きの物語が始まり、人々の涙をそそる場面が展開する。末娘の『稲田姫』が素戔鳴命と契りを交わし、いよいよ大蛇に飲ます酒作りになった。この酒造りの神、松尾明神の登場は神楽の中で一番のお笑いの場面で、観客と掛け合い漫才のやり取りをしながら、賑やかに八千石の酒を造るのである。

 弘子は以前神楽を見たとき、地方にもこんなに明るい郷土芸能が根付いていることに驚いたが、今回は腹の底から笑えた。そしてピー ピー ピューの笛の音とともに、二匹の大蛇が登場してきた。そして素戔鳴命との戦いの末『天の群雲の宝剣』が胴のなかから出てきて最後のクライマックスとなった

 今回の成羽の一座は松尾明神と音楽さんのやり取りが特に面白かった。時代にあった話題を取り上げ、こっけいな話術と素振りで観客を楽しませてくれた。


冬になって弘子はお気に入りの台所で炊事をするのが楽しみだ。台所は昔のままのタタキで、土間にはダルマストーブが殿と構えている。部屋では石油ストーブを焚いているが、このダルマストーブは重宝している。家の中全体が暖まるし煮炊きの殆どはこのストーブで事足りる。作業から帰り土足のままで調理も出来るし、おまけに身体全体を暖めてくれる。近くの雑木林から切り出して薪を用意出来るので、燃料代もあまりかからない。特にじっくりと煮込む料理には最適で、弘子はご満悦である。東京では考えられない贅沢と言えば贅沢である。パンを焼いたり、子供達のオヤツを作ったりする時も便利で重宝している。特に正月のおせち料理の煮豆など最適だ。弘子にとって田舎生活をエンジョイする貴重な家具として、このダルマストーブは欠かせない道具の一つである。


           ☆

 今日は午後から鶏糞の掻きだし作業がある。弘子は栄作と長靴を履き角スコップを持って鶏舎にいた。弘子にとって、賀陽にやってきた当初、卵拾いはリクリエーションのようで楽しかった。しかし毎日となるとなかなか大変な手作業である。更に鶏糞の処理は匂いもきついし、汚れ仕事でそれ以上に大変だった。特に梅雨の時期には鶏舎の中はじっとりして匂いも強烈で頭痛がするほどだった。だが慣れとは不思議なもので半年もするとあまり気にならなくなり、今は我慢できるようになった。鶏糞の悪臭がなければ言うことは無いのだがこればかりはどうにもならぬ。

 作業を終えた弘子は急いで家に帰り台所に立つ。亭主の栄治は今日は夜行便の乗務で、手作りの弁当を持って夕方四時に出かけていった。

「おじいちゃん、お風呂沸いてますよ。どうぞ」

「おう、有難うさん。今晩は冷えそうじゃなぁ」

 そういいながら作業着を脱ぐ栄作。古希を半ば過ぎた栄作ではあるが、力仕事をしてきた身体はまだ逞しくて弘子には少々眩しい。亭主の栄治は病気がそうさせるせいか夫婦生活は全くお呼びでない。四十を少し過ぎた弘子にとって栄作のたくましい姿は目に毒だ。結婚してから女の悦びは味わったことが無いと自分では思っている。東京にいた頃、友達と会う度に際どい話題も出たが弘子には別の世界の話に聞こえ、少々羨ましく思えたものだ。今ふとその頃の会話がなぜかフッと頭をよぎる。

「おじいちゃん、湯加減はどうですか」

 まだここでは五右衛門風呂である。クヌギの薪で炊いているので湯冷めは余りしない。

「おう、丁度ええで。有難う」 

栄作は首まで湯に浸かって、一日の疲れを癒すようにゆっくりと身体をほぐしている。

 栄作の声を後にしながら、弘子は午前、午後と鶏舎の管理に汗を流した栄作のために、二合入りの酒の燗をストーブの上に置く。今日は弘子も身体がアルコールを求めている。もう一合、別の徳利に注ぎストーブに載せる。

 やがて風呂から出てきた栄作と、今日はゆっくりと酒を酌み交わす。春に収穫して茹でて塩漬けにしていたものを塩抜きして、薄く味付けしたワラビの佃煮風のツマミと、キャラブキ、そして栄作の好きな卵のだし巻きが肴である。ささやかではあるが何ものにも代えがたい贅沢とも言える。栄作は珍しく酒の相手をしてくれる弘子を眩しく見ながら、ニコニコ顔で杯を重ねる。少し酔いがまわったのか、やがてポツリ、ポツリと自分史を語り始めた。


       ☆

「昭和の始めの大恐慌の後、農村の疲弊,困窮は極度に達してなあ。アメリカやブラジルへ大勢移民として出て行ったんじゃ。ところがアメリカの政策でそれも中断してしまって、農家の二、三男は行き場の無い者が激増したんじゃ」

「大変な時期があったんですね」

「それで満州事変以降『王道楽土』『五族協和』のスローガンのもとで、働き盛りの若者を開拓団として満州に送り込んでいた。「武装農業移民」と称し、後から知ったことじゃが、第一次、二次と合わせてその数は千人を超えたそうな」

「そんなに大勢だったんですか」

「男だけでは駄目じゃからさらに『大陸の花嫁』と称して、一次、二次、合計二百六十名の若い娘を送り込むという周到な計画が進んだんじゃ

「えっ、花嫁まで?」

「ああ、そうじゃ、続いて昭和十一年、当時の首相広田弘毅は満州に向けて二十年間で五百万人送り込むという壮大な移住計画を立て、現地の農民から土地を強制収用して入植を計ったんで」

「昭和十一年というと、私はまだ生まれてなかったわ」

「そのあと『大陸の花嫁』百万人計画も樹立されたんじゃ」

「まあ、百万人もですか?」

「うん、そうなんじゃ。昭和十三年からは『満蒙開拓青少年義勇軍』の本格的募集が始まってなあ。旧制中学に在学しとったわしは、先生から満蒙開拓の話を聞かされてのう。お国の為だけじゃぁのうて、満蒙の発展に寄与できると確信して、昭和十四年の春に燃えるような夢と自負心と野望を抱いて、わしは卒業と同時に大陸に渡ったんじゃ」

「そうすると、おじいちゃんは満州でお嫁さんをもらったの?」

「うん、そうなんじゃ。二年間開拓に従事しとったが、わしゃあ現地の農民の犠牲の上に成り立っていることに嫌気がさしてなあ。義勇軍から抜け出したんじゃ。そして現地で貿易会社の仕事に就き、女房をもらって二人の息子に恵まれて幸せな家庭を築くことができた」

「二人の息子さんというのは東京にいらっしゃる昭一さんと昌男さんですね」

「ところが当初は商売も竜虎の勢いだったが、第二次大戦が始まり敗戦の色が濃くなるに連れ、貿易の仕事は段々厳しゅうなってのう。とうとう会社も閉めざるを得んようになった。それまで順調な経営が続いていたから充分な財をなすことは出来たけどなぁ」

「東京の空襲も大変でしたわ」

「わしはな、昭和十八年に一度帰郷した時観音寺の屋根瓦の吹き替えで、資金調達に難渋していると聞いてのう。一万円の寄付をして郷土に錦を飾ることも出来たんじゃ。じゃから寺からは手厚くもてなされて、院居士の永代供養の栄誉を与えて貰うたんで」

 栄作は自慢そうにそんな話をしながら、グイっと杯を傾けながら話を続けた。

「それでわしはなあ、敗戦の色濃くなった十九年の秋、家族四人で満州から引き揚げた。下関に上陸した時に運悪く、妻の昌子が風邪をこじらせて急遽入院してしまったんじゃ。戦争が激しゅうなってドイツからはいい薬の入手が困難な頃で、肺炎を併発して二週間もせんうちにあっけのう逝ってしまった」

「それは大変でしたわねぇ」

「うん、本土に帰ってきてこれからという時じゃったんじゃ。小学生の二人の息子を抱えてわしゃあ途方にくれたしもうた」

「その時お兄さんたちは何歳だったの」

「昭一が四歳、昌男が二歳じゃった。運良く一緒に帰国した貿易会社の部下が、世田谷に来るように誘ってくれてなあ。部下の世話で、目黒の旧い住宅を買い求めて何とか落ち着くことが出来たんじゃ」

「幼いお兄さん二人をかかえて大変だったでしょう」

「ああ、今まで生活のことはすべて女房任せにしとったわしにとって、幼い子供を抱えての家庭の切り盛りは難儀なことでのう。お手伝いに来てもらって何とかしのいだ。あくる年の冬に後妻の愛子を嫁にもろうて、やっと落ち着いた生活を取り戻すことが出来たんじゃ」

「それが今のお母さんの愛子さんですね?」

「うん、そうなんじゃ。そして愛子は妊娠したが、戦火は厳しく東京の空襲は熾烈を極め、大きな腹を抱えた愛子と息子二人を連れて、郷里の賀陽に疎開して帰った」

「実家に疎開されたんですか」

「ああ、四人の子供を抱えて細々と農業を営んでいた兄夫婦のところに転がり込んでのう。長屋を改造して疎開先の生活を始めたんじゃが、後妻の愛子は東京生まれの東京育ちで、なかなか山奥の田舎の生活には馴染まんでなあ。いつもブツブツ不平を言ってはわしを憂鬱な思いにさせとった」

「お母さんは田舎の生活が余程嫌だったんですねぇ」

「何が気にいらなんだのかよう判らんがのう。やがて授かった男の子が栄治なんじゃ。それで敗戦の翌年の秋、かつての部下に管理を頼んでいた東京の家屋敷が心配だし、後妻の愛子のブツブツもあって賀陽町を引き上げて再度上京を試みたんじゃ」

「まあ、そうだったんですか」

「上京してみると幸い目黒の家は戦災から免れて残っていた。東京に引き上げた翌年、愛子との間に二人目の子供の美栄子が誕生したんじゃ。愛子は腹違いの二人の子供達とは、いつまでたっても馴染まなんだ」

「まあ、かわいそうに」

「長男と次男は高校卒業と同時にそれぞれ下宿生活をし、大学を卒業してからはわしらの居る世田谷の家には、ほとんど寄り付かんようになってしもうた。わしゃあ、二人の息子達が独立して世帯を持ってから一人でこの賀陽に帰ってきたんじゃ」

「何度も苦労なさったんですねぇ」

「愛子には何度も一緒に帰ってくれんかと説得を試みたんじゃが、頑として首を縦に振らなんだ。それから後のことはあんたもよう知っとる通りじゃ」

 杯を重ねながら栄作はこんな話をひとしきりしていたかと思うと、何時の間にかテーブルに顔を伏せて眠り込んでしまった。弘子は急いで寝床を敷いた。

「ゆっくり休んでね」

 栄作に声を懸け、弘子は台所の片づけを始めた。久しぶりにお酒を頂いたのと、栄作が初めて自分から進んで昔の自分を語ってくれ、何だか心も体も温かくなる弘子だった。食器を洗いながら弘子は今夜栄作にもっと暖めてもらおうと心弾ませている自分に罪の深さを感じずにはいられなかった。

 あくる朝、栄作は鶏に餌をやりながら弘子に昔語りをした夕べのことを思いだし、また久しぶりに温めあえことを感謝せずにはいられなかった。老人の理不尽な要求を初めは拒否したが今は素直に受け入れてくれる。十分に喜ばせることがいつもいつもできるとは限らないがそれでも応じてくれるのだ。


 東京生まれの東京育ちと言いながら、妻の愛子と弘子のこの違いは一体なんじゃろうか。時々栄作の頭をよぎる疑問の一つである。弘子は賀陽町にやってきてからすぐに田舎の風習に溶け込んだ。近所付き合いもたいしてトラブルこと無く活き活きとやっている。むしろ廻りの主婦連中と上手く折り合いをつけ、時には自分流に周りを巻き込んでいる。こんな弘子の生活振りに栄作はしばしば目を見張るのだった。弘子の何にでも逞しく挑戦していく持ち前のバイタリティーには驚くばかりだった。


        ☆

 七月の中ごろ、弘子は近所の主婦仲間に誘われて、賀陽福祉交流プラザにやってきた。毎年新暦の八月十五日の夜に催される盆踊りの練習会場である。既に二十数人の主婦や子供たちが集まって、練習の始まるのを待っている。

「弘子さん、やっと顔をだしたわね」

「ええ、道子さんに誘われてきたのよ。踊れるようになりたいから」

「そうよ、見ているだけではつまらないものね」

「手と足のさばきが複雑で、うまく踊れるかしら」

「ああ、大丈夫、大丈夫。小学生でも踊っているんだから」

「よろしくね」

「上手な人の後について、真似をしていたら踊れるようになるわよ」

 今までは見物の側に立っていた弘子だが、今年は踊りの輪の中に入りたいと思い誘いにのってやって来たのだ。

 やがて藤原さんの和太鼓のリズムに合わせて、町内会長の佐藤さんの音頭で練習が始まった。軽やかな和太鼓のドン、カカッカ ドン、カカッカ・・・という音とともに、

『南無や大悲の観世音、年端も行かぬ巡礼を 導きたまうぞ有り難や 聞くに憐れをとどめしは 阿波の鳴門の物語 聞くにつけても憐れなり ・・・・』

と、佐藤さんの切々とした『阿波の鳴門』の口説きが始まる。母親に連れられて参加した小学生に混じって、弘子もリーダーの後について手振り、足裁きを真似ながらついていく。手と足がうまく揃わずギクシャクしながらも、何とか『阿波の鳴門』を踊ることが出来た。引き続いて、『大黒踊り』と『松山踊り』を練習し終えた時は汗びっしょりになっていた。子供たちが夏休みなので、昼間週二回の練習が計画されたが、弘子は都合三回練習に参加してなんとか踊れるようになった。

 そして迎えた八月十五日の夜、弘子は栄作を伴って小学校に出向いた。学校の校門の近くまで来るとカカッカ、ドン、カカッカ、ドンとのんびりとした太鼓の音が聞こえてくる。運動場の真ん中には紅白の幕を張り巡らした櫓が用意してあり、既に四、五十人の踊りの輪が出来ていた。

「月にナァ、むら雲 花に嵐 イヤ ドッコイショ ドッコイショ 散りてはかない 世のならい アラ ヨイトサ マンダライヤ 鬼がコニャエー」と『大黒踊り』が鮮やかに繰り広げられている。栄作は慣れたもので早速輪の中に入って踊りだした。古希を過ぎたとは思えなかった。手さばきも足運びもリズミカルにたちまち輪の中に溶け込んでいく。弘子も栄作の後について輪の中に入り、片手に団扇を持ちながら練習した所作を思い出して何とかついていく。太鼓の音は校舎に反響して心地よい響きを返してくる。子供たちも体験学習で練習しているので、可愛いい浴衣姿で参加して弘子より何倍も上手だ。団扇の返しようがしなやかで上手い。お盆で帰郷したと思われる普段見慣れない若者たちも大勢参加して、夏の夜の宴は夜の十時まで休むことなく続けられた。

「いつまで続けられるかのう。音頭とりも太鼓も、跡継ぎが出来ないと続かんからのう」

「音頭の佐藤さんも、太鼓の藤原さんも八十が近いんでしょう?」

「いや、七十の半ばじゃ。わしより五つほど上じゃと思うで」

「田舎の伝統を守るのも大変ね」

「小学生に教えても、中学、高校と大きくなるにつれて、恥ずかしがって踊りゃあせんからのう」

「若い衆が地元に残れるように働く場所がも少し増えないとだめね」

「吉備高原にいくつか企業が進出してきているがまだまだじゃ」

「県も力を入れているようだからそのうちよくなるでしょう」

「住宅団地は出来たが企業はまだ少ないからのう」

 帰りの車の中で栄作は伝統の継承の難しさについて心配顔で話した。


         ☆

 最近栄作は地区老人クラブの役員会の席で、弘子のことをよく耳にするようになった。吉備高原にやってきて五年目になるが、地域の婦人会にも積極的に参加して交流が増えてきたからだろう。たいていの評判が

「東京のお嬢さん育ちと聞いているが、よう地元に溶け込んで頑張っとる」

というもので栄作としては悪い気はしない。

近所の評判もすこぶる良くて、

「栄作さんよう、あんたん所の嫁さんはようできとるなあ。明るうて、ざっくばらんで」

「わしらぁの知らんことをよう知っとってじゃ」

「何やかにや教えてもらう事が多いけぇ助かっとるんで、ほんまに」

 半分お世辞としても、栄作にとっては嬉しくて仕方が無い。それに息子と違って優しい言葉もかけてくれ随分大事にしてくれる。自分でもよう出来た嫁と内心思っていたので満足していた。

 よく考えてみれば鶏が縁でいつも一緒に作業をして、普段からよく話もして気心も知れるようになってきた。おまけに夜の付き合いも時々はしてくれる。満州で成功して、優雅な生活を一時とはいえ経験してきた栄作にとって、弘子が東京で身に付けた上品な数々の作法が気にいっていた。茶道、華道、編物な

どを心得ているので田舎では光る。いつの間にか子供達が縁で知り合ったPTAの仲間にも、求められてお茶や花の指南までするようになっている。本当に息子の嫁としてはもったいないほどの存在だ。

 妻の愛子を東京に置いて独り田舎に舞い戻り、味気ない生活をしていた栄作にとって大きな心の安らぎであった。


「弘子さん、わしはなあ最近つくづく思うんじゃが、人間すべて『八分の精神』が大事じゃと思うようになった」

「八分の精神?」

「そうじゃ、八分の精神じゃ。昔から『腹八分に医者いらず』ということわざがあったじゃろう?」

「ええ聞いたことはありますよ」

「食事の量はもちろんじゃが、毎日の生き方にも当てはまるのではないかとわしは思うとるんじゃ」

「毎日の生き方に?」

「仕事にしても、生活にしても八分の心でゆとりを持った生き方が大切じゃと思う」

「でも仕事や、勉強を考えるとそんな訳にいかないでしょう」

「いや、毎日の生活に振り回されて最近の日本人の生活はゆとりがないように思う。ついついあれもしたい、これも欲しいと貪欲になっているようだ。そして自分の目標が達成できないと、出来ない自分に腹をたてるとか周囲に欲求不満をぶつけてしまうのと違うか」

「そう言われてみると私も子供たちに対して、もう少ししっかりしてくれたらと、完璧を期待するところはありますわ」

「そうじゃろう。完璧を期待すると少し出来ないだけで不満が募るもんじゃ。身近な家族のことだけでなく、社会や政治に対しても満点を期待するのでなく、少しゆとりを持ってみることが出来れば、ゆったりとした日常生活が取り戻せると思うで」」

「そうですねえ。腹八分の精神ですか」

「ああ、そうじゃ。いつも心の中に『八分』の気持ちを抱いて、少しゆとりのある生活を心がけようと思うようになったんじゃ」

「そうですか。最近スローライフとかいって、企業戦士だった人たちがリタイアーして、第二の人生を模索している様子が報道されていますものねぇ」

「あれも無い、これも無いと思えば限りがない。今、目の前にあるものを大事にして生きていけばええのと違うか」

 午後の卵拾いを終えて三時のおやつの時間に、鶏舎の脇の畑の土手に座ってお茶を飲みながら、栄作はしみじみと弘子に語りかけるのだった。言われてみると、弘子は頭では解っているつもりでも、子供たちや夫の栄治に対して心の隅で不満を覚えていたことは紛れもない事実である。田舎に住むようになったのだから、も少しのんびりと大らかな気持ちを持って、栄作の言うように『腹八分の精神』で生活していけばストレスの溜まることもなく、穏やかな日々を手にすることが出来るだろうと思えた。

 弘子は栄作のこんな話を聞いて、テレビドラマ『北の国から』の作者である倉本總氏の書いた『ドラマの出来るまで』をしみじみと思い出していた。

 彼は富良野に移り住んで荒れ果てた原野と山林をひたすら歩き、荒れ果てたいくつもの廃屋を目にして、大型機械におわれて消えていく馬、鍛冶屋、経済社会に巻き込まれて夜逃げをしていった農家、吹雪を前に立ち往生した人々に思いを寄せたという。

 そして塾生に呼びかけ、廃屋を建て直し丸太小屋を建て廃材でポンプを作り、自然の中で人間が育まれ人としての自己を回復させる生活を試みた。その時『生活必需品』についてのアンケートで、富良野の塾生と東京渋谷の若者に聞いてみた。すると塾生たちは、一位 水、二位 ナイフ 三位 食料という答えだった。一方渋谷の若者は一位 金、二位 携帯電話、 三位 テレビという答えが返ってきたという。価値観の違いが鮮明に浮かび上がってきたと書いてあった。

 弘子は今、倉本總氏の話を思い出して渋谷の若者だけでなく、今の日本では大多数の人たちが豊かで便利で快適な生活を求めて、日々あくせくと生きているのではないか。戦後焼け野原から立ち上がり、われわれが手にした経済成長、繁栄には目を見張るものがある。だが今急速に変わる生活環境に戸惑いを覚える人々も多いのではないだろうかと思う。

 弘子はこの吉備高原にやってきて、『もっと快適に、もっと便利に、もっと豊かに』と限りなく増幅する人間の欲望に疑問を抱かずにはおれない。自分が望む幸せとはなんだろうかと立ち止まって考え直した時、栄作のいう『腹八分の精神』の意味が分かるような気がした。

 身の回りを振り返ってみると暖かい田舎の人情がある。四季折々の花があり山菜がある。多くの人々との交流があり安全安心の野菜もある。栄作たち親子四人との恵まれた生活もある。あれも無い、これも無いという引き算の生活を送るのでなく、あるものを生かしてこれもある、あれもあるという足し算の生活こそが大事なのだ。都会では求めても得られない自然の豊かな産物がある。こんなに沢山の物に囲まれて過ごす今の生活こそが、本物の幸せな生活ではないかと思えるようになってきた。


           ☆

 夜半過ぎ花火のドドーンという音で弘子は目が覚めた。時計を見ると丁度午前一時、それぞれの神社で宵宮祭をした八つの神輿が、これから加茂総社宮を目指して順次出発する合図だ。

 弘子はここ賀陽町にやってきて毎年この大祭に行くのを楽しみにしている。数年前の夜中、栄作に連れられて地元の神社に出発の様子を見に行ったことがある。男衆は褌を締めそろいの法被を身にまとい、鉢巻をきりりと結んで勇壮な出で立ちであったのが脳裏に浮かんでくる。

「この『加茂大祭』はなあ、毎年十月の第三日曜日と決まっとるんじゃ」

「古くからのお祭りなんですか?」

「ああそうじゃ。加茂総社宮は九百四十年の伝統ある神社でな。今では県の無形民族文化財にもなっとる」

「まあ、そうすると平安時代からのお祭りなんですねぇ」

「戦争中は一時中断しとったが昭和二十二年から復活してな、それからは毎年やっとるんじゃ」

「戦後復活した行事が沢山ありますねえ。東京の神田明神のお祭りもそうでした」

「この神社の神輿も昼前には加茂総社宮に着いて、八つの神輿が境内に集まって練り歩くから、それはもう盛大なもんじゃ」

「是非出発の時間に行って見てみたいわ」

「うん、是非あんたに見せたいと思うとる」

 あの時栄作が説明してくれたことを思い出しながら、まだ朝まではずいぶん時間がある。朝早くおきて鶏の世話をしておかないと祭りのクライマックスに遅れる。そんなことを思いながら、それまでもう少し眠っておこうと弘子は待ち遠しい思いを胸に目を閉じた。


 朝五時に起きて弘子は栄作と二人で鶏の餌やりに忙しい。今日は息子たちも楽しみにしている祭りなので、おじいちゃんと四人で祭り見物に行く予定にしていた。

「真一、誠、早くおじいちゃんを呼んできて」

「おじいちゃん、早く行こう。宮入りに間に合わんで」

 大きな声で、誠が栄作を呼んでいる。

「ああ、わかっとる」

「昨日晩九時半に出かけると言うとったろう。もう四十五分になっとるが」

 真一がとがめるように言う。

栄作と鶏舎の世話をいつもより早く済ました弘子は車のハンドルを握りながら、

「おじいちゃんはわかったと言うてるんだからもういいよ」

舅の栄作は古いカメラを肩にやっと車に乗る。何とか十一時前に神社に着いてお宮入りに間に合った。

 加茂総社宮は樹齢五百年を超える杉、檜、イチョウの巨木十五本ばかりが周囲を取り囲み鬱蒼としていて、いつ訪れても歴史の重みを感じさせる神社だ。

 弘子たちが到着してしばらくすると、神輿が加茂総社宮を目指して次々に入ってきた。午前十一時きっかりに見事八つの神輿のお宮入りが終了した。男達の身体から湯気が立ち昇っている。

「すげえなあ。身体から湯気がたっとるで」

「大勢の人じゃなあ」

子供たちはそれぞれに驚きを口にしている。

神輿の担ぎ手は神輿の周りに座って一息入れながら、酒やビールを口にしながら昼食を取り本番に備えている。

 見物人は昼が近づくと足の踏み場もないほど増えてきた。午後零時三十分ドドーンとまた花火が上がる。花火の合図で男達の「ウオーッ」という勇壮な掛け声のもと、八つの神輿が一斉に空を目掛けて差し上げられる。高さを競いあうのだ。

「すっげえ、すっげえ」

 何回も見に来ている息子たちだが、興奮して口々に驚きの声を上げていた。

 勇壮でエネルギッシュな男の法被姿を見ると、今年で四回目になるが女の弘子でも血が騒ぐ。東京では見られない素朴で荒々しい祭りで、弘子にとって何度見ても息子たち同様見飽きない風景であった。


          ☆

「おじいちゃん、ちょっと編物を教えに行ってくるわね」

 弘子は近所の集会所に出かけた。近所の主婦仲間四人に、冬物のセーター編みを教えて欲しいと頼まれていたので、基本の部分だけでも四人まとめて指導しようと考えた。部分的なことは各人のペースが違うだろうから、個別に家に来て貰っても指導できる。そう考えて申し入れを承諾した。編み物教室を開いた訳ではなく、月謝は要らないと受け取らなかったところ、それぞれの家で作った野菜や漬物などの現物がいつの間にか月謝の代わりとなっている。

「先生、大根持って来たよ」

「白菜は結球がまだ不十分だけど食べてよ」

「いつも新鮮で助かるわ。ありがとう。まだうまく作れなくて困っているの」

「先生、私らでも時には虫に食われて失敗することがあるんよ」

「我が家のキャベツは虫食いで穴だらけなの」

「少しは農薬を使わんと無理じゃわ」

「だって自分で作るのだから無農薬を目指したいわ」

「発芽のときは何ぼうか薬を使わんと。レタスは虫があまりつかんけどなあ」

 弘子も野菜は栄作と一緒に作ってはいたが、プロの農家には歯が立たない。葉物野菜でアブラ菜科の小松菜や白菜、大根、それにキャベツとかブロッコリーなどは、発芽まもなくの時に先ず虫に喰われる。大きくなりだしてからは、モンシロチョウの幼虫に食べられる。夜でもヨトウ虫とか根切り虫に襲われて、何度も辛酸をなめている。出来るだけ無農薬の物を食べたいと考えて農薬は使わない。毎日青虫をピンセットで取るのだが虫の勢いには負けてしまう。だから現物謝礼は随分と有り難かった。

 こんな話をしながらも、編み棒を動かしながらそれぞれの作品を編んでいる。

「先生、ここの襟ぐりはどうしたらいいの」

「はいはい、ちょっと待ってね。こちらがすんだらそちらに行きますから」

「ああ、上手く編めない。もう一度ほどいてやり直すわ」

「ほどくのは待って。修正できるかもしれないから」

「袖口のゴム編みの部分が上手くいかないわ」

 にぎやかな事である。ここに集まってくる人たちは編み物の練習が目的だが、それ以外に賑やかにお喋りできることがまた魅力の一つらしい。週に一度、舅や姑の前から離れてストレス解消にもなっているようだ。

「今、農協婦人部で朝市を始める話が持ち上がっているのよ。先生も参加したら如何ですか」

「えっ、朝市?」

「農協支所の前の広場を提供してくれるらしいの。発起人は高田さんだけど、七人ほど参加するという人がいてね」

「野菜作りは素人で出品できるものは無いわよ」

「何言ってらっしゃるの。卵があるじゃないですか」 

「ああそうか。卵ならいくらでも出せるわね」

「編み物作品でもいいんじゃない」

「でも編み物はねえ。朝市に関係ないんじゃぁないの」

「そうか、農産加工品までかなぁ」

「でも卵があるから参加するわ。面白そうじゃない」

「吉備中央団地の人たちからも、是非開いて欲しいと要望があったらしいわ」

「新鮮で、農家の人たちが食べる野菜は安全だろうと言うのよ」

「少しぐらい虫が喰っているほうが安全なんだって」

「それはそうね。自家消費のオーバーフローしたものを出せば、きっと売れるわねぇ」

「顔の見える農業とか、最近色々と話題になっているからね」

「店番はどうするの?」

「二人ぐらいが当番制でやろうという話よ」

「で、開催日はいついつなの?」

「第一と第三の日曜日にしようという案が浮上しているらしいわ」

「そう、月に二回なのね」

「毎日曜日だと出すものがなくなるかも」

「参加者を増やせば大丈夫だと思うけど、最初は月二回で始めて、会員が増えたら毎週になるらしいわ」

 せっせと編み物の手は動いているが、話題はいつの間にか日曜朝市に移っていた。皆活き活きとしている。 弘子はまた一つ楽しい企画の情報を得て、弘子自身も活力を貰うのだった。野菜作りも、ちょっと珍しいものに挑戦してみようかと思いながら集会所を後にした。

 話題になっていた日曜朝市の日がやってきた。弘子は前日の夕方からクッキーとドーナツ作りに精を出す。そして十二月の第一日曜日の朝七時、弘子は卵二十ケースと手作りのクッキー十袋にドーナツ三個入り十袋をケースに入れて農協支所の前庭にやってきた。もう既に白菜や大根やほうれん草など、新鮮な野菜がテントの中に並んでいて、七、八人の婦人部のメンバーが忙しそうに準備をしていた。弘子も陳列台の隅のほうにそっと置く。

「弘子さん、そんなに隅に置かなくてもこっちに置いたらええよ。遠慮は要らんので」

「野菜でないからここでいいわ」

「まあ、そう言わずにこっちに持っておいで。空いとるんだから」

「そうですか。それなら言われるようにします」

 今日の当番は編み物に来ている良子さんと、農協婦人部長の道子さんだ。八時開店に向けて値段付けやらレジの準備やらしている間に、気の早いお客がもう既に二、三人見えて品物を手に取って吟味している。弘子は十一時に残りの品物を引き取りに来るよう言われて支所前から引き上げた。

 売れ具合はどうだろうかと気にしながらお昼前に残品引き取りに出向いてみると、お菓子は完売していて卵が四ケース残っている。野菜はほとんど売れているようで残品はあまり見当たらない。新鮮、安全の宣伝が行き届いて吉備団地の人たちに好評だったようだ。

「手作りお菓子は人気がよかったわよ。次回もお願いね」

「何人位見えたの?」

「うーん、数えてなかったけど四十人くらいかな」

「大勢見えたんですねぇ」

「今日が初めてだからこんなもんでしょう。次からは評判がよければ口コミでもっと増えるかもね」

婦人部長の道子さんがニコニコ笑いながら声を掛けてくれた。

「はい、お菓子はもう少し量を増やしてみます。卵は今日位のケースでいいでしょうか」

「次はもっと増えると思うから、三十ケース出してみてよ。野菜も、もう少し出品者を募って量を増やさないと、折角来てくれたお客に申し訳ないからねぇ」

「そうですねぇ。何回か様子を見て充実させなくちゃぁね」

「加工食品も出したいけれど、食品衛生法や農産品品質表示の規制があってなかなか面倒なのよ」

「野菜も産地表示が要るんでしょう?」

「そうなのよ。消費期限とか賞味期限とか中々面倒なの。下手をすると罰せられるんだから」

「食品偽装などの問題もあって仕方ないわねえ」

 後片付けをしながらこんな会話を交わして弘子は引き上げた。


           ☆

 周囲の農家がブドウの出荷を終えて、来年に向けての剪定作業に忙しくしている冬のある日、町内会長の正造さんの母、花さんが八十四歳で亡くなった。肺炎を患ってあっけない最期だった。入院したとは聞いていたが一週間ほど前の話だった。

 秋の収穫の時にはまだ元気な姿をブドウ園で見かけたので弘子は耳を疑った。その日の晩、公会堂で葬儀の相談があると言うので、栄作の代わりに急いで一風呂浴びて出かける。各家から一人ずつ出て日取りの決定から、役割分担まで相談が始まる。

「明日は友引じゃ。明後日でないと葬式はできんよ」

自治会副会長の川上さんが口火を切る。

「お寺さんにはもう連絡をとったのか」

「はい、一応連絡はしとりますから。御通夜は明日の晩六時からということになっとります」

さすが昭三さんは早手回しである。

「葬儀日程は明後日の午後一時から二時ということでよろしく」

「もうすぐ農協の担当が来ると思うんで、それまでに決めれることは済ましておこう」

「昭三さん、いつもの通りの次第でええんかのう」

「へえ、それでお願いします」

「解りました。いつもの通りじゃ。そんなら誰か記録をしてくれんかのう」

「誰か若い者でやってくれぇ。わしら年寄りは目が薄うなって難儀じゃけえ」

「弘子さん、あんた若いんだから記録係りをしてくれんか」

副会長から指名を受けて、弘子は様子がわからなかったが、辞退するわけにもいかず机の前に座る。

「昭三さん、御通夜は地区の者と親戚で何人位になるんかなあ」

「地区が二十八軒で親戚は十人ほどですらぁ」

「そんなら饅頭は四十五人分位にするか」

「立ち飯は何人分作りゃあええかのう」

「五十人分では足りんかな、昭三さん」

「足りなかったらいけんけえ、六十人分位お願いしますらあ」

弘子が決まったことを書きとめていると、やっと農協の担当がやって来た。

「香典返しはどれ位用意するかな」

「品物は余ったら返せるから、五百ほど用意してもらえますか」

「仕上げの料理は何人分用意したらええかな?」

「地区の二十八人と親族が二十三人で、合計五十一、それにお寺さんが二つで五十三ですが、五十五人分にしてもらおうか」

「仕上げの料理は仕出し屋に頼むとして、ほかは地区で昔通り作ることでいかせてもらいます」

「農協さん、葬儀の日程が決まったから有線放送で流してくれるか」

「明日の午前一回と夕方一回でよろしいか?」

「昼と夕方にしてもらえるか。野良から帰っている時が徹底するから」

 こうして豆腐何丁、油揚げ何枚、ヒリョウズ何枚と計算され、弘子は驚きながらそれらを一つ漏らさず記録する。味噌や出汁イリコ、調味料、手伝いの人たちの飲物、茶菓子まで用意するのだ。

「受付四人は顔の知れている者がええじゃろう。作やんと八郎さんと六八さんと将やんに頼むとするか」

「礼場は誰が立つかな」

 次々に段取りが決まり、喪主の昭三さんはやがて農協の担当と祭壇やら香典返しの品物やらの相談をしている。

「大体決まったから、誰か役所へ死亡届を出しに行って、埋葬許可書をもらってきてくれんか。印章と一万円を預かって行ってくれ」

「夜でも受け付けてくれるの?」

「弘子さん何を言うとるん。まだ宿直は起きとるから大丈夫じゃ」

「死人は時を待ってくれんからな。火葬場の手配をしとかないと」

 自治会副会長の川上さんからそう言われて北川さんは早速出かけていった。


 翌翌日の朝、七時集合で午後一時からの葬儀に合わせて汁やご飯炊きの準備に慌しい。

十一時には親族などの会葬者に食事の用意をして給仕をし、済むとすぐに片付けて地区の者たちで昼食をとる。弘子は台所仕事の担当になり、編み物仲間の山本さんたちと奮闘する。骨上げは四時頃というのでそれまでしばらく休憩だ。斎場へは婦人衆が見送りに行く習慣だ。弘子は働き場から急いで帰り喪服に着替えて参列する。

 弘子は田舎の葬儀に始めて参加して、地区民が皆で故人とお別れをするやり方に驚くと同時に感心した。業者任せでなく手作りのシステムだ。形式的な葬儀でなく相互扶助の精神で、しかも安上がりの上に地区民の連帯感や一体感が残っている。助け合いと協同の意識が満ち満ちていて、都会の事務的なやり方と違い人情あふれるお別れだ。

 葬儀のあくる日、昭三さん宅では初七日の法要が行われている。僧侶の叩く鐘の音を遠くに聞きながら、弘子は先日来途中やめしていた鶏舎の鶏糞の処理に精出していた。

 黙々と作業をしながら弘子は思う。最近は葬儀が近代化して、業者任せでスマートに執り行われるのが常となっているが、地区民皆でお別れする葬儀こそ本来のお別れではないか。できれば病院ではなくて、家族に看取られながら自宅で最期を迎えたいものだ。子供たちや孫たちに看取られて死にたいものだ。昨日までの葬儀全般を思い起こしながら、角スコを握る弘子の手に思わず力が入るのだった。


         ☆

「弘子さんよう、昼から山へクヌギを切りに行くから手伝ってくれんか?」

「山ですか、いいですよ」

「冬に備えて達磨ストーブの薪を用意しておかんとなあ」

 栄作はチエンソーと混合油を一輪車に積んで弘子を従えて山に向かった。弘子は熊手と竹篭を背負って栄作についていく。

「お爺ちゃん、椎茸の原木が腐食してきてあまり生えなくなってるのよ」

「そうか、それなら今日半日では終わらんなあ」

「明日は日曜日だから子供たちにも手伝わせましょう」

「そうか、それなら今日は切り倒して薪用に短く切断するのと、椎茸用に一メートルに切るだけやって、明日真一と誠に運んでもらうとするか」

「ええ、そうしましょう」

「それはそうと弘子さん、椎茸は面白いキノコでなあ。もともと南方系のキノコだというのを知っとるか」

「ええ!南方系のキノコなんですか。知りませんでした」

「その南方系の椎茸の胞子が台風に乗って日本に上陸したらしい」

「台風に乗って来たんですか」

「ずいぶん古い話で真偽のほどは定かでないが、弘法大師の時代には日本から中国に乾燥椎茸を輸出しとったという話じゃ」

「まあ、中国に」

「今では日本全国どこでも栽培しているがなあ。面白いキノコじゃ」

「お爺ちゃん、私は少し木の葉を集めて堆肥を作ろうと思ってるんですが」

「そりゃあええ、鶏糞を入れて積んでおくといい堆肥ができる」

「この前本家の良子さんから野菜作りには鶏糞を入れた堆肥が最適だと教えてもらったの」

「あんたも本気で農業をする気になってきたのう」

「野菜作りは土作りといつかお爺ちゃんが言ってらしたでしょう」

「そりゃあそうじゃ。堆肥を入れて地力をつけてやると、野菜が病気にならんし、虫がついても抵抗力ができるんじゃ」

 こんな話をしながら山に向かう。ナラの木やクヌギはもうすっかり葉をふるい落として、山道にジュウタンを敷いたように落ちている。弘子はワクワクしながら栄作の持ち山にたどり着くと、早速熊手で木の葉をかき集め始めた。

「弘子さん、切り倒した木が倒れる時危険じゃから、わしが切り倒しているところより上のほうで掻き集めてくれんか」

「はぁい、わかりました」

 栄作はチエンソーのスターターを引きエンジンをかける。バリバリと快音を上げて調子よくチエンソーは回りだした。クヌギの木の梢を見上げて、枝の傾きを確認した栄作は両足を踏ん張り根元にチエンソーを当て切断を始める。木を切り始めるとエンジンの音はジャーンと、今までの音から変わって小気味良い音を立てている。

「倒れるぞう。気をつけろよ」

 栄作は大きな声を張り上げて弘子に注意を喚起してくれる。

「お爺ちゃんこそ気をつけてね」

 弘子も大きな声で応える。ガサガサッと枝の触れ合う音がして八メートルはあると思われるクヌギがドサンッと大きな音をたてて切り倒された。弘子が木の葉をかき集めている間に、栄作は十本ばかり手頃なクヌギを切り倒した。

「お爺ちゃん、少し休憩してください。紅茶とクッキーを持ってきてますから」

「おう、それはよう気がきくなあ。ありがとう。ちょっと一休みするか」

「もう切り倒すのはこれくらいでいいんじゃぁないですか」

「そうじゃな。これ位にしとくか」  

「椎茸の原木はあまり太いのは扱いにくいからよろしくね」

「ああ、分かっとる。太いのは薪にするから大丈夫じゃ」

「明日子供たちに運ばせて薪割りをさせましょう。学校から帰ったら少しずつ割らせましょう。いい運動になるわ」

「元気盛りじゃから助かるのう」

「私は木の葉を運びますから一輪車を借りるわね」

「ええよ、これから枝落としをして寸法切りをするから一輪車は要らん」

「それでは一回運んできます。怪我のないように気をつけて頂戴」

「あんたこそ気をつけてな」

 弘子は木の葉の入った竹篭を一輪車にくくりつけて家まで運ぶ。菜園の隅にうつして山に引き返すと、栄作はもうすでに半分ほど寸法切りを終えて一休みしていた。

 こうして日が沈むまで作業を続けて、椎茸の原木と薪の材料は何とか確保できた。あすは子供たちに手伝わせて家まで運ばせようと思いながら、弘子は夕食の準備に一足早く山を降りた。

        ☆

 今日はクリスマスイブで小学四年の次男、誠の同級生三人と、その母親を招いてのパーティを予定している。数年前から気の合った親どうし相談して四軒が廻りもちで開くことにしていた。

 弘子は朝から、鶏の世話の合間を縫って準備に余念が無い。子供達が喜ぶソーセージや卵焼き、鶏のから揚げ、その他色々と取り合わせたオードブルがメインである.五時には皆やってくるだろうと何とか一応の準備をそれまでに完了する。

 弘子は子供達を驚かすために特別にお茶席を用意することにした。座敷に赤毛氈を敷いて、一応正式のお手前をしてもてなしたいと着物に着替える。久しぶりの和装で弘子自身も少々華やいだ気分になる。賀陽町にやってきて以来養鶏の仕事に明け暮れて着物に袖を通すことはなかった。母はそれぞれのシーズンに間に合うようにと、季節季節の着物を一応用意して持たしてくれていた。今日は東京で着慣れていた紬に手を通す。

「みんなようこそ。赤い毛氈の上にお座りください。正座ですよ。」

「うわー、すげえ」

「正座か。苦手やなあ」

「お茶席だからきちんとがんばってね」

にぎやかなことである。

「お菓子を先に召し上がってから抹茶を飲んでちょうだい。お茶碗を左手にのせて二回ほど手前に廻してから飲むのよ」

と実際に飲む作法をして見せる。

 説明を終えてからお茶を立てる。子供達は赤い毛氈の上に緊張した面持ちでかしこまって、弘子の手元を珍しそうに見つめている。普段のやんちゃ振りはどこにいったのかと内心可笑しく思いながら事無く終わった。

「ああ、痺れが切れて立てれないよ」

「こんなの初めてだよ」

正座に慣れない子供たちは痺れが切れて立ち上がる時大騒動だった。母親達は困ったものだという顔をしながらも苦笑している。こうした交流も、田舎の風習と都会の風習が溶け合って楽しいひと時であった。


          ☆

 二人の子供は田舎の自然一杯の中で毎日、日が暮れるまで、伸び伸びと逞しく成長している。長男真一は中学から剣道部に入り、日がすっかり暮れて帰ってくる。体格もどっしりとしてきた。少々太り気味ではないかと心配していたので、これで少しはスマートになってくれるのではと弘子は密かに期待している。弟の誠はソフトボールのクラブに入り、少年チームのレギュラーになって日曜日になるとあちこち試合に出かけている。今まではしょっちゅう卵拾いを手伝ってくれていたが、クラブや部活のない時しか今はやってくれない。それでもさすが男の子で力仕事の時は頼もしいかぎりだ。特に飼料の搬入や鶏糞の運び出しの時は大助かりである。

 日曜日、朝食を済ませて弘子は洗い物をしながら息子たちに声をかけた。

「誠、鶏糞の運搬手伝ってよ」

「午前中は練習があるから午後ならいいよ」

「時には練習を休んで手伝って頂戴。朝のうちに終わらせたいの。今日はおじいちゃんがいないから母さん一人では大変なのよ」

「練習を休んだら監督がうるさいよ。次の試合に出してくれないんだから」

「真一は手伝ってくれるわね」

「母さん、来週の日曜日は昇段試験があるんだ。知っているじゃあないか」

「あら、そうだったわね。ごめんごめん」

「早く初段に受からないと仲間に笑われるからなぁ。昇段試験が済んだら手伝うから」

「解ったわよ。それなら受かるように頑張って頂戴。おじいちゃんにも悪いから」

「じいちゃんは今日どうしたん?」

「老人クラブの役員会で公民館に行ったのよ。昼までかかると言ってらしたわ」

「老人クラブか。最近よく出ていくなあ」

「何言ってるの。会長さんで市の会合へも参加しなくちゃならないから忙しいのよ」

「じいちゃんも世話好きだから大変なんだなぁ」

「母さんは真一を頼りにしているんだからよろしくね」

「解かってるよ、僕らがじいちゃんを助けなくちゃならないもんなぁ」

「そうよ、頑張ってくれないと」

「よし、今度は絶対受かるからな。そしたら次からは大丈夫だよ」

そう言いながら二人とも自転車に乗って、それぞれの練習に出かけて行ってしまった。

 弘子はいつも栄作と一緒に作業をしてきたが、今日は息子たちにも応援してもらえず一人で長靴を履いて鶏舎に向かった。


「弘子さん行ってくるからな。昼までには帰るからよろしく」」

「ああ、おじいちゃん、今日はグラウンドゴルフね。解りました。行ってらっしゃい」

 栄作が発起人で、公民館行事に老人クラブとしてグラウンドゴルフの講座を設けて半年になる。栄作は会長として軌道に乗るまでは責任があると言って、毎回水曜日と土曜日には町民グラウンドに出かけて行く。朝九時ごろ出掛けていき二時間ほどで帰ってくる。

「だんだん人数が増えてきたで。始めた時は十三人ほどじゃったが、今では二十六、七人は毎回参加するようになった」

「お婆ちゃんたちもいるんですか」

「三分の一は女じゃ。案外上手で、男より巧者なんじゃ」

「あらまあ、そうなんですか」

「大体女は丁寧に打つからなあ。男は力任せが多いから飛びすぎたりして駄目なんじゃ」

「グラウンドを歩くから健康のためにはいいですね」

「なになに、腰は少々曲がっていても、打ったら小走りに球のところまで行く婆さんもいるで」

「そうですか。益々健康のためにはいいではありませんか」

「この前の町の集団検診で保健婦から褒められたんじゃ。じっと家の中にいるより余程いいですよとな」

「練習中も賑やかなことだが、済んだ後も煎餅や飴玉を持ってきてお裾分けしてくれて、それからの話がまた長いからのう、婆さんたちは」

 そう言って今日も楽しそうに出かけていった。


「なかなか上手にならんなぁ。一生懸命打っても駄目じゃ」

「あんたなあ、ホールポストに向かって、押すように真っ直ぐに打たんから駄目なんじゃ」

「根性が歪んどるのと違うか」

「まあ、酷いことを言うなあ、あんたは」

「距離感を早く掴んだほうがええで」

「距離が十五、二十五、三十、五十メートルとあるじゃろう。それを考えて打たんと」

「そりゃあ解っとる」

「第一打をホールポストに近いところで止めるのがコツじゃ」

「打ち過ぎたり、足らなんだりするから三打も四打も打つ結果になるんじゃ」

「そうかな、距離じゃな。今度からよう考えて打ってみるか」

「ホールインワンもなかなか出来ん」

「方角と距離が合わんと駄目じゃからなあ。運がようないと出来んよ」

 ひとしきりゴルフ談義をして十時過ぎにやっとお開きになった。わしはそんな賑やかな話をニコニコ笑いながら聞いていたが、年寄りたちがこんなに活き活きと遊ぶことが出来るのだから、グラウンドゴルフを始めて良かったと、ゴルフから帰ってその日の様子を楽しそうに弘子に語ってくれる。


          ☆

 いつものように朝の作業を終えると栄作はバイクを引き出しながら、

「弘子さんホームセンターに椎茸菌を買いに行ってくるからな」

「もう菌を植え付ける時期ですか」

「今植えつけると来年の六月には少しは生えるじゃろう。秋になると本格的になるからな」

「菌の植え込みは私も手伝うわ」

「そうしてくれると助かる。三十本ほどあるから大変じゃ」

「気をつけてね。車に接触すると怖いから」

 弘子は栄作が出かけると早速、椎茸菌を植え付けるために積み重ねていた原木を作業し易いように庭に並べた。あまり大きすぎると女の手では重くて思うように移動できない。

扱うのに手ごろな原木を栄作は用意してくれていて助かる。

 栄作がドリルで穴を開け弘子が椎茸菌の駒を木槌で叩き込む。一本の木に五十個ほど植えつけた。植え付け作業は昼までかかってやっと終えた。天然の原木で育てた椎茸は天日に干して乾燥させ、年中いろいろな料理に使えるので弘子は重宝している。しっかり生えてくれるといいがなあと弘子は思いながら、井桁に積み重ね黒の寒冷紗をかぶせて作業を完了した。

        ☆

 三月になり、栄作が以前から計画していた八十八ヶ所の四国遍路に出かける日がやってきた。賀陽町に帰ってきて十八年、春と秋の二回、二泊三日の予定で出かけるのが栄作にとって唯一の楽しみで、既に四国遍路は四回結願を迎えて高野山へのお参りも済ませている。今回は五回目の巡礼で、栄作は古希半ばを迎えているというのにバイクで出かけるのだ。一番から二十三番は阿波の国の発心の道場で、このコースは昨年の秋廻っている。今回は修行の道場(土佐の国)と云われている二十四番から三十九番に向かうと言う。

 洗面具と着替えをリュックに入れて、今日も朝早くからそわそわしている。鶏がいなければ弘子が車で同行するのだがそれもかなわず、心配ではあるが唯一の楽しみにしているので止めるわけにもいかない。

「おじいちゃん、気をつけていってね。何かあったら電話を頂だい」

「有難う。あんたに鶏の世話を任せてすまんなあ。真一や誠に手伝わせて無理をせんようになあ」

「ハイハイ。家の方は心配はいりませんよ。心配なのはおじいちゃんのバイク旅行の方ですよ」

「わかっとる、わかっとる。そんなら行ってくるわ」

 栄作はゆるやかな爆音を残して出かけて行った。特に高知から宿毛までは随分の道のりなので事故の無いことを祈るばかりだ。

 弘子は栄作を送り出して、長男の真一と鶏舎に向かった。給餌と卵拾いを手伝ってくれる約束だ。

「誠はどうしたん?」

「ソフトの早朝練習に出かけたわ」

「あいつはいつも肝心なとき居ないなあ」

「真ちゃんが手伝ってくれるから助かるわ」

「僕も昼からは練習があるで」

「朝の餌やりが大変だから、午前中手伝ってくれたら大助かりなのよ」

 春休みになったばかりで、子供達が手伝ってくれるので弘子は助かる。鶏舎の管理も、真一のいる朝の内に片付けてしまおうと弘子は精を出した。

 ゲージでの養鶏は夜も明かりを灯して効率を上げ、産卵率を確保しなくては採算が合わない。鶏卵の価格は他の物価に比較して極端に変動が少なく、物価は徐々に高くなっても、鶏卵は一個あたり十円少々でずっと推移している。飼料の高騰などに見舞われたら悲惨である。飼うほど赤字にならないとも限らない。割の合わない仕事だが、少しの資本で誰でも取り付き易いのが取りえだ。栄作が始めたのもそういう理由からだが、下手をすると飼料代に追われて飼料会社にいいように操られかねない。最近は大規模養鶏場が増えてきて、一万羽養鶏が普通になってきた。だから栄作程度の飼育数が一番経営困難といえる。人件費の節約でどうあっても家族で頑張るしかない。

 午前中手伝ってくれた真一は昼から剣道の練習に出かけていった。午後からは一人で産卵率の落ちた鶏を廃鶏処分するため、選別をおこなわなければならない。栄作の所は千羽が基本だが今は八百羽程度に減っている。今年は春雛の補充をしなかったので秋には補充しなくてはと思いながら、十三羽を選び出して竹篭の中に入れる。業者に連絡して回収に来てもらわねばなるまい。そんなことを考えながら、弘子は昼からの作業を三時過ぎにやっと終えた。

 作業を終えて帰宅した弘子は、四国遍路に出かけた栄作のことが心配だった。今回の遍路は、二十四番の最御崎寺からのスタートだが、二十七番の神峰寺ぐらいまではたどり着いただろうかと、四国遍路の地図を出してたどってみる。六時ならまだバイクを走らせているのかなあ。早く宿坊に着いて電話をくれたらいいのにと、勝手なことを考えながら夕食の仕度にとりかかった。



          ☆

 弘子が食器を水洗いしているとベルが鳴った。

「弘子さんか、今風呂から出て夕食を終えたところだ。途中小雨にたたられて金剛頂寺泊まりだ。明日からが一寸大変じゃよ」

「無事着いたんですね。体調は如何ですか。電話がなかなか無いので主人も心配していました。でも安心したわ。高知全部を回れなくても無理しないでね。鶏の世話は心配要りませんから、もう一泊なさってもいいし出直してもいいんですから」

「おう、有難う。今回は時候がええから場合によったら三泊になるかもしれん。その時は頼むで」

「はいはい、それではお気をつけて」

 元気そうな栄作の声を聞いて弘子はひとまずホットする。一年一年老いは目に見えてくるし、バイクでの長旅だから無事帰宅するまでいつの時も心配のし続けだ。今回の遍路計画ではまだ十四ヶ寺残っている。終盤のコースの足摺岬までが今回は一番遠距離なので、一泊延ばしても大変ではないか。弘子は疲れ

た身体を五右衛門風呂に沈めながら、何となく栄作のことを心配していた。

 翌日は春らしいうららかな陽気で、主人の栄治を送り出すと弘子は一人鼻歌混じりでいつものように鶏舎に向かった。高知は暖かいから栄作は快適な遍路旅を続けているだろうな。私も一度栄作に案内して貰って、遍路姿で行って見たいものだと思いながら卵拾いに精を出した。


          ☆

 今日は栄作の四国遍路二日目だ。朝、遍路地図を広げて見る。今日の行程は神峰寺が難行だが、後は比較的寺が連なっていてはかどる事だろう。三十一番の竹林寺あたりまでお参りできるのではなかろうか。そんなことを勝手に考えながら鶏舎に足を運ぶ。鶏舎に近づくとコッコッコッ、バタ、バタと騒がしく、いつもと違って鶏舎の様子がおかしい。不審に思いながら扉を開けて中に入ろうとしたら、五メートルほど先の二段目のゲージの上に何と灰色の蛇が卵を狙っているではないか。これだけは田舎の生活に慣れた弘子とはいえ苦手の一つだ。慌てて家に戻り、

「真ちゃん、早よう来て、来て」

まだ部活に出かけていない真一を呼ぶ。真一は珍しく大声で騒ぐ弘子の声に

「どうしたん、そんなに大きな声を出して」

「大きな蛇がいるのよ。早く早く」

真一は小屋の近くに転がっていた棒切れを掴んで小屋の中に入った。

「ああ、大きな青大将じゃなあ。でも蝮じゃあないけえ怖いことはないよ」

 真一は造作もなく腹のあたりを一撃して、動きの鈍くなった蛇を引きずり出して二、三回叩いた。弘子は怖いもの見たさに近くに寄ってみると、太さ四、五センチ、長さが一メートルはありそうな蛇であった。

「まだ腹がふくらんでないけえ、卵は取っとらんじゃろう」

真一は何とも無かったような顔で、棒切れの先に蛇の死体をぶら下げて、林の中に放り棄ててくれた。栄作の話では雌雄いることが多いらしいから、もう一匹いるのではと少々嫌だったがそうもいっておられず、

「真ちゃん、部活に行くまで少し手伝ってよ。気持が悪いわ」

そう言いながら水やりと給餌の作業を始めた。あんなに騒がしく鳴いていたのはゲージに入れられた鶏にとっては、逃げることも出来ずパニックに陥っていたのだろう。


          ☆

 十一時前に作業を終えて弘子は家に戻った。今日は午後からPTAの仲間と、岡山へショッピングに出かける約束をしている。久しぶりの岡山なので楽しみである。早めの昼食を終えて仕度をしていると電話が鳴った。まだ約束の時間には早いがと思いながら受話器を取ると、聞きなれない声で、

「藤本さんのお宅でしょうか。こちらは高知県須崎市民病院ですが、藤本栄作さんが交通事故をなさいまして当病院に搬送されました。入院の必要はありませんが、左腕の手首を骨折されていまして今ギブス治療をしたところです。本人が電話に出られるということなので後は宜しくお願いします」

「えっ、父が事故ですか。他に異常は無いのでしょうか」

「他に異常はありません。頭のレントゲンもとりましたが腕の骨折の外は擦り傷程度です」

「お世話になります。わざわざご連絡を頂き申し訳ありません。有難うございました。父と話しまして対応を考えます。宜しくお願います。電話を代わってください」

「もしもし、弘子さん、澄まんなあ。独り相撲してしもうてなあ。高知市から土佐の清滝寺に行っとる途中で、砂利にハンドルをとられてなあ、転んでしもうたんじゃ」

「おじいちゃん大丈夫なの。怪我の様子はどうなの」

「すまん、すまん。ハンドルが持てんけえ、バイクを置いて電車で帰らあ。心配せんでもええで」

「迎えに行きますからどこか休めるところを見つけて、落ち着いたらそこの電話番号を教えてくださいね。そしたら出発しますから」

「弘子さん、来んでもええ。鶏の世話があるからそっちの方を頼まぁ。わしゃあ電車で帰るから。バイクは大して壊れとらんから送ってもらうことにするよ」

「・・・栄治さんは今仕事で居ないんですけど。どう・・・」

「ええんじゃ、ええんじゃ。そんなら電話、切るで」

 弘子はどうしようかとうろたえたが骨折で済んだのでほっとする。心配が本当になってしまったけれど、おじいちゃんが好きで行ったお遍路なので骨折で済んだのはお大師様のおかげだろうと、いいように考えることにした。

 夕方七時過ぎに栄作は帰ってきた。痛々しくギブスをはめて左腕を首から吊り下げての帰宅であった。栄治が帰ってきて、

「もう歳なんじゃから止めといたほうがええと言ったろうが。ちっとは言うことを聞かにゃあいけんで」

「すまん、すまん。砂利道にハンドル取られてのう」

「でも骨折で済んで不幸中の幸いですよ、おじいちゃん」

「まあ、そう言うてもらうと助かる。段々歳をとって体がパッと動かなんだんじゃ。困じゃ」

「まあボチボチぼくたち孫のの云うことも聞いてくれにゃあ」

 弘子は複雑な思いで二人の会話を聞いていた。

         ☆

 環境に馴染めず苦労する人がいる。どんな環境にもすぐに順応して、自分の世界をいとも易々と作り上げていくことの出来る人がいる。人様々であるが昌子は後者に属するだろう。たくましい精神と、どんなことにも挑戦していくエネルギッシュな一面を持ち合わせている。東京に生まれ東京に育ち、比較的ハイソサエティな家庭と友人に取り囲まれて今までは生活してきた。昔ながらの生活習慣を大事に守り、土と悪戦苦闘する農村の生活など昌子とは全く無縁のことであった。栄治との出会いが昌子の生活を百八十度変えたのだが、今の昌子からはそんな様子は微塵も窺われない。周囲の人たちが驚きの目で見るのは無理もないことである。


 五月の連休を迎え初夏だというのに、まだウグイスが縄張りを主張して、あちこちで代わる代わるホーホケキョと鳴いて縄張りを主張しあっている。だんだん練習をつんで上手くなっているなあと昌子はほほえましく思う。長閑な高原の春だ。

 栄作は左手が不自由でも、何とかできることはボチボチやってくれている。生き物を飼っていると手が抜けないのが難で一日も待ってはくれない。栄作は苦労を重ねてきたせいか思いやりのある優しい人柄で、大きな声で怒鳴る声を聞いたことが無い。誰とでもニコニコ笑いながら応対している。昌子にとってこの賀陽の田舎で心を許せる一番の相手は栄作だった。優しいだけでなくよく物を知っていて良き相談相手である。いつも一緒に作業をしていかなくてはならぬ相手だから有り難いことだ。

 コーゥ・コーゥ・コー・コーと、鶏舎の中で昌子の来るのを待って、賑やかに鳴く鶏の声が聞こえてくる。雲海に包まれた高原の山々を眺めながら、昌子は細い道をテクテクと鶏の声に催促されながら、いつものように活き活きとした足取りで今朝も鶏舎に向かうのであった。


 吉備高原にやってきて五年目、高原の初夏は周りの山々の木々が芽吹いて、むせ返るような山の匂いに満ち溢れている。東京では嗅ぐことの出来ない山独特の匂いである。二人の息子たちは自然一杯の中でたくましく育っている。おじいちゃんは老人クラブのお世話やらグラウンドゴルフの大会に月二、三回は出かけていく。昌子は日曜朝市やら編み物やら主婦仲間と楽しく交流して、田舎の生活がやっと板についてきた。地区の年寄りからも頼りにされて、東京から吉備高原賀陽にやって来て本当に良かったとつくづく思えるようになってきた。

     了


 

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