第9話 発熱
――さっさと休んでおくんだった。
夜更けに机に伏せていると、鼠の魔獣ラースが一匹、肩に乗ってきてアンミの頬に触れた。キュッ、と小さく声を上げて巣穴に去る。
デックス。流石というべきか、目敏い。彼もまた、アンミを守ってくれている。
すぐに自室に戻って布団に潜り込んだが、まもなくそこへマダムがやってきた。
「デックスに聞いたよ、熱があるんだって?」
「寝れば治る」
「原因に思い当たりは?」
「……訓練中に鳩尾を蹴られた」
「そりゃ体調崩すわけだ」
マダムはアンミの頭を撫で、治癒魔法をかけてくれた。
治癒魔法は、万能ではない。熱も下がらないし、魂も癒えない。それでも、マダムの治癒を受ければかなり体が軽くなる。生涯を通して治癒魔法を極めてきた彼女の努力の証だろう。
「ほら、さっさと寝な」
「ありがと。それから、カンとフェルスには言わないでほしい」
「おやどうして?」
「心配されるから」
特に、カンは。あれだけくどく言われておいてこの様だ、きっと本当に殴られてしまう。仮に殴られなくても、呆れられてしまうだろう。
「言わなくてもアイツはいつもアンタのことを心配してるさ」
いつものようにマダムはけらけらと笑った。
こうしていると、なんだか遠い昔を思い出す。
元々――魂がこんなになる前から、アンミはあまり身体が強くなかった。幼い頃からよく風邪を引いては寝込んでいたものだ。
高熱を出していると常に目が回っているような感覚になって、怠くてもなかなか眠りにつけない。そんなときはいつも、父が治癒をかけながら、側で他愛もない話をぽつりぽつりと語ってくれていた。
「……俺さ、そんなに脆く見える?」
熱で弱っているせいだろうか、柄でもないことを呟いた。
瞼を閉じていたのでマダムの表情はわからなかった。ただ、彼女が小さく笑う声は狭い部屋に響いた。
「そうだね。優しすぎるんだよ、アンタは」
「嘘だ」
「そっちは上手く振る舞ってるつもりでもね、内から儚さが滲み出てんだよ」
些かショックな話だった。自分は大丈夫だと言い聞かせて、太く気丈に振る舞っているつもりだったのに。儚いなんて言われたら威厳が保たれない。
「若いってことだね。寿命百五十年の三十何歳なんて、まだまだ繊細でかわいらしいもんさ」
「俺はできれば、もう少し強くありたい」
「そうかい。大丈夫だ、アンタは十分に強い子だよ」
「全然」
理想とするところには遠く及ばない。
肉体的にも精神的にも強く。望みを望み通り叶えられるくらいに賢く。周りに心配をかけないくらいに逞しく。もう少し、欲張ればもっともっと。
「あんまり理想を見すぎるんじゃないよ。最善を目指しながら、常に叶わないと思っておくくらいがいい」
それも一理ある。でも。
叶わないと思いながら目指すなんて、もはや絶望とも思えるようなことを、誰が出来るものか。気持ちが諦めに向けば自ずと進む足も止まる。
「いずれわかる日が来るよ。――さ、今日はもうそろそろ寝な。明日まで不調を引き摺りたくないだろう?」
おやすみ、とマダムが言ったので、おやすみ、と返した。そのまま、扉が静かに開いて閉じて、気配が遠ざかっていく。
依然として身体は重く、暗闇の中でも視界は常に鈍く回っていた。ただ、彼女の治癒のおかげだろう、程なくアンミは魔界へと落ちていった。




