第8話 お咎め
夕方、軽いノックとともにカンがアンミの仕事部屋へ入ってきた。
「体調はどうだ?」
彼の訪問自体は日常茶飯事であるが、心配の声を掛けられたのは予想外だった。
「変わりないけど、なんで?」
「フェルスが訓練中にお前の鳩尾を蹴ったってきいて」
それでわざわざ様子を見にきたのか。過保護な人がいたものだ。
「大したことないって。まさか、フェルスのこと叱ったりでもした?」
「軽く注意だけな」
思わず溜息を吐いて呆れ顔。なぜこんなことで注意されなければならない? 自分たちは真っ当な勝負を行っただけというのに。罪悪感が湧いてきた。野暮なフェルスのことだから気にしていないと思うが……。
「単に俺が油断して不意を突かれただけだよ、フェルスは悪くない」
「鳩尾を蹴ったこと自体は責めていない。問題はその後。無理に続行したのは駄目だ」
「無理ってほどじゃない。あの程度はもう慣れてる」
仮に訓練で倒れたなら叱られるのも仕方ないが、そうならないよう自分の限界くらいは見極めている。あれくらいの呼吸困難など屁でもない。むしろ、あの程度の苦痛くらいは流せるようでないと、実戦で何の役にも立たない。
「だが、マダムに診てもらってないんだろう?」
「自分の治癒で十分だっつの。全部が全部マダムに診てもらわなくても平気」
確かにアンミはまだ治癒師としては未熟だが、下手なりにも努力してきたし、最低限の習得はあるとマダムにも認めてもらっている。治癒術を使えもしないカンにとやかく言われる筋合いなど、ない。
「アンミ。忘れるな。お前が傷ついた時、苦しい思いをするのは、お前自身だけじゃなくてその周りの人たちもなんだよ」
「……カンが俺のことを大事に思ってくれてるのは知ってるよ」
或いは、マダムだとかデックスだとかフェルスだとかが。彼らが自分を愛してくれていることはとっくに知っている。アンミ自身も彼らを愛しているし、アンミなりにそれを理解してきたつもりだった。
アンミだって、大切な人たちが傷つく辛さを知っている。むしろ、自分が傷つくよりずっと苦しく感じる。でも、自分はレベリオ総長としてみんなを守れるから。守らなければならないから。多少周りを悲しませても、仲間を守れるなら多少自分を削ったって構わない。
「それともお前、まだ死んでもいいと思っているのか?」
こちらの底意を汲み取ったかのような声に、喉元で言葉が詰まる。
あの時から――蘇生され生き返った時から、アンミはアンミなりに自分の価値を重ねながら歩んできた。今は、生きる理由がある。死ねない理由がある。生きるべきなのは明明白白。
でも。死んでもいいという思いは依然消えないまま、むしろ色濃くなっているような気がする。――いや、きっと気のせいではないのだろう。生きる理由は同時に、死ぬ理由になり得る。まるで相反して見える二つのことは、同じ「命を賭すべき存在」なのだから。
「……そうだね」
「アンミ、お前な、」
「でも。なんとなくで生きることを選んだあの時とは違う。生きる理由が明確にある。間違いなく前に進んでる。みすみす死んでやるつもりはない」
どう考えても、自分も仲間も両方生きるという選択に勝るものはない。命を懸けて、守りたいもの――自分含めた大切なものを守る。それがアンミの望む生き方だ。
「だから、心配しなくていいよ。俺は俺が望む命の使い方をする。訓練ごときで身体壊してたまるかよ」
そう言って、本心で微笑んだ。全く強がりなどではなかった。
しかし、カンは依然として不満げな顔をしていた。結局、不安は解消してやれないようだ。だがまあ、心配しなくていいならば心配してもいいのも事実。アンミにそれを止める権限はないわけで。
「ひとまず心配してくれてありがと」
今日のところは、これ以上は何も言うべきではないだろう。残る仕事を片付けんと、机上に目を落とす。
すると、黙っていたカンがぼそりと呟いた。
「……もし体調崩して倒れたらぶん殴るからな」
これには思わず、「んな物騒な」と笑う。「冗談じゃないからな?」と睨まれたが、彼の緩んだ口角を見て安心する。
「殴られたくなけりゃ、自己管理くらいはしっかりしろ」
「わかってるって」
「俺はもう戻るけど、いくつか仕事手伝おうか?」
「いいよ、すぐ終わる」
「あまり夜更かしするなよ」
「はーい」
彼の眼が胸に刺さって少しだけ痛かった。己への戒めとしては、これで十分だ。扉の閉まる音を聞くと同時に、アンミは再び視線を手元に下ろした。




