第6話 戦後
――魂が再びこの重たい肉体を動かし始めた。
しかし、傷のついた魂が再現できたのは、外見ばかり綺麗で内はぼろぼろの、不完全な肉体だった。
胸の真ん中に張り裂けそうなほどの痛みがどくどくと広がり、次いで押し寄せる吐き気と眩暈に呻いて身体を横に倒し、身を縮める。
見知った声が自身の名を呼ぶのが聞こえたが、それどころではなかった。
痛い、痛い、気持ち悪い。咳をすると、びちゃびちゃ、と口から噴き出した真っ赤な液体が床に落ちて広がった。息を吸い込もうにも、腹の底が無理矢理何かを吐き出そうとして、吸えない、吸えない。
死ぬ。死んでしまいたい。早く逃がして。安息地へ。
苦しい。
「アンミ、しっかりしろ!」
すう、と瞬く間に胸の痛みが治まって、吐き気が止まる。すると肺に空気が飛び込む。勢い余って数度咽せたが、どうにか息を吸えた。
呼吸を繰り返す。初めは荒く、やがてゆっくりと。唇がカサカサに乾いて割れるまで。
「落ち着いたかい?」
聞き慣れた声の方へ目線を移すと、薄暗い部屋の中にマダムとカンの顔が浮かんでいた。彼らの表情は、なぜだかよく見えなかった。ゆっくりと身体を起こし、血に汚れた全身をマダムに拭いてもらいながら、状況を理解する。
「俺……生きてるのか」
「ああ。タスカが、死にかけたアンタを無理矢理あたしのところに送ってくれたから、どうにか蘇生できたんだ」
タスカ――アンミの父。生き返る前の記憶の断片が蘇る。死に頻した状態で意識が朦朧としていたはずなのに、泣きそうな顔でこちらの名を呼ぶ彼と、その背後から剣を振り下ろすバケモノの姿が妙にはっきりと頭に浮かんだ。
彼はこの場のどこにもいない。居場所を聞くまでもなかった。
「だが……アンタ、心臓を刺されたね?」
心臓、というのはただ肉体としての中枢であるだけではない。魔族にとっては心臓こそが何よりも守るべき器官なのだ。
なぜならそこに、魔族の魂が宿っているから。
「魔人は身体が死んでも蘇生できるとはいえ、魂が力尽きればその時には死ぬ。どれだけ長生きできることか……。
それに。魂の不調は肉体にも影響を及ぼす。アンタこれから、血反吐吐きながら生きることになるよ」
つまりは、先程感じたような痛みを生涯抱えながら生きなければならない、そういうことだ。
そこまでして生きる意味など、どこにあるというのだろうか。
復讐? そんなこと誰も望んじゃいない。あのバケモノにはもう関わりたくもない。レベリオにアンミが必須かと言われたらそういうわけでもない。強いて言えば、長らく総長を継いできた血族が途絶えるけれど、レベリオの魔人自体は他にもいるし、総長がアンミの家系じゃなければならない理由は特段ない。血を吐きながら生き続けた先で待つ幸福が、果たしてそれまでの苦痛に報いるものとなるだろうか。
やめれば楽になる。残りの人生諸共この重苦しい肉体を手放して輪廻へと還り、安らかな魔界で穏やかに次の人生を待つだけ。
「――死にたいのか、アンミ」
こちらの心を見透かしたかのように、カンの低い声が頭上から降りかかる。少し考えて、回答を見つけて、なんだか悲しくなった。
「死にたいってほど積極的な思いはないよ。でも、死んでもいいとは思ってる」
せっかくこの世に生まれて、この歳まで大事に育ててもらって、命懸けで助けてもらって蘇生してもらって、こんなこと言うべきではないのはわかっているけれど。アンミは幸運にも生存の権利を持っているだけだ。権利の行使を求めぬならば、生きることは義務じゃない。
「じゃあ、生きろ」
強い言葉が、闇へ沈みゆくアンミを引き止める。再び蘇る、記憶の中で父が叫ぶ声。
「望んでいるわけでもないなら、わざわざ終わらせる理由もないだろう」
「でも、逆に聞くけど、苦しんでわざわざ生きる理由は何?」
「そんなこと、俺に聞くな」
酷い話だ。死ぬ理由がないなら生きなさい、生きる理由がなくても生きなさい。みんな口を揃えて生きろと言う。
でも、アンミは既にわかっていた。死んだらもう生きられなくなるが、生きればいつでも死ぬことができることを。
それから。強い命令口調の言葉は、彼ら自身の強い信念の上にあるものであることを。
「……ごめん、肩貸してもらえる?」
きっと、まだ生き返って間もないからあの世に引っ張られているだけなのだ。ひとまず、思いっきり水を浴びたい。一度頭を冷やして、身を引き締めよう。
そうしたら、たとえ嫌でも生命活動が始まるだろう。




