第30話 井戸端
アンミが訓練場に赴くと、「早かったな」とフェルスは言った。久々に顔を合わせた一言目、挨拶もなく。ぶっきらぼうなのはいつものことだが、話の脈絡がないのは困ったものだ。
「何? 帰ってきたのが?」
「ああ。一年くらいは帰ってこないかと」
「まさか。そんな暇じゃねえし。何、帰ってきてほしくなかった?」
「いや、逆だ」
逆、とは。帰ってきてほしかったということか。
「なんだよフェルス、俺がいなくて寂しかったか。可愛いヤツめ」
「どうしてそうなる。やめろ、キモチワリィ」
「僕は寂しかったですよ、アンミさん」
すると、フェルスの背後からカイが顔を出して言った。同じく自警団の若者。きっとフェルスの手合わせ相手をしていたのだろう、こめかみから汗が滴っている。
「一緒にするな、カイ。俺はお前みたいに呑気じゃない」
「呑気ぃ? アンミさんがいなくて退屈だなんて言ってたフェルスには言われたくないな」
「お前の場合は言葉そのまま寂しかっただけだろう。俺は退屈さだけが理由で帰りを待っていたわけではない」
「ふぅん? じゃあ何さ?」
カイとアンミ、二人してフェルスの顔を覗き込む。視線を向けられた彼は、どうやら周囲に気を配ったようだった。訓練場をくるりと見回し何かを確認したのち、いつもより僅かに低い声で、どこか後ろめたそうに告げた。
「……俺は、カンさんは総長に向いていないと思う」
不思議そうな顔をして首を傾げたカイの横で、アンミは、へぇ、と感嘆の息を零す。
「意外だな、フェルスは政には興味ないのかと」
「専門外だから口出ししないようにしているだけだ。自分の身の回りの事柄くらいは把握している」
「なるほど、要はカンさんが心配ってわけか」
口を挟んだカイの横腹にフェルスの拳が飛び込む。いってぇ、と横腹をさすりながらも、カイは「確かに」と続けた。
「また倒れたら大変ですもんね」
そう、また。あの時みたいに。
カイの言葉に頷きながら、フェルスが口を開く。
「俺はカンさんの武術も器量も尊敬しているが、あの人の欠点を挙げるならば、自己管理能力というところだな。そこはアンミの方が一枚上手だ」
「どうかな。言ったって俺も、休めって強く言われるまで休まない性質だと思ってるけど」
「自覚があるだけまだ良い。休めと言われればお前は休むだろうからな。だがカンさんは、休めと言われても裏でこそこそ仕事を持ち込むタイプだ。たちが悪い」
ひどい言い草、とカイが笑う。本当のことだろう、とフェルスが言い返す。そうだね、とカイも頷く。
二人もそう、自警団員はみんなカンのことを慕っている――言い換えれば、よく観察しているから。カン自身はしっかりしているつもりでも、案外見抜かれている。そのことに安堵してひっそりと笑みを零し、アンミは言葉を続ける。
「まぁ、当時は戦争の後処理に追われてた上に、俺もなかなか手伝えなくてほぼ一人で背負わせちゃってたから、パンクするのも仕方なかったと思うよ」
「あのー、僕未だにあんまわかってないんですけど、戦後すぐアンミさんが総長に就かなかったのってなんでだったんですか?」
カイの質問に思わず目を見開いて、やはりそうかと思う。彼が気付いていないのなら、他の大衆だってきっとわかっていない。
「なんでわかってないんだ、お前」
「はぁ? 逆にフェルスはわかってるのかよ?」
「ああ。尤も、俺も当時はさっぱりだったがな。アンミの体調面が理由、そうだろう?」
若者二人の視線を受け、アンミは「正解」と微笑んで見せた。
「体調って……何か病気でも?」
「うーん、その辺は詳しく話すとややこしいんだけど。端的に言えば、怪我の後遺症みたいなものかな。しょっちゅう熱出してたもんで、仕事にならなくて」
「今は?」
「もう全然」
「嘘つけ、今も呼吸器官が弱いままだろう」
フェルスに睨まれたのを、アンミは適当に笑ってやり過ごす。本当に、これでもかなり良くなった方なのだ。起きているだけで眩暈がして、少し頭を使うだけで眠気がして、悪夢で目を覚まし疎呼吸になって血を吐くような、あの日々はもう脱した。もう全然、と言っても過言ではない。
「そっかぁ。じゃあ、今の体制が一番盤石なんですかね」
「俺もそう思う。もちろん、アンミにどこにも行くなというわけではないが……」
「わかってるよ。大丈夫」
アンミ含め、組織上層部の様子は意外と他の人に見られている。なるべく不安や不満がなく組織運営をするのが、総長の役割だ。今一度、気を引き締めなければ。今ある安定を、アンミが守るのだ。




