第28話 清算
「おはようございます、アンミさん」
両開き戸が静かに開けられ、薬師のノラが顔を覗かせていた。
流し台のところからその姿を確認したアンミは、落ち着けた呼吸を乱さないようゆっくりと、丸めていた背を伸ばす。
「調子はどうですか?」
「……平気」
「そうですか。ご無理はなさらず」
胸に手を当てながら、息を吸って、吐き出す。息苦しさは和らいだ。でも、奥の方に余韻が残っている。やはりマダムほどの治癒はできない。
「どした、なんか用?」
「朝からすみません、医局の件で報告と相談です」
医局――マダムが長として受け持っていた管轄。どうしたって彼女の治癒が主力とならざるを得なかった。それを失った現状は。
「基本的には、医学と薬学で賄えます。常連の患者さんを始めとして、日常的な怪我や病気は治癒術なしで十分回ります」
「それはよかった」
マダムと旅に出る前にも、そのような話は聞いていた。医療のことはノラに任せてある、と。きっと事前にマダムが手回しをしていたのだろう。
「ただ、どうしても薬は治癒術の即時性には及ばないんですよね。だから緊急の場合は、アンミさんの力をお借りすることになると思います」
――マダムは、生前からずっと、医局運営をアンミには委ねてこなかった。マダム以外では唯一治癒術を扱える身なのに。その習得の過程で少なからず医学の知識は身につけているのに。それは、アンミの治癒が実力不足だからだと思っていた。
でも。きっと、そうではなくて。
「責任は医局長を任された私がとります。アンミさんに負担はかけませんのでご安心を」
もしアンミの実力に不安があっての判断なら、どうしても厳しいときに頼るという選択肢は出てこない。きっと、ただ純粋に、アンミの仕事を増やさないためだったのだ。
守られている。いなくなった後さえも。
「ありがとう。頼りにしてる」
「お任せください! マダムがいなくても安定した医療提供をしてみせますよ」
背丈の低いノラが、胸をポンポンと力強く拳で叩いてみせる。彼女なら大丈夫だろう。
グラスに水を注いで口に含む。火照った身体に心地よい冷たさが、喉を通り、胸を通って腹に落ちていく。ふう、と息をつくと、背後からノラの声が届いた。
「……マダムが亡くなったとき、泣きました?」
手に持っていたグラスを置く。改めてノラの顔を見ると、彼女の目元は赤く腫れていた。ノラは医局の後継としてマダムにかわいがられていたから、当然か。
「俺は泣けなかったな。ラードはぼろぼろに泣いてたけど」
「マダムの先があまり長くないこと、知っていたんですか?」
「まさか。知ってたって悲しいものは悲しいよ」
「にしては結構落ち着いてるなって思って。精神的に不安定だと体調崩しやすいって聞いてたので」
「俺が?」
「はい」
マダムから聞いたのか。まぁ、アンミも常連患者の一人ではあるから、医局長に情報が受け継がれるのは当然か。
いや、それは今はどうでもいい。マダムの最期について、彼女の生き様について。伝えるべきことがあるだろう。全ては理解できずとも、同じ魔人として、最期を見届けた者としてわかることが、少なからずあるから。
「魔人にとっての死は、怖いものじゃないんだよ。ただ生まれた場所に還るだけ。もちろん、望まぬ死はいつだって受け入れがたいけど、少なくともマダムは、自身の運命を受け入れてこの世を去った。だったら、周りがそれに抗うのはなんか違う気がするんだよ」
悲しいものは悲しいし、伝えきれなかったことも、教えてほしかったことも尽きない。それでも、時間は止まってくれないから。進まなきゃいけないから。ほんの少し彼女を想って、大事なことは抱え持って、歩んでいくしかない。
「なるほど。……この話、他の人たちにも話していいですか? マダムのことで泣いている人、結構多くて、その励ましに」
「まぁ、俺の話が何か力添えになるなら、全然良いよ」
「ありがとうございます」
それじゃあ、とノラは部屋を出ていった。姿勢の良いその背中を見届けて、アンミは、ぱち、と自身の頬を叩く。
そう。立ち止まっている暇はない。彼女のいない日常を進まなければ。




