第22話 告白
「あー! しんどい!」
身体から力が抜け、ばたりと浜辺に仰向けに転がる。世の武人たちはこんな大変な所業を当たり前のようにこなしているのか。
「最初はみんなそうだよ」
かく言うアンミは、休む間もなく隣で上体起こしを始めた。流石に敵わない。ラードも腹筋を使って身体を起こし、じっとその様子を観察する。
武術を習いたい旨をアンミに話すと、彼は快く承諾してくれた。とはいえすぐに剣を握らされるはずもなく、まずは基礎体力を培うべく身一つでできる運動を習い始めたのだが、それが早くも高い山となって立ち塞がった。
「アンミさんのそのモチベーションはどこから来るんですか」
「総長は守るべきものが多いんでね」
「参考にならないじゃないですか」
アンミが訓練を始めた頃はどれほど苦労したのだろう。当然、当時は総長の身ではなかったはず。ラードはもう子供ではないのでこれしきのことで音を上げたりはしないけれど、仮にラードがもっと幼ければ、早々に断念していた気がする。
「アンミさんが訓練始めたのっていくつぐらいの時なんですか?」
少なくとも、ラードがレベリオに入った時――彼が十五歳くらいの頃には自警団と共に活動していた。組織の子供たちを見ていても、自警団志望の子は大抵、五歳頃には訓練を始めているから、それくらいだろうか。
「十」
短く放たれたその数字は、聞き取れたはずなのに理解ができず、束の間沈黙が落ちる。その間に彼は所定数上体起こしをこなしたようで、ゆっくりと息を吐きながらその場で胡座をかく。何も言わずきょとんとしているラードを見てもう一度、「十歳」と返答した。
「……え!? 十歳から!? 遅くないですか!?」
「そうだよ。五歳かそこらで一回始めかけたことはあったけど、昔から体も小さかった上に負けず嫌いだったもんで、早々に嫌になってやめたんだよな」
確かに彼は比較的小柄で、カンやラードよりも背が低いし、高身長の女性――それこそハルウとかよりもいくらか小さいだろう。そのリーチの差を素速さと判断力で補って、今や強者として立っているのだ。
「え、じゃあ尚更、どうしてやる気になったんですか?」
物心つく頃からの習慣ではないならば、後から自分で習慣づけなければならない。かつ、始めた時期が遅いほど、同年代の周りとの差もつくはず。辛さを知り一度断念した上で再び始めるのは、簡単なことではないだろう。歳をとるにつれて精神的に大人になったから、ということだろうか。それにしても何かきっかけがあるはずだ。
アンミはどこか遠くを見ながら小さく微笑みを浮かべる。その表情がやけに切ないと思った、と同時に、瞳に落ちた影に強い負の感情が宿るのをラードは見逃せなかった。
「……俺の母の話はきいたことある?」
その話題について耳にしたのは初めてではなかった。ただし、聞いたのはカンからだ。敢えて話題にする必要もなかったから詳しく聞いたことはなかった。
「暴走した魔獣に襲われて、亡くなったって」
魔人と言っても、魔獣を容易に懐柔できるわけではない。タキやデックスなんかは操獣魔法で多少の自由が利くものの、決して誰でも扱える術ではないのだ。彼らのいない場所では特に、魔獣に襲われるなんてことはよくある話。
「襲われたのは、俺だったんだよ」
その一言は、重たい石を手渡された時のように、ずんと沈む感覚をもたらした。
「逃げ遅れた俺を庇って母が死んだ。自分の身を守ることもできなければ、怪我を治すこともできなかった。誰も俺を責めなかったけど、どうしようもなかったで済ませられることじゃないだろ」
責められるはずがない。事故当時の詳しい状況などは知らないが、わずか十歳の子供の非力さなど誰でも想像できる。しかし同時に、十歳というのは、無力感や罪悪感といった感情はとっくに覚えているはずの年齢で。心が変わるには十分すぎる出来事だったということだろう。
「守れなかった後悔で訓練を始めたら、できることが増えて、守れるものや守りたいものも増えた。だから続けられてる。自分一人の目標で頑張れるほど強い人間じゃないもんで」
守れなかった後悔。その言葉に、はっとする。
彼にだって、失敗の経験くらいある。今でも引き摺るような過ちさえ抱えて、でも、彼は走りだした。その結果立ち止まれなくなってしまったのだとしたら。その証拠が彼の背中の遠さなのだとしたら。
「あんまり頑張りすぎないでくださいね。追いつけなくなるから」
もし彼がブレーキの掛け方がわからなくなってしまったのなら。止める人が必要だ。彼の速さに追いついて、手を掴んで、もういいよって、言ってあげる人が。
願わくば、ラードがその役目を。
「――無理。俺は俺の速度で頑張る」
望みはあっけなく撥ね退けられて、思わずガクッと首を落とす。しかしその様子を見てもアンミは、茶化さなかった。小さく笑って、真っ直ぐにラードを見つめて、一言。
「だから、追いつきたきゃ全力で追いかけてこい」
ラードは、アンミのように大きなものは背負っていないけれど。
「はい!」
頑張る理由はたった一人で良い。
未だ疲れの抜けきらない体で砂を踏みしめ、ラードは再び立ち上がった。




