第20話 海到着
水平線が世界に真っ直ぐな横線を引く。上側も下側も、この目の中は青に染まっている。波が岸に打ち寄せる音が耳に触れる。ちゃぷちゃぷと水の音が混じって、仄かに涼しく耳をくすぐってくる。砂浜の波跡を頼りに近くまで寄ってみれば、思いのほか大波が来て慌てて陸の方へ後退。こんなことさえ楽しい。
「海は初めてだっけ」
振り返ればアンミが浜まで降りてきていた。日差しを浴びる彼の金髪が海風に揺れるたびに真っ白く光る。そのまま彼は靴を脱いでズボンの裾を捲って、浅瀬にザブザブと入っていった。
「はい。すごくたのしい」
「こんなん、まだまだ」
振り返って悪戯っぽいアンミの笑顔が、不意に現れた水の壁に隠される。直後、ラードは顔面から全身びしょ濡れになっていた。唖然としていると、高らかな笑い声が耳に飛び込んだ。声の主を見て、ようやく頭が追いついて、思わず叫ぶ。
「ひどいアンミさん!」
「良いじゃん海水浴。気持ちいいぞー」
浅瀬の水だからか砂が混じっていてジャリジャリする。しかもしょっぱい。
「服の上から濡れるのは嫌でしょ!」
急ぎ靴を脱いで海に入り、思いきり足を振り上げてみるも、あんな綺麗な水の壁は作れない。煽るようなアンミの表情が腹立たしい。
「ほら、やってみろよ」
「逃げるんですかー? 海水浴気持ちいいですよー?」
「俺は遠慮しておきますー」
必死に追いかけて海を蹴るも、逃げられる。何だってあんな逃げ足が速いんだ。当然か。彼は武人だからな。
「手本見せてやるよ。おらっ」
しかもやり返された。相変わらず水を跳ね上げるのが上手い。しかし甘い。攻撃タイミングは予想出来ていた。水の塊の本体を避け、反撃を繰り出す。
「隙あり!」
彼のと比べれば小攻撃程度だが、不意打ちのカウンターで腰まで濡らすことができた。
「あぁクソ、やられた!」
「ふふん、舐めてたら痛い目見ますよーだ」
「悔しいな」
油断していたとはいえ、ラードより遥かに身体能力の高いアンミを出し抜けたのはなかなかに気分が良い。
ところが。
「やっぱラード、運動神経良いよな」
何気なく放たれたその一言に、「え」と思わず動きを止める。
「そうですか?」
「そうだろ。自警団入れば?」
「えー、嫌ですよ」
「なんで? 運動は嫌いじゃないんだろ」
なんでも何も。運動と戦闘を一緒くたにしてたまるか。
「刃物って怖くないですか」
血や傷口を見るのは嫌だ。痛々しくて目を逸らしたくなる。生々しさに足が竦む。共に戦う仲間の手負いの姿を見るのも当然嫌だし、たとえ憎き相手だろうと誰かが傷ついている姿は見るに堪えないと思う。まして、自分の手でその傷をつけるなんて、考えたくもない。
「それはもう、慣れしかないよ」
「慣れたくないなぁ」
「え、むしろ逆じゃない?」
「逆?」
自分や仲間を守るためとはいえ、無感情に傷つけられるようにはなりたくないじゃないか。アンミも同じだと思っていたのに。
顔を顰めて彼を見つめていると、こちらの思うことが伝わったのか、「あぁ違う違う」と彼は慌てて手を振った。
「刃物を扱うことと、傷つけることは同じじゃないだろ。むしろ、無闇に傷つけないために刃物の扱いに慣れておくといいんじゃないって話」
彼の思考を理解して、腑に落ちる。誰かを傷つけるためじゃなく、あくまで守るために剣を握る。傷つけることは必至じゃない。そういうことだろう。
「俺だって、実際に人を切る感覚は未だに慣れないし、慣れなくていい、慣れたくないと思ってる」
そりゃそうだろう。そうであるべきだ。人を殺すのは当然、怖い。
「それを聞いて安心しました」
「じゃあ、自警団入る?」
「うーん、それはちょっと考えます」
「そこは入れよ。常時募集中なのに」
まだちょっと、勇気が出ない。戦わなくても生きていけると思ってしまう。それが甘んじた考えだというのも重々承知の上で、やはり怖いものは怖い。
「まぁラードはお得意の魔術があるしな。無理しなくてもいいか」
彼がこちらに背を向けてさっさとマダムの方へと歩き出す。
そう、魔術。蘇生術。とりあえず海まで辿り着いたら修行再開、と言われていたのだった。
慌ててラードもマダムのいる方へと駆け出した。




