第19話 闇に生きる者
「――何してんの。良い子は寝る時間だぞー」
突如耳に飛び込んだ声に思わず身体を震わせ、「ごめんなさい!」と叫びながら立ち上がる。振り返ると、アンミがくすくす笑いながら、人差し指を口元に当てていた。慌てて手で自分の口を塞ぐ。そのままもう一度「ごめんなさい」と、くぐもった声で呟いた。
山峡村の展望台。と言ってもそこまで高さはなく、民家からも近いので子供でも登れてしまう。この村に来てすぐにこの穴場を見つけ、人のいない夜にこっそり訪れるのを日課としていたのだが、とうとう見つかってしまった。
「ここ、良いよな。俺も小さい頃からよく来る」
隣に来たアンミは、ラードの頭を撫でながら村を眺めた。良い子じゃないから叱られると思ったのに、そうでもないらしい。安堵して大きく呼吸をすると、ほんのり汗の匂いが鼻を掠めた。
「アンミさんは、訓練おわったとこですか」
「そう。運動後に浴びる夜の空気は美味いね。しかも今日は新月だ」
「しんげつ?」
「月がないってこと」
「しんげつだと、何かあるんですか」
「闇が濃いからね、居心地がいい」
ラードは首を傾げて、アンミの顔を覗き込む。大好きな瑠璃の目がこちらを捉えて、その下の頬が持ち上がった。
「闇は怖い?」
怖い。大きく頷く。
物理的にも心象的にも暗くて、出口のない場所にひとり取り残されてしまったような寂しさを覚えて、心臓がどきどきして、なんとなく息苦しくなる。
「アンミさんは、怖くないんですか」
「怖くないね。俺は、闇に生きる魔人だから」
誇らしげにそう言ったアンミが、なんだか羨ましく感じた。どれだけ願っても毎日太陽は沈んで夜は訪れるし、村の近くの洞窟とか、誰もいない物置とか、闇はそこらじゅうにいる。闇を怖がらずに生きていけるならそれが一番生きやすいだろう。
アンミはこちらの考えを読み取ったかのように「大丈夫だよ」と言いながら、再びラードの頭を撫でた。
「ラードは光に生きる人だから、闇が怖くて当然なんだよ。無理に慣れようとしなくても、怖けりゃ目を逸らしちゃえば良い」
「どうやって?」
「寝るんだよ。それが一番合理的だ」
確かに。だからみんな昼間に起きて活動して夜は寝る。
「でも、寝る前に一番闇と向き合わなきゃいけない」
眠る前の明かりを消した部屋に。なんなら布団に入って瞼を閉じたらすぐ目の前に、闇が迫ってくる。これには、どう対処したらいい?
縋るように、頭に触れている手を掴む。
「うーん、じゃあ……」
アンミの厚い手に小さな手が包み込まれた、次の瞬間、ぐるりと目が回った。胸の真ん中、心臓が何かに掴まれたような感覚と共に、身体が浮いた気がした。
そして瞬きの刹那、真っ暗闇がラードの周囲を覆った。何も見えない。思わず「ひえ」と小さく悲鳴を上げ、近くにあったアンミの胸にとび込む。その間もアンミは、「大丈夫、怖くない」と何度も唱えていた。
「離れて。周りを見て。暗闇から目を逸らして」
そんなこと言ったってどうやって。闇に呑まれる。必死の抵抗も儚く、ラードはアンミから引き剥がされた。冷たい空気が顔に触れる。依然視界は黒一面。地に落ちる木々の影。耳を澄ませるとやはり、風で木の葉の擦れる音がする。それより、心臓の音がうるさい。
「周りを見て」
頭上から、アンミの声が降る。彼の温度を求めて顔を上げる。そこで初めて、息を呑む。
夜空に無数の星々が煌めいていた。背景に、ラードの大好きな瑠璃色を満面に引いて。
一つ一つの光は決して強くない。星々が地上を明るく照らすことはない。でも、視界の闇を晴らし、キラキラの輝きをこの目に、心に映し出してくれる。
「星はさ、闇があるから見えるんだよ。こうやって、闇にある美しさを探してみてよ」
視線を動かすと、手の届く場所に楕円型の夜空が、柔くラードを見つめていた。
「アンミさんの目がきれい」
思ったままにそう呟くと、その綺麗な目は束の間満月形になり、その後そっぽを向いて見えなくなってしまった。
「そこで見るのは俺じゃねえだろ」
この反応には思わず「ふふっ」と声が漏れる。「なんだよ」とわしゃわしゃ頭を強く撫でられた。
「ありがとう、アンミさん」
「どういたしまして」
とぼけるように返事をしたアンミの手が、いつだってラードの冷たい夜を救ってきた。その恩の大きさは、もはや計り知れない。




