4-1 ネメリアへ
門の一件から数日。
リリエラは学園都市を発ち、南東の古都へ向かっていた。
道は平穏だった。ルカノスで受け取った保存食と、途中の川辺で採ったキノコや草、
小さな動物の肉でしのぎつつ――
野営の夜には火を囲み、手紙のように自分の記憶を静かにたどった。
「主は、門の前に立っていた。けれど……顔が、思い出せない」
「……でも、あの声は確かだった。だから、きっとどこかで――」
石畳が美しい街並み。
運河が複雑に巡り、町の至るところで水の音が鳴っている。
街全体が“静かな図書館”のように、落ち着いた雰囲気を漂わせていた。
古い知識と文献を保管する「中央文書院」が街の中心にあり、
貴族や学者、ギルド関係者も多く集まる。
町に入ると、ギルドからの連絡が届いていた。
《文書院からの依頼:蔵書の中に、未登録の“禁書”が混入している疑いあり。調査協力を求む。》
リリエラは、その依頼の中に――
かつて主と交わした「言葉の記録」が眠っている可能性に賭ける。
文書院の古い階層、封印された書架。
埃を払うと、ひとつだけ、触れると魔力を発する本があった。
装丁は革。表紙には、名もなく、ただ一行だけ:
「記録保持者:クローデル」
リリエラの指が止まった。
彼女は静かに本を開き、そのページの間に、一枚の古い紙片を見つける。
そこには、丁寧な筆跡でこう書かれていた。
「あの時、君が私を守ってくれたことを、私は忘れない。
だから、いつか記憶が戻らぬ日が来ても、君がこれを手に取るように仕掛けを残しておく。
名前は、名乗らない。
けれど“リリエラ”という名を呼ぶとき、私の声は君に届くだろう。」
心が揺れた。
涙ではなく、胸の奥が静かに熱を持つような感覚だった。
その夜、文書院を出たリリエラのもとに、一人の老人が現れた。
「クローデル嬢か……やはり、君だったか」
「……どちら様ですか?」
「私の名はレーヴァン。かつて主君に仕えていた者。
君と主が城を出たあと、長い間、君の消息を探していた。
だが……“主はもう還らぬ”。その報が届いたのは、十数年前のことだった」
リリエラは目を伏せた。
「でも、遺体はなかったのでしょう?」
レーヴァンは、ふっと微笑んだ。
「その通り。君が言う通りかもしれぬ。
ならば私からは、“主が最後に残した地”を君に教えるべきだろう。
そこには、君の名を記した“魔術の誓印”が、今もなお守られている」
主が姿を消したとされる最後の場所。王都、レグニアの旧城室。
そして、リリエラの名前が正式に“守護の誓印”として残された場所。
そこには、まだ明かされていない記録と、
あるいは主自身の残した何かが眠っている。
リリエラはその地を目指すことを決意する。
かつて仕えていた日々を思い出しながら――
ネメリアの水音を背に、リリエラは馬車で王都へ向かう。
街の外れで出会った旅商人が、「ちょうど西に向かうところだ」と声をかけてくれたのだ。
「黒衣のメイドさんとは珍しい。
……でも、旅の姿勢や眼が“本物”だ。腕の立つ方と見た」
商人の名前はビアット。ひょうひょうとした中年男だが、道中の危険も心得ている。
荷馬車の後ろには、保存食・香辛料・道具がぎっしり。
旅は数日かかる予定だったが、
途中で**「灰の森」と呼ばれる土地を通る**必要があった。
空は晴れているのに、森の中だけがかすかに白く、乾いた灰が地を覆っている。
「ここはな……三十年前に火の魔物が暴れてな、森が燃えた。
今じゃ魔物もいねえが、風が吹くと昔の灰が舞ってな。今は、灰の森と呼ばれておる……不思議と静かだ」
森の中心に着いた時、リリエラはふと足を止める。何かが、心の奥を――かすかに、震わせた。
木々の隙間から、かすかに見える廃墟。
炭のように黒ずんだ小さな祠。
そして、そこに刻まれた記号。
「Ⅶ:記録されぬ地」
目にした瞬間、
彼女の視界が揺れた。――火に包まれた祠。
主の後ろ姿。焦げた空気の中、「この地を封じる」と呟いた声。
(ここも……“門”に関わる地……?)
けれど、不思議と恐怖はなかった。むしろ懐かしいほどの、静けさが胸に広がる。
“あの日、ここでも私は主とともに戦ったのだ”
そしてそのとき、祠の奥に、朽ちかけた布包みが見つかる。
中には――手作りの古びた人形が一体。
服の裾に、かすかに刺繍されていた。
「リエ」
それは、かつて主がふざけて作ったものかもしれなかった。
あるいは、リリエラが自分で作ったのかもしれない。それすら思い出せないほどに遠い記憶。
けれど確かに、懐かしさが胸に満ちていた。




