3-6 エルミナの潜入4
ちょっと文が変なところがあるかも、
月の出ない夜。学園の裏手、鬱蒼とした樹木の奥に隠されるように佇む“旧地下研究棟”。
立ち入り禁止とされ、扉は魔術によって封じられている。セリオスが懐から取り出したのは、古びた鍵型の魔法具。
「これも、僕の中にいた“あれ”が残していった知識のひとつ。普通の魔術じゃ解除できない」
カチャリと鈍い音。そして扉は、まるで自ら開かれるのを待っていたかのように、静かに軋んで開いた。内部はひどく冷たく、空気は何年もの時を閉じ込めたまま。
壁に貼られた記録紙はほとんどが朽ち、棚に残る瓶や装置は灰をかぶっていた。リリエラは一歩ごとに警戒を緩めず、まるで静かな戦場を歩く兵のように空間を測る。
セリオスがふと立ち止まり、壁の一角を指差した。
「ここ、もともと“扉”があったんだ。
研究者たちはこの奥で“あれ”と交信しようとして……最後には失敗した」
扉は石で塞がれ、周囲には複雑な封印式が刻まれている。
だが、その中には、うっすらと誰かの手によって“新しく書き加えられた”線があった。
「……誰かが、ここを再び開けようとしている?」
「うん。僕じゃない。――誰か、別の者が動いてる」
奥の部屋には、まだ使える魔導記録具があった。
セリオスが魔力を注ぎ込むと、記録が浮かび上がった。
「観測対象、代号“第七層体”は精神領域に強い干渉をもたらす。
対応不能と判断し、対象を“門”の内に押し戻す。封印成功。
副作用:観測者の魔力構造が変質。現象が拡大した場合、媒介者が必要」
セリオスは声を出さず、ただそれを見つめる。リリエラの目が、記録の一節に止まった。
「……“媒介者”……?」
「それが、僕だった。今も、完全には切り離せていない。
だから門が動けば、僕の中の“あれ”も目覚める」
沈黙。やがてリリエラは、静かに歩み寄り、彼の目を見て言った。
「では、私が終わらせましょう。今度こそ――完全に」
その声は冷たくも、優しかった。
ただ命を刈り取る刃ではなく、誰かの重荷を共に背負おうとする者の声だった。
そのとき。地下研究棟全体が、低く軋んだ。
石に刻まれた封印陣が、ふっと淡く赤黒く発光しはじめる。
「まずい、門が揺れてる……!」
セリオスが叫ぶ。
リリエラは眼帯の奥が微かに熱を持つのを感じた。
契約の目が反応している。
封印室は、学園の最下層に存在していた。通常の記録には記されておらず、セリオスが持つ「旧時代の鍵」によってのみ入れる場所だった。
通路は石造り。魔力の薄い空気が満ち、まるで世界から切り離された静寂が漂っている。
足音さえ吸い込まれるような空間の奥――
厚い扉の先に、「中央封印室」はあった。
扉が開いた瞬間、
リリエラの胸に鈍い痛みが走った。
――ここを知っている。
この、柱の配置も。床に刻まれたこの古い紋様も。
「……リリエラ?」
セリオスの声が遠く聞こえる。リリエラの瞳が揺れる。
黒の髪が静かに揺れ、彼女は一歩、足を進めた。
中央の祭壇の上。
封印術式が組み込まれた台座に、黒鉄の輪が固定されている。
その輪の中心――
ゆらゆらと、暗く濁った“渦”が揺れていた。
それが、「門」。
この場所に、かつて“封じたもの”が眠っている。
「これは……あのとき、主とともに……?」
かすかに、声が漏れる。遠い記憶のなか。
かつて、彼女はこの場所にいた。
主とともに、ここに立っていた。
そして、確かに――「何か」を戦い、封印した。
だが、記憶はぼやけていて、主の顔も、声も、名前も思い出せない。
ただひとつ、はっきりしていた。
あのとき、この「門の傷」を受けたのはリリエラ自身だった。
そして、その戦いののち、彼女の眼帯は生まれた。
「……ここで私は、“魔眼”を封印した」
セリオスが、台座に刻まれた文字に目を走らせる。
《七番目の門 封印:成功。封術媒介者:L.C./B.》
彼は息を飲む。
「“L.C.”……リリエラ・クローデルのことじゃないか?」
「……かもしれません」
リリエラは声を低く落とす。
「だとすれば、これは……私が“二度目に”出会う門」
だが、安堵の暇はなかった。
次の瞬間、扉の外で爆音と共に叫び声が上がった。
「侵入者だ!魔力暴走――!」
封印室の外に、強い魔力が迸った。
誰かが……“門の干渉を受けた者”が、力を振るっていた。
セリオスが短く叫ぶ。
「まさか、門の力を“自分のものに”しようとしてる――!」
「……止めなければ」
リリエラの声は、冷静で、凍りつくような静けさを持っていた。
彼女は眼帯に手をかける。契約の目は、彼女の魔力を求めて蠢く。
これを使えば、侵入者の“真の名”を知ることができる。だが――代償もある。
封印室の扉が、内側から破られた。
「ッ!?」
爆風と共に吹き飛んだ破片の中から、魔力の影をまとう者が現れる。
かつての研究者――その子孫であり、“門の意志”に干渉された少年。
いや、もはや彼は人の輪郭を保っていなかった。
眼は虚ろで、魔力は黒く滲み、口から漏れる言葉は誰のものでもなかった。
「ひらけ……われをとおして、そこへ……」
セリオスが叫ぶ。
「完全に“門”に飲まれてる!もう、本人の意識は――!」
リリエラは前へと出る。
その目は静かに閉じられ、
手は、眼帯へと伸びる。
「……この目を開けば、相手の“真の名前”を知り、縛ることができる」
「でも、魔力の消耗が――!」
「問題ありません。……それは、あのときも、同じでしたから」
リリエラは、そっと眼帯を外す。
契約の魔眼が、黒い光を放つ。
そして、その目が“暴走者”をとらえた瞬間――
彼の姿に宿った“存在の名前”が、視界に浮かび上がる。
【ナン=ファエル】
かつて門の奥より現れ、名を奪い、命を喰らった、虚無の使い。
「……あなたの名前を知りました」
リリエラの声が、空気を貫く。
「――ならば、その名に命ず。ここより退け。
お前の名は、私の記憶に縫いとどめられ、
この地より外に漏れることは、決してない」
契約の目が輝き、空間がねじれ、
“ナン=ファエル”は悲鳴とともに霧散していく。
闇の中に溶け、門の奥へと引き戻されていくその存在は、
最後にリリエラの名を、かすれた声で呼んだ――
「……リ……リエ……ラ……」
それは、恐怖ではなく、
まるで“救い”にすがる者のような、声だった。
静寂。
すべてが終わったあと、リリエラは、膝をついた。
魔力の消耗は激しく、意識も遠のく。
けれど、そのとき――
心の奥に、声が響いた。
「よく、やったな。リリエラ」
……それは、懐かしい、主の声だった気がした。
振り返っても誰もいない。
けれど、確かにその声は、彼女の胸の奥に残された。
記憶にはまだ靄がかかっている。
けれど、たしかに主は――この門をともに封じ、
ともに戦った、存在だった。
そして、今もきっと、どこかで。
学園では、門の封印が再び強化され、暴走事件は表向き“魔術研究による事故”として処理された。
セリオスは、門との因果を断ち切り、もとの学生としての時間を取り戻しつつある。
そして、リリエラは再び旅に出る。
門は閉じた。
だが、彼女の「主」は、まだ見つかっていない。
その姿も、声も、記憶の奥でかき混ぜられている。
けれど、確かに言える。
“主は生きていた”――かつて、あの門の前でともに戦い、リリエラを守ろうとした存在として。
そして、リリエラはその主の姿を、必ず探し出すと、改めて誓った。




