3-5 エルミナの潜入3
深夜。
学園の東塔にある旧資料室――現在は使われていないその部屋に、ひとつの気配が忍び込んでいた。それは、リリエラ。
セリオスの行動を追っていた彼女は、彼が毎夜ここに立ち寄っているという情報を得ていた。そして、とうとう扉の内側を“目にする”決意をした。
鍵はかかっていなかった。中には魔術的な装置がいくつも設置され、空中には浮遊する魔法式の断片が揺れていた。
机の上には、研究日誌が開かれている。リリエラはそっとページをめくった。
《観測実験、第12段階。魔法具暴走の「核」は外部から流れ込む力による。
学園内に封じられた“門”が不安定になりつつある。
開けば、あの存在が――》
ページはそこで破れていた。
「……“門”?」
リリエラの眉がわずかに動く。その語は、彼女の記憶の奥――封印された過去に確かにあった。
だが、詳細までは思い出せない。そのときだった。背後から、静かな声がした。
「君は、やっぱり来ると思った」
振り向くと、そこにいたのはセリオス。
表情は柔らかいが、瞳はまったく笑っていない。
「僕は、学園に封じられている“何か”の番人なんだ。
でも、最近はもう一人では抑えきれない」
リリエラは、机の上の魔法具を見つめながら問う。
「では、暴走はあなたの仕業なの?」
「違うよ。……でも、止めようとしてる。ずっと一人で」
セリオスは静かに言う。
「僕は……元々、学園の“実験体”だった。
門の存在に最初に触れてしまった“観測者”。
それ以来、僕の中にあの存在が……ほんの一部だけ、入り込んでる」
沈黙が流れる。
セリオスは続ける。
「君は、リリエラ……だったよね。
君の右目は、見えるんだろう? 真実を。……僕の“名前”も」
リリエラは答えなかった。
だが、眼帯の奥の“契約の目”が、確かに疼き――いや、わずかに熱を帯びた。
真実の断片はつながりはじめた。学園に封じられた“門”。暴走する魔法具。
そして、かつてリリエラが戦い、封印した“何か”――
それらすべてが、今ひとつの場所へと集まりつつあった。
「協力してほしい」
その言葉は、重く静かに響いた。セリオスは机の上の魔法具を手に取りながら、リリエラに真正面から向き合っていた。
「僕はもう限界に近い。門の“揺らぎ”は、日ごとに強くなってる。
今はまだ小さな魔法具を通してしか現れてないけど――次は、人だ」
リリエラはわずかに目を細め、静かに問い返す。
「何が門の向こうにいるの?」
セリオスは一瞬、口を閉ざした。そして、低く答える。
「“かつて学園が実験によって呼び出したもの”。
僕の中に、あれの一部がいる。ずっと、騙してきた。でも、もう嘘をつきたくない」
リリエラはその言葉の裏に“苦悩”を読み取った。彼の中で、長く続いてきた戦いがあったのだろう。
彼女は静かに一歩前へ出て、わずかに礼をするように首を傾けた。
「……主ではない、けれど。あなたのために動く理由は、十分にあるようですね」
セリオスの目に、一瞬だけ安堵の色が浮かんだ。
翌朝。
学園は、表面上は平穏だった。
だが、リリエラとセリオスの二人は、密かに「門がある」とされる旧地下研究棟の調査を進めていた。かつて使われていたその区画は、現在封鎖され、教職員ですら立ち入りを禁じられている。
「近いうちに“揺らぎ”が臨界に達する。門が完全に開いてしまえば、学園全体が――」
セリオスの言葉に、リリエラは頷いた。
「その前に止めましょう。……あなたと一緒に」
だがその夜、異変が起きた。寮の北塔で、ひとりの生徒が意識を失って倒れていた。
周囲の空間には、濃密な“異界の気配”が漂っていた。
現場を目にした教師は、「古い封印が漏れているのでは」とつぶやいたが――
リリエラとセリオスは、確信した。門が、開きはじめている。
この事件をきっかけに、学園は監視強化のために一部の区域を閉鎖。
リリエラは「選抜された生徒のひとり」として、旧研究棟への調査許可を得る。
もちろん、それは表向きの建前だった。
準備は整いはじめていた。リリエラは再び、戦いの地に歩み出す。
ただの“潜入”ではなく、今度は命をかけた封印の維持、あるいは破壊の旅路。契約の目の封印も、徐々に反応を見せ始めていた。
その眼帯の奥に眠る“真の名”の力は、再び、呼ばれようとしている。
それは、昼下がりだった。いつもと変わらぬ講義の時間。
生徒たちは魔法理論の基礎をノートに写し、教師の声が静かに響いていた。
突如、“空気が震えた”。
教室の窓が、ピシリ、と細かく音を立てる。
天井が、地の底から吹き上がるような、黒い気配に押された。
「――下がって!」
教師の叫びとともに、教室の外で叫び声と魔力の爆発音が起きた。リリエラはすでに席を離れ、扉を押し開けて廊下へと駆け出していた。
セリオスの姿も、いつのまにか見えなくなっていた。廊下の先――中庭へと通じるアーチ状の扉が、割れていた。
その割れ目から、黒い“腕”のようなものがにじみ出ていた。それは形を定めず、しかし確かな悪意を持ち、空間をなぞるように蠢いている。
生徒の一人がその腕に触れかけ、リリエラはとっさに跳び込んで彼を突き飛ばす。
「下がって、触れてはなりません」
リリエラの声はいつになく厳しく、背後の生徒たちを静かに黙らせた。
契約の目の封印が、熱を持つ。
封印を解けば、これを“名で縛る”ことができる――
だが、今ここで使えば、魔力を大きく消費し、次に備えられない。
「……まだ。今ではない」
彼女は一歩、影に踏み込むと、小さな銀の短剣を取り出し、魔力を編み込んでいく。
その刃が“眷属の影”を切り裂いた瞬間――中庭の空間がねじれ、別の何かが“外”から覗き込む気配を残して、消えた。
「これは……本当に、開こうとしている……」
セリオスが駆け込んでくる。顔色は青ざめていた。
「このままじゃ、次はあれ自身が出てくるかもしれない。眷属はもう、押さえられないレベルに達してる」
「学園は……封印の中心にある」
リリエラの言葉に、セリオスが頷いた。
「そう。学園自体が“門”を支えるために設計されてるんだ。
でも、設計者たちが思っていたより、門の力は強かった。
だから、僕みたいな“媒介者”が必要だった」
「ならば……」
リリエラは静かに眼帯に指をかける。
「完全に閉じる方法を探しましょう。あなたと私で」
その夜、学園内は封鎖された。外部との通信は一時的に遮断。
教員たちは「特殊な魔力汚染の調査」として生徒を落ち着かせようとしたが、すでに空気は張り詰めていた。
リリエラとセリオスは、次なる一歩として、“中央封印室”へと向かう決意を固める。
そこには、門を研究していた者たちの最後の記録と、完全封印の方法が記されている可能性がある。
だがその道には、もう一つの危機が迫っていた。
――門を開こうとしている“誰か”。
それはセリオスではない、第三の存在。
彼(あるいは彼女)こそが、門の奥と“対話”を交わし、異界の力を引き寄せていたのだった。




