3-4 エルミナの潜入2
朝のチャイムが鳴り響き、エルミナ学園の広い校庭に生徒たちが集まってきた。
リリエラは人混みを避けるように歩きながら、どこか懐かしい感覚に包まれる。
過去に仕えていた主人の影はまだ記憶の奥に薄く残っているが、今はこの場に集中しなければならない。
授業では、魔法理論の難解な公式に頭を悩ませる。
近くの席の生徒が優しく教えてくれるが、リリエラは丁寧に礼を返しつつも、心の中では監視の役目を忘れない。
昼休みは学園の広場にある屋台へ。
新鮮な果物や甘い菓子、香ばしい焼き肉の匂いが立ち込める。
リリエラは小銭を握りしめ、珍しいスパイスが効いたパンを一つ買って座った。
昼下がり、図書館での時間は特にお気に入り。
静かな空間で古い書物を読みながら、魔法具の制御方法や過去の事件の資料を探す。
時折、隣の席の生徒が話しかけてくるが、リリエラは控えめに応じ、核心に触れる会話は避ける。
夕方、体育館での剣術訓練も日課の一つ。
リリエラはメイド服の下に隠した武器の扱いとは違う、素直な剣の技術を磨く。
汗を流しながらも、その所作は優雅で無駄がない。
夜は学生寮の小さな部屋に戻り、今日の出来事をノートにまとめる。
友人はまだいないが、学園生活に少しずつ慣れていく自分を感じていた。
こうして日々は静かに流れていく。
だが、その静けさの奥には、いつ訪れるかわからない波乱の兆しが確かにあった。
学園での生活にも、少しずつ馴染み始めた。
監視対象のセリオスも特に怪しい行動は見せず、毎日を陽気な優等生として過ごしていた。
しかし——それは、あくまで「表」の姿だった。
ある日の夕刻、リリエラは図書館で遅くまで調べ物をしていた。
魔法具の暴走事件に共通する符号や魔術式をいくつか見つけたが、それらの出どころは、学園の正式な教本には載っていない。
どれも独自に改変された危険な術式だった。
そして、それと“非常によく似た”線の引き方が、数日前にセリオスのノートに記されていたのを、ふと思い出す。
──気づけば、夜の鐘が鳴りはじめていた。
リリエラは寮に戻るふりをして、ひとり人気のない回廊を進んだ。
彼女の足取りは静かで軽やか。闇に紛れるには十分な気配だった。
そのとき——
校舎裏の中庭。
小さな魔法具が淡く紫色の光を放ち、誰かがそれに向かって詠唱をしていた。
「……稼働時間、二十三分……封じたはずの回路がまた……」
その声は、紛れもなくセリオスのものだった。
リリエラは茂みに身を隠し、息をひそめる。
彼の手にしていた魔法具は、確かに最近暴走した装置と酷似している。
そして、彼の口調は妙に冷静で、いつもの陽気さはまるで仮面のようだった。
「……まだ“あれ”の動きはない。急ぐ必要は……ない、はず……」
その言葉の意味までは掴めなかったが、明らかに危険な何かを秘めていることは間違いなかった。
リリエラはそれ以上追わず、その場を静かに離れた。
証拠が不十分である以上、今は記録を残し、状況を探り続けるべきだった。
寮の部屋に戻ると、彼女は灯りを落とし、今日の報告を紙に書き記した。
「セリオス、魔法具に関する高度な知識あり。
夜間の不審行動、記録済み。次回、装置の正体確認要」
その筆跡は変わらず丁寧で、どこか祈るような静けさに包まれていた。
物語は動き出した。
仮面の優等生の背後にある“何か”と、学園に広がる得体の知れぬ気配。
リリエラの静かな追跡が、やがて大きな真実を引き寄せようとしていた。
翌日。
空は曇りがちで、学園全体に少しだけ重たい空気が漂っていた。リリエラはいつものように魔法理論の教室に着席し、ノートを広げる。
セリオスは変わらず明るく、隣の席の生徒たちと笑い合っていた。だが、昨日の深夜の光景が、どうしても頭から離れなかった。
彼の笑顔の奥にある“冷たい影”を、彼女は確かに見てしまったのだ。
午前の講義が終わった直後。
校舎の南棟で、小さな爆音が響いた。
「きゃあっ!」
「今の何!?」
リリエラはすぐさま音の方向へ駆け出す。そこでは、小型の魔法具が暴走し、教室の壁を一部焦がしていた。
幸い、生徒に直接の被害はなかったが、使われていた魔術式は――
「……やっぱり」
昨夜、セリオスが使っていたものと酷似していた。学園は一時的に騒然としたが、教師たちは「単なる誤作動」として処理しようとした。
しかし、その夜。リリエラは寮の廊下で、偶然セリオスとすれ違った。彼は少し驚いたように立ち止まると、静かに笑った。
「……君、少し前から僕のことを見てるよね」
その声には、いつもの柔らかさとまったく違う、静かな圧力があった。
「興味があるの? それとも、何か知りたいことでも?」
リリエラは表情を崩さず、微笑で返す。
「……貴方のことは、誰よりも観察してますから」
一瞬の沈黙。
だがセリオスは、そのあとゆっくりと笑った。
「ふふ。じゃあ、もう少しだけ、興味を持たせてあげるよ」
そう言って、彼は何事もなかったように歩き去っていった。
部屋に戻ったリリエラは、日誌に言葉を綴った。
「彼は気づいている。だがまだ、こちらを突き放してはいない。
これは挑発か、それとも……誘いか」
そして彼女は、ふと眼帯の奥をそっと指でなぞった。まだ使うべきではない――そう判断して、視線を窓の外へと向ける。曇り空の下、嵐のような気配が、静かに近づいていた。




