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午後の強い日差しが、プールサイドに集う面々を容赦なく照りつける。
「ふう、まったく一仕事だよね」
雅人は額の汗をぬぐいながら笑った。
「この気温はたまらないな。英司、お前の魔力でなんとかしろ」
「えーっ、俺、もう限界ですよ。魔力なんて残ってません」
英司は息を切らせて、プールサイドになさけなくしゃがみこむ。
「おやおや、もう魔力が底ついたの?」
だらしないなあ、と笑む雅人に、英司は恨みがましい目を向けた。
「もう、俺の分担が一番多いじゃないですか。雅人先輩なんて薔薇の魅惑で人を操って、自分は高みの見物でしょ」
「肉体労働は僕に似合わないんでね。やはり僕は人の下で働くよりも、上に立つ人間なのさ」
「ていうか雅人先輩、体使う方は全然だめなくせに。どんな仕事でも、肉体を使うのはすぐに息があがってギブアップでしょうが」
そっちの方がなさけないですけど、と言われ、雅人はふううっとため息をついた。
「悲しいね、英司君。人には向き不向きがあるなんて。僕は常に貴公子のポジションに立つ身で、君はその可愛い愛玩動物。どんなに逆立ちしたって、この立場を乗り越えることは出来ないのさ。でも安心したまえ。僕は心優しいご主人だから、君は何も心配いらないよ。ちゃんと可愛がってあげるからね」
「これ以上、何か言ったら、先輩のファンの子たちにつきだしますよ」
冷たい瞳で、ぎろっと英司は雅人を睨む。
「そして先輩を見て、嬉しい悲鳴をあげてもらえば」
「うわっ、タンマ! それだけはやめてくれ」
雅人はあわてて両手をふった。
「そんなことをされたら、僕の華麗なる美貌が醜い蛙になってしまう。これ以上の悲劇が世界にあるだろうか」
「心配しなくても男は顔じゃありません。それに今度は俺が先輩を愛玩動物にしてあげます。ああ、でもえさになる新鮮な虫は、先輩が自分で捕まえてくださいね」
「そこの二人、いい加減にしろ」
帝の鋭い声が飛ぶ。
この暑さに、横で聞いてるだけでもいらつく会話。気分は最悪と言ってよい。
二人はぴたっと口を閉じ、彼の様子を見守った。
プールサイドを風がさあっと一撫でし、水がさざなみを立てる。
斎は突然会話のなくなったプールサイドの微妙な雰囲気に、密かにため息をついた。
彼は飛び込み台の横で、さっきから微動だにせず、自分の責任を全うしている。
飛び込み台の横に広がる魔方陣。
その中に一体何羽なのか数えるのも馬鹿馬鹿しいぐらいの黒いカラスが、ばさばさ羽を揺らしていた。
(カラスの集団も、ここまでくればかなり不気味だな)
よくある動物に襲われる設定の映画でも、これほど異様なシーンはないだろう。
カラスたちは魔方陣の中に閉じ込められ、完全に捕まえられていた。
魔方陣は長円形だが、上に真っ直ぐ光の格子が伸びている。
巨大な光の鳥籠に黒い鳥達が押し込められている――まさにそんな感じだった。
さっきからこの魔方陣の前で両手を組み合わせ、斎は魔力を集中させている。
この光の鳥籠は、彼の地属性の魔法によって編み出されたもの。
中に捉えられた生き物は、一匹たりとも外に出ることは出来なかった。
「それにしても町中のカラスを捕まえるのに、あまり手間取りませんでしたね」
「手際が良かったんでしょ。ま、この僕の華麗なる作戦が役に立ったってとこかな」
得意そうに微笑む雅人に、また英司は冷たい目を向ける。
「よく言いますよ。雅人先輩なんて役所の職員を操って、カラスに変なウイルスがついたから見かけたら通報してくれ、って連絡を流しただけじゃないですか」
「そのおかげで協力者と目撃者を完璧に確保したじゃないか。自分の身に何かあったらみんな大変だし。自主的にご町内の皆様がカラスを通報してくれるというわけさ」
「そこへ行ってカラスを捕まえてこなきゃいけない俺は、かなり魔法を使いましたよ。けっこう頭は良いし、すばしこいから本当に大変でした」
ちょっとは手伝ってくれたってよかったんじゃないですかと、英司はぶつぶつつぶやく。
「俺のカラスホイホイ――通称『カラスさん、いらっしゃい』も、なかなか役立っただろう?」
突然背後からかけられた声に、英司は飛び上がった。
「直樹先輩。もう驚かせないでくださいよ」
「雅人じゃないが、お前はけっこう後ろを取られやすいな」
黒眼鏡がきらりと光る。
英司は、うっと決まり悪そうな顔をした。
もう少し精進しろよ、と後輩の頭に手をポンと置き、直樹は斎の側による。
「ご苦労さん。それにしてもすごい数だな」
魔方陣の中で互いに絡み合ってガアガア言ってる黒い集団を、直樹は興味深そうに見た。
「おそらくこの中に、うちの生徒が確実に半分以上混じっているだろう」
「半分じゃ困りますよ。40人、きっちりいてもらわないと」
もうすぐ6時間目も終わりますし、とぼやく英司に、直樹は薄く笑う。
「ま、なんとかなるだろう」
「直樹、出来たのか」
帝の問いに、直樹はにいっと笑うと、小さな小瓶をポケットから出した。
「それだけの量で足りるんですか」
英司が不安そうに小瓶を見つめる。
よくある小さなビーズのケーズと同じぐらいのサイズだ。
これだけ大量のカラスに一滴かかるかかからないか――皆、困惑のまなざしで小さな入れ物を見た。
「安心しろ。これは凝縮液だ」
直樹はそう言うと、パチッと指を鳴らす。
掃除道具入れに押し込まれている、ブリキのバケツが現れた。
「英司、そのバケツにプールの水を汲め」
「えっ、プールの水ですか。普通の水道水じゃなくて」
これ、鴉に変化する薬入りですよ、と驚く英司に直樹は続ける。
「それでいいんだ。この魔法薬は別な魔法薬と混ぜると、その効力を無効化する薬に変化させることが出来る。一滴で十分だ」
「それは便利だね」
雅人の感心したような賛辞に、直樹は得意そうに付け加える。
「名付けて『どんなくすりも無効くん』だ」
「もうちょっとかっこいい名前を考えてもいいのに」
いつも似たような名前じゃないか、とため息をつく雅人に、直樹は面倒だからなと答えた。
「それにしても、いつにもまして君の能力には感嘆するよ、直樹君。帝に宣言した期限より3時間は早く完成させてる」
「やっかいなことは早く済ませないとね」
微笑むと、直樹はバケツに並々と汲まれた水に小瓶の中身を一滴垂らす。
そしてそれをバシャアアアッと、斎の閉じ込めているカラスにぶちまけた。
カラスたちは、びしょぬれになってガアガアと騒ぐ。
次の瞬間――。
しゅううっと薄い白煙が、何匹かのカラスから発生した。
「当たりだな」
直樹の言葉に、一同は光の籠を見つめる。
普通のカラスに混じって、元の姿に戻った生徒達が目を瞬かせてしゃがんでいたのだ。
斎の魔方陣は解かれ、変化しなかったカラスたちは空に解放された。
「えーと、点呼をお願いします」
元に戻った生徒たちは、まだ狐につままれたような顔をしながらプールサイドに並んでいる。
「40人、いるみたいだな」
並んだ水着姿の生徒たちをちらりと見て、直樹は安堵の笑みを漏らす。
「やれやれ、なんとか解決だね」
これでティータイムに出来る、と雅人は薔薇の花の香りをそっと楽しんだ。
学級委員が全員いるか確認して、帝のところにやってくる。
彼は、そのときにはもうすでに険しい顔になっていた。
「帝、どうしたの?」
彼の顔が芳しくないのに気付き、雅人は声をかける。
「怖い顔しちゃって、何か気になることでも?」
「あいつがいない」
「え?」
雅人は顔色を変え、きちんと整列した生徒たちを凝視した。
彼もそのことに気付き、顔を曇らせる。
A組の学級委員が、小走りにやってきて報告した。
「すみません、A組は一人、足りません」
「ええっ? 嘘でしょう」
英司は驚いて声をあげる。
「町中のカラスは全部回収したんだがな」
いつもより数段トーンを低くして、直樹はつぶやいた。
斎も誰がいないのかに気付き、顔を青ざめさせる。
『そんな……どこに行ったの? 後野さん!』




