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『初めまして、カラスさん』
『あ……初めまして』
茉理は、プラネタリウムから少女の座る椅子に飛び移った。
暗闇でも彼女の容姿をはっきりと見ることが出来る。
間近に寄って、茉理は息を飲んだ。
(嘘、この人……)
歳は自分より少し上だろうか。
驚くほど整った顔立ちの少女だった。
黒い髪、黒い瞳。
流れるような黒髪は腰よりも長く、肌は斎に負けないくらい青白い。
手も足も折れそうなほど細く、透き通って生気がないような印象を受ける。
(まさか病気とか……)
首をかしげる茉理に、少女は細い指を出してきて触れた。
『なんて綺麗。羽は黒いのね。それに暖かい。生きているのね』
『は、はあ』
(もちろん生きてますよ。一応飛べるし)
茉理は少女の不思議な反応に首をかしげる。
(この人って生き物を見たことないのかな)
この状況をまともに受け止めていること自体が、不可解でしょうがない。
カラスが返事をしているというのに、驚いた素振りすらみせないのだ。
茉理が困惑しているのが伝わったのか、少女は寂しげに微笑む。
『わたし、ここから出たことがないの。外の世界は知らないわ』
『えええっ。ずっとここにいるんですか』
『そうよ。生まれたときから』
茉理は驚きで羽をばたばたさせてしまう。
(そんな……赤ちゃんの時から、ずっとこんなところに?)
『何故ですか』
茉理の質問に、少女は俯いた。
『わたしはここにいなければいけないの。外に出てはいけないのよ』
『どうして、そんな……病気か何かですか』
『わたしが外に出るとね、あの人が苦しむことになるから』
彼女の答えに、茉理は目をぱちぱちさせる。
(あの人?)
一体、誰だと言うのだろう。
彼女をここに閉じ込め、縛り付けている存在とは――。
少女の肩に止まって、茉理はプラネタリウムから出た。
ドーム状の部屋の横には、小さな居間と寝室がある。
どちらもこじんまりとしていたが、とても豪華で年代物のアンティーク家具が配置され、それがこの黒髪の少女にしっくり似合っていた。
明るいシャンデリアのついた居間に入ると、彼女の顔立ちがますますはっきりと見える。
(やっぱり似てる)
茉理はカラスの目で、じっくりと少女を観察した。
同じ色の髪と瞳だからだろうか。
少女は帝によく似ていたのだ。
(帝先輩が髪を伸ばしてワンピースを着たような感じだわ。あと表情をちょっとやわらかくして……)
思わず想像してしまい、茉理は噴き出しそうになった。
彼女が帝を脳内で女装させたと知ったら、彼はおそらく怒り沸騰するだろう。
『どうかした?』
『あ、いいえ、別に』
茉理は、あわてて言葉を送った。
『でも知らなかったわ。本ではカラスは鳥の中ではかなりの知能を持つと書いてあったけど、人の言葉を理解出来るほどだなんて。魔術師達が僕として使役するのも当然ね』
白いワンピースの裾を整えながら、彼女は優雅にソファに腰掛ける。
茉理は失礼して肩からガラスのテーブルに乗り、差し向かいでちょこんと立った。
『あの、魔術師って』
『そのくらいわたしも知っていてよ。外の世界には魔法を使える人間と、使えない人間がいる。魔法を使える人間は、魔法使いとか魔術師とか呼ばれてるんでしょ』
『そ、そうですね』
あっさりと魔法の存在を肯定され、茉理はあせる。
(この人も魔法が使えるんだわ。そうよね、わたしと思念で会話が出来るんだもん)
以前、斎が言ってなかったか。
思念会話をするためには、高い魔力が必要だと。
『ねえ、カラスさん、外の世界のお話をしてくれない?』
『外の世界ですか』
『ここはいつでも同じだけど、外の世界では時間によって気温が変わるんですって?』
『はあ、まあ、そうです』
『そして朝と昼と夜があって、朝は太陽と呼ばれる大きな恒星が光を発して地球を照らすの。夕方には太陽は見えなくなって、月とか星が空に浮かぶんでしょ。あの部屋で見たわ』
少女はうっとりと目をあげた。
(あの部屋ってプラネタリウムのことね)
茉理は納得する。
と同時に、なんだか悲しくなった。
(どうしてこの人は、こんなところにいなければいけないの?)
病気でもなければ、精神に異常があるわけでもなさそうだ。
なのに何故外に出ることも出来ず、この3つの小部屋の中だけで過ごさねばならないのか。
(こんなに綺麗で優しそうな微笑みを持ってる人だもん。本当なら学校に行って、友達も出来て一緒に遊んだり、お日様の下で笑ったりするべきなのに)
一体、誰がこんな理不尽なことをするのだろうか。
茉理はどこの誰かわからないが、ふつふつと怒りがこみ上げてきた。
同時に、彼女にとても憐憫の念が沸く。
『あの、わたし、後野茉理っていいます』
『まあ、カラスさん、お名前があるの?』
目を丸くする少女に、茉理はうなずいた。
『今はこんなカラスの格好をしていますけど、わたしも貴方と同じ人間です』
『ええっ』
少女は驚いて茉理を撫でた。
『そうなの? 貴方も人間なの?』
『はい。実は手違いで――』
茉理はかいつまんで事情を話す。
『まあ、そうだったの』
大変だったわね、と少女はつぶやいた。
『きっと学校に帰れば魔法は解けると思うので、そう心配してないんですけど』
茉理は少女をじっと見つめて言葉を送る。
『良かったら、わたしと友達になりませんか』
『貴方と?』
少女は一瞬、目をぱちぱちさせたが、嬉しそうに笑んだ。
『本当に? わたしのお友達になってくれるの?』
『はい。良かったらですけど』
『嬉しいわ。ありがとう、カラスさん……じゃなかった、えーと』
『茉理、です』
『そうそう、まつりね』
少女はにっこりすると、何度も口の中で彼女の名をつぶやく。
でもそこからはヒューヒューと不思議な息の音がするだけで――茉理ははっと気がついた。
(まさか、この人は)
彼女の視線を感じ、少女は肩をすくめる。
『そう、わたし、声が出ないの』
『……』
『それだけじゃないの。耳も聞こえないの。静かよ、とても』
『そ、そんな』
『唯一、目だけは見えるの。もっともわたしは生まれたときから独りだし、他の人をあまり見たことがないから、自分がどう違うのかよくわからないんだけど』
彼女は寂しそうに言葉を放つ。
茉理は何と言ったものかわからず、沈黙した。
『ねえ、もっと何か話して、まつり』
『……』
『わたしにわかるのは貴方が送ってくれる声だけ。そして今触れている貴方の暖かい体だけ』
少女は優しく茉理に触れる。
『わたしの世界はそれだけなの。あとはね、本―――本でいろんな知識を知るわ。外の世界の事とか、いろいろ』
『そうなんですか』
『でも本はわたしにいろんな世界を見せてくれるけど、触れることも出来ないし、毎日同じ内容ばかりよ。流石にちょっとあきてしまった』
『そうでしょうね』
茉理はうなずく。
横の書棚には溢れるばかりの本が納められていたが、ここで彼女が過ごした時間を考えたら、とっくにすべてを読みきっているだろう。
『貴方の名前を教えてもらえますか』
『わたしの名前?』
不思議そうに聞き返す彼女に、茉理は言葉を送る。
『友達だから、名前を知りたいんです』
『わたしの名は、ひめの』
『ヒメノ?』
『そうだと思うわ。やまとがそう呼ぶから』
『やまと?』
『わたしが、唯一知っている人間よ。男の人』
姫乃はつぶやいた。
『やまとから、わたしはいろんなことを教えてもらったの。魔法とか、外のこととか』
『そうですか』
『たまにしか来ないわ。生まれてから3回しか会ったことがないし』
『は? 3回?』
(それってどういう人なわけ?)
茉理はわけがわからなくなった。
こんなところに姫乃が閉じ込められていることを知っている人間が『やまと』という男性で、彼はこの状況を知りながら、彼女を放置していることになる。
(一体、どんな神経してる男なのかしら。女の子をこんな部屋に閉じ込めて助けないなんて)
この状況は、今の日本の未成年としては十分保護されてしかるべきものだ。
出るところに出れば、彼女はおそらく自由になれるだろう。
(えーと、警察とか行って、訴えればいいんだわ)
茉理はそう考えた。
どんな理由があるとしても、彼女がここにいなければいけないなんてあんまりだ。
学校も行かず、友達もいない。そして親も――。
そこまで考えて、茉理は首をひねる。
(姫乃さんのお父さんとお母さんはどうしたんだろう)
思いきって彼女は疑問をぶつけてみた。
すると小首をかしげながら、姫乃は答える。
『わたしにもわからない。生まれたときから会ったことないの』
『そんな』
『やまとが送ってくる使い魔フェルが、わたしのことは世話してくれるわ。食事も運んでくれるし、掃除もしてくれる』
『そのフェルっていう使い魔は知らないんですか』
『フェルはわたしの言葉はわかるけど、貴方のように対話は出来ないわ。だってね、彼は犬なんですもの』
『犬?』
『犬という動物に、やまとが魔力で知能を与えて僕にしてるの。だからわたしの言葉は感知出来るみたいだけど、答えを返すことはないわ』
ため息と共に姫乃は笑った。
『いいのよ。わたしはここにいるべきなの』
『どうして、そんなこと言うんですか。外に出たくないんですか』
『あの人が苦しむわ。わたしが外に出たら』
悲しそうに姫乃はまつげを伏せる。
『あの人?』
『わたしにもわからない。でもね、小さい頃から意識の中にあるの。あの人はとても大事な人。誰よりも大切な存在』
『……』
『わたしは外に出てはいけないの。あの人の為に』
『そんなのって』
『あの人が苦しむと、わたしも苦しくなる。だから絶対に駄目』
虚ろな瞳で繰り返す姫乃を見て、茉理は違和感を感じた。
(暗示か何かをかけられてるみたい。催眠術とか何かの魔法で)
そうでなければ、こんな矛盾した答えがあるだろうか。
誰かのために彼女はここに閉じこもっていて、生涯外には出ないつもりらしい。
それは彼女にとって、とても大切な人なのだ。
なのに、その人のことを何もわかっていないなんて絶対変だ。
(このままじゃ駄目だよ)
茉理はそう思う。
あきらめたように微笑む彼女は、とてもとても痛々しい。
(なんとかして姫乃さんをここから出してあげたい。外の世界を見せてあげたな)
そんな彼女の思いも知らずに、姫乃はただ静かに微笑んでいた。
――まるで時の止まった世界の住人のように。




