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プールサイドは、かってないほどの緊迫感が漂っていた。
授業は2時間目に入っているが、そこに佇む5人にはそんなことなどどうでも良かった。
「茉理」
プールサイドに散らばった黒い羽の一枚を、帝は拾ってつぶやく。
青い空を見上げたが、そこにはカラスの一羽も存在しなかった。
「状況を説明する。まず今朝、俺が大沢先生に頼まれてプールの水の消毒薬を入手し、英司に職員室に届けさせた」
「俺、ちゃんと届けたんですけど……」
そう言う英司の顔も、色を失って真っ青だ。
「そのときもう一つ薬を届けさせたんだ。それは俺が大沢先生に頼まれて調合した魔法薬だった」
「それがこの事件の原因ってわけね」
雅人は、ため息まじりに薔薇の花を口元に当てる。
いつもあでやかな色を持っているのに、今日の薔薇は黒薔薇だ。
「さっき確認したが、朝、水泳部が薬を職員室に取りに行ったとき、大沢先生はいなかった。そこで横の机にいた別な先生が、これだろう、と俺の調合薬を渡してしまった」
「それにしても、なんでまたそんな薬を?」
雅人の問いに、直樹は薄く微笑む。
「学校の連絡網の補強さ」
「ああ、そういえばこの間鴉舎で変な病気が流行って、かなりの数が死んだそうだね」
「でもすぐかわりを捕まえることは出来ないだろう? 元々カラスっていうのは状況によっては害鳥のごとく扱われ、市や町で保健所に追われている身だ」
「で、もしかしてその薬で鴉を作ろうとしたわけ?」
「正解。どんな生物も、この薬を撒くだけで鴉に変えることが出来る。通称『君も今日からカラスくん』だ」
「商品名はいいから、なんとか元に戻す薬はないわけ?」
「先生から絶対に効果が切れない奴にしてくれと言われたが、元に戻す薬の調合は頼まれなかったな」
「早い話が戻す方法がないわけね。どうすんのよ、一体」
お手上げだ、と雅人は両手を上げて空を仰ぐ。
「まさか人間に使用するなんて俺も思わなかったさ。今回は最悪だ」
いつもの直樹らしくない弱音が漏れ、プールサイドは沈黙で満ちた。
『あの、でも』
おずおずと英司の脳裏に思念が送られる。
白い顔をしてプールサイドを見つめながら、斎は言葉を送った。
『カラスになっちゃっても、記憶までは変えてないんじゃないですか』
「あ、そっか」
英司は――この中で唯一彼だけが斎の言葉を受信出来た――にこっと斎に笑むと、直樹に向かった。
「直樹先輩、カラスになっても頭の中身は変わってないんじゃないですか。自分が元々人だったという記憶があれば、ここに自分で戻ってくるんじゃ」
「それは無理だ。どんな生物も完璧にそれまでの記憶を消され、カラスとしての本能に目覚める。完全なるカラスになってしまうんだ」
もし記憶が残っていたとしたら、そもそもプールサイドからどこかに飛んでいったりしないだろうが、と苦々しげに直樹はつぶやく。
「えーっ。それじゃあ1年AとBは完全に」
「カラス化してしまったというわけだ」
その場にいた全員が絶句した。
もう一言も話せず、固まってしまう。
(茉理……)
黒い羽を手のひらで握り締めると、帝はきっと皆の方を向いた。
「直樹、お前はすぐに中和剤を作れ」
「そうすぐには出来ないと思うが」
「やるんだ。クリスティ一族の名にかけても早急に作れ。お前以外に誰が調合出来るというんだ。いいな」
「……日暮れまでには完成させるよ」
黒眼鏡をきらめかせ、低い声で直樹は請け負った。
今までの口調とは違う。
決意に満ちた声は、低いながらも力がこもっていた。
「英司、斎、お前たちは俺とこの町中のカラスを回収する。一匹たりとも逃すな」
「はい」
『わかりました』
二人は神妙にうなずく。
「雅人、お前はどんな手段を使ってもいい。市役所と保健所に圧をかけて、市民から苦情が来てもカラスの駆除を今日一日停止させろ。なんとしても今日一日はカラスを捕まえさせるな」
「了解」
にっと笑うと、雅人は付け加えた。
「どうせだったらお役所のみなさんにも協力していただきましょうか。あっちの方がプロだし」
「頼む」
帝の声に、雅人は優雅に笑むと一礼する。
「俺は自宅の研究所に戻らせてもらうよ。薬が出来たら連絡する」
直樹はそう言うと、パチンと指を鳴らした。
彼の姿がふっと消える。自宅まで瞬間移動したのだ。
「じゃ、僕も行くよ。可愛い弟達の検討を祈ってるからね」
「さっさと行け」
苦々しげに叫ぶ帝に片手を振ると、雅人はプールサイドから姿を消す。
帝は黒い瞳に激しい決意を燃やし、青い虚空を仰いだ。
(待ってろ、茉理。お前は必ずこの俺が元に戻してやる)
彼の手のひらに握られた羽は、いつの間にか拳と共に燃え上がって灰になった。




