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(あーあ)
いつもとは違う目線から見える光景を前に、茉理はため息をつく。
(困っちゃったわね、これって現実?)
よくある悪夢の中なら良いのだが――。
先程プールの水面に写る自分を見て、茉理は絶句してしまった。
(なっなっ、なんで、わたしがカラスに!)
もう何でもありの学校だ。
誰かがプールになんらかの細工をしてもおかしくない。
おかしくはないのだが――。
(超こまるってばっ! 誰よ、こんな変な魔法かけたの)
まわりを見ると、クラスメイトは誰一人いない。
いや、全員カラスになってしまったようだ。
(何が原因? もしかして……この水?)
茉理は、プールに並々と溜められている水を凝視する。
一見ただの水だが、入ってしまえば悪夢の始まりだ。
(冗談じゃないわっ。このあとCDE組合同だし、そのあとは2年生、昼からは三年生が入るっていうのに)
もしかしてこの学校の生徒全員をカラスにしてしまおうという、たちの悪い陰謀なのだろうか。
(クリスティ一族なんて、なんかあちこちから恨みでもかってそうだもんね)
茉理は一人でいろいろ想像し、またため息をついた。
とにかくなってしまったものはしかたない。
プールの横で口をぱくぱくさせ、しりもちをついて動けそうもない教師を見て、茉理はこれは駄目だわ、と思った。
(誰かに連絡しないと)
あと少しで授業が終わる。
何も知らずに次のクラスが入ってしまったら大変だ。
彼女は、両腕ならぬ両羽をばたばたさせてみた。
(うん、いい感じ。いけそうだわ)
何故か飛べる、そんな気がした。
前へ歩くことよりも、空に浮上する方が自然な気がする。
(よしっ)
茉理が羽を羽ばたかせようとしたとき、足音が聞こえた。
プールサイドに、長身の少年が姿を現す。
(森崎先輩)
やった、と茉理は、心の中で歓声をあげた。
(森崎先輩なら、この状況を何とかしてくれると思う。大丈夫よね)
なんか少々不安も走るが、茉理はタタッと足を動かして直樹の方に駆け寄った。
すると。
つられたように、他のカラス達も後ろからダッシュでついてきた。
中には羽を動かして、少し地面から飛んでくるものもいる。
(嘘っ、ついてこないでよーっ)
茉理はまるで押されるように直樹のところまで突進した。
ところがカラスの大群に閉口し、直樹はバリアを張って応戦。
とても話し合いなんて出来そうもない。
(もう、しょうがないわね)
茉理は、バリアでカラスを弾き飛ばす直樹を見ながら困ってしまう。
(話を聞いてくれそうな人の所に行くしかないわ)
誰のところに行こうか、と思案していた茉理の横で、カラスたちはカアカアと鳴き始めた。
(何? なんかあるの?)
上空を見て、茉理ははっとする。
青い空にぽっかり浮かぶ白い雲。
何故かここは居心地の悪い水場のコンクリート――一瞬、意識が遠のいた。
いや、人間の意識よりもカラスの本能の方が勝ったというべきか。
他のカラス達が自分たちの居場所を求めて飛び立つ中、茉理も一緒に羽を羽ばたかせて飛んでいた。
意識が戻ったときには、空の上を飛翔している。
(うわっわっ、飛んでるーっ)
カラスだろうと雀だろうと、なんだろうとかまわない。
茉理は空を飛行する爽快さを思う存分味わう。
自分の状況など吹っ飛んでしまい、茉理はしばらく上空を思うが侭に飛び回り、楽しんでしまった。
気が付くと、学校から少し離れていた。
(けっこう飛んじゃったな)
少し疲れて、茉理は目に付いた木の枝に止まる。
木々の隙間から校舎が見えた。
(学校の横みたいね。って、まさかここは……)
茉理ははっと気がつく。
学校の横に広がる広大な敷地はすべて伊集院家のものだ。
学校の裏門と隣接する馬鹿でかいキンキラの門をくぐった先はすべて伊集院財閥の本家だと、帝から聞いて知っている。
(って、この森みたいなところも、もしかして全部なの?)
彼女は、カアーッと思わず声をあげた。
一応、今止まっているところは、鬱蒼とした木々の生い茂る森。
それだけでもかなりの広さがありそうだ。
(自宅の庭に森があるなんて、どういう家よ、まったく)
金持ちにはついてけないわ、と彼女は羽をしおらせる。
そういえば、こないだ帝が自分を家に連れていきたいとかなんとか言ってたっけ。
茉理は金曜日の後味悪い別れを思い出し、少し落ち込んだ。
(悪気はないのは、わかってるんだけど)
どうして彼の言葉に対して、そこまで自分は傷つくのか。
いちいち反応し、何か一言言いたくなるのか。
(あれよね。いっそ帝先輩みたいに割り切ってしまえばいいのに)
彼女も帝がそういう意味でお付き合いしたい対象ではないし、おそらく向こうも同様だ。
ただ家のしきたりに従っているだけで、彼女に関する感情など薄っぺらな紙切れのようなもの。
(風が吹いてきたら、あっという間に飛んでっちゃう。そんなもんよね)
お互いそうなんだったら、いっそ一年割り切って側にいてもいいのではないか。
何がそこまでこの関係を拒むのか――茉理は自分の気持ちがわからなくてイライラした。
(もう知らない。考えても、よくわかんないし)
茉理は、休憩終わりっとバサバサ羽を羽ばたかせる。
(せっかくここまで来たんだし、ちょっと見学させてもらおうかな)
広い敷地内を己の足で進んだら館がどこにあるかはわからないだろうけど、この姿なら空からじっくり探検出来る。
(上空から探せばすぐにみつかるしね。うわさの帝先輩の自宅を、ちょっと覗かせてもらいましょ)
茉理は心を決めると、羽を思いっきり羽ばたかせて枝から飛び立った。
(うわーっ、すごーいっ)
上空から大きな館を見下ろし、茉理はただただ感嘆していた。
(悪いけど、これって自宅レベルを超えてるわよ。もうお城って感じじゃない)
雰囲気的には前に写真で見たアメリカにある国会議事堂のように大きくて白い。
玄関の前には大きな噴水が噴出し、前庭だけでもどこかの大きな公園のようだ。
(なんだかなあ。こんな家に住んでる人が、わたしのこと彼女だなんて言ってるんだから笑っちゃうわ)
あまりにも場違い、身分違い――いや、身分は日本にはないから、やっぱりお門違いというものか。
茉理は驚きとかなりの失望に包まれながら、館のまわりを飛び回った。
噴水の前に降り立つと、芝生の向こうに優雅な白い建物が見える。
シャッター付きのそれは、どうやら駐車場の入り口らしい。
シャッターが開いていて、茉理は中に飛んで入ってみた。
地下へと降りる道路が延びている。
(うそーっ、これってまるでどっかのデパート専用駐車場じゃない)
地上のみならず地下に広がる巨大駐車場に、茉理はまたまた心の中で声をあげた。
(スケールが違いすぎるわ)
茉理は駐車場から出ると、また空に舞い上がった。
上から見ると、大きな建物も小さく見える。
(でもさすがよねえ。うわさにたがわずだわ)
大きな丸いドーム型の屋根に止まって、茉理は羽を休めた。
白い優美な大理石は、ちょっとつるつるしている。
(そろそろ戻ろうかな。学校に行けば、みんな何とかなってるかもね)
二組の生徒がカラスになってしまったのだ。
直樹も目撃してたことだし、生徒会と職員たちが何らかの対策を立てているのは間違いがない。
『元に戻る魔法とか薬とか、きっと手を打ってるはずよ』
茉理はそう思い、また飛び上がろうとした。
そのとき。
『誰?』
(え?)
突然声が聞こえ、茉理は目を瞬かせる。
『そこに誰かいるの?』
不思議な声が、また彼女の心に響いた。
どうやら思念を送っているようだ。
(誰かいるのかな)
茉理は首をかしげる。
(そっか。さっき、わたし、心で強く思ったから)
自分の思ったことが、無意識のうちに思念として飛んでしまったのかもしれない。
『あの……わたし、屋根の上にいるんです』
茉理は思いきって言葉を送ってみる。
すると何と返事があった。
『屋根の上? もしかして、わたしの上にいるのかしら』
(女の子みたいね)
茉理は、聞こえてきた声にそう感じた。
『貴方は、どこにいるんですか』
茉理の問いに、向こうからの返事はなかった。
かわりにためらうような、寂しそうな思考が、彼女の胸を締め付ける。
(誰だろう。こんなにこの人、悲しい気持ちになっている)
胸に届いたこの感覚を、茉理は無視することは出来なかった。
学校に戻る気は失せて、ドームの横を飛行する。
『貴方は、誰?』
しばらくして茉理の頭に、また声が届いた。
彼女は咄嗟に答えてしまう。
『えっと……カラスです』
『……』
我ながら馬鹿な答えを送ってしまったと、茉理はあきれてしまった。
(うわーん、わたしの馬鹿っ。カラスが言葉なんて話すわけないじゃん)
いたずらだと思われたかも。
彼女はしょんぼりして、またドームに戻った。
『ねえ、こっちに来ない? カラスさん』
『え?』
『貴方はカラスなんでしょ。だったらいいわ』
声は少し弾んでいた。
『貴方は人ではないもの。だから大丈夫』
『え? って、うわわわわわーっ』
突然、茉理は何かに体を吸い込まれてしまう。
(何? 何なの? これっ)
彼女の黒い体を、突如空中に現れた魔方陣が吸い込んでいた。
(魔法? どこの誰?)
以前、これと似たようなことがあったのが、茉理の記憶からフラッシュバックする。
あの時は異次元に転送されてしまった。
今度は、一体どこに飛ばされそうになってるのか。
『きゃあああーっ』
茉理の意志には関係なく魔方陣は彼女を――カラスを吸い込み、空中から掻き消えた。
『あたたたた……どこよ、ここは』
茉理は身を起こした。
吸い込まれたショックで、一瞬意識が飛んだらしい。
起き上がってきょろきょろすると、どうも椅子がたくさん並んだ映画館のようだ。
真っ暗だったが、彼女はカラス。
暗い中でも、あたりの様子がよくわかった。
椅子の一つに飛び上がってみると、中央に見たことがある機械が設置されている。
(あれってプラネタリウムだ)
天井はドーム型。
ここはどうやら、さっき休んでた下らしい。
茉理は黒々としたプラネタリウムの装置上に止まった。
そこから見下ろすと、座席が丸く広がっているのが見える。
『こんなにたくさんの席があるのに、一体誰が座るのかしら。そう思わない? カラスさん』
声は優しく彼女に届いた。
茉理は視線を感じ、見下ろす。
――装置’のすぐ前の椅子に、少女が一人座っていた。




