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ぎらぎらした太陽が、新しい週の始まりを告げる。
「あちーっ」
うだるような生徒会室に一番乗りした英司は、とにかく窓を開け放った。
それでも少しも暑さは和らがないが、彼はちょっと口の中で呪文を唱え、小さな風の流れを作る。
彼の指先から放たれた風は、生徒会室の熱気を少しずつ下げていった。
「あーあ、これでちょっとは座っていられるかな」
ある程度風で換気をした英司は、隅にある洗面台の棚からごそごそ台拭きを取り出し、円卓を拭いた。
床に散らばった花びらを見つけ、顔をしかめて箒で掃き取る。
まだ掃除がすべて終わらぬうちに、森崎直樹がやってきた。
「やあ」
「あ、直樹先輩」
早いですね、と英司は目を丸くする。
「今日はプール開きだろう。体育の角田先生から消毒薬を頼まれてね」
「えっ、直樹先輩がですか」
英司はなんとも言えない顔をした。
(この先輩に頼むなんて世も末だ)
いくら水属性魔法のスペシャリスト、加えて薬品やその手の知識に直樹がいくら精通していると言っても、今まで本人が起こしてきた前科のもろもろを思ったらかなり不安……いや、怖いものがある。
英司の顔色を察し、直樹はふっとため息をついた。
「いくら俺でもそのくらいの常識はあるさ。こんなことに自分の開発した魔法薬を投入したりはしない」
コトンと鞄から彼は瓶を取り出した。
「ちゃんとしかるべき業者から取り寄せた市販品だ。あとで職員室に持っていってくれ、英司」
「はい」
英司は、ほっとした表情でうなずく。
「そうだ、これもついでに角田先生に渡しておいてくれないか」
別に小さな紙袋を渡され、英司は首をかしげた。
「これはなんですか」
「角田先生に頼まれた魔法薬だ。渡せばわかる」
直樹はそれだけ言うと自分の席に着き、小型PCを前になにやら打ち始める。
英司は肩をすくめると掃除用具を片付け、瓶と紙袋を持って職員室へと向かっていった。
一般生徒の登校時間になった。
門の前に黒塗り高級車がすっと入ってくる。
「帝様だわ」
「伊集院家の車だぞ」
生徒たちはあわてて車道から脇の歩道へと移動し、道を開ける。
皆の視線を受けながら車はスピードを落とし、ゆっくりと校舎の方に向かっていった。
運転手が扉を開けると、磨き上げられた靴のつま先がすたっと地面にそろう。
いつもより十倍は不機嫌そうな顔をした生徒会長 伊集院帝が鞄を片手に颯爽と降り立った。
「帝様、いってらっしゃいませ」
運転手に頭を下げられ、帝は返事もせずにさっさと歩き出す。
「帝様、お早うございます」
「お早うございます、会長」
すれ違う生徒達が緊張の面持ちで挨拶をしてくる。
それをすべて無視し、彼は自分の教室まで直行した。
席にドサッと鞄を置くと、彼は目を光らせて窓の外を見る。
2年生の教室は3階。
門から校舎へと伸びるレンガの歩道を同じく憂鬱そうな顔で歩いてくる少女を見つけ、彼は眉根を寄せた。
不機嫌さが更に増し、彼は目をそらして席に戻る。
心穏やかでない彼からは凄まじき負のオーラが漂っていて、クラスメイトの誰もが声一つかけれないほどだった。
(あーあ、また学校かあ)
茉理は汗をぬぐいながらため息をついた。
金曜日に帝とけんかして、そのまま週末を迎え、彼女の心はいっそう重かった。
ただでさえ勘弁して欲しいくらいの暑さなのに、更にうっとおしい問題まで重なってもううんざりだ。
(廊下とかで会っちゃったらどうしようかな。わたしは、まだ怒ってるんですからね)
あやまってくるまで口利いてやんない。
茉理はそう心に決めてはいたが、それで本当に良いのかどうか迷ってもいた。
そうやって意地を張っても、あの帝には果たして通用するのかどうか。
(問題をこじらせて何の解決にもならない気がする。でも、そうよね。あんなこと言っちゃったし、もう、わたしとつきあう気なんて失せたはずよね)
それならそれで、もういいや。
茉理は無理矢理そう思うことにした。
校庭に入ると、どこからか涼しげな水の音がする。
茉理が目を凝らすと、体育館の横に大きなコンクリートのプールが出現していた。
(うっそおっ、あれって金曜日にはなかったわよね)
一体何時の間に、あんなのを作ったのか。
首をかしげる茉理の背後から、甘い香りが漂ってきた。
「お早う、茉理姫」
さわやかな笑顔を見せて、山下英司が挨拶してくる。
いつもと変わらぬ庶民派姿だが、どうにも違和感があった。
(茉理姫?)
彼は彼女の事を絶対にそう呼ばない。そう呼んでくるのは一人だけだ。
「今日もキュートな君と会えて、僕は最高にラッキーだよ」
「……それはどうも。おはようございます、雅人先輩」
はああっと茉理は大きなため息をついた。
(例の魔法薬効果の為ね)
あまりにも大仰な仕草と芝居がかった口調がうっとおしいと、以前直樹が開発したスプレーを雅人にぶっかけて、彼に特殊効果を付与してしまう事件があった。
いまだにその効果は健在で、彼は女子から悲鳴を上げられるとキンキラキンの蛙に変化してしまうという極めて面倒な体質になってしまったのだ。
しかし雅人は変身魔法のスペシャリストとして、この状況をむしろ面白がっているに違いないと茉理は確信している。
常に往来を歩く時は別な生徒の姿になり、女子からの応援&歓喜の悲鳴を浴びることを上手く回避していた。
そんな面倒な彼に朝一番に声をかけられ、茉理はまた不要な会話を聞く羽目になりそうだと顔が強張る。
「どうしたの? 浮かない顔だね。さては王様と痴話げんかでもしたのかな」
「ちょっ、痴話げんかなんてしてませんっ。変な言い方やめてください」
顔を真っ赤にして抗議する茉理に、雅人は微笑むと白い薔薇の花を差し出す。
「はい、これ。僕からのプレゼント」
「どうも」
茉理は拒む理由もないので、花を受け取った。
「香りを楽しんでご覧。少しは落ち着くから」
茉理は首をかしげながらも、そっと花の香りを吸い込んでみる。
えもいわれぬ清清しい香りが、彼女の体中に満ちた。
(本当だ……なんかすごく落ち着くんですけど)
先ほどまでのいらいらしていた気分が、何故かすうっと醒めていく。
彼女の表情が和らいだのを見て、雅人はにっこり笑みを浮かべた。
「それは高ぶった精神を鎮める効果があるんだ。アロマテラピーって知ってる?」
「はい、最近よく聞きますよね」
「古代から香りは常に重要視されてきたものだ。高貴なる人々はいつも最上の香りを身に付け、または教養の一つとして楽しんできた。それはもちろん身だしなみやエチケットの一つであったのだけど――時には魔よけや不可思議な力を持つ素材として用いられてもいたんだよ」
「はあ」
「僕は常に高貴なる香りで、すべての悩める少女を包み、その心を癒してあげたいと願っている。この薔薇は、そんな僕の熱い思いによって咲き誇った一輪。悩める乙女――王の寵愛を受けし姫君の心の憂いに捧げられるとは、なんと光栄なことだろうか!」
(悩める乙女って誰のことよ)
憮然としながら茉理は思った。
いつのもことだが彼の芝居がかった口調に付き合うと、あきれたを通り越し、もうどうでもいい、という気分になる。
「あの、それより雅人先輩、聞いていいですか」
茉理は、出来るだけ現実世界に彼を引き戻そうと試みた。
「おおっ、姫よ。どうぞお尋ねを。君にこの僕が教えられることがあるとは、なんという幸運か」
「あそこにあるのってプールですよね。一体いつ出来たんですか」
「あれかい? あれこそは夏という燃える季節に欠かせない我が学園の特設プールさ。普段は魔法で縮小させて倉庫に保管してあるんだけど――聞いて驚くことなかれ、ベルサイユ宮殿の庭園に造られた優美な噴水をモデルにして製作され、あのプールにも噴水機能がついている。しかも美を代表するヴィーナスと、愛を表すキューピットの石像が四隅に置かれ、水と戯れる少年と少女たちを見守ってくれることだろう」
「学校のプールに噴水なんているんですか」
泳ぎにくいだけじゃないかしら、と茉理は肩を落とす。
聞きたいことは聞けたけど、余計なことまで知ってしまった――そんな感じだ。
「ただ単にデザインはあのプールを設計させた理事の趣味だ。噴水は別に授業では噴出すことはないから支障はないよ。安心してくれ」
暑さをもろともしない冷静な声が、二人の間に入ってくる。
茉理は、もう一人出たわと思い、内心のため息を隠して頭を下げた。
「お早うございます、森崎先輩」
「ああ、お早う。今日からプール開きだな」
「そうですね。あの」
「あのプールが突然出現したわけかい? 理事の一人に、そういうことにこだわる人がいてね。大抵の学校はプールは夏だけだから、秋・冬は水も抜いてからのまま、外に放置されているだろう」
「普通、そうですよね」
「でもそんなからっぽの大穴が、校庭の隅とはいえ鎮座しているのは見栄えが悪いとかで、夏の間だけ出せるようにと造ったプールに魔法効果を加えたんだ」
「そうなんですか」
「いよいよプール開きとなる前日に、あのプールは設置されることになっている。我が校が魔法使いの学園だからこそ出来ることだけどね」
(そうよね。普通、コンクリで出来たプールが倉庫になんて収まらないでしょうし)
ビニールプールじゃあるまいし、流石は魔法使いの学校だわ、と茉理は妙に感心する。
(もうなんでもありよね)
「それじゃあ、わたし、一時間目、プールなんで失礼します」
プールにちらりと目をやると、彼女は二人の先輩に一礼し、教室に向かっていった。




