終章
7月が、暑さを振りまきながら過ぎようとしていた。
生徒会室は午後の日差しの洗礼を受けて、今日も気温は熱帯気候のようである。
「あちーっ」
「まったくだらしがないねえ、英司君。こんな暑さにやられるなんて、君はもっと鍛えてあげないといけないな。そうだ、今度僕の魔法で君を炎の輪くぐりスペシャル修行7日間の旅へご招待してあげるよ。嬉しいだろう」
「ちっとも嬉しくありませんっ。それに先輩の炎なんて、俺の風で消させてもらいますからね」
「それは無理だろう、英司」
英司の背後で、黒眼鏡がきらりと光った。
「風と炎は互いに相性が良すぎる系統だ。炎の魔術に風の魔術を加えれば、更なるパワーアップを図れるが、魔法を抑えることは出来ない。炎を消すことが出来るのは水系統の魔法がベストだな。そんな小学生でもわかりそうな問題に引っかかるとはなさけないぞ、英司」
「うっ……」
決まり悪そうに英司はもじもじする。
「感情にはしって勢いで答えるなよ。だからお前は、雅人にいつまでも子ども扱いされるんだ」
「もう、直樹先輩まで」
はあっと大きなため息をつく後輩を見て、先輩二人はにやっと笑った。
「今年の夏休みは俺が鍛えてやろう。風だけではなく、お前には水系統の魔法を習得してもらう」
「火の輪くぐりスペシャル修行コース決定だね、英司君」
僕も喜んで協力させてもらうからねーっと薔薇の花を片手にポーズを決められ、英司は叫ぶ。
「えええーっ、そんなあ。どうして水の魔法修行で、火の輪なんてくぐらないといけないんです?」
「それは雅人の炎を抑えて脱出するには、水魔術を駆使しないといけないからだ」
「そうだよ、英司君。見事、直樹師匠の特訓に耐えて、この僕を打ち負かしておくれ。ああっ、今年の夏は燃えるなあ。最愛の君が僕を目指してやってくる。歓迎するよ。さあ、いつでも僕に挑戦してくれたまえ。この両手は君のために、いつも広げておくからね」
大仰な雅人の身振りに、英司はげっそりして円卓に身を突っ伏した。
「あーあ、さっき終業式が終わって、これから夏休みだっていうのに……超嫌な予定が入るなんて、俺って最悪」
「あきらめろ。今年の夏は、お前を鍛えることに俺達は決めた」
「勝手に決めないでくださいよーっ、こっちの気も知らないで」
「駄目駄目、君はのんびりやでおまぬけさんな所があるから、ほっとくと遊び呆けてしまうだろう。 貴重な青春の1ページを燃え上がらせないと、あっという間に過ぎてしまうよ。僕達が協力してあげるから、君は今年の夏、燃えて燃えて完全燃焼するんだ」
「燃えるなんて言葉を雅人先輩が言わないでください。本当に燃やされそうで、怖くて何も出来ません」
英司はやけっぱちに叫ぶと、また机に突っ伏し、これからの夏休みを思って深いため息をついた。
せみの声が、部屋の中まで心地よく響いてくる。
『帝……来てくれたのね』
『姉さん』
ロッジの居間で、彼は口調を和らげる。
ずっと一人だったけど、これからは肉親がいるのだ。
『何か不自由はないですか』
『いいえ、とても快適よ。貴方はどうなの? 今日、学校は終わって、これから夏休みになるんでしょ?』
優しく微笑む姉に、帝はうなずいた。
『はい。でもいろいろと忙しくなりそうです。伊集院グループが夏にいくつか事業企画を立ててますから、そちらの方に参加しないといけません』
『そう、大変ね』
少し寂しげに首を傾ける姉に、帝は後ろに立つ人物を紹介する。
『彼は、吾妻翔。伊集院グループ系列の大手スーパー営業部に勤務していた者です』
『吾妻翔さん?』
不思議そうに姫乃は彼を見た。
どことなく物腰が柔らかい青年が、生真面目に頭を下げる。
『吾妻翔です。伊集院姫乃様、お会い出来て、とても嬉しいです』
思念を送られ、姫乃の顔が少し安堵した。
『思念会話が出来るんですね。それではわたしともお話出来ますね。良かった』
『はい、これから姫乃様のお側に仕えさせていただきます』
『え?』
驚く姫乃に、帝はうなずいた。
『彼は高学歴の優秀な男で、魔術の才もすぐれた資質を持っています。我がクリスティ一族の誇るエリート魔術師の一人です。これから来年の春まで、彼に姉さんの家庭教師を依頼しました』
『家庭教師なの?』
不思議がる姫乃に、帝は笑んで続ける。
『春には姉さんもクリスティ学園高等部に入学していただきます。それまで必要な勉強や魔術のこと、日常のことを翔に教えてもらってください』
『学校……帝、わたし、学校に行けるの?』
姫乃の瞳が熱く揺れる。
『嬉しい。本で読んだことがあるけど、わたしのあこがれだったわ。学校にはわたしと同じ歳の子がたくさんいて、お友達が出来るんでしょう? 嬉しい――本当に嬉しいわ』
弾む姉の声を思念で受けながら、帝は心から嬉しくなる。
『それまでは、ここで翔とがんばってください』
『わかった。帝、ありがとう』
がんばるわ、と綺麗な笑顔を向け、姫乃は目を輝かせた。
『また来ます、今日はこれで』
帝は立ち上がると、側の青年に一瞬鋭い視線を向ける。
「翔、姉さんを頼むぞ」
「はい、帝様」
二人は、姫乃にはわからないように目線だけで互いの真意を確認した。
ここは今のところ、大和に突き止められていないが、いつ彼が来るとも限らない。
いつも自分が側にいることは出来ないし、早急に姫乃の側に誰かボディガードをつける必要ありとして、帝は翔を選抜したのだ。
彼は大和に対抗できる数少ない魔術師の一人として、雅人と直樹が推薦してきた男だった。
帝自身も個人的によく知っていて、信頼している人物である。
(姉さんには幸せになってもらいたい)
帝は、心のうちでそう思った。
自分はクリスティ一族の固い掟と宿命を背負って、これからも生きなければならない。
でも姫乃には、そんな世界で生きて欲しくはなかった。
(俺の分まで自由に生きて欲しい、姉さん)
そのためにはどんな努力も惜しむまいと心に決めて、帝はロッジを後にした。
電車から降りて家に向かって歩きながら、茉理は背中を伝う熱気と汗に辟易していた。
(はああっ、熱いなあ、ほんと)
いつもは帝が一緒で送ってくれるのだが、今日は用事があるとかで茉理一人で帰宅である。
暑さはひどいが、心は軽い。
今日は終業式だったので、早く家に戻れるのだ。
明日からは待望の夏休み。
(楽しみだなあ。明日から学校、行かなくてもいいもんね)
茉理の心ははしゃいでいた。
思えば一学期は、本当にいろんな事件の連続だった。
過ぎてみれば、まあ、楽しかったかな、とも思うが、当時はそれどころじゃなかったのだ。
鞄を提げてよたよた歩き、道を曲がって小さな車道に出る。
一本車線で住宅地の中を走る小さな道には通行人は誰もいず、うだるような熱気だけが篭っていた。
(え?)
茉理は目を瞬かせ、顔をあげた。
俯いて歩いていた自分の前に、突然黒い人影が現れたのだ。
蜃気楼のように熱気が揺らめく中に現れた人物は、このクソ暑い季節にも関わらず、黒いマントをはおり、黒いスーツに身を固めていた。
長身、細身の男で、その顔は血の気が失せた幽霊のように青白く、青紫の輝きを帯びた瞳は憎しみに彩られ、茉理をじとっと睨んでいる。
その凍りつくような視線に合い、彼女は暑さも忘れて背筋が薄ら寒くなった。
顔には何の表情もない人形のような面に睨まれ、恐怖を感じない人間がいようか。
震える彼女を一瞥し、男は冷たい声で言った。
「あなたが後野茉理ですね」
「……」
「わたしの帝様をたぶらかし、一族を破滅に追いやる巫女よ! 今日はご挨拶に参りました」
(な、なんですって)
茉理は男の言葉に驚く。
(わたしがクリスティ一族を破滅に追いやるってどういうことよ)
「帝様は貴方とお付き合いしてから、お変わりになりました。帝王のごとき威厳を備えたわたしの帝様が、こんな小娘に誘惑され、惑わされてしまっている。あなたはいずれ我が主の力となる存在。それだけの存在価値しかないというのに。己が分をわきまえないとは、なんと嘆かわしいことよ」
「あの、貴方は誰? 何故、わたしにそんなことを言うの?」
茉理は心の恐怖を押し殺し、勇気を出して問う。
「わたし、別に帝先輩をたぶらかしてるとか、そういうの全然ないんですけど。変ないいがかりはやめてください。帝先輩が一族の掟に従って、わたしの横にいるだけです」
話しながら、茉理の中にふつふつと何かが燃え上がった。
(何よ、この人。誰だか知らないけど、こんな人に何か文句を言われる筋合いはないわ)
彼女は、胸にうちに燃え滾る思いを瞳に宿し、彼をじっと睨みつける。
彼女の凝視に合い、堪えきれずに男は目をそらした。
「巫女よ。姿は変われど、その力は変わらぬか。まあ、良い。いずれその力、我が主に捧げてもらう。お前は我らの貴重な力の供給者。それだけの存在なのだ。覚えておくが良い」
「なんですって」
「今後、帝様の前では態度は慎むように。帝様が必要とされているのはお前ではなく、お前の中の力だということを肝に銘じておくのだな。わたしはクリスティ家総帥の影として、一族のために生きる魔術師<大和>。覚えておくがいい。また会おう、巫女よ」
(大和ですって! この男が)
茉理は、男の名乗った名に臓が跳ね上がった。
(こいつが帝先輩を苦しめ、姫乃さんを監禁させた張本人ってわけ?)
「ちょっと待ちなさいっ」
一言二言、言ってやろうと思ったが、そのときにはもう大和の姿は往来からかき消えていた。
あたりにはまた元の熱気が立ち込める。
でもその暑さも、茉理の心に吹き込んだ冷たい一筋の風を消すことは出来なかった。
(何なの、あの人……)
言い知れようのない不安が、茉理の心を締め付ける。
鞄を胸に抱えながら、少女はしばらく道の真ん中で動けずに立ち尽くしていた。
暑い夏が、始まろうとしている。
今年の夏休みも、楽しい計画がいろいろあった。
そんな中に静かに忍び寄る影が、今後彼女にいかなる試練をもたらすのだろうか。
(でも……負けないわ。大和さん)
茉理は唇を噛み締め、心の中で決意する。
(あなたがどんな邪魔してこようが、絶対に負けないんだから。見てなさい、帝先輩たちとは何があろうと縁を切る気はないからね。雅人先輩とも約束したわ。絶対に忘れないって)
そうだ、何におびえることがあろう。
自分の心を縛り、道をふさぐことは、どこの誰にも出来ないのだ。
茉理はこぶしを握り締めると、鞄を持ち直し、決意も新たに家へと向かっていった。
<終わり>
こんにちは。月森琴美です。
いつも私の物語にお付き合い下さり、ありがとうございます。
<私立クリスティ学園 魔法使いの生徒会編>第三巻 黒翼のプール開き これにて完結です。
最後までお読み下さり、本当にありがとうございました。
また次の四巻でお会い出来ますように。
これからもよろしくお願いします。




