22
思ったより時の流れは速いもので、茉理が次に気がついたのは日付が変わってからだった。
ずっと眠り続けていた彼女が再び目を開けた時、横には見知った先輩の姿があった。
「……雅人先輩?」
「お早う、姫」
よく眠れたかな、と雅人はいつもと変わらぬ貴公子のスマイルで声をかける。
茉理はゆっくりと身を起こした。
自分の家の自室ではない。
最初に気づいた時と同じ部屋だ。
「あの、ここって」
「ここは遠野家だよ。斎の家なんだ」
「ええっ、遠野君の家なんですか」
茉理は驚く。
どうやって自分は斎の家に来たのだろう。
「あの、遠野君は?」
「彼は学校さ。まだ午前中だよ」
「え……そうなんですか」
茉理は窓の外が明るいのを見て、時間が思ったより早く過ぎた事に驚いた。
「てことは、どうして雅人先輩がここに? 学校はどうしたんですか」
「ああ。王様命令で、僕が姫の護衛をおおせつかったんだ」
パチンと片目をつぶられて、茉理は顔が赤らむ。
(つまり帝先輩が雅人先輩に、わたしの側についててくれるように頼んでくれたってわけか)
「あの、どうもすみませんでした」
学校さぼらせちゃって、とつぶやくと、雅人はおどけた口調で答えた。
「退屈な授業より、姫のお側にいるほうが光栄だよ。さあ姫、少し元気が出たら、外の空気を楽しみに出かけないか」
「……そうですね」
「その前に、姫には何か食べさせてあげないといけませんよ、雅人君」
くすくす控えめに笑う女性の声に、茉理と雅人は視線をそちらに向ける。
部屋のドアを開けて、小柄で物静かそうな女性が立っていた。
「静叔母さん」
「え?」
目を瞬かせる茉理に、女性はベッドの側まで来て、軽く礼をする。
「初めまして、後野茉理さん。遠野斎の母です。いつも斎がお世話になってます」
「あ、初めまして」
茉理はあわててぺこりと頭を下げた。
「彼女は遠野静さん。僕と帝の叔母さんさ」
茉理は目を丸くする。
(この人が遠野君の……)
以前奈々から聞いた情報が頭を駆け巡る。
確か斎が透明人間なのは、お母さんの胎内が呪われてしまったからだ。
しかし目の前の女性はいたって普通で、とても呪いに犯されているようには見えない。
「僕の母が長女、帝の父がその次で長男、最後がこの静叔母さん――だから僕と帝と斎は従兄弟ってわけ」
雅人の説明を受けて、静はにっこり微笑んだ。
「よろしくね。後野さんのことは、斎からよく聞いてますよ」
茉理はちょっと顔が赤くなる。
「斎が心配していたわ。雅人君が貴方を連れてきたときは、本当にぐったりしていたから。よかったらあとで斎に思念を送ってあげてちょうだいな。喜ぶと思うわ」
「はい、そうします」
茉理はうなずいた。
「じゃあ今、何か軽く持ってくるから待っててね。雅人君、彼女を動かしちゃ駄目よ。2日間絶食状態だったんですからね」
微笑んで静が出て行ったあと、茉理ははっとする。
(2日間って……)
彼女のもの問うようなまなざしに、雅人は苦笑した。
「君はあれからずうっと眠り続けていたんだ。ああ、家には僕がちゃあんと夜に戻って、代わりを務めておいたから大丈夫。怪しまれてないと思うよ」
(うっ、てことは部屋の中で、あの格好してたってことなのよね)
茉理は以前、雅人が自分に変身して来ていたネグリジェを思い出し、頭が痛くなった。
「いろいろ話をしたいだろう。でもちょっと待つんだ。叔母さんの言うように、まずは食べて力をつけないと。あとで僕が君を外に連れていってあげるよ。話はそこでしよう」
雅人はそう言って、茉理に温かい眼差しを向けた。
静が用意してくれた軽食を取り、茉理は十分に力がついた。
「じゃ、行こうか」
雅人は茉理の手を取ると、すっと瞬間移動する。
目の前が一瞬真っ白になり、着いたところは――。
「あの、ここって森の中ですか」
「ああ、XX県のXX山。ここは格好の別荘地でね」
雅人は、すぐ目の前に見えている山小屋風ロッジを指差した。
「ほら、あそこ。君の会いたいお友達がいるよ」
テラスにある揺り椅子に、黒髪の少女が座っていた。
穏やかな木漏れ日を受けて、その頬はつやめいてみえる。
「本当に白雪姫のように綺麗な人だよね。姫乃さんは」
しみじみと雅人が言った。
「姫乃さんっ」
茉理は、小走りに彼女の元に駆け寄る。
ロッジに入り、階段を上って二階テラスに駆け込むと、彼女はびっくりしている姫乃の前に膝をついた。
『姫乃さん、良かったあ』
『その声は、茉理ね』
姫乃の顔に、喜びの表情が浮かぶ。
『会いたかったわ。貴方のおかげで、わたしは自由になれた。こうしてお日様を見ることも、本物の星を仰ぐことも出来る。ありがとう、茉理』
『ほんとにほんとに良かった、姫乃さん』
『ずっとあきらめていたのに、こうして外に出れるなんて夢のようだわ。あなたがわたしにかけられてた呪いを解いてくれたんだって、帝から聞いたわ。すごいわね、茉理は』
綺麗な笑顔を向けられ、茉理は赤くなった。
『違います。わたしがしたんじゃなくて、帝先輩と雅人先輩と森崎先輩ががんばってくれたから』
『あなたはわたしの弟――帝の恋人なんですってね。将来は義理の妹になるのかしら。貴方だったら、わたし、嬉しいわ』
『ええっ。そ、そんな、先のことなんて……』
茉理はうろたえ、はっとした。
『あの、姫乃さん、弟って』
『帝はわたしの弟だったの。家族がいるなんて、とても嬉しいわ。わたしは一人ぼっちだと思っていたから』
しんみりとした声が、茉理の頭に響く。
『わたしはクリスティ家を継ぐ帝の重荷にならないように、外の人と接しないよう監禁されてしまったそうよ。そう帝が教えてくれた。わたしにあやまってくれたわ。今までずっと辛い思いをさせてすまないって』
『――帝先輩が?』
茉理は意外そうな顔をしたが、すぐに思い直した。
(そうよね、帝先輩は本当はとても繊細で優しい人なんだっけ)
普段の人を上から見下ろすような態度では、とてもそうとは思えないけど。
くすっと笑うと、茉理は姫乃の両手をぎゅっと握った。
『あのね、姫乃さん、一つだけ約束してくれませんか』
『何を?』
『もう二度と誰かのために死ぬなんて考えはやめてください。お願いです』
『茉理』
『これまでずっと姫乃さんは、誰かのために自分を殺して生きてきました。これからはもうそんなことしなくていいんです。自由に、姫乃さんのしたいように生きてください。たくさん笑って、楽しいこといっぱいして、笑顔でいてくださいね』
茉理は俯いて、ぼそっとつぶやく。
「あんな悲しいのは、もうごめんです」
『茉理』
姫乃は、茉理の顔をあげさせて笑った。
『ありがとう。約束するわ。もうそんなことはしない』
『本当ですか』
『あなたが見せてくれた新しい世界を、わたしは一生懸命生きるわ。心配しないで』
姫乃の両手が、茉理の手を強く握り返す。
茉理はまた俯くと、嬉しくて零れる涙を隠した。
さくさくさく……。
森の中を雅人と並んで歩きながら、茉理はいろんなことを思い出していた。
カラスになってしまったこと、姫乃と出会ったときのこと、帝とのキス、それから――。
少し開けた場所に出ると、雅人は茉理に切り株を示した。
彼女は、おとなしく切り株に座る。
もう一つ座りやすそうな切り株に腰を下ろして、雅人はにっこり茉理を見た。
「どこから話そうかな」
いつもの芝居口調ではない彼に、茉理もつい真剣になる。
「まずは君が気を失ったときのことから話そうか。姫乃さんが自殺しかけたとき、君の体からまた不思議な力が発生し、すべての魔法効果を打ち消したんだ。かけられていた部屋への封印も起爆魔法も、姫乃さんに使われていた催眠魔法も、すべてを君が無効化してしまった。君のおかげで姫乃さんの部屋の扉は開き、僕達は彼女を助け出した。一族の闇の一つを、君のおかげで消すことが出来た。本当に感謝しているよ」
「そんな、わたしは何もしてません」
俯き、もごもごつぶやく茉理に、雅人は微笑んだ。
「それから気を失った君を、僕は斎の家に運んだ。本邸はこの発見で騒がしくなることは目に見えてたし、遠野家の方が静かに休めると思ったんだ。叔母さんに君をまかせ、姫乃さんを帝所有のロッジに移動させて保護し、僕たちはすぐさま飛んできた大和と対峙したんだ」
「大和ってどんな人なんですか」
茉理は問うた。
気になってしかたがない。
帝を、雅人を、直樹を――おそらくはクリスティ家すべてを握っていると思われる謎の魔術師。
「大和はね、現クリスティ総帥たる伊集院雷導様の影とも言われてる男なんだ。魔術の腕も、クリスティ一族の中ではピカ一さ。実は僕と帝は彼の教え子でね。二人ともあの大和から魔術を習った。彼は雷導様が選んだ帝の教育係であり、幼い帝に王者たるべき者の心得をみっちりと教育してくれちゃったよ。もちろんかなりのスパルタでね」
「……」
話を聞きながら、茉理は以前、斎が言っていたことを思い出した。
『 帝先輩は、本家に生まれただろ? 小さい頃から、そういう弱そうに見える態度って、すごく否定されてきたんだ。こう何でも上から見下ろさないといけないような、おかしな帝王学もどきを仕込まれちゃってね』
では帝の二重人格の根源は、その大和という魔術師なのか。
茉理は無性に腹が立った。
(その大和って人、許せないわ。帝先輩の人格を破壊しちゃって、今でも先輩は二つの心を抱えて苦しんでる。姫乃さんだってあんな目にあわせて……どうかしてるわ)
彼女の顔色をみて、雅人の目元がふっと和らぐ。
「優しいね、姫は」
「え?」
「今もそうやって、自分のことじゃないのに怒りを燃やしている。君は本当にいい子だよ」
彼はふわっと自分の手を彼女の頭に乗せた。
「姫に頼みがあるんだけど、聞いてくれるかな」
「なんですか」
「帝を見捨てないでやって欲しいんだ」
「帝先輩をですか」
茉理は首をかしげる。
「帝と君の交際期間は一年。そう決まっている。帝が君を選ばない限り、君とは来年の春、別れることになる」
「そうですね」
「でもね、姫。たとえそうなったとしても、帝との絆を断たないで欲しいんだ、君には」
「そんなの、わたしには決められないことじゃないですか」
茉理は心が苛立ち、思わず声が大きくなった。
「どんなに別れたくなくても、帝先輩に振られちゃったら、わたしはもう側にいるわけにはいかないでしょ」
「そうだね、姫。でも恋人として側にいることだけが、帝との絆じゃないだろう?」
「え……」
「例えばそうだね。僕なんかの場合、クリスティ第二の分家の出なんだ。その僕は今、第二の分家の代表になっている。僕はあまりそういうのは柄じゃないんだけど、帝の力になれるなら――と思ってね」
「そうなんですか」
「いつか僕が解任される時が来るかもしれない。でもたとえ代表って肩書きが無くなっても、僕は帝の側にいるつもりだよ。従兄弟として、学校の先輩として、幼馴染として」
「……雅人先輩」
茉理は顔を上げて、雅人を見つめる。
彼が何を言いたいのか、なんとなくわかったのだ。
「本当は人と人との絆や縁に有効期限なんてないと思うんだ。その人を自分が記憶している限り――たとえ記憶が無くなってしまったとしても、心の奥にその人と過ごした時間がわずかでも残っている限り、それは続く。永遠にね」
「そうかもしれないですね」
「たとえ相手が君を捨ててしまっても、君を忘れてしまっても、君自身がまだその人への想いを持ち続ける限り、なんらかの形で絆はまだつながってる。それが恋人でなかったとしても」
「なんかむずかしいけど、なんとなくわかるかも」
小首をかしげながらつぶやく茉理に、雅人は満足そうに言った。
「それでいいよ、姫。僕だってまだまだ子どもの年齢だし、えらそうにこんなこと言えるほど人生生きてないしね。帝には君が必要だと僕は心から思っている。帝だけじゃない。僕も直樹も、英司も斎も君を必要とするだろう。だから例えどんな関係になったとしても、姫には帝のことを――僕達との関係を断ち切るなんて悲しい決断をして欲しくないんだ」
「わたし……」
茉理は考え込んだ。
雅人の言っている事は、かなり難しいことで、正直彼女にはうまく飲み込めなかった。
でも一つだけ、今言えることがある。
「あの、わたし、よくわからないんですけど、一つだけ思ってることがあるんです」
「なんだい?」
「絆とか関係とか、これから先のことなんて、どうなっちゃうかわからないから答えられません。でもこれだけは言えます。この先、どんな未来になったとしても、わたしは先輩たちのこと、絶対に忘れません。それだけは約束出来ます」
茉理の答えに、雅人は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ありがとう、姫。それでいいよ。僕は嬉しいね」
「こんなのでいいんですか、約束は」
戸惑う茉理に、雅人はああ、最高の答えだよ、とつぶやき、少女の髪を優しく撫でた。




