20
結界を守る要、12体の魔獣との戦闘は終わった。
廊下中央の壁にはめ込まれた大きなガラスの扉が、今、隠された姿を現した。
ガラス扉の前に、帝と雅人が立つ。
「どうやらこれが3つ目の障害だね」
薔薇の花を扉に向かってかざしながら雅人が言った。
「そうらしいな」
帝は扉をじっと見る。
茉理はラビを抱きかかえ、そろそろと魔方陣から出た。
直樹も寄ってきて、透明なガラス扉に触れる。
ガラスとはいえ、向こう側は少しぼやけて見えないようになっていた。
「高度な封印術だな。これはちょっとやそっとでは破れないぞ」
あちこち触れてみて、彼は顔をしかめた。
「まずいな」
「何がだ」
帝がぶっきらぼうに聞く。
「起爆魔法がかけられている。封印を破れば、ただちに爆発する。確実にこの邸が吹っ飛ぶな」
「何だと」
「おやおや、まるで僕達に挑戦状を突きつけているみたいだね」
雅人が渋い顔をした。
「どうぞ、封印を解くなら解いてみろ。そのかわりこの邸にいる人間全員の命と引きかえだ――まったくもって嫌なやり方だね。大和好みの」
「ちっ、あいつはいつもそうだ」
帝はさも嫌そうに顔をしかめる。
「どうする? 帝。いずれ僕達の力なら最上階の秘密を暴くことが出来ると、大和は承知してただろうさ。だからこんな起爆魔法入り封印を用意したんだろう。これ以上先に進めないようにするためのね」
「……」
「いかにこの封印を君が解くことが出来たとしても、邸すべてを吹っ飛ばす覚悟は出来ないからね。ここには他にもふっ飛ばしてはならない封印や魔法のかかった部屋がある。それらすべてを破壊してしまうことは出来ない」
苦渋の表情が帝に浮かぶ。
茉理は三人の動きが止まってしまったのを見て、声をあげた。
「どうしたの? 先に進めないの?」
「ちょっとやっかいでね。今日はここまでにしといた方が良いかもしれない」
直樹の言葉に、茉理は驚いた。
「どうして」
「この扉は、どうやら隠された部屋への入り口だ。しかし強固な封印術が施されている。帝の力なら無理矢理解除も可能だが、解除したと同時に起爆し、この邸すべてを吹っ飛ばす――無論、その秘密の空間ごとね」
「そんな……」
茉理の顔は真っ青になった。
「今日はここまでにして、何か対策を考えた方がいい。起爆魔法を解除しつつ、封印を解く方法を探らないと」
直樹の言葉に、二人はうなずいた。
「そうだね。強行突破は無理だ」
「一旦、体制を整えよう。特別書庫に行って、何か手はないか調べてみたほうがいい」
すっかり後退ぎみになった3人に、茉理は必死に訴える。
「大丈夫なんでしょ。方法さえ見つかれば、姫乃さんを開放してくれるんでしょ」
「……」
無言になった3人の表情に、茉理の心が不安になった。
「ねえっ、帝先輩」
「わかってる。なんとかしてやるから、そう急くな」
ぶっきらぼうに返事を返す帝に、茉理はしがみつく。
「なんとかしてやる、じゃなくて、ちゃんと姫乃さんを開放して外に出してあげるって約束して。お願い」
「それは」
「ねえ、出来るでしょ。帝先輩はクリスティの跡取りなんでしょ? 貴方の言葉なら皆が従うんでしょ? その<大和>って魔術師も」
帝は大きなため息をついた。
「茉理姫」
雅人が悲しそうに微笑む。
「そんなに帝をいじめないでくれないか。僕達も出来るだけのことはする。でもね、まだまだ僕達は単なる中学生にすぎないんだ。出来ることには限りがある」
「どういう意味よ」
茉理は声を荒げた。
「普段から粋がってるくせに、いざとなったら出来ないですって。冗談じゃないわ。いつもの態度はどうしたのよ。王様なんて言われてちやほやされてるくせに、これはどういうことなのよ」
「うるさい」
帝は思いっきり怒鳴った。
「これ以上、何か一言でも言ってみろ。二度と口が利けないようにしてやる」
「まあまあ、帝、落ち着いて」
雅人は、肩を怒らせて怒鳴る帝を静かになだめる。
「姫がおびえてしまってるよ。ほら、君の怒りをまともに受けて震えない者なんていないんだから」
見ると、茉理は先ほどの啖呵はどこへやら、足元が震えて立っているのもやっとだった。
以前はよくこんな怒りを受けていたから、そこまで気にしなかったものだが、今は彼の怒りに触れると、とても悲しくなってしまう。
そう、ただ単に理不尽に怒られただけではないことが、痛いほど少女の心に伝わってきたのだ。
(帝先輩、辛そうだわ。あの<大和>って魔術師が、帝先輩を縛っているの?)
何故かそう思った。
<大和>という魔術師が、帝だけではなく雅人にも直樹にも何かをためらわせ、躊躇させていることがわかる。
(一体どんな人なの?)
茉理は真剣に<大和>のことを知りたくなった。
それと同時に、さっき怒ってしまった自分に、とても腹が立った。
(わたしって我が侭ばっかり言ってるみたい……帝先輩たちは、こんなにがんばってくれてるのに)
結局、自分には何も出来ていない。
姫乃を助けることだって、元々自分が言い出したのだ。
でも封印を解くことも出来ず、魔獣と戦って倒すことも出来ず。
自分は何一つしてはいないのに、むずかしいとためらう彼らを怒鳴る資格などありはしないのに。
おそらくここを暴くことで、帝たちは辛い思いを味わうことになるのだろう。
その<大和>とかいう魔術師の意に逆らうのだから。
それがとても辛くて苦しいことなのに、茉理のために少しずつ挑戦しようとしてくれているのだ。
「ごめんなさい。わがまま言って」
茉理は素直に頭を下げた。
「先輩たちにお任せします。必ず姫乃さんを助けてあげてください」
彼女の言葉に、その場の空気が一気に和らぐ。
帝は茉理の側に寄ると、優しく引き寄せて抱きしめた。
「すまない。突然怒鳴ったりして」
「帝先輩」
「今すぐには出来なくても、ちゃんと何らかの形でケリをつけてやる。お前の親友も外に出れるように努力してみる。だから俺を信じて待っててくれ」
ぎゅっとまわされた腕に力がこもる。
茉理は彼の胸の中で、コクンとうなずいた。
『まつり……』
(え?)
茉理は突然頭の中に響いてきた声に、心臓が跳ね上がった。
『まつり、まつり……どこにいるの?』
(まさか、この声……姫乃さん!?)
「どうした、茉理」
突然、腕からすっと抜け出て、ガラス扉の前に立った茉理を、帝は怪訝そうに見た。
『まつり、まつり……聞こえるはずないわよね』
あきらめたような声が、彼女の脳裏に届く。
『もう何度も呼んだけど、やっぱりあなたには届かない。わたしのこと、忘れてしまっているわよね。きっとそう……』
「そんなことないですっ」
茉理は扉に向かって思いっきり叫んだ。
「おい、どうした」
「茉理姫、何か聞こえるの?」
「どうやら思念で会話してるようだな」
直樹の状況分析に、帝と雅人ははっと気づく。
「思念? てことは、その茉理の親友って女か」
「魔法が使えるんだったよね。口は利けないけど、思念会話は可能か」
二人は痛ましそうに茉理を見た。
ガラス一枚隔てた向こうに会いたい人がいる。
でもどんなに叫んでも、彼女の所に行くことは出来ないのだ。
「くそっ。なんとかしてやれないのか」
苛立つ帝の肩を、雅人がぎゅっとつかんだ。
首を横に振り、彼を静める。
『まつり? あなたの声が聞こえた! どこにいるの?』
姫乃の狂気のような声に、茉理はあわてて返事をした。
『ここです――って、あの、その、姫乃さんの部屋の前なんですけど』
『部屋の前ですって』
更に驚いた声がして、鏡の向こうにおぼろげな人影が写った。
帝と雅人、それに直樹は息を飲む。
鏡の向こう側に、少女の姿があった。
黒い髪、黒い瞳、白い肌の悲しげな表情を持つ人形のような少女が。
「なっ」
「なんてことだ」
「こんなときになんだが、本当に帝にそっくりだな」
直樹が少女の顔を見ながら、ぼそっとつぶやく。
『貴方が、茉理……なの?』
少女の唇がかすかに動く。
茉理は必死にうなずいた。
ガラス扉の向こう側とこちら側。
互いに手を伸ばして、ガラスに触れる。
二人の両手は扉の前で、ガラス越しにぴったりと合わさった。
『嘘みたい。本当に会いにきてくれたのね』
『はい、姫乃さん』
茉理は目頭が熱くなる。
『嬉しいわ。もう二度と貴方に会えないと思っていた。世界でたった一人のわたしを知ってるお友達――茉理』
綺麗な笑顔を見せ、姫乃は扉の向こう側で微笑む。
『待っててください。今は無理だけど、なんとかこの扉を壊して、貴方のところに行きますから』
茉理の言葉に、姫乃は顔を曇らせる。
『そんなことをしてはいけないわ、茉理。ここまででもう十分よ』
『そんな』
『何度も言ったはず。わたしはここを出てはいけないの。あの人が苦しむから』
『あの人が誰だが知らないけど、そんなの駄目です。誰も――世界中のどんな人だって、姫乃さんをここに監禁し、自由を、将来を奪う権利なんてありません』
茉理は叫んだ。
『あきらめないで。わたし、絶対にここから姫乃さんを助け出します』
『駄目よ、大和が黙っていないわ』
姫乃の思念は、その場にいた全員に届いていた。
大和の名が出たとたん、3人の少年は苦渋に顔をゆがめる。
『お願い、これ以上はもう……今までわたしが無理に呼んでしまった子たちのように、貴方も始末されてしまう。そんなのは辛いわ。お願いよ、茉理』
『でも、でもわたし、姫乃さんをこのままになんてしておけません。大和だかなんだか知りませんが、そんな人、怖くないです』
茉理の言葉に、姫乃の瞳が揺らいだ。
『大和が怖くないの? 茉理』
『はい。会ったら絶対一言でも二言でも文句言ってやるわっ。こんなひどいこと平気で出来る人に遠慮する必要ないもの』
「くっくっくっ……言うねえ、茉理姫」
背後で、雅人がくつくつと笑う。
「笑い事か」
直樹の呆れ顔に、雅人は笑いをかみ殺しながら答えた。
「やっぱりいいねえ、茉理姫は。僕が見込んだ少女だけあるよ」
「やれやれ、大和に啖呵を切れる奴がいるとは思えないが」
「どうだろう。姫ならばやりかねないよ。そのときが見物だね。ねえ、帝」
雅人はにやりと笑いながら、同意を求めるように帝を見る。
その表情はとても硬く、雅人の顔も瞬時に真剣になった。
食い入るように、帝はガラスの向こう側に現れた少女を見つめている。
自分でも思うが、本当にそっくりだ。
そしてそれだけではない何かが彼女にはあった。
(血が騒ぐとでも言うのか……彼女は俺の何だ!)
心が惹かれていく。
容姿ではなく、魔力ではなく、何かもっと近くて強い絆――。
姫乃は茉理の言葉に弱弱しく微笑むと、ふと視線をあげた。
茉理の背後に立つ人物に気が付き、姫乃の瞳が見開かれる。
『茉理! あの人は……』
「え?」
茉理は振り返り、じっと鋭い視線で姫乃を見つめる帝に気付き、答えた。
『えーと、伊集院帝先輩で、わたしの通っている学校の生徒会長で……姫乃さん?』
突然、顔色を変えた姫乃に、茉理は驚く。
帝を見つめる黒い瞳は、恐怖に大きく見開かれた。
『嫌っ、駄目……来ては駄目!』
「何?」
「どうした」
「姫乃さん?」
帝の凝視に会い、姫乃は一歩二歩、後ずさりする。
『駄目なの……あなただわ。あの人は貴方――貴方に会っては駄目!』
(何だと?)
帝の顔が驚愕に変わった。
姫乃の震える体、おびえた表情。
茉理も驚きで何も言えなくなる。
(まさか『あの人』って、帝先輩のこと!?)
『わたしは貴方に会ってはいけない。あなたを苦しめてしまう』
『おいっ』
帝はたまりかねて思念を送った。
『お前は何者だ。何故、俺を恐れる』
『駄目よ、貴方に会ってはいけない。貴方を悲しませてしまう。もし会ってしまったら……』
姫乃の顔が、辛そうに歪む。
『会ってしまったそのときには……わたしは』
「姫乃さんっ」
茉理はガラスの中の光景に絶叫して、彼女の名を呼んだ。
身を震わせ、後ずさりしていた少女は、その手にどこから出したのか鋭いナイフを持っていたのだ。
「おいっ、何する気だ」
やめろっ、と帝が叫ぶ。
悲しげに微笑むと、姫乃はナイフを喉元に当てた。
『そのときには速やかに自分自身を消すこと……貴方を苦しめてしまう前に』
『何を言ってる! 今すぐナイフをしまえ』
彼女が何をしようとしているのか悟り、帝はガラスを思いっきり拳で叩く。
しかし少女には届かない。
涙を流しながら、姫乃は茉理に言った。
『さようなら、茉理。わたしは逝かなくちゃ』
「そんな! 何考えてるんですか、姫乃さん」
茉理は必死に叫ぶ。
先ほど帝がやったように小さな拳で、彼女も扉をがんがん叩いた。
拳から血がにじみ出たが、それにもかまわず茉理はガラスを殴りつける。
「駄目です、駄目! どうしてそんなことしなくちゃいけないの。姫乃さんは死ななくていいんですよ」
『いいえ。わたしは私自身を消さないといけない。あの人に会ってしまった。わたしの存在はあの人を苦しめるわ』
「何言ってるんですか。あなたの何が帝先輩を苦しめるんですか」
茉理は、わけがわからず声をあげる。
「お願い、やめて」
胸の奥が熱くなった。
熱い想いが強い意志となり、力が体の奥から湧き出てくる。
(絶対に嫌! こんなの嫌だ)
茉理は強くそう思った。
姫乃は、ごめんね、と思念で送って寄越すと、ナイフをかまえる。
「駄目、やめて、姫乃さん」
どんなに叫んでも彼女には届かない。
このガラスが二人を隔ててしまう。
これさえなければ届くのに。
姫乃の元に駆け寄って、その手を取ってあげられるのに。
「駄目―っ!」
茉理は絶叫する。
次の瞬間。
それは、ほぼ同時の出来事だった。
姫乃がナイフを喉元にためらわず突き刺したのと、茉理の体中からまぶしいばかりの光があふれ出したのは――。
「なっ」
「くっ、なんだ、この光は」
「巫女の力――か」
一人だけ黒眼鏡をかけていた直樹が、静かにつぶやく。
帝と雅人は、辺り一体を包み込む暖かな白光に目を腕で覆った。
それはすべてを溶かし、すべてを開放し、すべてを無くす、無限の白き闇の力。
――茉理の魂に眠る神秘の力。
光は発生したときと同じく静かに収まった。
また元の廊下に静寂が戻る。
だがさっきと同じではなかった。
ガラス扉が消滅し、その先に封印されていた部屋への通路が姿を見せている。
「茉理!」
先ほどまで扉のあった場所の前に、茉理は意識を失って倒れていた。
帝と雅人が駆け寄って、少女を抱え起こす。
「大丈夫。気を失ってるだけだ」
雅人は茉理の手首に指を沿え、脈打ってるのを確認して笑んだ。
帝はほっとして、扉のあったその先を見た。
そこには細長い廊下が存在していた。
廊下の向こうには階段が見えている。
そして階段の前に、黒髪を乱した少女が茉理と同じように倒れていた。
帝は茉理を雅人にまかせ、黒髪の少女に歩み寄る。
直樹も側にやってきた。
白い細い体を抱えあげると、帝は先ほどナイフを刺したであろう喉元を見る。
でもそこには何の跡もなかった。
彼女の顔は相変わらず白いままだったが、どこか先ほどより安らかな表情に見える。
「聖魔巫女の力が彼女にかけられていた暗示を浄化したんだろう。魔法で出したナイフの傷も、この部屋の封印も、巫女が無効化させてしまった」
直樹はそう言って、階段の上を見た。
ここからではよく見えなかったが、部屋があるようだ。
帝は、痛ましげに姫乃の頬にかかる髪を指でどける。
その手が、ふと止まった。
ありえないものを見た。
帝の指先が震え、全身がわななく。
「どうした、帝」
彼の変化に気付き、直樹は声をかけた。
ついで彼もはっと目を見開く。
帝が見てしまったものに気付き、直樹も顔を苦しげにゆがめた。
(やはり……そうだったのか)
姫乃の額に輝く紋章が見えていた。
それは魔の力を先祖からすべて受け継いだ者の証であり、一族の直系である印。
彼女の額には、帝とまったく同じアルツール・クリスティから面々と直系のみが受け継がれてきた紋章が、くっきりと輝いていたのだ。




