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日本に存在する唯一の魔法学校、私立クリスティ学園。
幼稚部から大学まであるこの学校は、国内に現存する魔族の子息たちのための学び屋だ。
その中等部生徒会室では今日もいつもの生徒会メンバーが集い、放課後のひと時を生徒会活動に費やしている。
「暑いですねえ」
「ああ、本当に青春真っ盛り。燃えるようだね、英司君」
「お前のそのセリフ自体が暑苦しい。いっそ俺が飲めばたちまち体が凍りつく新型のジュースを」
「謹んで辞退するよ。味見役は英司君、君にまかせよう」
「いっ、いえっ、俺も遠慮させてもらいます」
「そうか。なかなかいけるんだがな」
あわてるように手を振る後輩を、黒眼鏡を光らせながら生徒会会計の3年D組森崎直樹は残念そうに見やった。
「それよりこの僕が、冷たいアイスティーを入れてあげるよ」
生徒会室のうだるような暑さに閉口しつつ、副会長の3年C組伊集院雅人は優雅に立ち上がる。
流石にこの暑さのため、いつも華麗さを自称する彼も少々気力が半減ぎみだ。
その後姿を見ながら、書記の2年B組山下英司はあーあ、と天井を仰ぐ。
「ねえ、帝。俺達、本当に魔法使いなんですかねえ」
「何だ、それは」
円卓の上座(というかそもそも円卓に上座はないのだが、入り口より一番奥の席が会長の定位置になっていた)で、一人汗もかかずに涼しい顔をしていた少年――生徒会長にして2年A組伊集院帝が険しい目を向ける。
「だって魔法使いだったら普通、このぐらいの暑さ、魔法でなんとかするじゃないですか。それなのに全員、暑さにやられてますよ。なんか普通の生徒みたい」
「しかたないだろう。少しは口を閉じてろ」
ぶっきらぼうに帝は答えると、手にしていた書類を置き、ため息をついた。
本来ならここクリスティ学園中等部特館にある生徒会室は空調設備も最新式で、当然エアコンも最新式のが備え付けてあり、真夏だろうと極寒に匹敵する零下だろうと一切関係なしの極楽スペースのはずだったのだが。
(すべての元凶は、やっぱ直樹先輩だよなあ)
英司は汗を袖でぬぐいながら、恨めしそうな目を黒眼鏡の先輩に向けた。
梅雨が明けてすぐの事、初夏とは言いがたい猛暑が数日続いた。
そのときには何事もなかったのだ。エアコンも特館どころか全校舎に設備されていて、廊下や倉庫にいたるまですべてが実に快適な温度だった。
しかし。
その数日後、校舎も特館も悪夢にさいなまされることになる。
生徒会会計 3年D組 森崎直樹。
彼はクリスティ学園の理事、伊集院家の遠縁であり、高名な魔術師クリスティ一族の誇る優秀な若手魔術師であり、無類の発明家でもあった。
いつも黒眼鏡で表情を隠し、その素顔を見た者は果たしているのかいないのか。
謎につつまれた彼だったが、その思考もかなり謎につつまれていた。
思いつく発明品――魔道具や魔法薬はなかなかの一品だが、時にはとんでもないものも出来たりする。
このうだるような猛暑に合い、直樹はまた新たな発明品を生み出した。
「名付けて『ペンギン気分を味わおう』スプレー。これを壁や天井に塗布すれば、たちまち凍って数週間は解けないぞ。床に撒けば氷の上でスケートも出来る」
使い方によっては、大変ありがたいしろものだったろう。
しかし試作品を校舎と特館、体育館など、とにかく中等部全域にわたって所かまわずふりまきまくったため、校舎内はパニックに陥った。
世界一を誇る空調設備とエアコン関係はすべて凍りつき、ショートして使い物にならなくなる。
更に水道管まで凍ったためにトイレの水も出なくなり、恐ろしいほどの異臭が校内に充満。
そして床が凍りついたことにより歩行が困難になり、滑りやすい廊下や階段に怪我人が続出した。
「真夏に氷の上で滑って、骨折しなければといけないとは悲しいものだね。ああっ、この学園を襲った悲劇の何と恐ろしきかな。人々は夏のバカンスを楽しもうとしているのに、僕たちは氷の牢獄に閉じ込められてしまった。果たして救いの手は差し伸べられるのか。雪の女王の誘惑から、凍える僕を救いだしてくれる少女は、いつ現れてくれるのだろう」
「無駄口を叩く暇があったら、魔術に集中しろ!」
帝は怒鳴りながら雅人を急かす。
結局スプレー効果はばっちりで中和剤も何も効かず、ついに炎の魔術を最大限に使って凍りついた校舎内を解かすという地道な作業が開始された。
炎の魔術に関しては、3年C組 生徒会副会長 伊集院雅人にまさる者はいない。
3日3晩、必死で魔力を注ぎ込み、なんとかすべての氷を溶かすことに成功した。
その後、洪水にでもあったかのような校舎を乾かしたりなんだり――一日がかりで全校生徒が掃除にあけくれ、校舎を元通りの授業が出来る状態にするのにほぼ一週間を費やしたのだった。
でも流石にエアコンやその他の設備の復旧には至らず、今年の夏は空調設備なしで過ごすことになってしまった。
「夏休みに業者が入って、すべての設備を最新式のものに取り替えるそうだ。良かったな」
「良くない。直樹、お前の発明品のすごさは認めるが、いつもいつもどうしてこう揉め事を起こすのだ。いい加減にしろ」
帝は青筋を立てて怒鳴ったが、本人は全然参っていなかった。
「やはり少々加減して使わないとな。次はどんな氷も溶かせる無制限に炎を生み出すバーナーにしよう。名付けて『いつでも完全燃焼ダーナー』」
「そんな物、作らんでいい」
帝のつるの一声で、その発明品は製作が中止された。
(また変なものを作られたら、余計なことになる)
誰もが帝と同様の意見だった。
「そういえば」
英司は雅人の入れた極上のアイスティーを飲み干しながら、夏らしい話題を口にする。
「来週、プール開きですね。水泳部が月曜日の朝、掃除と水入れをするとか言ってました」
「おおっ、ついに夏の楽しみがやってきたというわけか。今年こそ水着で美人コンテストを」
「するわけないでしょう、雅人先輩。いい加減にしてください」
「普通、そういうのは女子がやったら映えるだろうが、雅人、お前が提唱する『男子によるスクール水着の着こなしコンテスト! 誰が一番水着の似合う美少年か』というコンセプト企画は、すでに多数決で否決されてるだろうが。まだそんなたわごとを言ってるのか」
「自分が優勝すると思って、そういう企画を立てないでくださいっ。付き合いきれません」
大体男の上半身裸を競って、どうしようというんです、とあきれたように英司が目で睨んだ。
「英司君、わかってないね、君は。鍛えぬかれた男の肉体美、胸筋と腹筋と上腕二頭筋の美しさが」
「わかりたくもありません。俺は健全な中学生ですから」
先輩の危ない世界には引っ張り込まないでください、とぶつぶつつぶやく彼を、雅人はにっと笑って引き寄せた。
「別に僕が優勝なんて思ってないよ。強力なライバルがいっぱいいるしね、英司君」
「はああっ、何言ってるんですか」
「君の校内人気ランキングは上々だ。そんな君のひきしまった体は、あまたの校内に咲き誇るレディたちを魅了することだろう。どうだい? この夏を制する美少年として、君の清き一票をこの企画に」
「うっとおしいっ。暑苦しいっ。もう我慢の限界ですっ」
英司は叫ぶと、パチッと指を鳴らす。
「うわっ、待てっ。英司くーん……」
刹那の叫びを残し、雅人の姿は窓から大空に向かって突風と共に飛んでいった。
「ナイスだ、英司」
直樹が黒眼鏡を光らせ、にいっと笑う。
「すみません、帝、勝手に」
「いや、いい。どうせあいつはここにいても仕事の邪魔しかしないからな。お茶も出してあるし、もう用はない」
冷たい口調で帝は言ってのけ、また書類に集中した。
(あ、暑すぎる)
図書室の窓辺に面した一角で、1年A組 後野茉理はだらだら汗をかいていた。
広げていた本に、汗の雫がぽとりと落ちる。
『大丈夫? 今のとこ、わかった?』
横に座っている少年が、心配そうに声をかけた。
彼は生徒会臨時書記である1年E組 遠野斎。
この暑さなのに、彼だけは肌がとても白くて生気がなく、幽霊みたいな顔をしていた。
顔立ちだけを取ればかなりの美少年なのに、異常なまでの肌の透明感のせいで、なんだが気味が悪いほどだ。
(慣れればそうでもないんだけどね)
茉理は、ふうと息を吐くと、我慢できずに提案する。
「暑すぎる! 遠野君、休憩しよう」
『そのセリフ、15分前にも聞いたよ』
「真面目にやりたいんだけど、こうも暑くちゃね。頭になんか入らないよ」
彼女はうーっとうめくと、机にがくっと突っ伏した。
頭に窓からの日差しが当たって暑さは倍増したが、うだるような気分の彼女はどうでも良くなっていた。
「遠野君は暑くないの?」
『呪いのせいかな。あんまり皮膚に刺激を感じないんだ。暑いとか寒いとかはね』
少し寂しそうに斎は微笑む。
『まだ体型を維持するのでせいいっぱいでさ。そこまで皮膚の機能を再生することは出来ないみたいだ』
「そっか。大変だよね」
茉理は、ポケットから出したハンカチで汗をぬぐった。
遠野斎は、暑い暑いとぶつぶつ言いながらも、また本に集中する少女を優しい目で見つめる。
(誰かとこうして向かい合っているなんて、僕には考えられないことだよ)
生まれながらに受けてしまった呪いのせいで透明人間状態だった彼は、成長と共に己の魔力を増大させ、ある程度呪いを抑えて体を再現出来るようになっていた。
でもまだ声は出せず、思念での会話がせいいっぱい。それも特定の相手にしか通じないというやっかいな状態である。
そしてその特定の相手の一人こそが、この少女 後野茉理であった。
魔力ゼロの彼女には、魔力ではない未知なる力が潜んでいる。
何度か彼女の中からあふれる力を目にし、斎は茉理が只者ではないことを知っていた。
彼女の力によって自分は思念会話で言葉をかわすことが可能になり、更に生徒会メンバーの一人、山下英司とも言葉の通信が出来るようになる。
彼はもう一人で思いを閉じ込める必要が無くなったのだ。
「あーあ、夏だからしょうがないけど……遠野君、続きやろ?」
大きな目で自分を見つめる彼女に、斎は一瞬どきっとする。
『あ……あ、そうだね』
彼はあわてて笑顔を作ると、また説明を始めた。
『じゃあ、ここのところから。読んでみて』
「ん……と、魔力の属性。魔力の属性は基本は5つあり、光、火、風、水、地である。魔術の基礎は、まず自分がどの系統の魔力を持つのかを理解することから始まる」
『そう、魔力には5つの属性があるんだ。例えば帝先輩は光。この属性の特徴は、光に関する魔術を一番得意とする。攻撃魔法だったら雷撃とか熱線とか。あとこの光属性の魔術師は、他の属性の魔術もかなり扱えるらしいんだ。個人差があるけど、帝先輩なんか個人の属性は光だけど、他の4系統の魔法も、かなりうまいよ。闇の魔術にも抵抗力があり、封印や結界解除なんかにもすぐれているのが特徴だよね』
「ふうん、じゃ火は?」
『炎はね、雅人先輩がそうだね。基本的に5つの系統の中では一番攻撃的な系統だ。攻撃魔法の中では一番パワーがある。他に特徴はそうないけど、雅人先輩はパワーあふれる魔力を生かして、人を幻惑させるのが得意かな。これもまあ個人差だよね』
「変身魔法のスペシャリストだってね」
『そうそう、あの先輩の変身術、本当に上手だよ。僕はとても真似出来ないんだ』
斎は少し笑って、続けた。
『風は英司先輩。4系統の中では速さを誇るよね。あと移動術にすぐれているのが特徴かな。きわめれば時を渡ることも可能。神出鬼没ってことだね』
「そういえば、こないだもその魔法でティアを助けてくれたわね」
茉理はこの前の一件を思い出す。
英司が精霊の少女ティアを過去に連れていって、彼女が恋い慕う少年と最後に会わせてくれたのだ。
「便利で素敵な属性よね。わたしも風の魔力があったらいいのにな」
ため息をつきながら、そう言う茉理に、斎は微笑んだ。
『きっと後野さんの中には、5系統も及ばない不思議な力があると思うよ』
「えーっ、そんなのないないっ。わたしは普通の女の子だってばあ」
茉理は思わず声を上げ、図書室中の注目を浴びてしまった。
『まあ、それはおいといて。次は水。これは直樹先輩だね』
(あのちょっとあぶなさそうな先輩かあ)
茉理の脳裏に、黒メガネをかけてにやりと笑う長身の少年が浮かぶ。
『水は攻撃というよりは治癒や補助魔法にすぐれている。あとは人の神経系統とかをいじってしまえたりもするよね。人を操ったり記憶を操作したり、―――人間の体内の70%は水分だろ? だからそっちの方にすぐれているよ。これを応用した精神攻撃とかが、まあ一般的かな。でもパワーは他の系統に劣るから、直樹先輩は魔法具や魔法薬なんかでそれを補っているんだ』
「あの、注射器とかよね」
茉理は、こないだ直樹が償還した精霊が乗っていた、箒のように空飛ぶ巨大注射器を思い出した。
『最後は地。これは僕だ。地は光や火につぐパワーを持った属性でね。封印や結界、捕縛に束縛、そういうものにすぐれている。魔獣ハンターなんかは地属性の人が多いよ。あとはそうだね。けっこう探し物を見つけるのとか、気配を察知するのとかに優れているのも特徴かな』
「すごーい、遠野君ってこんなに便利な力を持ってるんだね」
素直に茉理に感心され、斎は顔を赤らめた。
『そんなにすごくないよ、僕は。まだまだ先輩たちには及ばないし』
照れながら笑う斎に、茉理はふっと表情を変えて質問する。
「一つ聞くけど、基本は5系統なら、他の系統もあるの? 例えば闇とか」
斎の目が、少し険しくなった。
「こないだティアを閉じ込めた呪いって闇属性なんでしょ?」
『そうだよ。闇はね、誰の心の中にも存在することが可能な系統だ』
「呪いとか、苦しみとか、恨みとか?」
『そういうことだね。そういう感情が自分の持つ魔力と結びつき、負の方向に走ったものを闇というんだ。元々は聖魔巫女の力を『闇』と言ったそうなんだけど』
「ええっ、聖魔巫女?」
茉理は驚いてしまう。
「だって聖魔巫女の力って、白くて光に溢れていて、闇みたいに暗くて嫌なものじゃなかったけど」
『闇は本来ならば安らぎや静けさ、安心感をもたらしてくれる力だったんだ。真の闇の力はすべてをあるがままに受け止め、包み込み、包容力と力を持つ愛に満ちていたんだって。破壊と再生。無からの創造、白き闇の聖なる力、それが聖魔巫女の巫力だとか』
「そうだったんだ」
茉理は、新たに知った事実に目を丸くする。
(聖魔巫女か……)
茉理は窓の外を遠い目で見た。
ついこの間、彼女は生徒会長 伊集院帝と共に過去の異次元に飛ばされてしまった。
そこはユーフォリアと呼ばれる別次元で、聖魔一族が住んでいたのだ。
聖魔一族の長は聖魔巫女と呼ばれる少女で、不思議な力を持っていた。
彼女の側で過ごした数日――その後、予期せぬ敵の来襲でユーフォリアは崩壊。聖魔巫女トノアと、帝のご先祖にして名高い魔術師アルツール・クリスティの所在も不明となってしまった。
胸元をぎゅっと握り締める。
そこにはトノアより譲り受けた白いペンダントがあった。
これと一緒に、茉理はトノアの記憶と力を受け継いだのだ。
もっともそれは茉理の魂の奥底に封印され、どんなものなのかはさっぱりわからないが。
ぼーっとしている彼女の横から、すっと片手が差し伸べられる。
「勉強は終わったか、茉理」
腕は自然に彼女を背後から抱き寄せ――茉理ははっと上を見た。
黒髪と黒い瞳、綺麗に整った顔が愛しそうな表情をみせている。
「帝先輩」
心臓の鼓動が一気に高鳴った。
茉理はあわてて下を向き、ほてった頬を隠す。
『帝先輩』
「斎、ご苦労だな。もういいぞ」
目を細め、早く行け、と、帝は目で合図する。
斎は鞄を持つと、にこっと茉理に微笑み、帝に一礼して去っていった。
(ひえーん、遠野君が行っちゃったあ)
茉理は内心うめき声をあげる。
帝と二人になるのは、いつものことだが慣れないものだ。
彼女の動揺を自分に対する恥じらいと勘違いした帝は、ぎゅっと茉理を人目もはばからず抱きしめるとささやいた。
「俺達も出るぞ」
早く二人きりに、とつぶやかれ、茉理はますます顔が赤くなる。
本を棚に戻してかばんを持つと、他の生徒達の目を気にしながら、小走りに帝の後をついて茉理は図書室を後にした。




