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黒翼のプール開き(私立クリスティ学園 魔法使いの生徒会編3)  作者: 月森琴美


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 カラス騒動が無事に治まった次の日。

「雅人先輩、どうしたんですか。その格好」

 登校一番、生徒会室に沈みこんだ先輩の姿に、英司は驚いて叫んでしまった。

 いつも自慢の美貌はどこへやら。

 頬には幾筋も傷が走り、髪もボサボサ。来ているワイシャツのボタンが飛び散り、ネクタイはちぎれ、スボンには穴まで開いている。

「いやあ、参ったねー。英司君」

「まさか後野さん宅で何かあったんですか」

 何かと戦ったあとみたいですよ、と心配げによって来る英司を、雅人はがばっと抱きしめた。

「あああっ、心優しい英司君の言葉が僕の心に染み入るよ。昨夜の僕は悪夢の中を彷徨う悲しき放浪者――誰も救いの手を差し伸べてくれず、受け入れてももらえない。僕はまた哀れで醜い生き物となり、人生の苦痛を思う存分味わってしまったんだ」

「つまり何かの拍子に、また蛙になっちゃったってわけですね」

 そして戻ってくるのに一大苦労をしたということですか、ため息交じりに英司は言った。

「そいつはほっておけ。英司」

 静かな声が、二人の背後からかけられる。

「あ、お早うございます、直樹先輩」

「お早う。そいつのことならかまわなくていい。自分で撒いた種なんだから同情する必要はない」

「あいかわらず冷たいねえ、直樹君」

「夜中に起こされて、お前を保護してやった俺に対して、冷たいなんて言えるのか」

「はいはい、感謝してますよ」

 雅人はにこっと笑って直樹に返す。

「ところで心優しき我が親友よ。いつまでもこの僕を、こんな姿にしておくつもりじゃないよね」

「ったく、そのままにしておきたいところだがな」

 ふうっと軽く息を吐くと、直樹は雅人の側に寄って両手をかざした。

 治癒の呪文を口から唱え、彼の顔に走った傷を綺麗に消す。

「あとはお前がやれ」

 冷たい口調でそう言うと、直樹は円卓の椅子に腰掛け、小型PCをいじり始めた。

「ていうか、別に雅人先輩が自分で治療すればいいじゃないですか。系統違いだって、先輩も治癒の術ぐらい使えるでしょ」

 不思議そうに首をかしげる英司に、雅人は微笑んだ。

「そう言わないの、英司君。顔なんて繊細で跡が残るような部分はね、プロのエステティシャンにまかせておいたほうが良いんだよ。僕のように、お肌や美貌に特に気を使わなければならない美形キャラは特にそうだ。もし僕の美しい顔が崩れでもしてみたまえ。全国にいる僕のファン達が、どれほど悲しみ、嘆くことだろう」

「言い方はおかしいが、そいつの言うことには一理ある。何せこいつは繊細で神経を張らないといけない細かい術は苦手なんだ。力まかせに傷をくっつけることは可能だが、へたすれば跡が残るってのは本当だな」

 直樹の冷静な意見に、英司はそういうことですかと納得した。

「それにこいつが顔に傷でもつけて教室に行ってみろ。それこそ校内はパニックになるぞ。こいつのわけわからん魅力に屈した女生徒たちにな」

「パニックですか」

「女の熱狂的な情熱と迫力には俺達の魔力など及びもしないさ。どうして雅人の顔に傷がついたのか調べようとやっきになるし、犯人を捜して復讐してやろうなんて考えるアホどもが騒ぎまくったら、のんびり廊下を歩いてもいられない」

「はあ」

 よくわからないが、直樹が言うことにはいちいちうなずけるものがある気がして、英司は納得することにした。

「それにしても、どうしてこんなことに?」

「昨日、こいつは後野茉理の身代わりをしてただろう。彼女が無事、戻ってきて、帝が部屋まで送ったんだが、こいつは部屋で口では言えない姿になっていたそうだ」

「口では言えない姿、ですか」

 首をひねる英司に、直樹は、俺にもわからん、帝がそう言ってた、とつぶやく。

「そして例のごとく、こいつは言語道断な後野茉理の姿になって帝を挑発したらしい。それで帝が切れて、こいつを近所の風呂屋に瞬間移動させたんだ」

「瞬間移動……風呂屋にですか」

 ますますわけがわからず、英司は困惑する。

「ああ、女湯の更衣室にな。入浴を楽しみにきた近所のおばちゃん連中の中に、こいつは後野茉理の姿のまま飛ばされた。たとえ女の格好をしてはいても、突然天井から人が降ってきたら、おばちゃんたちは悲鳴をあげる――とまあ、こういうわけでな」

「それで蛙になっちゃったんですね」

「あああ、なんという悪夢だ。美しき姫の湯殿ならともかくとして、だるまのような中年マダムの肉腹に囲まれて蛙となってしまった僕の気持ちが君にわかるかい? レディの慎みも品もない彼女たちは、僕を害虫のごとく踏み付け、ひっぱたき、箒で追いたて、足で踏みつけるなどの暴行を加え、駆除しようとしたんだ。ああ、あんな地獄のような場所は初めてだよ」

 うっと口元に手をあて、吐き気を押さえるようなしぐさをする雅人に、英司はご愁傷様ですと一言つぶやいた。

「なんとか外にはのがれ出たものの、蛙の姿では歩行もままならない。進める距離も限られる。それで帝が一時間後に俺を迎えに寄越したというわけだ」

「直樹先輩もお疲れ様でした。聞いてるこっちまで疲れましたよ」

 英司はそう言うと、がっくり肩を落とした。

(聞かなきゃよかった。どうせこの人のことだから、ろくでもないことだと思ってたけど)

 パチンと指を鳴らし、雅人は一瞬にして着替えを済ませた。

 ぼろぼろの制服は消え、綺麗な一式を身につけている。

 髪もあっという間に元通りになった。

「はい、O.Kと。ところで直樹君、茉理姫はどうやって見つかったんだい?」

 昨日はくわしい話が聞けなくてね、とにこにこ笑む雅人に、直樹は答えた。

「別に。本人が自分で戻ってきた」

「自分でですか」

 英司が首をかしげる。

「でもカラスになってしまったら、人間だったときの記憶はなくなるんじゃ」

「偶然ということもあるさ」

 英司の言葉を強い口調でさえぎり、直樹はPCに向かった。

 雅人は薔薇の花を取り出し、香りを楽しみながら直樹の表情を見守る。

(ふーん、そういうことか)

 まだ不思議そうな英司に、深く突っ込ませたくないということはやはり――。

『姫の潜在能力ってことかい?』

 後輩に知られぬように、雅人はこっそり思念を送る。

『ああ。おそらくな。カラスになってしまっても、人間の意識はしっかりあったようだ。それと帝に思念を一瞬だが送ったというのも、もしかしたら本当かもしれん』

 黒眼鏡のフレームに指を沿え、表向きはPCをガチャガチャ打ちながら、冷静な声が返されてくる。

『そうか。姫の力なら、時空の彼方からでもすべてを無効化して思念を送ることが可能。帝からは通信不可能な場所でも、姫ならば問題ないものね』

 ふふっと雅人は口元に笑みを浮かべた。

『まだまだ蕾だけど、開花するのは時間の問題か』

『笑ってる場合か。今、能力に完全に目覚めてみろ。やっかいなことになるぞ』

『やっかいなこと?』

『俺達は一応代表なんて言ってるが、現実クリスティ一族すべてを掌握してるわけじゃない。帝だって跡取りに過ぎない。決定権の範囲も限定される。すべてを動かすことは出来んさ』

 その言葉の重みが、雅人の顔を曇らせる。

『直樹君、君はまさか――』

『そこまで酔狂なことを俺が考えるとでも? 冗談はやめてくれ』

 PCを打つ手が一瞬止まる。

『俺達は自分に出来ることをやるしかない。将来のことも頭に入れてな』

 ふうっと肩を落とすと、直樹はまたPCを打ち始めた。

 それなりに普通を装っていても、二人の様子がおかしいことぐらい、横で見ている英司にはわかる。

(俺の知らない何かを、先輩たちは気にしてるみたいだな)

 おそらく以前聞いていた、クリスティ一族の宿命に関することだろう。

 英司は内心ため息をついて、立ち上がった。

「俺、先に教室に行きますね」

 反応のない二人をそのままに、彼は生徒会室を出た。

(斎。今、どのくらい戻ってるかな)

 もう一人の後輩に想いをはせる。

 昨日のカラス騒動で遠野斎は魔力を使い果たし、2,3日は消えたままだろう。

 今日も登校は難しいに違いない。

 今頃自宅で自分の体型を維持するための魔力の回復に努めているはずだ。

(斎、俺達の知らない何かが動き出してるみたいだよ。早くお前も戻って来い)

 夏のぎらついた日差しを浴びながら、英司は空に向かってそっと思念を送った。




 茉理はうだるような暑さの中、疲労感の残る体を引きずって登校した。

(なんか体がだるいかも)

 今日も確か4時間目にプールだ。

(なんか昨日の今日で泳ぎたくないんですけど)

 校庭の隅にどーんと存在しているプールが目に入り、茉理は更にげんなりする。

 一夜が明けるのは早かった。

 帝に部屋まで送ってもらい、彼が帰ったあと、日記をつける余裕もなく、彼女はベッドに倒れこんだ。

 そして気がついたら、もう朝で――。

(うううっ、本当に辛いなあ。この体中が筋肉痛っぽいのって、やっぱり昨日、飛びすぎたせいかなあ)

 教室の机に突っ伏してぐだーっとしていると、奈々がやってきて声をかける。

「お早う、茉理。昨日は大変だったわね」

「うーっ、奈々は大丈夫だった?」

「あんた以外の全員は放課後までに元に戻ったわよ。一体、誰のしわざなのかしら。タチが悪いわよね、プールの水に魔法薬を入れるなんて」

 奈々は少々憤慨しながら、ぶつぶつ言っている。

(直樹先輩の手違いなんだってば)

 そう言う気も失せて、茉理は更にぐったりとした体を机に押し付けた。

「でもね、昨日はわたし、英司先輩に声、かけてもらっちゃった、きゃ」

 奈々は突然はしゃいだ声を出した。

 両手を組み合わせ、そのときのことを思い出して、ほんのり頬を染めている。

「あのねあのね、茉理。英司先輩ったら、あのさわやかな笑顔でね、『大丈夫? どこか変なところはない?』って一人一人に聞いてくれたのっ。わたしにもまぶしい笑顔を向けてくれちゃって……思わずくらくらあっと来て、わたしったら先輩の腕に倒れこんじゃった。そしたらあわててわたしを支えて、英司先輩が保健室に連れてってくれたのよ。超ラッキー! きゃっ、どうしよう」

 あとでお礼に行かなくちゃ、と喜び満面笑顔の奈々に、茉理は答える気力もない。

「良かったわね」

(でも奈々の本命って、雅人先輩じゃなかったっけ?)

 誰でもいいのか、誰でも。

 茉理は余計にがっくり来て、机に突っ伏し、顔をうずめた。



 なんとか4時間目のプールも済ませ、昼休みになった。

「やあ、後野さん」

 突然声をかけられ、茉理は飲みかけのジュースを噴出す。

「ごほっごほっ、森崎先輩?」

 むせたのが治まると、茉理は目を瞬かせ、自分の机の横に立っている長身の先輩を見上げた。

 向かい側に座ってる奈々は、驚きで手に持つ箸がぽろっと落ちる。

(なんだって、この先輩が?)

 1年の教室に自ら入ってきて、誰かを名指しで呼びにくるなんて、あまりにもそぐわない彼の存在に教室じゅうがざわめいた。

 何事だ、という好奇な視線を思いっきり浴びせられ、茉理は困惑する。

(また何か面倒なことになりそう)

「体は大丈夫かな」

「え……あ、はい」

 ちょっとだるいですけど、と力なさげにつぶやくと、直樹はフムとうなずき、探るような目で茉理を見た。

「あの、先輩、何か」

「ああ。雅人が君に謝っておいて欲しいと言ってたよ。これを言付かった」

 直樹は冷静な声でつぶやくと、金色の薔薇の花を一輪差し出す。

「どうも」

 茉理は首をかしげながら受け取った。

「それから、これは俺からだ。なかなか良い記念写真が撮れた」

 良かったな、と白い封筒を渡され、茉理はいぶかしみながら受け取った。

(写真って何の?)

「じゃあ、俺はこれで」

 直樹はそう言うと、廊下に出て行く。

「ちょっとすごーい、茉理ってば」

 奈々は箸を拾いながら興奮した声で言った。

「あの森崎先輩直々に体調気遣いに来るなんて、流石クリスティ家の御曹司 帝様の彼女よね」

「あのねー」

 ひやかしに憮然としながら、茉理は薔薇の花を見る。

 わざわざ渡しに来るぐらいだ。何かあるのかもしれない。

 そっと香りを吸い込んで、茉理はそれまでの疲労感が少しずつ消えていくのを感じた。

(あ……この花、もしかして)

 以前にも渡されたことがあるが、雅人の薔薇の花には精神を鎮めたり体調を整えたりする効果がある。

(ちょっとは気にしてくれてるのかな)

 香りを楽しみながら、茉理は白い封筒に目を留めた。

(何の写真かなあ)

 封筒の中にある写真を引っ張り出し、一目見た瞬間、茉理の頭は沸騰寸前まで血圧があがった。

「何の写真? 茉理」

 身を乗り出してくる奈々に、あわてて茉理は写真を封筒に押し込む。

「は、ははははっ、ははっ、たいしたことないよ、気にしないで」

「なによ、怪しいなあ。見せないさって」

「うわっ、駄目! 絶対に駄目えっ」

 茉理は立ち上がると、あわてて廊下に逃げる。

「ちょっと、茉理-っ」

 追いかけてくる奈々を振り切って、茉理は屋上まで一気に駆け上った。

(はあ、はあ、はあ、はあ……)

「もう! 何なのよっ、こんなの、こんな写真、撮るなんてえっ」

 茉理は空に向かって、顔を真っ赤にさせながら思いっきり叫ぶ。

「森崎先輩のばかあーっ」

 少女の声は、遠く遠く空の彼方に吸い込まれて消えていった。

 封筒の中身は、昨夜の写真。

 おぼろげな三日月を背に、特館の屋根の上、黒髪の少年と少女が写っていた。

 少年は、水着姿の少女を抱きしめて優しくキスをしている。

 他人から見れば素敵な映画のワンシーンにも見えるほど綺麗に写っていたが、当人にしてみればたまったもんじゃない。

(こんな写真、まともに見られるわけないじゃない! もう、どうしよう)

 茉理は顔を真っ赤にしながら、封筒を持つ手を震わせた。




「やあ、姫はどうだい?」

 3階まで戻ってきた直樹は、廊下に立って待っていた薔薇持つ貴公子に目を細めた。

「お前の推察どおりだな。昨日、かなり力を使ったとみえる」

 他の連中より疲労していた、と直樹はつぶやいた。

「だろうね。君の魔法薬の効果を少しだけど押さえたり、帝に思念を送ったりしたんだ。まだすべての力を解放してるわけじゃないし、体だって慣れないことしたら、ついてけなくて疲労するものだよ」

 ふうっと憂い顔でため息をつく親友に、直樹はにやっと笑ってみせた。

「心配するな。俺がお前のより、よく効く疲労回復剤を送っておいた」

「なっにーっ。もしかしてお前、また変な」

「いくら俺でもそんなことはしないよ。別に体内に害を及ぼすものじゃないから安心しろ」

「怪しいなあ」

「俺はお前とは違う。うかつに彼女にちょっかいを出して、帝の機嫌を損ねるのは遠慮したいからね」

「はいはい、そうですか」

 すみませんね、いつもちょっかいばかり出して、と膨れる雅人に、直樹は笑むと教室へ向かった。

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