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居心地の良い居間でする少女達の話は楽しく弾み、時の経つのも忘れるほどだ。
でも流石に語り尽くし、言葉が途切れる頃合いはある。
(もうそろそろ帰ろうかな)
茉理はそう思った。
姫乃とのおしゃべりは楽しかったが、随分長居をした気がする。
(それにしても、ここって不思議)
茉理は、一見昔の古城の一室のような雰囲気を持つ部屋をぐるりと見回した。
どこにも時計がない。
窓もない。
空気はこもったような感じがないから、どこかで換気はしてるんだとは思うのだが、外の世界を知る彼女にとってはまるで現実世界から切り離された空間のようだ。
(一体今、何時なんだろう)
それすらもわからず、茉理は首をかしげた。
姫乃はこんなところでどうやって生活しているのか――いつ起きて、いつ眠り、いつ食事をするのだろうか。
そう考えて、茉理はふと以前飛ばされた異世界を思い出した。
(あそこも確かこんな感じだったっけ)
帝と共に飛ばされてしまった異世界ユーフォリア。
そこは、いつになっても朝が来ない不思議な世界だった。
何時見上げても空は暗く澄んでいて、星がたくさん煌いている。
そういえばユーフォリアにも時計がなかった。
でも茉理はあそこで過ごす間、定期的に眠気が来ては眠り、お腹がすいては食事をした。
(人間って不思議だわ。時計がなくても、ちゃんと生活出来るのね)
全然関係ないことまで思ってしまう。
『茉理、どうしたの?』
姫乃が彼女に触れてきた。
『さっきから何を考えているの?』
『あ、えーと、今、何時かなって』
茉理の疑問に、姫乃は顔を曇らせる。
『わたしにもわからないわ。そういえば外の世界では日付と暦があって、時間も数字で表される。一日は24時間で括られて、5時か6時に太陽が昇り、朝となる』
『そうです』
『そして12時まできたら昼になる。太陽は頭の真上に輝いて、12時を超えたら今度はまた1時から数え始める。5時か6時に暗くなり、夕方と呼ばれて、皆、仕事や学校を終えて家に帰る』
『大体そうですね』
『それから日が落ちて暗くなる。そしたら夜となって、みんな眠る――朝になって明るくなるまで。合ってる?』
『正解です』
茉理は羽をばたばたさせた。
『食事は一日3回。朝と昼と夜。ほとんどの人は朝と昼間――明るいときに仕事や学校に行く。夜は家で休む時間よね』
姫乃はそう言うと、ため息をつく。
『でもここでは、いつがいつなのかわからないわ。わたしがお腹がすいたときにフィルを呼ぶの。そうしたら食事を持ってきてくれる。いつの間にか瞼が重くなったら、フィルがやってきて寝台まで連れてってくれるの』
(ユーフォリアにいたときと、よく似てる)
茉理はそう感じた。
あの世界でも茉理が呼べば使い魔の『はにわ』がやってきて、彼女に食事を持ってきたり寝台に運んでくれたのだ。
『一体、今までわたしが何回食事したのか、もう数えることをやめてしまったわ。何回眠ったのかも覚えてない。今はいつで、わたしは一体何歳なのか、そんなこともわからない』
あきらめたように姫乃は笑う。
『でもそんなこと、どうだっていいわ。わたしには必要のない知識だもの。自分が何歳だが知っていても何の役にもたたないし』
『そんな……』
茉理は胸が痛くなった。
彼女を何とかここから出してあげたい。
そして外の世界を見せてあげたい。
心の奥底から、そんな思いが沸く。
(姫乃さんを、ここから出すためには――)
茉理はじっくり考えて言葉を送った。
『姫乃さん、わたし、そろそろ戻ります』
『もう行かないといけないの?』
姫乃は悲しそうな顔になる。
『はい。わたしがいなくなったら心配する人がいるので』
茉理は羽をばたばたさせて、テーブルから飛び上がる。
『もう少しここにいて。あなたが来てから、そんなに時間は経ってないわ』
『いいえ、もうかなり経ったと思います』
姫乃のすがるようなまなざしを受けながらも、茉理はきっぱり言い切った。
『楽しい時間は早く過ぎるものです。わたしは行かないといけません』
『もしかしてお腹がすいたの? だから時間が経ったなんて言うのね』
姫乃は立ち上がる。
『フィルに何か持ってこさせるわ。だからそれまで待っていて』
『ごめんなさい』
茉理は謝った。
ここにいるわけにはいかない。
彼女の話し相手になってあげることは出来るけど、それ以上のことは何も出来ない。
(それじゃあ意味ないよ。いつまでも姫乃さんを出してあげられない)
彼女が、まだここにいて欲しいと願っているのはわかっている。
でも彼女のためだからこそ、そういうわけには行かないのだ。
だから今ここで、どんなに胸痛い別れでも。
『さようなら』
茉理はそう言うと、天井高く飛び上がった。
堅く白い天井まで到達し、茉理ははっとする。
(どこから出ればいいわけ!?)
考えたら、この3つの小部屋に窓はない。
自分も姫乃の転移魔法によって、ここに導かれてきたのだ。
下を見下ろすと、姫乃がくすくす笑っていた。
『そうよね、貴方はここから出れなかったわね。心配する事なかったんだわ』
『姫乃さん』
彼女はそっと白い右手を差し出した。
『戻ってらっしゃい。わたしのお友達、茉理』
『え……』
『ここで、わたしとずっと一緒にいて。ね、いいでしょ?』
『そんな!』
予想外の出来事に、茉理は頭の中が真っ白になる。
『貴方の欲しいものを何でもあげるわ。食べ物でも、おもちゃでも、本でも』
なんでもフィルが持ってきてくれるから――そう微笑む少女に、茉理は悲しくなった。
『姫乃さん、わたしを出してください』
今は何もいりません、と彼女は言葉を送る。
『あなたとお話するのが、とても楽しいことだとわかったわ。本で読んだことはあるけど、友達ってとてもとても素敵なものね。手放したくない』
寂しげなつぶやきに、茉理の胸はぐっと詰まる。
『ねえ、もう独りは嫌なの。お願いよ、茉理』
哀願する声が、ますます茉理を追い詰めた。
彼女の姿に、自分がよく知っている人の面影が重なる。
性別は違えど、とてもよく似ていて、彼もきっと本当は心のどこかで助けを求めている悲しい人で。
(くっ……心が痛い!)
茉理は、体中の力がどんどん抜けていくのを感じた。
以前も同じようなことがあったと、茉理は薄れゆく記憶の片隅で思う。
そのときの原因は彼だった。
自分に嘘をつかれたことで傷ついた彼の悲しみが茉理の心を縛り、動けなくさせてしまったのだ。
(どうしよう。こんなとこで倒れちゃ……)
茉理の理性とは反対に全身に痛みが走り、どんどん動けなくなる。
遠のく意識の中で、彼女の体すべてに悲しみが広がった。
『独りにしないで。誰か来て。……わたしは本当にここで生きているの』
(姫乃さんの、心の奥の声)
茉理は、おぼろげにそう感じた。
彼女の悲しみ、心の叫びが自分に痛いほど伝わってくる。
茉理は残るありったけの力をかき集め、無意識に叫んだ。
(もう駄目……助けて、帝先輩!)
「茉理?」
帝は生徒会室の屋根の上で、はっと顔をあげた。
沈み行く夕日に、西の空が赤く燃えている。
その空を背景に、自分の邸のドーム型の屋根が見えた。
それはさながらどこか由緒ある名所の風景写真のように美しい光景だ。
そちらの方角から、確かに自分を呼ぶ声を感知したような気がする。
「どうしたの、帝」
横で黙っていた雅人が声をかける。
二人は共に精魂尽き果てて、屋根の上に座り込んでいたのだ。
ずっとあれから最後の一人、茉理を求めて、生徒会5人は空中を飛び回った。
しかしそれらしいカラスを捕まえても、全然変化しなかったのだ。
(どうしたんだい、茉理姫。まさかもう誰かに捕まってしまったとか)
雅人は心配でしょうがなかった。
横にいる帝の顔色が、少しずつ青ざめていくのが辛い。
(まさかと思うけど、カラスのくせに飛行に失敗して電信柱にぶつかってしまったとか、弾みで工事現場のクレーンにひっかかって羽をもがれたとか……あああっ、どうしてこういう悲惨なことばかり考えてしまうんだ、僕は)
複雑な心境に支配されながら必死でカラスを探したが、流石に魔力が底をつき始め、しかたなく少し休むことにした。
休んでなどいられるかと叫ぶ帝を押さえつけ、強引に生徒会室に連れ帰る。
そこには別方向から戻ってきた英司たち3人がいて――全員、精も根も尽き果てた顔をして、力なく座り込んでいた。
流石の帝も本人の気力だけで事を進めることは出来ず、疲れきった仲間の姿を目にして、彼もまた探索を続ける心が萎えてしまう。
そして屋根の上で暮れ行く夕日を睨みながら、最悪のことを考えてしまう心と戦っていた。
(茉理……どこだ。どこにいる)
かすかに感知した彼女の気配を、帝は必死に追った。
空に目を凝らしても、鳥一羽見当たらない。
(俺の聞き間違いか? いいや、そんなはずはない)
あれは確かに彼女の声だった、と帝は心を奮い立たせた。
以前、異次元でも彼女のS・O・Sを受け止めたことがある。
まったく別次元からの通信だったが、それでも彼はちゃんと受け止めて、彼女を見つけ出したのだ。
『茉理、どこだ。もう一度俺を呼べ』
帝は屋根の上に立ち上がると、必死に言葉を送った。
(茉理……)




