山小屋の噂
雨が降ってきた。
見通しの悪い夜の峠道。
フロントガラスにぽつぽつと散らばる水滴。ヘッドライトの照らす視界は木々に遮られて必要最低限しかない。
「カーナビが故障してる上に、スマホの位置情報も取れないってどうゆうこと?」
助手席のサナがため息混じりにこぼす。怒ってるというより呆れている口調だ。
「一本道だから迷うことはないと思うんだけどね」
と、僕。ハンドルを握る手が緊張で汗ばんでいるのを気取られないよう平静な口調で返す。実は免許を取ってからこんな悪条件での運転は初めてだった。
雨が激しさを増していく。ワイパーで拭っているのに視界は滲んだままだ。
「てゆーか、いま展望台に着いても、星も夜景も見れないじゃん」
「……ごめん」
言い争いにならないよう、早めに謝っておく。
大学で高嶺の花と言われているサナをドライブに誘うことに成功したのに、まったくツイてない。
「あー、別に、責めてるとかじゃないよ。残念だなって思っただけで」
取り繕うようにサナが言う。責めてないと聞いてほっとした。
「ほんとごめん。こんな景色も見えないドライブじゃつまんないよね」
「高石くんのせいじゃないし。ぜんぜん気にしないで」
「それにしても、木ばっかりで何もないんだな。当たり前だけど」
「――そういえばさ、地元の噂なんだけど」
話題を変えようとしているのか、サナがあらたまった口調で切り出す。
「この山のどこかに、殺人鬼の小屋があるって聞いたことある?」
「え、何それ。怪談?」
「ううん、実話。知らないかな、10年ぐらい前にこの山で起きた殺人事件」
「僕、県外出身だからこの辺の事件は知らないんだ」
サナは地元出身だが、僕は他県からの入学組だ。
サナは声のトーンを落としたまま続けた。
「10年ぐらい前にね、若い女性ばかり狙う殺人事件があったの。被害者は5人か6人だったと思う。みんな、拉致されて何日か後に山で発見されたんだけど」
物語の効果のためか、一旦言葉を切って間をとる。
「死体の共通の特徴が、刃物で体中をめった刺しにされてたんだって」
「うわ、マジか」
「さらに発見されるまでに獣に食い荒らされたりして、ひどい状態になってたらしいよ」
「で、犯人は捕まったの?」
「それなんだけどね。警察が山を捜索したところ、小屋が見つかったの。人が住んでたってよりは、物置小屋みたいな感じの。小屋の中は一面血まみれで、被害者の持ち物とか見つかったんだけど、犯人は行方不明のままだって」
「あー、そういえば、小学校の頃にそんなニュース見た気がする」
「連日テレビでやってたもの。取材とか考察とか超能力者が透視したりとか」
「結局、犯人は捕まってないんだ」
「そうなの。で、もっと不思議なのが、その小屋もどこにあったか分からなくなったんだって」
「警察が発見したのに?」
「そう。最初の捜索で見つけて、写真撮ったり鑑識も入ったのに、翌日にはもうその小屋にたどり着けなくなってたんだって」
「やっぱり怪談じゃん」
「でも実際に殺人事件は起きたんだよ」
サナの声の余韻がエンジン音にかき消される。雨足は弱まってきていた。
「……ねえ、サナ。あれ何だと思う?」
アクセルを緩める。前方の木々の間に黒っぽい建物が見えた。
「え……」
僕は路肩に寄ってブレーキを踏んだ。
「ちょ、ちょっと、高石君、何で車停めるの?」
「だって見に行きたいじゃん? さっきの話の山小屋かもしれないし」
「無理無理。殺人鬼の小屋って言ったでしょ!」
「10年も前の話なんだろ? まだ犯人が隠れてるってことはないよ」
「いやいや、普通に怖いから! 絶対に見に行かないからね!」
「えー、ちょっと覗くだけだからさ。行ってみようよ」
「嫌だってば。わたし怖い系は無理なの!」
怖がるサナを何とか説得し、「遠目からちょっと見るだけ」を条件に車を降りる。
車からその建物までは、ほんの数十メートルの距離だった。道らしい道はなかったが、点けっぱなしの車のヘッドライトが足元を照らしている。
雨は上がっていたが、木々についた水滴が落ちてくるので、僕もサナもすぐに濡れてしまった。
「あー、もう、高石君にあんな話しなきゃよかった」
ぶつぶつ言いながらも、怖いのか僕のシャツの裾をしっかりつかんで付いてくる。僕が頼れる男だと思ったら、正式に付き合ってくれるだろうか。
ベチャ、ビチャ、とぬかるんだ土を踏む音。時々ポキッと小枝を踏む音。
建物の数メートル手前にたどり着いたところで、サナの足が止まった。車のヘッドライトはかろうじて届いているが、建物全体を照らすほどではない。
「はい、ここまで。これ以上は無理、ほんっとうに無理!」
立ち止まったサナが宣言する。これ以上は一歩も近づきません、という強固な意志を感じる。
「普通の山小屋っぽいね」
木造一階建ての小さな小屋。目の高さに幅1メートルほどの窓が付いているが、暗いので中の様子は見えない。入口と見受けられる引き戸があるが、カギがかかっているかは分からない。ドアの横に用途不明の丸太が乱雑に詰まれている。
「さ、戻ろう。すぐ戻ろう。もういいでしょ」
「ここまで来たんだし、ちょっとだけ中を見てきてもいい? サナはここで待ってなよ」
「1人で待ってるとか無理。これ以上近づくのも無理。そろそろ怒るよ」
サナに怒られるのはイヤだ。僕はこれ以上の探検を諦め、腕時計に目を落とした。深夜0時を数秒回ったところだ。
「わかった、それじゃ戻ろうか」
直後、小屋の中からガサガサともドカドカとも言えない地響きのような音が鳴り出した。
「ひゃっ!」
サナが僕の腕を握る。というか掴む。細い腕に似合わない結構な握力だ。
小屋の中から聞こえる音は徐々に大きくなり、入口の引き戸の向こう側に集まる気配がした。
そして、勢いよく引き戸が開く。
――バンッ!
「きゃあぁぁぁっ!!」
引き戸が開く音とサナの悲鳴が重なる。
一瞬の静寂。
そして……。
「サプラーイズ!」
小屋の中から、大学の友人たちがぞろぞろと出てきた。ペンライトなどの光るグッズを持ってる人もいて、コンサートのような盛り上がりだ。
「サナ、おめでとー」「ハッピーバースデー」「おめでとうだよー」
お祝いのコールが続き、そこでようやく何が起こったのか理解したらしく、サナの手が僕の腕から離れた。
「みんな、ありがとー。――で、企画した人は誰?」
みんなが一斉に僕を指さす。
「ははは……記憶に残る誕生日にしたかったんだ」
「そうなの。高石君、ありがとうね」
サナはニコニコしながら僕の正面に回り込むと、脛に鋭いローキックを放った。
「イテッ」
「なかなかに手が込んでるじゃない。カーナビとスマホのGPSに細工して、わたしに事件の話をするよう水を向けたのね。よくこんな小屋見つけたわね」
「しいたけ農家さんの小屋をお借りしました」
「あーもう、ほんと怖かったんだから」
笑顔のサナから、2発目のローキックが飛んできた。
***
父さん。
あれから10年ですね。
僕も父さんみたいにうまくできるでしょうか。
――さて、どの子から刻もうかな。