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第二話 邂逅の日・1

 昨夜は、確かに恐るべき事件が発生した。

 しかしだからといって志郎の日常生活に特別な変化が起こるわけではない。昨夜ももちろんその場に立ち尽くし続けたりなどはせず、やがて歩き出し、駅に着き電車に乗り、いったん家に帰ったのち近くの銭湯で体を洗い、帰宅後明日の予習と受験勉強をして、歯を磨いて就寝した。そして今日の日を迎えいつも通り朝食をとり朝勉をするなど普段の生活を続けた。確かに異常な事態が起こったが、しかし例えばポスティングのチラシはいつも通り届くし、アルバイトが休みになるわけでもなければ学校が閉鎖されるわけでもない。この世界には自分だけが存在しているわけではないし、現実の日常生活は全人類にとってこなさなければならないことが山ほどある。世界は自分の気分を中心に回っているわけではないのだ。

 もちろん考えなければならないことではある。昨日の異常な存在は明らかに自分を狙っていた。警戒を怠るわけにはいかないし、対策も練らねばならないだろう。しかし、それをいうならある日突然殺人鬼に殺されるかもしれないから警戒しながら生きていくというのと特に変わらない。リアリティがあるかないかの違いだけで、志郎にとってはそれが怪異であろうと殺人鬼であろうと、あるいは天変地異であろうと同じなのだった。人生はいつ何があるかわからないのである。

 それでも改めて考えるのは、自分の特殊な能力のことだった。

「……」

 セブンスターを吸いながら、ライターに目をやる。

 しばし意識を集中させ、ゆっくりとライターを()()()()()()。眼前にふよふよと浮かぶライターをしばらく眺めたのち、志郎はそれを手に取った。

「……」

 念動力(テレキネシス)

 精神操作能力(ヒュプノシス)

 残留思念感応能力(サイコメトリー)

 そして、特に名称はないようだが、あえていえば精神エネルギー具現化能力。

 大まかにいってこれらが志郎の持つ能力である。

 この力を持っているからといって、志郎はこれまでの人生で特別得をしたと思ったことはあまりない。確かに便利な能力だし、例えば昨日の朝自転車事故が起こりそうになったのを防いだり、自転車の鍵に異変があったかどうかを確認するなど使い道はある。しかし、どうにも“しょぼい”と思ってしまうのだ。実際に命を守ったり、防犯に役立ってはいるのだが、それなら特殊能力というよりちょっとした特技というのと変わらない。念動力はあくまでも自分が持てる重量のものしか動かすことはできないし、精神操作は一時的な効果しか持たず、あまり昔すぎると物体の残留思念を感応することはできなくなる。SFやファンタジーに登場するような世界の根幹を丸ごと変えてしまうような力ではないのだ。

 それに、他人に暴かれてはならないことだ。いまライターを宙に浮かせた現場を誰かに見られたらただでは済まないだろう。やまない追及に、原始的恐怖のもと最悪殺されてしまうかもしれない。そう思うと、例えば鍵のない扉を開錠することなどとてもできなかった。鍵がないのになぜ開けられたのか、そんな疑惑を抱かれること自体を避けなければならないのだ。

 実際的な問題として、いちいち意識を集中させなければ使用できない、というのもネックだった。開錠の話でいえば、カバンの中の鍵を手に取って普通に開ける方が効率的なのである。そしてどの力もどちらかといえば体力勝負で、何に何をするかにもよるがどうしても休息を必要とする。ライターを浮かべるぐらいなら大したことはないが、本棚を動かしたりしたらやはり疲労は免れない。いよいよちょっとした特技というのと変わらないのである。

 ただ、精神エネルギーを具現化する能力に関しては、もう少し研究が必要だと、それは昨夜から考えていた。自分にそういったことができるのは知っていた。自分の体から赤い光を放てるということは知っていた。しかし、これまでずっとそれはただの手品と同じだと思っていた。物体をすり抜けてしまうから当然破壊したりはできない。それこそ昨日の戦闘で初めて本来の使い道を学習したのだ。おそらく、精神エネルギーは精神エネルギーに対して効果を発揮するのだろう。だから昨日の怪異を倒すことができたわけで、本質的には精神操作能力と変わらない力なのであろう。もっと練習が必要なのかもしれない。もしも“敵”が現れたとき、必要になるかもしれない。それが昨夜の事件から志郎が得た収穫だった。

 根本的なことをいえば、自分の特殊能力は()()()()()()()という力なのだろうと思う。昔はそのまま認識してしまっていたが、いまは見えない制御を普段はかけているため日常生活で奇っ怪な体験をすることはまずない。昨夜の翼の生えた黒猫も、あまりに強大な力を持っていたから制御を飛び越え認識することができたのだと思う。そもそも普通の人間には見えないのだろうし、自分の放った赤い光も理論的には同じはずだ。普通の人間には見えない世界を志郎は見ることができる。

 しかし、と思う。

 特殊能力を持つ志郎がいうのも妙だが、志郎としてはこの世界はあくまでもリアルにできているものだと思っている。確かに世の中には不思議なことがたくさんある、というのはわかる。しかし、もしいつかの未来で人類が物理的秩序や空間概念を完全に理解したら誰もが念動力を使えるようになるかもしれないではないか。そうならないという保証はどこにもない。そもそも超能力や霊能力と呼ばれるもの自体、科学的に説明しようと思えば説明できるはずなのだ。志郎はそう思っている。科学が万能だと思っているわけではないが、少なくとも“信じていれば願いが叶う”魔法の話よりは“まだわからないことがたくさんある”科学の話の方がずっと説得力があると志郎はそう思っている。いずれにせよ自分の力はそういったものに触れるためのチャンネルがたまたま合っている結果なのだろう。自分の能力はただの特技と変わらないし、あくまでも普通の力だと、考えれば考えるほど志郎はそう考えるようになっていた。

 奇跡は理由がわからないから奇跡なのだ。だから、そういう意味では奇跡は確かにあるとは言える。誰も全てを知る者にはなれないからだ。

 ただ、だからといって他人に明かすことはやはりできなかった。そうはいっても一般社会ではあり得ないことなのだから。

「……」

 この力を自分がいつから身につけていたのかを、志郎は覚えていない。確か物心ついた頃はまだ存在していなかったように思う。あるいは生まれつきなのかもしれないが、しかしそれなら総一朗や智子の志郎に対する印象がいまとは違ったものになっていたはずである。生まれたときからある能力なのだとしたら、おそらくそれを他人に明かすことが危険なことだとは思わなかったはずだからだ。

 確実に言えるのは、小学二年生の頃から()()()()()()()ことに制御をかけられるようになったから、そこから考えれば、やはり。

 あの交通事故がきっかけだろうか。

 ぶんぶんと志郎は頭を振った。だめだ、考えてはならない。思い出そうとしてはならない。能力がいつから存在するかなどどうでもいいではないか。それが生まれつきだろうと去年からだろうと同じことだ。いま自分が能力を持っているということがわかっているならそれでいいのだ。あのときのことを考えてはならない。思い出してはならない。そんなことをしたら“繋げて”しまう。彼女は自分にとってあくまで気のいいおばさんで、大親友の大切な母親なのだ。いやだめだ、考えてはだめだ、そのまま考えてしまうとそこにあるのは––––。

 ()()()()()()()()()()()()()

「おはよー志郎ー」総一朗がドアをコンコンと叩いた。「起きてるかー?」

「起きてるよー」

 と、志郎は玄関に向かい、ドアを開けた。いつもと変わらない幼馴染みの笑顔がそこにあった。

「おはよう」

「おはよ。なに、また煙草吸ってたの?」

「やめられないとまらない」

「志郎の唯一の秘密だな」

 少なくとも秘密なら二つある。能力のことと、自分があの事故の経緯を知っていること。どちらも誰にも言えない。総一朗には絶対に言えないし言わない。

 そう、この平凡で平穏な日常を守るためならなんでもする。総一朗との楽しい毎日を邪魔するものは決して容赦しない。誰であろうと何であろうと決して許さない。それがたとえ何らかの怪異であろうと、自分の特殊能力であろうと、そして自分の愚かな発想だとしても。

「じゃあ行くか!」

 この笑顔を守るためならどんなことでもする。

 だから総一朗には絶対に言わない。

 だから絶対に、言うものか。

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