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第一話 春の闇・1

志郎(しろう)! 志郎!」

 玄関のドアを叩く音とともに幼馴染みの大声が聞こえた。うるさいなあ、と思ったその直後、志郎は目が覚めた。

「……」

 ドンドンとドアを叩く音を耳障りに思いながら上半身をのそのそと布団から出し、目覚まし時計を手に取った。

 そしてアナログ時計の表示を見て飛び起きた。

「えっ! 八時時四十分⁉︎」

「志郎! 起きろ起きろ! 今日から学校だぞ!」

 起き上がり、パジャマを脱いで詰襟制服に着替えながら志郎は叫んだ。

「総ちゃんごめん! 入っていいよ! すぐ準備する!」

「三年生の初日から遅刻なんて恥ずいからなあ」

 合鍵を使って総一朗(そういちろう)は志郎の部屋に入った。身長百九十二センチメートルの総一朗にとって大概のドアは窮屈だったが、このドアは特に屈む必要があった。

 合鍵は志郎がこのオンボロアパートを借りたときからもらっていた。しかし親友とはいえ他人の家に無断で入るつもりはなかった。それが総一朗のポリシーだった。しかし到着後十分も大騒ぎしていたことを思うと、果たして自分の判断は正しかったのだろうかと自信を失う。いつも志郎は寝起きがいい。だから、それこそ一人暮らしのアパートで死んでいたのかもしれないという最悪の可能性を考慮してもよかったと思う。そんな可能性が実現していなくて本当によかった、と、総一朗は顔を洗う志郎の横顔を見て胸を撫で下ろしていた。

 髪をワックスでまとめ、起床直後すでに歯磨きをする時間がないことを悟っていたためその間噛んでいたキシリトールのガムをトイレットペーパーにまとめゴミ箱に放り投げた志郎は、眼鏡をかけながら心底申し訳ない気持ちいっぱいで総一朗の方を見た。

「ごめん、目覚まし止めちゃったみたいだ」

「死んでなくてよかったよ」

「ありがとう」

 手提げカバンを持って玄関に向かい靴を履く。二人で外に出て、まだ春になったばかりだが燦々と輝く太陽の眩しさに志郎はちょっと目を細めた。部屋の鍵をかけ、そして自分が空腹であることを感じ始めた。

「朝ごはんは、仕方がない」

「コンビニ行く?」

「そんなお金はない。そもそも時間がないでしょ」

「いや志郎のミスだろうが」

「ごめん……」

「とにかく行こう。今日は始業式だし、昼過ぎには帰れるからうちで飯食えばいいよ」

 うちで飯、というワードで志郎は目を輝かせた。

「ありがとう!」

「さあ行くぞ!」

 と、二人は階段を降り、志郎はすぐ横の駐輪場へと向かった。総一朗は自転車を道路沿いに置いたため、二人は別れる。籠の中のリュックサックが盗まれる心配など無用なぐらいこの辺りの治安はよかった。それもこれもこの“幽霊屋敷”に近寄る物好きはほとんどいないからだった。

 別れたと思った十数秒後、いつまで経っても志郎が自転車姿で現れないので、総一朗は怪訝に思った。怪訝に思った矢先、志郎が姿を現した。ほんの一瞬別れただけなのにその顔はひどく疲弊していた。

「鍵がない」

 という志郎の一言を聞いて総一朗はぎょっとした。

「えっ!」

「なぜないのかわからないけどないものはない」

「部屋は!?」

「だからちょっと待ってて見てくる!」

「いやっ」と、総一朗は早足で志郎の前に自転車を押していき、荷台に目をやった。「乗れ!」

「二人乗りは……」

「あーもういいから!」総一朗は志郎の腕を引っ張って無理やり荷台に座らせた。「いいな!」

「う、うん」

「じゃ、レッツゴー!」

 と、自転車にまたがった瞬間から高速運転が始まった。

 歩道ではなく車道を走った。道路交通法上それは正しいことではあった。しかし理由としては歩道を走る方が危険だからである。それぐらい総一朗の自転車は速かった。

 総一朗とのタンデムは久しぶりだった。相変わらず速く、かつ安定している。後ろに自分が乗っていて、かつ学校まではやや上り坂なのによく息が切れないものだと運動音痴の志郎は少し感動していた。さすが運動部にしょっちゅう助っ人を頼まれているだけはあるし、それで小遣い稼ぎができるのもうなずける。もっとも本人はそれほどスポーツを好んでいるわけではないのだが、それをもったいないなあ、と、志郎はいつも自分のことのように残念に思うのだった。

「始業式のあと、一斉テストで、掃除して、それから下校だったっけ?」全速力で自転車を漕いでいるとは思えないのんびりした口調で総一朗は訊ねた。「他になんかあったっけ?」

「イレギュラーな事態がなければそれでおしまい。明日からは通常に」

「部活は?」

「通常に」

「おっし、じゃアンプ繋げられるな」

「スタジオでも借りればいいのに」

「そんな金ないよ。お互い様だろ」

「わかってはいる」

「でも家でも練習はできるからな。この春休みずっと弾きまくったぞ。俺が次のチャック・ベリーだ」

「作曲は?」

「十曲できた」

「へえ、すごいね」背中越しに歩道を見てみると視界に息を切らして走るセーラー服姿の女子二人組が映った。「あ。飯沢(いいざわ)さん、真島(まじま)さん」

 ビュン、とあっという間に二人を通り過ぎ、志郎は振り返って軽く会釈した。

「あ。山岡(やまおか)くん、織部(おりべ)くん」と、飯沢蒔菜(まきな)は呑気な口調で言った。「あの山岡くんが二人乗りを許容するとは、なかなかの絶体絶命みたいだね」

「いや絶体絶命はこっちだよ!」と、ヘトヘトになりながら真島紗耶香(さやか)は呻いた。「どうして定期入れに定期がないの⁉︎」どうやら蒔菜がバスの定期券を忘れたようである。

「なぜかな」

「なぜかなじゃない! あたし現金派じゃないからあんたの分のお金ないし! こんなときに限ってあんた無一文だし! っていうことにバスが来てから気づくし、なんで⁉︎」

「うーん。でもそんなわたしに付き合って一緒に走ってくれる紗耶香が好きだよ」

「あーもう!」

 二人を置き去りに志郎たちはどんどん学校へと近づいていった。歩道を見れば走っている生徒たちが何人もいる。志郎は腕時計を見た。時刻は八時五十分に間もなくなろうとしている。ホームルームの九時には安心して間に合いそうだった。二人はホッとした。

「間に合う間に合う!」

「さすが総ちゃん」

 ところがその時、突然目の前に黒い猫が現れた。

「わっ!」

 咄嗟に総一朗は猫を避けようとしたが、その瞬間、自転車はバランスを崩し––––。

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