私、天才技術者のリリ、こっちは死んだ夫が残したアンドロイドの夫二号!
「ちょっと二号! 脱いだ靴下洗濯カゴに入れるなって言ったじゃん!」
淡いベージュの髪に、明るい琥珀色の瞳。一年前に死んだ夫にそっくりな顔をしたアンドロイドが目を見開き、これまた彼によく似た反応を見せた。
「え?! ごめん、無意識で……」
セリフは同じ。ただし生前とは行動が逆。
夫は家に帰ってくると無意識に靴下を脱ぎ捨て私に怒られていたが、二号は靴下をちゃんと洗濯カゴに入れて怒られている。
彼は、夫が私に残したアンドロイドだ。
夫に治ることのないという病気が発症した時、技術者だった夫が、こっそりと彼を準備していたらしい。私に寂しい思いをさせないようにするため、と二号が言っていた。
葬式の後家に戻ったら、夫そっくりな二号がいた。最悪の演出だと思う。
気が利かないくせに、私のために余計なことをするところがいかにも夫らしい。そう思って、私は夫の形見として、二号を手元に置くことに決めた。
私と夫との出会いは、大学時代にまで遡る。
夫は当時学部生一年生の私の必須科目、一般教養の情報技術とプログラミングの授業にTAとして参加していた。
ぼんやりした顔の、おとなしい院生だった。
私はあまり情報技術が得意ではなくて、課題を片付けるのも大変だった。図書館で課題に取り組んでいて、行き詰まり、たまたま夫を見かけた。その時質問をしたところからなぜか縁が繋がって今がある。
学生時代に知り合って、付き合ってからはそれなりに長い。でもまさか結婚して三年も経たないうちに夫が病死するとは予測していなかった。
夫のプロンプトで動くAIを搭載したアンドロイドの二号は、夫本人とは似ているようで結構違う。
二号は靴下を脱ぎ捨てないし、人の話をちゃんと聞くし、朝寝坊もしない。
自分の代わりに残すなら、ダメなところもちゃんとその通りにしなさいよ、と思った。
プロンプトを上書きして、夫が勝手に美化したアンドロイドを、本人に近付けること。それが私がここ一年取り組んできたことで、結構近付いたと思う。
それなのに、なぜかまた靴下を洗濯カゴに入れてきた。
「おかしいな。プロンプトどこ行ったの?」
二号が、うーん、と首を傾げた。
「一度の会話で参照できるメモリの上限に達したから、古いプロンプトは無効になってるみたいだね」
「メモリの上限?」
「えっと、僕が一度の会話で参照できるデータは五〇UBまでだけど、靴下についてのプロンプトは君が最初に入力したプロンプトだから、通常の会話では対象外になっているみたいだね」
「つまり……貴方って一度言ったことを全部覚えてるわけじゃないってこと?」
「うん」
「じゃあこれから古い順にどんどん忘れてくってこと?! 一年の私の頑張りが……!」
二号は申し訳なさそうな顔をした。
こんな顔をしているが、私が次々とプロンプトを音声入力しているときには何も言わなかった。
プロンプトにないことはしない。いかにも人工知能らしい不親切さだ。
私はこの対処法についてしばらく考えて、一つ案を出した。
「……人間の長期記憶と短期記憶みたいにメモリを二種類に分けて、毎回必ず参照するためのストレージを持つってのはどう?」
「良いアイディアだと思うよ」
「毎回参照する大事な方は内部ストレージに入れて、今日みたいな会話はクラウドにしようかな……どっちにしろ有限だから、エンコードの方法変えなきゃだめかなぁ」
「最近新しい圧縮アルゴリズムが開発されたんだ。論文読んでみる? 面白かったよ」
「えー? 難しくない?」
「大丈夫、リリなら出来るよ。僕も手伝うし」
二号が朗らかに笑った。
私が何か悩んでいると、根拠もないのに大丈夫、と笑うのは昔から夫の良いところであり、同時にイラっとするところだった。
「内部ストレージ内にも情報の優先順位付けしたいから手伝って」
「もちろん」
二号が頷いた。
「あ、でもその前になにか食べない? 僕、お腹空いちゃった」
二号が緊張感のない笑みを見せた。
アンドロイドはお腹なんか空かない。
でも、大事な話をしてこれから私が集中しようとしている時に、邪魔するように食事に誘ってくるのが夫だから、これでいい。
そういえば、プロポーズされた時も、ちゃんと話を続ける前に同じことを言われた。
プロポーズは、新卒で入社した会社を半年ほどで勢いで退職した時。彼から、「次の仕事決まってないなら、僕のところに就職するのはどうかな」と声をかけられた。
私は、当時、すでに技術者として一人で生計を立てていた彼のアシスタント的な存在をオファーされたのだと勘違いした。夫はものすごく生活能力が低くて、管理能力も低く、しばしば重要な論文の締め切りを忘れる。ちゃんとした常勤のアシスタントを雇った方がいいのでは、というのは私から彼に何度か提案していたことだった。
しかし彼は、アシスタント業務なら自分の作ったAIがいるし、知らない人と話すのは緊張するんだ、と曖昧な顔で有耶無耶にするばかりだった。
私は、私に”就職”をオファーした夫に対し、とうとうアシスタントの必要性が通じたのだと思っていた。それゆえに、それが彼なりのプロポーズだと気付くまでは少し時間がかかった。
なんだか会話が噛み合わないと気付いた後、夫は「永久就職、って意味なんだけど」と言って照れたような、気まずそうな笑顔を見せた。
その言い方はすごく古い。まるで時代劇のようだ、と思った。
あの時の笑顔を、私は一生忘れないと思っていたけれど、今はもう記憶から薄れかかっている。
*
私は作業を終えて、端末を閉じた。隣に座ってアドバイスをくれていた二号に話しかけた。
「できたと思う。どう、二号?」
「うん、これなら同じペースで情報が増えても二〇年は保つよ」
「うぇ、また二〇年後に同じことをしないといけないの?」
「その頃には新しい技術ができてるよ。ハードも変えないといけないかもね」
「うぅ、ハード苦手」
「大丈夫、リリならできるよ」
「また適当なこと言う」
私は、情報技術は不得意なはずだったのに、いつの間にかプログラミングに手を出していた。夫の残した二号の絶妙な〝夫らしくなさ〟が許せず、音声でプロンプトを上書きするだけで足りなくなったのだ。
アシスタントをしながら身につけた薄い知識に、二号の助けを借りて。
「あ、リリ」
「何?」
頭を使って疲れた。ソファに沈み込んでカフェラテを飲む。はぁ、と一息ついたところで二号が何かを思い出したように顔を上げた。
「僕からの手紙を渡してもいいかな?」
「手紙……? 何の?」
「秘密」
隣に座っているのに、AIがわざわざ手紙にしたためる言葉とは何だろう。少しだけ興味が沸いた。
二号は楽しそうに笑うと、夫が使っていた仕事部屋に消えた。
一年間そのままになっている、大きなモニターとテーブル、椅子があるだけの殺風景な部屋だ。片付けるものがないからそのままになっている。
二号が持ってきたのは、白い封筒に入ったカードだった。受け取って封を開けると、立体映像が立ち上がる。
「わっ!」
突然の予期せぬギミックに驚いてカードを落としてしまった。
『リリ』
夫だ。
病室にいたときの、少し顔色の悪そうな夫。
『久しぶり。この手紙を見てくれてるってことは、もう一年経ったのかな』
まるで一周年の祝い事をするような明るい口調に引いた。夫の眉が、私の思考を読んだかのように八の字になる。
『古い技術でごめんね』
「そこじゃないわ」
思わずツッコミを入れたけれど、相手は立体映像だ。私の声は虚しく部屋に響いた。
『本当はアンドロイドの僕にしゃべってもらおうかと思ってたんだけどね。リリがどこまで見るかわからなかったから、ネタバレになったら嫌だな~って思って、ホログラムにしちゃった』
「ネタバレ?」
『結婚してからリリに色々怒られてたこと、全然直せなくてごめんね。きっとそこにいる僕はもっと上手くやってると思うんだけど』
「……」
私は二号の顔を見た。
二号は居心地が悪そうにしている。それはそうだろう。プログラムによれば、彼にとっては過去の自分の発言を聞いているような感覚(感覚というべきかは置いておいて)のはずで、それはある意味黒歴史的なものになるはずだ。
一年も前の自分が、一年後の配偶者に宛てた過去の発言を見返すなんて、恥ずかしくて耐えられない人が多いと思う。
『でも、リリは、きっと、直さなくていいって言うよね』
「……!」
『きっとそうだろうなと思ったし、僕の勘が当たっているから、こうして君にこの手紙を届けられているんだよ』
「どういうこと?」
ホログラムだと言うことも忘れて質問してしまった。
『リリ、リリは自分のことをすごく飽き性で、何でも中途半端で、実を結ばないっていうけれど、そんなことない』
これは、そんなことはある。
私はそれなりの頭と勘の良さで、始めると学習曲線が急上昇するタイプだ。何でもすぐ身につけられるけれど、その分飽きるのが早い。保って半年。
昔話のウサギとカメのウサギのように、途中で止まってしまう。寝て起きて、カメを追いかけてゴールまで行ければいいけれど、私はゴールまで走れないのだ。
燃料切れで、飽きて、また次のレースに参加する。
その繰り返しばかりで、私は中途半端に何でもできるだけの、何の特技もない女になっている。
『一年』
私ははっと顔をあげた。
『君が、一番最初に僕のプロンプトを書き換えてから一年経ったよ。情報技術なんて興味ないって言ってたのに、コンピューター科学の基礎も、プログラミング言語も、数学も機械学習もライブラリも全部勉強して、ちゃんと自分のものにした』
「それは……」
『僕のためならやってくれるんじゃないかって、ちょっと期待があって』
「は?!」
映像の夫が照れたように笑った。
『リリってなんでも半年で飽きるって言うけど、僕と一緒にいるのは飽きないみたいだったから……』
「モノと人間は別でしょ!」
『君はもう一人の技術者としてやっていけるくらいの知識と技術があるけど、これを仕事に選ぶかは気にしてないんだ。ただ、リリが、自分のことを、才能に溢れた、とても素晴らしい人だって、信じてくれたら嬉しいな』
夫は生前も、私のことを”才能に溢れた素晴らしい人だ”と何度も口にしていた。
私が幼少期に習ったピアノをちょっと弾いてみたり、料理をしたり、夫の学会用のプレゼン資料を綺麗にまとめ直したりすると、そんなどうでもいいことを大袈裟に褒めた。
『僕が言ってもなかなか認めてくれないから。でもそこに、成果があれば、認めてくれるかなって』
夫がふにゃっと笑った。
私は隣に座る二号と目を合わせた。
二号はもう気まずそうな顔はしていなかった。その代わり、私の手を握って微笑んだ。人の体温ほどの暖かさがあるシリコンゴムの手が、私の手を包む。
『リリ、君が何かに興味を持って、楽しそうにしている時の顔が好きだよ。自分で見れないのはすごく寂しいんだけど、これからも君が、たくさん楽しいことに出会えますように。君が何かやってみたこと自体がすごいことだって、何度でも近くで言ってあげたいから……そこだけは書き換えないでね』
夫は最後にもう一度笑った。
ホログラムは消えて、しんと部屋が静まり返る。
「……成果なんてないよ。全然上手にできてないもん」
私の目から涙がぽろぽろ流れる。二号が私のことを抱きしめた。
結婚する前、私の父が亡くなった時、泣いている私を見て夫は無言でそばにいた。当時すでに付き合っていたのに、どうしていいか分からなくてハンカチの一枚も差し出さず、ただ黙ってそばにいたのだ。
泣き終えた私は、こういう時は安心させるために抱きしめてよ、と文句を言った。
もしここにいるのが本物の夫だったら、彼は私を抱きしめてくれただろうか。それともあの日みたいに、戸惑って固まっているだろうか。
二号の背中に手を回して力をこめる。背中の感触や体温は似ているけれど、匂いは違う。
*
「ねぇ、私が入力したプロンプト、全部削除して最初の設定に戻してくれない?」
散々泣いて、夕飯を食べてから、私は二号に話しかけた。
二号は首をかしげた。
「え? いいけど、なんで?」
「今日ホログラム見て思ったけど、二号って夫と全然違うんだもん」
私は私の記憶にある夫をなぞらえていたつもりだったけれど、何かが違った。
「違うなら、もっと似るようにすればいいんじゃない?」
私は首を横に振った。
「ううん。いい。二号はそのままでいいよ。これから色々忙しくなるのに、人の靴下なんか拾ってらんない。料理も一緒にやろうよ」
二号は明るい茶色の瞳をぱちぱち瞬きして、それからポロっと涙をこぼした。
「あ」
二号の手が、自分自身の涙に触れた。
「泣いてる」
「泣いてるね。夫が泣いてるところなんて見たことないけど……どうしたの?」
「これは嬉し涙だと思う」
「嬉し涙」
二号が涙の浮かんだ瞳で微笑んだ。
「僕は感情が君に伝わりにくいのをちょっと気にしてて……嬉しいときにリリみたいに思いっきり喜べたらいいけど、流石に別人すぎるかなってやめたんだ」
「今の、そんなに嬉しかったの?」
二号が頷く。
「うん。『そのままでいいよ』って言われたのは、僕がリリに惚れたきっかけでもあるから」
初めて聞く話だ。
「そうなんだ」
私が夫に「そのままでいい」と言ったのはいつだっただろうか。きっと学生時代だ。
夫は自分の研究に没頭する以外は、人付き合いも下手で、生活力も低く、身だしなみも私に言われるまでひどい状態だった。そんな彼に「そのままでいい」なんて、怒りっぽい私が本当に言ったのだろうか。覚えてない。
「あ」
古い記憶を思い出した。
何かの会で夫が表彰された時、発表があるのにネクタイを忘れて慌てていた時だ。私は会場近くにあったスーベニアショップで、ネクタイを買ってあげた。
不思議な幾何学模様の、学会で身につけるには相応しくなさそうな、派手なやつ。
彼は、大事なときにいつもこうだ、と落ち込んでいた。
ものすごく名誉ある賞を、たった一つのことを努力し続けて掴んだ彼。私には眩しく、そんなことで落ち込まないで欲しいと思った。
そのときに確か、そのままでいいと言ったんだ。私がフォローしてあげるから、って。
忘れていた。
直さなくていいと言った割に、結婚してからは靴下を洗濯機に入れろとか、食べた後の皿をちゃんとシンクに戻せとか、色々口うるさく言っていた。
全然直さない割に、夫はなにを言われたかは覚えている。二号の行動を見れば分かる。
二号と、夫と、ちょっとした振る舞いが全然違う。それが全部、夫が覚えていた私の小言だ。
二号が瞬きした。
「リリ、初期化が終わったよ」
「終わった?」
「うん。……一緒に夕飯作ろうか。僕、お腹空いちゃった」
二号はお腹なんか減らないくせに、またそんなことを言う。
「そうだね。私パスタが食べたいな」
でも、お腹が空いたと言って、そうだねと答えてくれる誰かがいるのは幸せなことだから、そのままでいい。
「私、この前、プロのペペロンチーノのVR見たからやってみたいな。すっごいいい香りで、鷹の爪とオリーブオイルとニンニクと塩だけなのに美味しそうなの」
「いいね。リリならできるよ」
「まぁね! 楽しみにしててよ」
私が笑うと、二号も嬉しそうに微笑んだ。