21.報い
ある日の朝食の席でエイブラムが珍しくソフィアを外出に誘った。
「ソフィア。今日は我が家がパトロンをしている画家の個展がある。夫婦で出席するからそのつもりで」
「分かりました」
絵画なんて面白くないがこれも公爵夫人の仕事だ。どうせならエイブラムではなくジョシュアと一緒に行きたかった。それでも納得いくように化粧をして先日仕立てて出来上がったばかりの特注のドレスを着た。エイブラムの手を取りその個展へ向かう。ソフィアは誰もを魅了する笑みを浮かべ絵画以上に美しいと賞賛を浴びた。
(当然だわ)
久しぶりに聞いた賛辞に気分を良くして個展会場を後にした。
その後は有名なレストランで食事をしてエイブラムと公園を散歩した。周りに夫婦仲を見せつけるつもりらしい。
(日焼けしてしまうから早く帰りたいのに、まったく気の利かない男ね)
不満はあるがソフィアは人目のある所で本心を晒すようなことはしない。いつ誰に見られるか分からない以上、心の不満は笑みの下に隠しエイブラムの腕に手を添え歩く。
すると正面からジョシュアとシャルロッテが歩いてきた。あの二人もきっと仮面夫婦だ。ソフィアはジョシュアを熱の籠った目で見つめ続けた。すれ違うその瞬間まで。でも彼は一度もソフィアを見なかった。きっと彼は公爵家の立場を考えてソフィアを見ることを我慢しているのだ。
可哀そうなジョシュア。ソフィアは自分の妄想に夢中になっていたので、隣でエイブラムが仄暗い表情で自分を見ていた事には気付いていなかった。
屋敷に帰ればソフィア宛に手紙が届いていた。開けば金の無心が書かれている。相手は学園時代にテストの不正を手伝わせた女だった。その子は父親が病気で倒れて困っていたので金を渡す代わりに彼女の答案をソフィアの答案として提出させた。すでにかなりの金を渡している。学園を卒業した以上もう関わるつもりはない。ソフィアはその手紙をビリビリに破いて捨てた。
ガルシア公爵邸で夜会を開くことになった。リストにはフィンレー公爵子息夫妻の名前もある。ジョシュアに会える。彼はどんなふうに自分に甘い言葉を囁いてくれるのだろう。想像するだけで胸が高鳴る。ソフィアはジョシュアが自分を愛していると確信していた。
夜会当日、ジョシュアはシャルロッテを伴って来た。当然なのだがソフィアにとっては忌々しい。しばらくして二人が離れた。ジョシュアは男性陣と話をしている。ソフィアは彼と話をするチャンスを辛抱強く待った。ジョシュアたちの打ち合わせが終わり一人になった。運よく側にエイブラムはいない。今しかないと思った。
「ジョシュア様!」
「これはガルシア公爵夫人。何か御用ですか?」
ジョシュアは無表情で言葉はそっけない。彼はソフィアより一歳年下だから照れ隠しかもしれない。
「まあ、せっかく会えたのにそんな演技は不要ですわ」
「私はあなたに会いたいとは思っていませんが、なにか誤解をされていませんか?」
ソフィアは目を見開いた。嘘だと首を左右に振る。そして縋るようにジョシュアの腕を掴んだ。
「誤解なんて……。あなたは家のために好きでもない女と結婚したのでしょう。でももう我慢せずに私を迎えに来て下さい。だってジョシュア様は私を愛しているのですから」
ジョシュアはソフィアを侮蔑するような目を向ける。
「私が愛しているのは妻だけだ。夫人のことなど何とも思っていない。誤解をされるような行動をとったこともありませんが、何を根拠にそんなことを?」
「根拠? そんなもの……。だってみんな必ず私を好きになるのに……」
ジョシュアの言葉が信じられない。それなのに彼の態度は真実だと物語っている。自分が愛されないなんて想像したこともない。自分がシャルロッテに劣っているとでもいうのか。
「ジョシュ!」
そのときシャルロッテがジョシュアに声をかける。その瞬間ジョシュアは蕩けるような表情をシャルロッテに向ける。ソフィアは呆然とする。あの笑顔は自分に向けられるはずのものだ。それなのにどうして? ソフィアが目の前にいることなど無視して二人は甘いやり取りを続ける。
(こんなの嘘よ……)
気付けば二人は寄り添いながらその場を離れていった。ソフィアは動揺しながら会場を出た。
(どうしてこんなことに。何とかしてシャルロッテを排除しなければジョシュアが手に入らない)
会場を出てすぐの階段を降り始めたところで声をかけられた。
「ソフィア様」
「ロザリー様。どうしてここに? あなたに招待状は出していないはずよ」
ロザリーはテストの不正を手伝わせた女だ。
「ソフィア様に大事な話があるからとガルシア公爵様にお願いして入れてもらいました。どうしてお金を送ってくれないのですか? 約束が違います。卒業後五年間は援助をして下さるはずでした」
「もう、卒業したのだから終わりに決まっているでしょう。今まで結構なお金を渡したわ。それで十分でしょう。欲張るのもいい加減にして頂戴」
「そんな、それならば引き受けたりしなかったのに。私のテスト結果ならば文官へ進む道もあった……。ソフィア様のテストの結果は酷すぎて卒業ギリギリでした。あれでは仕事を探すのも大変です。その責任を取ってください」
「うるさいわね。もう終わったことよ。帰って」
今はジョシュアとシャルロッテをどうするかを考えなければならないのに、ロザリーに構っている暇はない。イライラとしながらロザリーを無視して階段を降りようとしたら、腕を掴まれた。
「ソフィア様。約束を守って下さい。あなたが払わないのならガルシア公爵様にお願いしますよ」
ソフィアは眉を寄せた。テストの不正が見つかりそうになったときの学園への圧力はエイブラムがしてくれたが、かなり厳しく叱責されたのだ。取り巻きにお金をばら撒くのは社交の一環という認識のようで進んで手を貸してくれたが不正をすることはとても嫌う。テストの不正はエイブラムには告げずに実家の父に頼んでお金を出してもらって実行していた。エイブラムは変に潔癖なところがあって、ガルシア公爵家の汚点になることを許さない。ロザリーに強請られていると知れば怒られる。そんな煩わしいことは御免だ。
「放して! そんなことをすればエイブラムを怒らせるだけよ。このまま黙って帰りなさい」
暗にガルシア公爵家を敵に回すのかと強く出る。ソフィアはその場を離れようとしたがロザリーが腕を強く掴んでいるので思い切り振り解いた。その瞬間、体のバランスを崩し階段から落下した。
「あっ!!」
咄嗟に手すりにつかまろうとしたが届かず、階段下の台で体を打った。その衝撃で台の上の花瓶が落ちて割れた。割れた破片がソフィアの方へ飛んできた。ロザリーの大きな悲鳴が響くがその声がどこか遠くから聞こえるように感じた。
(頭が、体が痛い……)
ソフィアはそのまま気を失った。
意識が戻るとあちこちが痛む。体を起こすことも出来ず安静に過ごした。ロザリーのことが気になりそっとエイブラムに聞いたが「もう関わることはない」と断言された。何か手を回してくれたのだろう。叱られることもなくホッとした。
一週間ほど経ち、侍女の手を借りベッドを降りられるくらいに回復した。
ソフィアは鏡台の前に腰かける。療養中ずっと気になっていた顔に巻かれた包帯を取るために。怪我自体は軽い打撲でたいしたことはないと聞いていたが顔の傷については教えてもらえなかった。花瓶の破片で少しだけ怪我をしているとしか聞いていない。
(自分の顔に傷が残ったらと思ったら頭がおかしくなりそうだった。確かめるのが恐ろしかったが、それでも知りたい)
鏡に映る自分の右側頭部から頬に掛けて包帯が巻かれている。
(きっと大袈裟にしているだけできっと小さな傷だ。化粧で隠せばいい)
恐る恐る包帯を外せばこめかみから頬にかけて傷を縫合した糸がある。
「いやあああああ!!」
こんなの自分の顔じゃない。醜い傷が……。悲鳴を聞きつけてエイブラムが部屋に駆け込んできた。
「ソフィア?」
「エイブラム。私の顔が!! ねえ、これ治るのよね?」
「もちろん治る。もう少ししたら抜糸する」
「傷は? 消えるのよね?」
縋るように問いかける。消えると言って欲しい。元の顔に戻ると。エイブラムは眉を下げ首を左右に振った。
「残念だが傷跡は残る。でもソフィアは傷があっても美しいままだ。気にすることはないだろう?」
「う、嘘でしょう? 傷が残ったら完璧な美しさじゃなくなってしまう。そんなの堪えられない!」
ソフィアはショックのあまりそのまま気を失った。
「ソフィア……君は私だけのものだ」
ソフィアの耳にエイブラムの独り言は聞こえていなかった。
******
憔悴したソフィアはエイブラムに頭を下げ領地で暮らしたいと懇願した。誰にも顔を見られたくない。王都に居れば訪問客もいるので誰かと顔を合わすこともあるかも知れない。今のソフィアはジョシュアのこともシャルロッテのこともどうでもいい。
仕事を一通り片付けるとエイブラムは領地に連れて行ってくれた。領地の屋敷は華やかに改装され、使用人も洗練された人間を新たに雇ってくれた。出来た使用人たちはソフィアを大事に扱い不満はない。
今はエイブラムに頼んで少しでも傷を目立たなくするためにあらゆる化粧品や薬を取り寄せてもらっている。社交に出ることをやめたのでドレスや宝石に興味がなくなり、その分のお金を充てていた。
「ソフィア。傷跡を薄くすると言われている薬が届いた。試すかい?」
「まあ、エイブラム、ありがとう。すぐに試すわ」
幸いエイブラムはソフィアの顔に傷が残っても厭うことはなかった。今の自分は彼に見捨てられたら生きていけない。ソフィアのためにあちこちから評判を聞いてあらゆる薬を手に入れてくれる。まだ効果があるものは見つかっていないが少しでも可能性があると思えば諦めずにいられる。
「今度の薬は効くといいが」
「そうね。ねえ、エイブラム。私を嫌いにならないでいてくれてありがとう」
「そんなことは当然だ。妻を助けるのは夫の役目だからね」
エイブラムは微笑むとソフィアの頬の傷を指でなぞった。不思議なことにその手を疎ましいと思うことはなくなった。あれほど彼の顔の不器量さを嫌っていたのに今は気にならない。むしろ彼の顔はソフィアの心を穏やかな気持ちにしてくれる。言葉は少ないがエイブラムはソフィアに優しく尽くしてくれる。これなら彼の妻としてやっていけそうだ。
その後、ソフィアは生涯を領地で静かに暮らした。




