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2.彼の瞳に映る人

 仮ではあるが婚約を結びシャルロッテとサイラスは交友を深めた。


「実は私、学園にいる時にサイラス様に助けてもらったことがあるのです。校内で迷子になっているときに音楽室まで連れて行って頂きました。ありがとうございました」


 (その時からあなたが好きでした)今はまだ伝えられないけど、いつか言えたらいいな。

 シャルロッテの言葉にサイラスは思い出そうと首を傾げているが、心当たりが浮かばなかったようで首を振って申し訳なさそうに眉を下げた。


「すまない。記憶にないな」


「いえ、いいのです。お礼を言いたかっただけなので」


 やはり覚えていなかった。彼にとっては印象に残るようなことではなかった。仕方がないとはいえ少し寂しい。シャルロッテにとっては恋に落ちるほどのことでも彼にとってはそうではない。簡単に小説のような運命は訪れなかった。

 

 でも、二人の間には縁があってこうしている。運命はなくても信頼を築いていければいい。私たちは始まったばかりなのだから焦る必要はないはずだ。

 シャルロッテは以前ペンダントを届けたことを話したかったが、自分から言うのは恩着せがましいと思い言い出せなかった。まるでお礼を催促しているみたいになる。

 サイラスとは週に一回会っている。街にデートに行くこともあったし、ディアス邸でゆっくりお茶もした。彼のお勧めの本も借りて読んだ。そして感想を語り合う。二人の間を穏やかな時間が流れていく。


 今日は借りた本を返そうとクラーク侯爵邸を訪ねた。残念なことに急用でサイラスは出かけていた。事前に連絡をしていなかったのだから仕方がない。執事に本を預けることにした。その執事はシャルロッテの顔を見ると腰を折り深々と頭を下げた。


「いつぞやはサイラス様の為に落とし物を届けて頂きありがとうございました。またその折に失礼な対応をしたことをお詫び申し上げます」


 あの時の慇懃な態度と違い誠心誠意の謝罪に戸惑う。


「いえ、いいのです。何か事情があったのでしょうか?」


「はい。サイラス様が学園に在学中はあの手この手で近づこうとする令嬢が多く対応に苦慮していました。その件もあり私はシャルロッテ様も今までの令嬢のような目的で来たと決めつけてしまいました。思い込みで酷い態度をとってしまいました。本当に申し訳ございませんでした」


「理由は理解しました。だからもう謝らないで下さい。これ、サイラス様にお借りしていた本です。渡してもらっていいですか?」


「はい。承ります」


 シャルロッテは以前の執事の態度が引っかかりクラーク侯爵邸に顔を出しにくかった。あの時の執事の態度は意地悪ではなくサイラスを守るためのものだったと分かりホッとした。嫌悪されていた訳でも自分に落ち度があった訳でもなかった。

 

 それからも少しずつ距離を縮めているはずなのに手ごたえを得られない。最初はこのもどかしさの理由が分からなかった。彼はシャルロッテに優しい。婚約者として十分に配慮をしてもらっている。でも、心がシャルロッテに向いていない。自分たちは婚約者と言うより友人と言った方がしっくりくる。どこか二人の間に一線を引いている。執事がサイラスは女性で嫌な思いをしていたと教えてくれた。まだシャルロッテを警戒しているのかもしれない。

 焦っては駄目だ。今はこれで満足しようと自分の心を説得するが、彼の心を自分に向けたいという浅ましい思いは消せなかった。


 この婚約はサイラスにとって親から言われたもので望んだものじゃない。簡単にシャルロッテを好きになれないのかもしれない。貴族であれば家の繋がりの結婚として割り切って心を通わせないこともある。シャルロッテのように恋愛で結ばれたいと思うのは我儘なのだ。自分が欲張りだと分かってはいるのだが…………。


 二人で過ごすことに慣れた頃にドレスを贈られた。そして一緒に夜会に出席することになった。シャルロッテは浮かれ、気合を入れて着飾った。派手過ぎず地味過ぎずにそして品を持って。自分は美人ではないが精一杯着飾ればそれなりに可愛くなれるはず。彼のエスコートでダンスを踊れると思うと心が高揚する。


「サイラス様。今日はよろしくお願いします」


「こちらこそよろしく頼む」


 屋敷まで迎えに来てくれたサイラスはシャルロッテを見ても特に表情を変えなかった。彼から贈られたドレスを着ているが似合っているとも可愛いとも言ってもらえなかった。どんなに努力しても彼の心には響かなかったということだ。もしかしたらこのドレスは使用人に手配させて、サイラスが選んだものではないのかもしれない。

 シャルロッテの心は沈みそうになるが、無理に口角を上げて微笑んだ。せっかく一緒に夜会に行けるのに台無しにしたくない。


 サイラスの手を取りダンスを一曲踊った。この瞬間をとても楽しみにしていた。どんなふうに踊るのだろうと想像していた。想像の中ではお互いの顔を見て笑いながらステップを踏んで……。

 

 シャルロッテがサイラスの目を見ても彼は会場に視線を巡らせていて目が合うことはなかった。きっとダンスが終わった後に挨拶をしたい人を探しているのだと思った。貴族にとって社交は仕事でもある。でも数分のダンスの間くらいはシャルロッテを意識して欲しかった。意識が逸れるほど彼にとって自分は重要ではない。そう思うと酷く惨めだった。


 サイラスと過ごせるのは嬉しいはずなのに、その気持ちが段々と萎んでいく。

 その後も二人で夜会に出席した。その度にサイラスは会場入りすると必ず視線を彷徨わせる。まるでいつも誰かを探しているように。回数を重ねるうちにシャルロッテもサイラスの視線を追うようになる。そしてその視線が止まった先にいたのはある令嬢だった。

 年は同じでサイラスのクラスメイトだった人だ。彼女は美しく噂になりやすい人だったので知っているが直接話をしたことはない。


『ソフィア・キャンベル伯爵令嬢』

 

 身分はシャルロッテと同じ伯爵家だが彼女は才媛で名高く淑女の鑑とまで言われていた。その上とても美しい顔をしている。彼女に憧れる男性は多いと聞く。サイラスもそうだったのかと納得した。ソフィアとシャルロッテでは月とスッポンだ。もちろん月はソフィアだ。ソフィアに勝てるものを持っていない。それでもただ一つだけ共通点があった。チョコレートブラウンの髪だ。でもそんなことに意味はない。どんなに努力してもサイラスがシャルロッテを見ない理由がようやく分かった。彼には好きな人がいたのだから当然だ。


 ソフィアには婚約者がいる。十歳年上のガルシア公爵だ。ソフィアが社交界にデビューしたときに公爵が彼女を見染め婚約を結んだ。どれほどソフィアを思ってもサイラスの思いが叶うことはない。自分の心の狭さを自覚しながらその事実に安心もしていた。


 今夜もサイラスは会場内を見渡す。ソフィアが出席していないのか確かめている。そして彼女の姿を見つけると口の端に笑みを浮かべる。優しく愛おしそうな笑みだ。一度もシャルロッテに向けられたことのない表情。その顔を見て心がミシミシとひび割れていく。ひびの入った隙間からは黒い嫌なものが滲み出てくる。それは嫉妬でもあり悲しみでもあった。

 

 きっとこの瞬間サイラスはシャルロッテが隣にいることを忘れてしまっている。サイラスにとっての自分の存在の儚さに涙が出そうになるが、笑みを貼り付けやり過ごす。サイラスの婚約者はシャルロッテだ。誰に憚る必要もないはずだ。それなのに隣にいることがとても居心地が悪い。まるでここはシャルロッテの居場所ではないと言われているような気がする。


 もうすぐ一年、仮の婚約から正式な婚約を結ぶ予定だ。それなのにシャルロッテとサイラスの心はすれ違ったまま、いやシャルロッテの一方通行のままだった。



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