12.守ってくれる女の子
ジョシュアの幼少期は殆どがベッドの上だった。生まれつき体が弱かった。明確な原因はなく虚弱な体質だったようで、静かな生活を送っていれば重篤な状態にはならない。
いったん熱を出せば十日間は床上げが出来ない。季節の変わり目や、ちょっとした外出をして疲れると発熱してしまう。一度風邪を引いてしまうと悪化して長引くこともある。それ以外にもストレスや緊張状態が続く事でも体調を崩してしまう。ジョシュアは自分が心身ともに出来損ないだと幼いころから自覚していた。それなのに自分は公爵家のたった一人の子で嫡男だった。
体の弱かった母は丈夫に生んでやれなかったと自分を責め、父は一族から離婚して健康な若い後妻を勧められていた。そして今度こそ元気な子供を授かりその子を跡継ぎにしろと。
見舞いという体で顔を出す親戚はジョシュアの部屋の前でわざとその話をする。子供相手に憂さ晴らしをしているのだ。
「あの体ではどうせ長く生きないだろう。それならうちの子を養子にしてもらおうか」
「出来損ないしか産めない女とは離縁するべきだ。うちの娘を後妻に迎えれば立派な跡継ぎを産んでみせるのに」
熱にうなされながらも両親に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。特に母への誹謗に心を痛めた。体が弱くても自分は男の子だから強くならなきゃいけない、泣いちゃだめだ。そう思い歯を食いしばり涙を堪える。ひたすら元気になりたいと念じるのに体は簡単には回復しなかった。
自分が健康じゃないばかりに母の心労が重なり、細い体がいっそう儚く見える。ジョシュアに見せる笑顔はいつだって悲しみと憂いを帯びている。父は安心させるように穏やかに話しかけてくれるけど一族から心無い言葉を浴びせられ疲れている。それなのに元凶の自分は何も出来ずベッドで眠るだけだ。消えてしまいたい、そう思うことも度々あった。
それでもシャルロッテと会う時だけは嫌なことを忘れて穏やかでいられる。ジョシュアにとって大切な一時だった。
「ジョシュ。大丈夫? お熱下がった? 今日はね。リンゴを持ってきたから私が剥いてあげるね」
「えっ? ロッティがりんごを剥くの? 怪我をしちゃうよ、侍女にお願いしようよ」
「大丈夫よ。任せて!」
シャルロッテが怪我をしたらと思うと怖かったが、彼女は意外と器用で果物ナイフでスルスルと皮を剥く。それをキラキラした瞳で眺めていた。
「すごいね。ロッティは魔法使いみたい」
「このくらい簡単よ」
ジョシュアの尊敬のまなざしに誇らしそうな笑みを浮かべて、りんごを一口サイズにしてくれる。剥き終わるとお皿に盛りフォークで刺して、ジョシュアの口元へ「あーん」をしてくれる。甘えている自覚はあったがこの瞬間が好きだった。大きな口を開けリンゴを迎え入れ、しゃくしゃくと咀嚼すれば心地よい歯ごたえと甘みが口内に広がる。痛かった喉にもするりと流れていく。
もっとと口を開ければシャルロッテがニコニコしながら次のリンゴを口に入れてくれる。食べ終わるとジョシュアを寝かせ手を繋ぎ子守唄を歌ってくれる。
どんな薬よりもシャルロッテの看病が効いた。彼女が来てくれると驚くほど早く熱が下がった。小さなシャルロッテがジョシュアの生きる希望で大切な存在だった。
彼女は飛びぬけて美人ではないかもしれないが真ん丸の瞳も小さな唇も可愛らしい。小柄なので小動物っぽい雰囲気がある。ジョシュアにとっては世界一可愛いお姫さまだ。シャルロッテの見た目は口答えなどしない物静かで大人しそうな子供に見えるのだが、見た目に反して気が強い。口を開けばポンポンと言葉が出て来て驚いてしまう。
ある日、公爵邸の庭の向日葵の下で二人並んで遊んでいた。地面に小枝を使って絵を描いていると通りかかった親戚がわざと二人に聞こえるように話をしだした。
「まだ出来損ないは生きているのか。さっさといなくなればいいのに」
「まったくだな」
公爵家嫡男のジョシュアがいなくなれば別の誰かがその椅子に座る。皆がそれを欲しがり虎視眈々と狙っていた。言い返す事もできず俯き唇を噛んだ。すぐに寝付いてしまうので反論できない。それに自分が馬鹿にされている所をシャルロッテに知られたくなかった。恥ずかしくて悲しくて悔しかった。
ジョシュアが俯いていると隣にいたシャルロッテが立ち上がり大人たちをキッと睨んで小さな口を開いた。
「おじさん達、恥ずかしくないの? いい大人のくせに言っていいこととそうでないことも分からないの?」
「ふん。お前には公爵家の血は入っていないのだから口を出すな。本当に忌々しい子供め! いつか出入り禁止にしてやる」
「その前に私がおじい様に報告するわ。そうしたら出入り禁止になるのはおじさん達よ」
シャルロッテは胸を張ってふふんと偉そうに言い返した。「これは虎の威を借りる狐っていうのよ」と彼女がこないだ教えてくれた。
「出来るもんならやってみろ!」
「後悔するのはそっちだからな!」
その人達はありきたりな捨て台詞を吐いて去っていった。シャルロッテはその後姿を見送るとジョシュアの手を引いて歩き出した。
「ロッティ、どこにいくの?」
「もちろん、おじい様のところよ。おじさん達、出来るもんならやってみろって言っていたからやるに決まってるでしょ? あのね。お父様は使えるものは何でも使いなさいって教えてくれたの!」
この時のシャルロッテは九歳だ。子供故の大胆さなのか本来の性質か彼女は思い立ったらすぐに実行した。
おじい様というのは二人にとっての祖父であり現フィンレー公爵当主だ。厳格でいつも怒った顔をしているので一緒に暮らしているジョシュアにとって一番怖い大人だった。
「ロッティ。やめようよ。怒られちゃうよ」
「大丈夫よ。おじい様は話の分かる大人だと思うの。それにジョシュアは出来損ないなんかじゃない。いっぱい頑張ってるのに許せないから注意してもらうの」
シャルロッテが自分のことを認めてくれる。その言葉は心を温め気持ちを強くさせてくれる。
ジョシュアとシャルロッテは従姉弟同士だが血の繋がりはない。祖父は祖母を亡くした後、子連れの女性と再婚した。その子供がシャルロッテの父親アルロでジョシュアの父ローガンとは血の繋がりはない義理の兄弟だ。
アルロとローガンは本当の兄弟のように仲がよく、アルロが結婚を機にディアス伯爵家を継ぐことになりフィンレー公爵家を出たあとも親交は続いている。そしてアルロはシャルロッテを連れて公爵家に頻繁に顔を出してくれた。
外出がままならないジョシュアの為に年の近いシャルロッテなら遊び相手になると気を遣ってくれていたのだ。
そのおかげでジョシュアは物心ついた時からシャルロッテと過ごしている。ジョシュアにとって彼女はなくてはならない存在だ。




