7.ひぐらしがないたり、こんや12じだれかがしんだり。
ある日、離宮に数人の男がやって来た。
シュターデンの一派の連中だ。
その連中は、私の前に恭しく膝を折った。そしてわざとらしい厳かさで言った。
前王が崩御された今、貴方様が王でございます、と。
つきましては、王となるに必要な玉璽の所在をお知らせ願えませんでしょうか?
何だ、それは。
私の発した言葉に、場が凍り付いた。
璽は宝物庫に収納されている。あれは王が変わる時くらいにしか、そこから持ち出される事はない。
普段の書類などに押す印は、歴代の王でそれぞれだ。
璽は『国を動かす』時だけに使用されるのだ。
国の何たるかをも知らぬ化け物には、そんな重要な品物があるという事は誰も知らせなかった。知らせてしまっては、必ず悪用される。そう考えていたのだろう。
私に膝を折っていた連中も、すぐにそれには気付いたようだった。
質問を変えてきた。
殿下は城の宝物庫の鍵などを、お持ちではありませんか? 恐らくそこに玉璽はございます。鍵をお貸しいただけましたら、私共が取って参ります。
宝物庫の入り口には、確かに鍵穴があるし、それに合致する鍵も存在する。
けれどその鍵を差し込んでも、回りもしなければ、『差し込むだけで開く』ような機構がある訳でもない。
連中は恐らく、王の死後、鍵は入手したのだろう。けれど、入口が開かなかった。
なので私にかまをかけたのだ。
私の口から、「あれは鍵などで開くのではない」と答えが出てくる事を期待して。
連中の狙いはあくまで、『精霊から授かった石』だ。玉璽など、奴らには何の価値もない。
ただ私を釣る為の餌でしかない。
期待に満ちた目を向ける連中に向かって、私は『私の知る事実』を口にした。
鍵なんぞ知らん。そもそも、何故城の中に鍵なんぞがかかった扉があるのだ。
そう告げた瞬間、連中の顔色が変わった。
* * *
「宝物庫の扉の開け方は、代々の王が口伝で次に引き継いでいくものなんだ」
はえ~……、厳重……。
でも、そりゃそうか。
「もしも王に不慮の事故などが起こった際の為、宝物管理の者の内、たった一人にだけは教えておく。でもそれも、『正確な開け方』などではない。暗号のようなものを管理者には教えるんだ。そして王族であれば、その暗号のような意味不明な言葉や文字であっても、どうすれば良いのかは分かるようになっている」
へー……。ちょっと面白そうだな。でもまあ、そんなとこに興味持って、痛くもない腹を探られるのは勘弁願いたいわね。
君子、危うきに近寄らず。瓜田に沓は入れないし、李下で冠も正さない。つまり、何もしない。それが一番だ。
しかし、ちょっと待てよ?
「『前回』のクリス様も、管理者の方の暗号を聞いたら理解できる……のですか?」
『無知』という言葉も可愛く思える化け物だ。
クリス様は先ほど、『王族であれば理解できる』と仰った。それはつまり、王族の方々にだけ受け継がれる『何か』があるという事だ。その『何か』が、暗号解読のキーとなる。
クリス様は自嘲するように、何かを蔑むように、ふっと小さく笑われた。
「出来ないよ。国や城に関わる重要な話は、私には何一つ教えられなかったからね」
うわぁ……。
仕方ないとはいえ、マジで、よくそんなの立太子しようと思ったな……。
* * *
連中はそれでも諦めなかった。
何度も質問を変え、私に色々と訊ねてきた。
途中から私は面倒くさくなり、全て「知らん」と答えていた。けれど実際、何も知らないのだ。丁寧に受け答えが出来たとしても、答えは「知らん」が「知りません」になるくらいの差しかない。
一時間も問答を続ければ、私が真実何の情報も持たぬのだと連中も気付く。
連中は「分かりました」と言い残し、離宮を出て行った。その際、フィオリーナも共に連れて行ってしまった。
……後に知った事だが、連れ出されたフィオリーナは、民衆の怒りを逸らす為に利用されたらしい。つまり、処刑されたのだ。王都の広場で、見世物のように。
晒された遺体には石が投げつけられ、数日と経たずに直視出来ぬような状態となったそうだ。
私が離宮に残されたのは、連中が時間を稼ぎたかったからであろう。
王太子妃の公開処刑により、一時的に怒りの矛先を逸らす事が出来た。けれどそれもそう長くはもたない。またしても民衆の怒りが膨れ上がったなら、その時は王太子の首を差し出そう、と。
それに私であれば、離宮に残しておいたとしても、毒にも薬にもならない。
アレには『何かを考える』能などない。そう思われていたのだろう。そして、事実その通りだった。
離宮のパントリーに残されていた食料は、保存用の干し肉やドライフルーツ、そして乾燥させたパンなどだ。
ドライフルーツはそのままでも食べられるが、干し肉は硬く塩辛いし、パンもカチカチで美味しくない。
食事が運ばれなくなって以降、フィオリーナがそれらを使って、簡単なスープなどを作ってくれていたのだ。
贅沢な暮らしはしていたものの、やはり元は市井の娘だ。少量の干し肉入りの味の薄いスープでも「美味しい」と食べていた。私にはとても美味とは感じられなかったが。
炊事も洗濯も掃除も、フィオリーナは当然、自分でできる。やってくれる者が居たから任せていただけだ。
使用人の姿が見えなくなって以降、私は彼女を『使用人』と思っていた。
だが、その最後の命綱とでもいうべきフィオリーナが、連れ出されてしまった。
腹が空いても、私では保存食をどのように調理したら良いのかすら分からない。干し肉を齧ってみたが、塩辛くてとても食べられたものではなかった。スープに浸して食べていたパンは、ボソボソとしていて喉を通らない。
調理の仕方など分からないし、それ以前の問題として、私は竈に火を入れる方法すら知らなかった。
『お茶を淹れる為に湯を沸かす』という事すら、私には出来なかったのだ。
* * *
まあ……、竈はね。お貴族様で自分で火を点けられる人、どれくらい居るか分かんないけどね、実際。
思わずそうフォローした私に、クリス様は苦笑するように笑われた。
「確かに、そうかもしれない。けれど、竈の脇には大抵、薪が積んである。焚き付けに使う為の乾燥した枯葉なんかも一緒にある。そして火打石もある。それら道具が用意されていたなら、試行錯誤くらいはしないだろうか?」
「ああ……、そうですね……」
要は薪に火が点けば良いのだ。薪があって、もっと燃え易そうな焚き付けもあって、『多分これでどうにかすんじゃね?』という火打石もある。
それらを組み合わせて試行錯誤すれば、時間はかかるかもしれないが、火を点ける事は出来そうだ。
「私は竈や暖炉に火を入れる為に、火打石を使う……という事すら分からなかったんだよ。竈のあるような場所には近寄らないし、部屋の暖炉など、寒い日であればついていて当たり前、だったんだ」
あぁー……。言われてみたら、その通りだわ……。
貴族といえどサバイバル知識は必要。
いつか私に子供が出来たなら、その子には野山でも生きていけるように知恵を授けよう。
そう心に決めた。
……このまま順当にいけば、『いつか私に出来る子』は王族となるのだが、それはそれだ。知識はあって邪魔になるものではない。
サバイバル王子とか、サバイバル王女とか、カッコいいじゃん。異論? 知らねぇよ。
「火を点ける事も出来ないし、料理も出来ない。私に出来るのは、井戸から水を汲む事くらいだった」
……ちょっと「それは出来たんですね!」と言いそうになってしまった。危ない、危ない……。まだ私のつやつや猫ちゃんの尻尾くらいは見えてるぞ! ……もう被れないけど。
* * *
パントリーにあった幾らかの保存食もなくなり、とうとう私は全ての気力を失った。
掃除をしてくれる者もないので、離宮は薄汚れていた。身支度を整えてくれる者もないので、私の見た目も相当に酷かっただろう。
フィオリーナが連れ出され、どれくらいの日数が経過していたのかは、もう分からない。
空腹で思考が正常に働かない。
……もっとも、空腹でなかったとしても、思考など大して働いていないのだが。
もう、井戸へ水を汲みに行くのも億劫になっていた。
* * *
「お水は大事です!」
思わず、すぐ隣のクリス様の腕を掴んでしまった。
それにクリス様は驚いたような顔をされた後、笑いながら私の手をそっと外させた。
「そうだね。セラの言う通りだ。……でもね、セラ、これらはもう『過ぎた事』の話だよ」
そうだけどぉ……。そうなんだけどぉー……。
食べるものもなく、水すらなく。
クリス様の状況からしたら、一週間ももたないのではなかろうか。
私たちの体は異世界産なので、地球産の人間の身体とは組成が異なる可能性はある。
けれど、血は赤いし、体温はほんのりぬくい。温度の単位が地球とは異なるので、セルシウス度にした場合に何度になるのかは分からないが、何となく同じくらいな気がする。
医学書を見ても、臓腑などは前世の知識とほぼ同じだし、私個人の所感としても違和感はない。
となると、水は命を繋ぐうえで、非常に重要なものとなる。
「お水……、大事……」
思わず繰り返した私に、クリス様はくすくすと楽しそうに笑われた。
「うん。知っているよ」
* * *
たとえ食料がなくとも、水だけである程度は命を繋ぐ事が出来る。……まあ、当時の私には、そんな知識もなかったが。
けれど私は、もうその水すら、汲みに行くのも、飲むのも面倒になっていた。
恐らく、死が近かったのだろう。
身体を動かす気にもならず、そもそもそんな体力も気力もなく、ただ部屋の中に座りぼんやりとしていた。
何が起こっているのだろう。
何故、自分はこんな目に遭っているのだろう。
城の人々は、何処へ行ってしまったのだろう。
私はもしかして、何かを間違えたのだろうか。
しかし、何を間違えた?
間違うような事は何もなかった筈だ。
どうなっているのだろう。
そんなとりとめのない思考が、浮かんでは消える。突き詰めて思考をするような気力など、もう残っていないからだ。
ただぼんやりと、考えるでもなく、そんな言葉を頭の中で繰り返していた。
どれくらいの時間が経ったのかは分からない。
その頃にはもう意識も途切れがちだったので、それなりの時間は経過していたのだろう。
誰かが、私を呼んでいるような気がした。
それまで何をする気力もなく、意識すら手放していたというのに、私は導かれるように立ち上がった。
数日ぶりに立ち上がったが、足は棒切れのようで上手く動かない。
けれど、上手く動かぬ足をもつれさせながらも、私は歩き出した。
何処へ向かうかは分からない。
ただ、呼ぶ声がする方へ。
城の中は、全くの無人だった。
そんな事があるのだろうか。
今思い返しても、夢を見ていたのではないかと思ってしまう。
使用人たちが全員職を辞したのだとしても、城は無人になる事はないだろう。
ここにはまだ、シュターデンの連中や権力に肖りたい連中などが狙うものがあるのだから。
だが当時の私に、そんな思考能力は残っていない。
ただ、呼ばれるがまま、ふらふらと足を動かすのみだ。
やがて到着したのは、宝物庫の扉の前、だった。
扉や周囲の壁は傷だらけで、恐らくシュターデンの連中が打ち壊そうとしたのだろう。けれど、あの扉は剣や斧など持ち出したところで、そう簡単に壊れる代物ではない。
壁にしても、周囲の壁とは厚みからして全く違う。
ボロボロになっている扉の向こうから、呼ばれているような気がする。
私は扉のノブに手をかけ、そっと動かしてみた。
通常、宝物庫の扉というのは、鍵を差し込んだ上で幾らかの仕掛けを解かねば開かない仕組みになっている。その『仕掛け』も、適当にガチャガチャやったら偶然解ける、という類のものではない。
そして私は、解き方はおろか、そういった仕掛けがある事すら知らない。
シュターデンの連中が打ち壊そうとしていたところを見るに、連中も開け方は分かっていない。
だというのに。
扉はいとも簡単に、重みすら感じさせずに、音もなく開いたのだ。
扉を開けると、中は真っ白な光で溢れていた。
不思議と眩しく感じない、ただただ白いだけの光だ。
本来、とても驚くべき事態なのだが、私の頭はまともに動かない。「明るい」くらいしか感想がなかった。
その光の元は、例の石だった。
* * *
うおぉぉ……! やっと辿り着いた!
でもその前に……。
「この石は、光を発するのですか……?」
今は蓋をキッチリと閉められているパリュールのケースを見た私に、クリス様は不思議そうに首を傾げた。
「どうなのだろうね? 私が見た時はそうだった、というだけだからね」
発光する石ときたか……。しかも、宝物庫がどれくらい広いかは分からないが、そこを光で満たす事が出来る程の発光量だ。
そんな石、本当に見た事も聞いた事もない。
こちらの知識に前世の知識をプラスしてみても、本当に未知の石だ。
典型的な乙女ゲーム・ナーロッパ転生(魔法ナシ)だと思っていたけれど、ここにきて『魔法的なものアリ』になったぜ。オラ、ワクワクすっぞ!
何を隠そう、保育園の頃は『魔法使い』に憧れていたのだ。
もしかしたら、この石以外にも、世界には不思議アイテムが眠っている可能性がある。少なくとも、伝承にある『精霊が授けた品』は全四種だ。他にもシークレットがある可能性もある。
つまり、所有者が定まっていないシークレットを見つけ出せば、私が魔法少女になれる可能性があるという事だ!
世界で不思議を発見し、ミステリーをハントするのもいいかもしれない。夢がひろがりんぐ。
……あ。
でも私、クリス様のお妃になるんだよなぁ。ミステリーをハントしに行くヒマなんかないか……。
ちょっとガックシ……。
いや別に、クリス様のお妃になること自体は、イヤな事なんてなんにもないのよ。
むしろ私にクリス様は勿体ないと思ってるし。
この『見た目は美少女、中身は平凡』な私と違って、クリス様は『見た目・中身共に美人』だからね。
その『心技体』が揃ったクリス様に、『体』しかない私でいいのかどうか……。ていうか、この場合の『技』ってなんや? まあいいか、何でも。
「この石、ちょっと詳しく調べてみたい気がしますね……」
思わず言った私に、クリス様は楽し気に笑った。
「調べてみたらいいんじゃないかな? 今の所有者は君なのだから」
「……いいのですか?」
地球にあるこういうアンタッチャブルなお品は、ガチのマジでアンタッチャブルだったのだけれど。
「構わないけれど、お勧めはしないね」
「何故ですか?」
「この石にはどうも、『意思』があるように思えてならないんだ。もし本当にそうだった場合、『気に入らない事』をされた石が、どんな事態を引き起こすのかが予想もつかない」
石の、意思……。
うっかり笑いそうになってしもうた。
でも確かに、この石にそんなものがあるのだとしたら、非常に恐ろしい。
大抵のファンタジー作品において、神なんかの上位存在から授けられたアーティファクトというものは、不相応な者の手に渡ったり、毀損しようとした場合、とんでもない災厄を引き起こす。
この石がそういうものであっても、何の不思議もない。……不思議だけども。
「……やめておいた方が無難そうですね」
「そう思うよ」
私の溜息混じりの言葉に、クリス様は笑いながら即答された。
* * *
真っ白な光は、眩しくもないし、温かくもない。ただただ、溢れる程の白だ。
宝物庫の中は光が強すぎ、何も見えない状態だった。けれども、この石だけははっきりと見えた。
台座なども光に埋もれ見えなくなっていたので、私には石が空に浮いているように見えていた。
私はいつの間にか、飢餓感も、倦怠感も、足の疲労も忘れていた。
ただただ魅入られたように、目の前に浮く石を見つめていた。
すると何処からともなく、声が聞こえた。……いや、『声』でもないし、『聞こえた』というのも語弊がある。
それは音を伴った『声』ではなかった。
音ではないので、耳で聞いた訳ではない。
頭の中というか……、自分の思考に、他者の思考が割り込んでくるような感覚だった。
恐らく、分かり辛いというか、理解は難しいだろうが。
とにかく、そういう不可思議な『声』だ。
その『声』が、私に問うた。
君は、どこからやり直したい? と。
やり直すとは? どこから、とは?
<君が願っただろう。何が起こっているのか知りたい、と。その為に、君がやり直すべき場所は、何処?>
やり直すも何も、何が起こっているのかを告げてくれたら、それで良いだろう。
<告げられて、それで納得して死ぬのかい? 君の『本当の望み』は、そんなものなのかい?>
本当の望み。
言われて、私は気付いた。
そうか。私は、この人生をやり直したかったのか、と。
このように誰からも見向きもされず、忘れ去られた中で餓死するのではなく。もっと私に相応しい場所で、私に相応しい死に様があった筈なのだ、と。
* * *
ズコー! でございますよ、クリス様!
私はきっと、呆れた顔をしていたのだろう。クリス様は私をご覧になると、苦笑するように笑った。
「人間とは、そう簡単に変われるものではないようだよ」
「……そう、ですね……」
逆に、『前回』のクリス様、そこまで行ってもブレねぇ姿勢がすげぇわ。芯の通ったクズだわ。
* * *
私に相応しい死に様を求めるならば、何処へ戻れば良いだろうか。
考えて、私は『声』に答えた。
私が離宮へ移された時点へ戻してくれ。
願った瞬間、視界は真っ白に染まり、目の前にあった石すら見えなくなった。
そして次の瞬間には、私は離宮に居た。
シュターデンの一派の男が、私とフィオリーナに離宮を案内している。
「ここが今日から、殿下と妃殿下のお住まいでございます」
男性は笑顔で告げる。
本当に、私たちが離宮へ居を移した、その当日だ……。
何がどうなっているのかは分からなかったが、私の願いは叶ったのだ。
願いは叶ったのだが、そこからの出来事は前回と全く一緒だった。
王が崩御し、国が荒れ、私はやはり最後に一人、離宮に取り残された。
なぞるように同じ出来事を繰り返し、フィオリーナが連れ去られ、離宮の扉が閉ざされた瞬間、私はまたあの光の中に居た。
<そこでは何も変わらない>
ならば、何処なら変わるというのか!
<自分で見つけよ>
離宮に幽閉された時点からでは、何も変わらなかった。
ではもっと前だ。
私とフィオリーナが夫婦となった時か?
<では、そこへ>
また光が溢れ、今度はフィオリーナと婚姻の式典の真っ最中だった。
どうすればいい? どうすれば結末は変わる? 私はここから、何をしたらいい?
それまでの二十五年間、感情のみで動いてきた私は、初めて『真剣に考える』という事をした。
もう、離宮で餓死を待つのはご免だったからだ。
まず、離宮へ移送されないようにしよう。
そうは思っても、私は『何故自分が離宮に幽閉されたのか』が分かっていない。
自分が城に居る大多数にとっての厄介者であるなど、微塵も感じた事すらなかったからだ。
離宮を取り壊せば良いのか? ……当然、無理だった。周囲は私の我儘に慣れきっていて、私がそんな事を言っても「またあの厄介者が、厄介な我儘を言っている」くらいにしか思わない。
そもそも、私を離宮に閉じ込めようとしたのは誰だ?
誰だも何も、どう考えてもシュターデンなのだが、そんな簡単な事すら私には見えていない。
二度目も結局、何も変える事など出来ないまま、私たちは離宮へと幽閉され、同じ道を辿った。
* * *
クリス様……、それもう『乙女ゲーム』じゃなくなってます……。
まさかの乙女ゲーム後日譚が、コマンド総当たり式アドベンチャーになってたなんて!
……と、軽く言えるほど、クリス様の経験は軽くない。
タイムリミットは決まっている中で、その結末を回避しようと足掻くのは、きっと相当にきつい。しかも最後は『餓死』だ。死に方としてもかなりキツい。
迫りくる『死』と向き合うだけでもキツいだろうに、それを『繰り返す』のだ。
精神が破綻してもおかしくない。
クリス様は軽く俯くように視線を伏せている。
その横顔はとても端正で、『感情』というものが見えない。
今、何を思ってらっしゃるんだろう……。
* * *
そうして何度も、何度も、少しずつ時間を遡っては繰り返した。
繰り返す中で、私は少しずつ知恵を付け、己で考える力を養っていった。
悲しい事に、やり直した時点では、私に『信頼できる味方』など一人も居ないのだ。フィオリーナは味方になってくれるだろうが、彼女に事の詳細を話したところで信じてもらえないだろう。
何度か繰り返し、私は『フィオリーナと出会う時点』まで戻った。
私が十八の宴だ。
あの日フィオリーナは、城の深部の庭に突っ立っていた。
この時点での私は、少々考える頭を持っていた。
ここで初めて、『何故彼女は、あの日、あの時、あの場所に居たのか』という疑問を持った。
大広間の最上段で、フィオリーナを探し、彼女の動きを注視した。
フィオリーナが広間を出ていくと、私はその後を隠れて追った。
フィオリーナは化粧室へ行き、そこから何を勘違いしたのか、逆方向へと廊下を曲がった。
そこからは、見事なものだった。
フィオリーナの進行方向の騎士や侍女、侍従などを、シュターデンの手の者がさりげなく足止めしていたのだ。
ある者は「この辺にハンカチが落ちていませんでしたか?」と、ある筈のない落とし物を訊ねたり。
ある者は酔った振りなのか、真に酩酊しているのか定かでない演技で、前後不覚に陥り騎士に手を借りたり。
ある者は「あちらで何やら、不審な人影を見たのですが……」と嘘を言い。
フィオリーナをどんどんと、城の奥へと不自然な自然さで誘導していく。
辿り着いた先で私が居るとは限らない。
けれど恐らく、彼女を見つけるのは誰でも良かったのだろう。
フィオリーナがおかしな場所へ迷い込み、それを誰かが誰何し、身柄を拘束されたとしても。シュターデンには「身内を引き取りに行き、潔白を証明する」という、城に入り込む為の大義名分が出来るのだ。
むしろ、私が彼女を見つけ、咎める事なく放免したのは、計算外だっただろう。
城の庭でぼけっと佇む彼女に、私は声をかける事はしなかった。
その後彼女は巡回の騎士に捕らえられ、シュターデン伯爵に引き取られていった。
私と彼女は『運命的な』出会いをする事無く、私が彼女と婚姻を結ぶ事もなかった。
これで変わっただろうと安心していたのだが、結末は変わらなかった。
私は離宮に幽閉される事こそなかったが、シュターデンの手の者によって殺されてしまった。
<君が死んでどうする>
そんな事言われても知らんが。
<次はどこから?>
もう一度、十八の生誕の宴のあの日だ。
不自然な動きをするあの『シュターデン伯爵家』というものの正体を、見極めてやる。
何故私が殺されねばならなかったのか、それを。
けれど私に出来る事など、たかが知れていた。
前も言った通り、味方が居ないのだ。
それに、私のそこまでの素行も悪すぎて、今更誰も私の話など聞かない。
結局、その回も私は、シュターデンの連中に殺される事になる。
<次は?>
何だか声が投げやりだ。
まあいい。私はまず、『信頼できる味方』というものを見つけねばならない。
だが、そんな者が居るだろうか。
私の周囲に居る人間というのは、侍従や騎士ばかりだ。いや、侍従たちと信頼関係を築いても良いのだろうが、もっと動ける者がいい。
そこまで考えて、私は思い出した。
昔……、何度もやり直しを繰り返したおかげで、ちょっと思い出せないくらいの昔、父が私に五人の少年少女を引き合わせてくれた。
彼らが集められた一番の理由は『聡明であったから』だ。
五歳だ。
<へぇ。どうして?>
声の調子が変わった。それはきっと、私が結末を変える為の選択として、悪くない選択だったからなのだろう。
父が私の為にと、子供らを集めてくれた。
あの子らを味方に付けたい。
<悪くない>
声がそう告げ、私は五歳のあの日の庭園に居た。