6.ずっとクリス様のターン!
※※ 残酷な描写があります ※※
途中、少々残酷なシーンがあります。
流血や人・動物が死ぬシーンが苦手な方はご注意ください。
読み飛ばしてもいいように、後書きに簡単にこのお話の主旨を纏めておきます。
遠くに居る侍女さんに目配せしてお茶のおかわりを貰い、とても綺麗なマカロンをもっしゃもっしゃと一つ食べ、のんびりお茶を楽しんだ。
その間、クリス様はお顔を両手で覆い、項垂れるような姿勢のまま動かなかった。
ただ時折「ない……。アレは、ない……」などと、ブツブツ仰っているのが聞こえた。
クリス様が復活されないから、マカロンもう一個いただこうかな。
表面に繊細なアイシングで、レースのような模様が施されている。すんごい映えそうなマカロンだ。しかもめちゃくちゃ美味しい。
『映え』より味でしょ! という色気のない私だが、このマカロンは味・見た目ともに満点を差し上げたい。
あの『映え』を意識する余り、ただただ食べ辛そうな形状・形態になってるお菓子とか、嫌いなんだよね……。美味しいのかもしんないけど、まず食べたいと思わないんだよね……。ばえ~ん。
しっかし乙女ゲームだか少女マンガだか知らんけど、裏側が黒いわ~……。
その黒い部分をあの美麗な絵でマンガ化して欲しかったわ~……。
でも、ヒロインちゃん視点だと、あのマンガの通りの出来事でしかないんだろうな。
一夜にして伯爵令嬢になった私☆ の、トキメキ♡シンデレラストーリー! みたいな。
……クリス様の中身も、結構黒いっていうか、ドドメ色してらっしゃるけども。何か『前回』のクリス様、俺様なんじゃなくてサイコパスくさくね? 自己愛性パーソナリティ障害とか。
そんで、お花畑ヒロインちゃん、悪い子じゃないんだろうな……。だからこそ利用されたと思うと、ホントあのヒロインちゃんはただただ被害者なんだな……。
そんな事を考えていると、隣から深い深ぁい溜息が聞こえた。
クリス様がよろよろと復活するところだった。
「……大丈夫ですか?」
すんごいヨロヨロのボロボロですけども。
「大丈夫だ……」
声、ほっそ!!
「大丈夫。……ふふ……、大丈夫だよ……」
笑顔が虚ろで怖ぁい! ちょっとマジで、大丈夫なんすか!?
少々不安な気持ちで見つめていると、クリス様はまた深く息を吐き、虚ろな目で遠くを見たまま固まってしまった。
……いや、これ、大丈夫じゃねぇだろ……。かなりダメだろ……。
「あの……、クリス様……」
ああ……、返事もなさらない……。おいたわしや……。
「お話の続きは、またの機会にしますか……?」
今日はもう、美味しいものでも食べて、お風呂入って、あったかいお布団で寝ちゃいますか?
「いや……」
やはりほっそいちっさい声で、けれどきっぱりとクリス様は否定した。
「ここまで話したのだから、最後まで付き合ってもらえるだろうか……?」
「はい。大丈夫です」
ていうか、私は大丈夫なんだけど、クリス様の方が大丈夫じゃないのでは?
クリス様は私を見ると、えらく力の無い、疲れたような笑みを浮かべた。
「『次の機会に』などと引き延ばすと、その日を迎えるのが恐ろしくなって、その『機会』は永遠に訪れなくなるような気がするからね……」
ああ! また遠くをご覧に!!
* * *
私が十九、フィオリーナが十八の年に、私たちは夫婦となった。
初めて出会ってから一年以上経っていたのだが、その間、フィオリーナに『貴族として』の成長などは全くなかった。
『貴族令嬢らしさ』の欠片もない娘だ。
それを『王妃』という、国を代表する最も高貴な女性に仕立て上げねばならないのだ。
講師たちが厳しくなるのも当然だろう。
むしろ、どれ程厳しくしても、まだ温いくらいであっただろう。
けれどフィオリーナは、その厳しいレッスンを嫌った。
彼女の憧れた『物語のお姫様』たちは、物語の中でそんなレッスンを受けていなかった、と。彼女の言う『物語』とは、彼女が幼い頃に母親が寝物語として聞かせてくれたものだそうだ。
良くある『お姫様が王子様と出会い、困難を超えて結ばれ、二人は末永く幸せに暮らしました』というようなものだ。
当然、そんな話に淑女教育の何たるかなど、出てくるはずがない。『お姫様』が『お姫様』として生きる為に必要な教養が何であるか、などは、物語には全く関係ない。
なので彼女は、『お姫様』というのは、その地位にあるが故に『お姫様』なのだ、と信じていた。
その姫の中身がどうであれ、その地位にさえ居れば、皆が当然傅くのだと。
中身の伴わぬ、地位だけが高い者の末路など、大抵が悲惨なものとなる。
その現実を、歴史を、彼女は知らない。
本来それらは、私が教え、諭さねばならない事だったのだろう。
だが残念な事に、私の認識も彼女と大差がなかった。
『高貴な生まれ』というのは、ただそれだけで貴ばれるものである。国の頂点として生を享けた私は、それだけで最高の価値がある。
……他人が聞いたら、もう笑いも出ないだろう。呆れをも通り越すであろう。
だが、私もそう信じていたのだ。
そんな私に「あんなに厳しいお勉強、本当に必要なんですか?」と問うたなら、当然のように「必要ないのではないかな」と答えるに決まっている。
高貴な私が隣に置くと選んだ女性は、それだけで尊いものなのだから。
全てにおいてそういった調子で、フィオリーナは何も身に付けぬまま、王太子妃という椅子に収まる事になったのだ。
* * *
……クリス様のお声が小さくて、お話が聞き取り辛いでございます……。
そしてクリス様のお話が、『乙女ゲーム後日譚』編に突入している。
ゲーム(というか、私の読んだマンガ)は、ヒロインちゃんと王太子がくっ付いて将来を誓い合ってハッピーエンドだ。何か確か『二人でこの国をより良くしていこう』みたいな事を言ってた気がするけども……。
まあ、言うだけなら誰でも言えるわね。
でも実際、『前回』のクリス様なら言いそうだ。しかも、心からのセリフとして。
『自分が王になるんだから、良くなるに決まってる!』とか、マジで思ってそうだ。
でもちょっと待てよ?
クリス様には、きちんと舵を取れる後見がいた筈だ。
そんな人たちが、ふわふわお花畑を妃に迎える事を、良しとする筈がない。
「クリス様の後見の方の意見などは……」
訊ねると、クリス様はふっと小さく笑われた。
「私はとても視野が狭く、見えていたのはせいぜいが自分とフィオリーナくらいのものだった。しかもその姿も、化け物の歪んだ認識に基づいたものだ。……つまり、『何も見えていない』と変わらない」
……まあ、そっすね。
『前回』のクリス様に、客観的な視点なんてもの、微塵もなかったでしょうしね。
「私には見えていなかった。いつから、私の後見がシュターデン伯爵になっていたのかも。……私を少しでもましな王にする筈だった者たちが、何故姿を消したのかも」
……は……?
姿を、消した……? それは、城を去ったという意味だろうか。それとも、『消された』という意味だろうか……。
……キナ臭くなってきたなぁ。
* * *
王とその忠臣たちは居るとはいえ、王太子にもそれなりの権限はある。
その『権限』の大半は、私にではなく、私の後見に与えられていた。
それはある種、当然の判断だ。
無学で無教養な化け物に、政治判断など任せられない。それ以前に、あの化け物は『政治』になど興味を示さないし、『政治』というものが何であるかすら理解していない。
権限など、持たすだけ無駄なのだ。
その頃、私のしていた『仕事』は、日がな一日机に向かい、差し出される書類に目も通さずにサインを入れ、右から左に流す事だけだった。
それでもそれらは、後見から『殿下にしかお出来にならない、とても大切で高貴な仕事』と聞かされていた。……『高貴な仕事』とは、何であろうか。後見の苦労が偲ばれる……。
いつからかは正確には分からないが、私がサインすべき書類が減っていった。
私は気分が乗らないと、ただそれだけの『仕事』すら億劫だと放り投げていた。日毎の作業量にはそもそもかなりムラがあった。
そういった調子なので、前日十数枚あった決裁の書類が今日は二枚であったとしても、特に疑問などはなかった。
ある日、執務室にシュターデン伯爵と数名の男性がやって来た。
彼らは「今日から私たちが、殿下の忠実なる部下となります」と言ってきた。
元の後見役たちは、一体いつから姿を見ていないのか。私にはそれすら分からない。
『あいつらに代わって、今度はこいつらか』くらいの感想しかなかった。ただ、シュターデン伯爵は私に対して「あれをしろ、これをしろ」と言ってくる事がない。なので、『あの煩い連中よりましか』などとすら思っていた。
私の後見などという立場に収まれるくらいなのだ、その下の地位の者たちは、とっくにかなりの数がシュターデン家の息のかかった者に挿げ変わっていた。
別に、シュターデン家の本来の目的などに協調したのではない。齎されるであろう利益に目が眩んだ、欲の皮の突っ張ったような連中が主だ。
政治や宗教的な信条なども特にない、要は烏合の衆だ。
けれどシュターデンの連中にとっては、その方が都合が良かった。
彼らの狙いは金品や権力ではない。宝物庫にある一つの石と、その石を長年不当に占有してきた王家への復讐だ。
城や国が無秩序に荒れてゆくのは、彼らにとって歓迎すべき事態なのだ。
私は政治に興味がないどころか、まともに政治に参加していないので、政争などとも無縁だった。
担ぎ上げられはしても、私を表に出してはシュターデンの計画すらもめちゃくちゃになりかねない。なので、私とフィオリーナは、王城の敷地内の離宮に幽閉されていた。
……いや、本人たちは『幽閉』などとは思っていない。自分たち二人の為だけに整えられた立派な城、と思っていた。
愚かであるという事は、本人にとっては幸せな事なのだろう。己の暗愚さを、自認すら出来ぬのだから。
閉じ込められた化け物と哀れな小鳥は、自らを閉じ込めている檻をそうとも気付かず、怠惰に幸福に暮らしていた。
フィオリーナという娘は、読み書きも出来なければ、計算も出来ない。彼女に教えられたのは、彼女の名前の綴りだけだ。個々の文字をどう発音するのかなどは、フィオリーナは知らない。
そんな彼女は、金銭の価値も知らなかった。
彼女の暮らしていた村は、とても辺鄙な場所にある。
村には商店などが存在せず、食料は自給自足が基本だ。領主への税は、小麦で納めていたそうだ。まあ、それ自体は珍しい事でもない。
衣類や雑貨などの日用品は、月に一度やって来る商人と、やはり小麦と交換で受け取っていたらしい。
木綿のシャツが一枚なら、小麦を小さな袋に一つ、という具合だ。
* * *
「中々、良心的な真っ当な商人ですね」
ちょっと感心してしまった。
それにクリス様も笑うと頷いた。
「そうだね。相場として、とても妥当だね」
一般的な平民の着ている衣類一枚で、小麦を小さな袋に一つ。小麦の換金率からいって、とても当たり前の値段だ。その辺の下町の洋品店で金銭で購入するより、一割くらい高いかな? という程度の割高感だ。
けれど辺鄙な場所にある小さな村へ行商へ行く手間や、小麦を換金する手間なんかを考えると、その一割程度という嵩増しは安い。
日本基準で考えても、所謂『離島料金』などはかかる。あれと同じ事なのだが、この商人はその金額を『気持ち程度』しか設定していないのだ。
ちなみに、『金銭の代わりに小麦』というのは、そう珍しい事でもない。小麦でなく大麦でもOKだ。
要は、需要と価格が安定した保存のきく穀物であれば、大抵のものが金銭の代わりとして通用するのだ。
「今、セラは小麦を金銭に換算して考えたよね?」
「それはそうでしょう?」
だって、そういう話でしょ。
「その計算の仕方は、どういうもの?」
「え……? 普通に、小麦の重量当たりの単価から、小さな袋に一つというならこれくらいかな……と」
ていうか、それ以外ある?
まあ、今日の正確な価格なんかは分かんないから、その辺は『だいたい平均して、小麦はこれくらい』っていう数字だけども。
あ、この国、小麦価格が暴落したり高騰したりって、殆どないから。小麦、めっちゃ獲れるし。気候もめっちゃ安定してるし。先物で地獄を見る人とか居ないから。小豆相場はちょっとアレらしいけども。
「フィオリーナはね、『お金』を見た事がなかったんだよ」
……え? えぇ!?
見た事がないって、そんな事ある!?
驚いている私に、クリス様は小さく笑った。
「さっき言った通り、暮らしは基本的に自給自足だ。税は麦で納めるし、商人とは物々交換。彼女には恐ろしい事にね、『貨幣』という概念がなかった」
言われてみれば……、確かにそうなるかもしれない……。
……転生してから最大のカルチャーショックだわ……。
* * *
金がなくとも暮らしていけるというのは、まあ悪くない事だろう。
けれどそれは、『その狭いコミュニティで一生を終えるなら』悪くない、というに過ぎない。
村へ行商に来ていた商人は、村人が食べる分の小麦までは奪わない。とても誠実な商人だ。
彼らの食い扶持を圧迫しない程度の額の品物だけを、いつも持って行っていたようだ。
そんな暮らししかしてこなかったフィオリーナは、当然、『金銭感覚』というものを持ち合わせていなかった。
彼女の世界の『通貨』は小麦だ。
いつものシャツなら、小麦は小さい袋に一つ。スープ用の鍋なら、袋に三つ。農作業用の器具なら、大きな袋に一つ。
それは分かっているのだが、その小さい袋に一つの小麦が、『金銭として幾らの価値なのか』は分からない。
紙幣を見て彼女が発した言葉は「この紙切れが何になるの?」だ。
彼女の教育係は「これからは、その紙を洋服や宝石と交換するのだ」と教えた。それ自体は問題ない。その通りだからだ。
けれど教育係は、『今手にしている紙幣が小麦何袋分になるのか』は教えなかった。
やり直してから覚えている限りの人物の背後関係などを洗ったのだが、案の定と言うべきか、その教育係もシュターデン所縁の者だった。
シュターデン家の意向は、フィオリーナには愚かなままでいさせろ、だ。
彼女の知らぬ事を教える筈の教育係は、彼女の無知をそれで良いと放置するのが仕事だったのだ。
教育係から納得のいく答えが得られなかった彼女は、私に問うてきた。
この紙は、どれくらいの量の小麦になるの? と。
流石に私は、それが紙幣である事は知っている。けれど、私たちが『自分で金を払い買い物をする』という機会はほぼない。前回に限って言えば、一度もない。なので、紙幣の価値は分かっても、物の相場を知らない。
しかもフィオリーナの話をまともに聞いてもいないので、彼女の質問の意図も分かっていない。
この女は何故、小麦なんぞを買おうとしているのだ? と不思議に思っていた。
フィオリーナが手にしていたのは、最高額の紙幣だ。
私は小麦の相場など知らないが、それだけの金額であれば、結構な量の小麦が買えるのではないかとは分かっていた。
小麦など買ってどうするのだ?
訊ねると、フィオリーナは「違うわ」と言ってきた。
小麦が欲しいんじゃなくて、これ一枚でどれくらいの量の小麦になるかが知りたいだけ。
やはり私には、その言葉の意味が分からなかった。
なので、言ってしまった。
小麦がどれくらいかは分からんが、そこの菓子一つくらいなら買えるのではないか?
『そこの菓子』とは、クッキーだ。それを、一つ。
当然、たった一つ買っただけなら、大量に釣りがくる。
私は半分冗談のつもりで言ったのだ。高貴な私に饗される菓子であるのだから、それくらいの価値があってもおかしくなかろう、と。
けれどフィオリーナには、そんな冗談は通用する筈がなかった。
彼女は暫く何かを考えた後、にこっと笑った。
分かったわ! これ一枚で、小麦が小さな袋に二つくらいになるのね!
彼女の中で、高額紙幣が紙くず程の価値に収まってしまった瞬間だった。
最高額の紙幣を低額のコイン同等に認識してしまったフィオリーナは、当然と言うべきか金遣いが荒かった。
彼女が幼い頃から憧れていたドレスや宝飾品、他国から持ち込まれる珍しい菓子や酒、そういったものに惜しげもなく金を使った。
『惜しげもなく』という表現はおかしいか。
……彼女には、それら金額は『惜しむほどの高額』とは、認識されていなかったのだから。
* * *
こっっっわ!!
何だ、この話。すんげー怖い!
ヒロインちゃん、一人ハイパーインフレ状態じゃん! しかも誰も止めないとか!
『ざまぁ』ものなんかには、こういう展開は良くある。
王侯貴族とハッピーエンドを迎えたヒロインちゃんが、その後に贅沢三昧をやらかして、家を傾けてしまう……的な展開だ。
そういう展開での『金を湯水のように使う』ヒロインちゃんにはけれど、『高額なものに囲まれる、とっても幸せなアテクシ♡』という意識はある。そういう傲岸不遜さがあってこそ、『ざまぁ』は美しく光り輝くものだ。
けど、このヒロインちゃんは違う。
とんでもない高額商品を前にしても、それはヒロインちゃんの中では『正常な市価の数百分の一』程度の価値でしかないと計算されているのだ。
悪意もなければ、贅沢をしているという意識すらなかったのだろう。
……いや、『贅沢』という意識はあったか。ドレスは恐らくヒロインちゃん相場で、小麦数十袋の価格であっただろうから。
驚きなのは、ヒロインちゃんのクッキー一枚の値段の見立てだ。
少々高く見積もりすぎではあるが、そこそこいい線をいっているのだ。
頭は悪くないんだな……。そう思うと、余計に哀れな気がしてくるな……。きちんと教育をしていれば、良い妃となれそうなのに……。
けれど、誰もヒロインちゃんに『良き妃』となる事など望んでいない。
むしろ『世紀の悪女』とでも呼ばれそうなものをこそ、彼女の周囲は望んでいる。
そしてその通りに、一人ハイパーインフレなヒロインちゃんは、それと知らず浪費を続ける。
そんな事をしていたならば、『国庫』という巨大な金蔵であっても、底をつくのは早そうだ。
* * *
私たちがそのような暮らしをしている間、城の中では『現王とその廷臣』、『シュターデン一派』、『シュターデンを利用し利を得ようとする強欲者』による、三つ巴の争いが繰り広げられていたようだ。それぞれが、主要な役職の椅子に座ろうと画策していた。
けれども一見、表面的には何事もなく過ぎていく。
その水面下で、三つの勢力は互いの望むものを得ようと、様々な形で争いを繰り広げていたらしい。
三つの勢力に属さない穏健派や日和見は傍観を決め込んでいたようだが、そうも言ってられない事態になった。
現王の突然の崩御だ。
状況から鑑みるに、他二つのどちらかの勢力による毒殺――の線が濃厚だろう。
更に言うなら、私は実行犯はシュターデン一派だと思っている。……『今回』そのような事件は起こっていないから、調べようもない事だが。
王がある日突然、体調不良を訴え床に臥せた。そのたった四日後、医師の治療の甲斐なく、王は崩御された。
その王の崩御をきっかけとして、多くの者が城を、王都を離れていった。
この国には未来はない。そう確信し、せめて己の領地と領民は守らねば、と己の責務を果たす為に。
王の忠臣たちは、それでも何とか体制を維持せねば……と頑張ってくれていたようだ。けれど悲しいかな、多勢に無勢であった。
その間もフィオリーナの浪費は止まらない。
その頃には既に、国庫など空に近かった事だろう。
フィオリーナの中では、金銭とは小麦と同じなのだ。初夏になれば収穫できる。小麦であれば、それはそうだ。
無くなったのなら、収穫すれば良いのではないの?
あくまで無邪気に、彼女はそう言う。
国庫に納めるべき金を収穫する……それはつまり、税率を引き上げ民から徴収する、という事に他ならない。
しかし小麦であったとしても、畑を耕し、種をまき、水や肥料をやり、虫や鳥から苗を守り……と、手をかけてやってようやく収穫に至る。
税収とて同じだ。
何も植えておらず、何も手をかけてやる事もしなかった土地に、納めるべき金など存在しない。
だというのに、税率だけはどんどん上がっていく。
民の不満は、限界まで膨れ上がっていた。
民の不満はまず、王都に暮らす貴族に向いた。
未だ王都に残っていた貴族は、殆どが自己の利益にしか興味のない連中だ。市井の世相になど、微塵も関心を払わない連中だ。
日々の暮らしに窮する民に見せつけるように、豪奢な衣装を身に纏い、磨き上げられた馬車で道を行く貴族を、民が憎悪しない訳がない。
暴徒化した民は、貴族の邸になだれ込んだ。
美しく着飾る住人を、それぞれが思い思いの方法で痛めつけた。
そこの住人たちは、使用人からも嫌われていたらしい。手引きしたのは、使用人だったそうだ。
暴徒を取り締まる筈の騎士たちは、その大分以前から職務を放棄していた。
彼らに支払われるべき給金が、かなり長い間支払われずに滞っていたからだ。自分たちに給金は出ないというのに、それを払う筈の者は自分だけ贅沢をしている。それは彼らからしたら馬鹿らしいにも程があっただろう。
民はその貴族一家を一人残らず殺し、遺体は門に磔にした。
全員……年端もいかぬ子供まで、体中を切り裂かれ、皮を剥がれ、手足を削がれ……。
怒りと憎悪に任せあらゆる暴力がふるわれた無残な遺体が、門にずらりと並べられた。
その事態に、貴族は震えあがった。
次は自分かもしれない、と。
我先にと逃げ出そうとした連中を、民は見逃してはくれなかった。
馬車ごと焼かれた者たちも居た。引いていた馬は、幾らかの内臓と夥しい血溜まりだけを残して、他の部位は解体され持っていかれたらしい。食事に窮する者も多かっただろうから、飢えを満たす為に使われたのだろう。
みすぼらしい身なりで平民に紛れようとした者は、手入れの行き届いた肌や髪から見破られ、なぶるように殺された。
金で破落戸を雇った者は、雇った相手にも裏切られ、あらゆる折檻を施された上で殺された。その金を、正しく民の為に使うなり、使用人に給金として支払うなりしていたなら……。今更言っても、詮ない事であろうが。
貴族の家は悉く荒らされ、略奪され、打ち壊されたり火をつけられたりした。
貴族が滅べば、憎悪はそのまま王族へと移行する。当然の流れだ。
王が崩御されて以来、王妃はずっと体調を崩していた。
それが真に体調不良であったのか、何らかの毒物の影響なのか、それは定かでない。けれど、心労で身体を壊したとしても何の不思議もない状況だ。
城の使用人たちも、『徐々に』ではなく、『一気に』居なくなった。
市井の民と同じだ。
不満はふつふつと滾っているのだが、それを解放するきっかけがなく我慢していたのだ。
その不満は、王の崩御という事態により解放される事になる。
敬愛する王に報いよう、支えようという思いで仕えていた者たちだ。愛する主が世を去り、残るは状況を理解しても居ない化け物と、美しく囀るしか能のない小娘だ。そんな場所に殉じる必要はない。
そういった城の異変に私が気付いたのは、既に城下の貴族が幾らか、民により『処刑』をされた頃だった。
* * *
……バスティーユ襲撃前夜みたいな話になってきた……。『権威の象徴』という意味では、この国には王城くらいしかない。牢獄は普通に、罪を犯した者が裁かれた後にブチ込まれる場所でしかない。あぁ……、戦う者の歌が聞こえるよ……。
権威の象徴であり、支配の象徴でもある王城が襲撃されないのは、恐らく『知識者層が極端に貴族に偏っている』事が原因だ。
暴動を扇動し、「敵は本能寺かどっかにあり!」と目標を示す指導者が居ないのだ。
怒りと憎悪の矛先は、日々目にしていた貴族へと向かう。『王城』というのは象徴ではあっても、市井の民にとっては日々の暮らしに縁のない場所であるが故、襲撃の対象として挙がるのは最後だろう。
王位簒奪を目論む者にとっては、王政が崩壊してしまっては意味がない。なのでむしろ、王城からは目を逸らさせる筈だ。
シュターデンにとっても同様で、彼らの目的が達せられるまで、城に有象無象を入れさせる訳にはいかない。
……そりゃ、城下が荒れてても城は静かだわ……。
とはいえ、いつか民衆の怒りは城まで届く。
マリー様には男装の忠義の騎士が居たけれど(いや、実際には居ないけど)、クリス様とヒロインちゃんにはそんな存在は望めそうもない。
これ以上ないくらい詰んでる状況じゃね? 絶望感しかないわ……。
ていうかこの国、お伽噺の中みたいにヘーワな国なんだけど、一歩間違うとそんな事になんのか……。
「セラ」
呼びかけられてクリス様を見ると、クリス様は不安げな心配するような目で私を見ていた。
「大丈夫かい? 気分が悪かったりは……」
「大丈夫ですよ」
クリス様を安心させるように微笑むと、クリス様は「我慢しなくてもいいからね」と仰ってくださった。
いや、別に本当に大丈夫っすよ。グロ耐性、それなりにあるし。
それに、クリス様にとっては実体験なのだろうが、私にはただの『想像を絶する話』でしかない。そう、『想像すらできない』のだ。
もっと克明に詳細を語られたら、気分も悪くなるだろうが。『克明な詳細』なんて多分、お城でふんぞり返ってたクリス様もご存知ないだろうしね。
蓮コラの方がよっぽどクるわ(トライポフォビア並感)。
「続けても、大丈夫?」
「はい」
ていうかむしろ、続きが気になりますわ。是非お願いします、クリス様。
* * *
異変に気付くきっかけは、食事が出てこない事だった。
職務に忠実で誠実な使用人たちは、このどうしようもない王太子と妃であっても、世話を怠る事がなかった。
食事は毎日決まった時間に出てくるし、お茶もきちんと用意される。
職務怠慢なのではないか、と怒鳴りつけてやろうと私は部屋を出た。
……使用人たちが怠慢なのであれば、自分は一体何だと言うつもりなのか。他人に厳しく、自分には驚くほど甘い。なんと見下げ果てた根性だろうか。
いつもなら、離宮の廊下には使用人たちが働いており、出入り口には見張りの騎士が居る。
それが、全員そろって見当たらない。
一体、何だというのか……と、私は腹を立てていた。
フィオリーナはと言えば、「お腹がすいた」と言い、離宮のパントリーから保存用の食料を取り出して食べていた。こういう時、平民出身というのは強い。
そういった日々が、数日間続いた。
パントリーにあった食料も底をつき始めた。無計画に好き放題に食べていれば、それはそうなるだろう。
一体、使用人は何処へ行ってしまったのか。連中はどれだけ職務を放棄したら気が済むのか。戻って来たなら、全員懲戒処分にしてやらねばならん。
状況など知らない私は、呑気にもそんな事を考えていたのだった。
読み飛ばした方用、この話を3行で。
・王太子妃ヒロインちゃん、テンプレ通りに贅沢三昧。
・シュターデン一派、暗躍してるってよ。
・BGMは『民○の歌』。薔薇は美しく散るし、世は無情。
だいたい、そんな感じの話でした。
次回、「クリス様、そろそろお話終わってもよくない?」でお会いしましょう。