3.ヒロイン退場により、乙女ゲーム終了。
クリストファー殿下の婚約者となった際、殿下からいただいた品々がある。
その中で最も我が家を青褪めさせた、『ペンダントトップに国宝が鎮座するネックレス』だが、アイツは現在、城で管理してもらっている。
父と国王陛下との間で「返させてくれ」「いやいや、いいからいいから」という埒の開かんやり取りを繰り返す事、数十回。
あっちの埒が開かんなら、こっちの埒を開けてみようと、角度を変えて迫ってみる事にしたのだ。
父から陛下へ、我が家では警備が不安なのだ、と切々と訴えてもらった。
というか、ウチが青褪めた一番の理由がそれだし。
もし管理に不備があり、盗難に遭っただとか、破損しただとかの場合、たとえ所有者が私であってもきっと何か言われる。
それは非常に面倒くさい。
所有者は私のままで、管理だけ城の方でお願いできないだろうか、と申し出てみたのだ。
それに陛下は「そういう事なら」と納得してくださった。
お城から宝物管理の担当官の方が、騎士様三人付きでパリュールを引き取りにいらした。
その厳重警備で引き取りに来るようなモン、そもそも軽々しくプレゼントとかしないでくれませんかねぇ!?
管理の担当官の方は、「あくまで所有者はセラフィーナ様でいらっしゃいますので、持ち出しの際は管理担当の者に声をかけていただければ、いつでも可能です」と笑顔で言い置いていかれた。
……そっすか……。所有も国に戻してもらっても大丈夫なんすけどね……。
持ち出しの際は云々と言われたが、普段使い出来る代物でもない。
なので今もお城の宝物庫で、騎士様に守られながら眠っている事だろう。
年に一回くらいは着けるかも? という程度だ。
* * *
今年は、クリス様が十八歳になられる。
そう。乙女ゲーム開始の年だ(多分)。
ヒロインの名前は思い出せないのだが、王太子妃教育の中で、ヒロインのファミリーネームは見つけた。
シュターデン伯爵家がそれだ。
何故ヒロインの名前は思い出せないのに、家名だけは覚えているかというと、マンガを読んでいた時に引っかかっていたからだ。
登場人物、ほぼ全員英語圏の名前なのに、なんでヒロインのファミリーネームだけドイツ語圏の名前なんだろう、と。
この世界では『英語』『ドイツ語』ではないが、英語に相当する言語がこの国の公用語だ。なのでやはり、シュターデンという家名は珍しい。
王太子妃教育で国内の貴族を一通り頭に叩き込む必要があり、その際にシュターデン伯爵家も登場した。
そしてその来歴を知り納得した。
シュターデン家は、ドイツ語に相当する言語を使用する国からの移民だった。
この国へと移ってきた理由や経緯は不明だが、百年ほど前に他国から移り住んできた人々だったのだ。
そして衝撃の事実が!!
シュターデン伯爵家は、私がその教育を受けているまさにその頃、国家反逆罪にて一族郎党処刑されてしまった。
私が九歳の頃、つまり今から二年前の出来事だ。
縁続きの人々も投獄されたり、国外へ追放されたり、やはり処刑されたり……と、貴族界隈に激震が走ったのだ。
彼らは元居た国と繋がっており、そちらからの密命を受け、我が国の王朝の転覆を目論んでいた……という事なのだが。
ヒロインちゃん、今、どうなってんだ……?
孤児になるヒロインちゃんの受け皿、処刑されちゃったぜ……。
私はクリス様にお願いして、その一件で処分を受けた人々の名簿を見せてもらった。
未成年の子らには、大抵が温情措置となっていた。……恐らく中枢付近に居たであろう未成年は、流石に見逃してもらえなかったようだが。
その名簿には、クリス様より一つ二つ年下の女の子は居なかった。
ヒロインちゃん、ホントにどうなってんだ!?
もしゲーム通りに未来が進んでいくんだとしたら、お母さん、数年後にはご病気で亡くなられるんだよね!?
そうは思ったのだが、気付いてしまった。
この世界、十六で独り立ちしてる女の子、全然珍しくないわ。
私が懇意にしているブティックにも、十四歳のお針子の女の子居るし。彼女の夢は、自分のブランドを持つ事だそうだ。夢でキラキラしてる子って、可愛いわねぇ~。
一桁年齢なら仕事もなかろうが、十六歳の女の子なら雇ってくれるお店は幾らでもあるのではなかろうか。
ヒロインちゃんは可愛いのだから、食堂の看板娘なんか似合いそうだ。
というか!
あの乙女ゲームっていうか、少女マンガ! 裏側にこんな、国家転覆の陰謀とかあったのか!
だとすれば、ヒロインちゃんが「迷っちゃったぁ~☆」で城の深部へ侵入できたのも納得だ。恐らく、ヒロインちゃんにはそれら陰謀は知らされていない。私なら絶対に知らせない。
何故なら『フワフワ脳みそ花畑』ちゃんにそんな陰謀を知らせたところで、何の役にも立たないからだ。むしろ足を引っ張ってくれそうだ。
そのヒロインちゃんをただの駒として、伯爵家の実働部隊にでも『出会い』をお膳立てして貰えば良い。
偶然でも何でもいいから、ヒロインちゃんと王族の間に繋がりさえできれば良いのだ。
百年も潜伏しているような家だ。
僅かな楔であっても、打ち込めれば上々といったところだろう。
そしてもし、乙女ゲームの通りに事が進んでいったとしたならば――。
そこまで考えて、ゾッとした。
どう考えても、この国、滅ぶよな!?
お花畑俺様王子 × お花畑ゆるふわ令嬢。
このカップリングに、明るい未来などあるだろうか。いいや、ない(反語)。
花畑に花畑を掛け合わせると、恐ろしい事に相乗効果で花畑は数倍に広がってしまう。
お妃しか目に入らない王と、王しか見えていない王妃。暗君まっしぐらだ。
きっと、放っておいても内部から崩壊する。
そういう裏あるなら、先に言えよォ!
そんなヒストリカル・ロマンな裏があるなら、あのマンガももーちょっと楽しめたのに!
くそう……という気持ちで、名簿を持つ手に思わず力が入ってしまった。
それをクリス様はご覧になっていたらしい。
「余り、気分の良いものではないだろう? 無理に見る必要などないよ」
あちゃ。ご心配をおかけしてしもうた。
「いえ、大丈夫です。……少々、考え事をしていましたら、つい、力が入ってしまっただけで……」
今更、前世のつまんなかったマンガの正しい楽しみ方を知って悔しい、とか。絶対言えないし、言っても分かんないだろうしね。
「そういった物騒な話からは、君を遠ざけておきたい気持ちはあるんだが……」
苦笑しつつ仰るクリス様に、私は名簿をお返ししつつ言った。
「避けて通って、知らずに巻き込まれる方が恐ろしいかと。知った上で、回避する方法を講じる方が、何かと安全なのでは?」
知らされないと、そもそも『安全』も『危険』も判別の付けようがなくなる。
私としてはそちらの方が恐ろしい。
何事であれ、『報・連・相』は大事だ。
「全く、君の言う通りだ」
私の差し出した名簿を受け取りつつ、クリス様はまた苦笑するように笑われた。
「避けて通れぬ事柄などは、君の耳にも入れる事になる。物騒な話も多いだろうけれど、耐えられるだろうか」
「ですから、聞かされない方が恐ろしいので。秘匿すべき事項は伏せていただいて構いませんが、出来るだけ風通し良くお話しいただきたいかと思っております」
言うと、クリス様は僅かに楽し気に笑われた。
「頼もしいな。……本当に、君で良かった」
……何が?
私で良かった……って、婚約者が、って事? 良く分かんないな。
でも質問しようにも、クリス様、書類仕事に取り掛かっちゃってるしな。
お邪魔しちゃ悪いから、お暇しよう。
――という事があり、ヒロイン退場により乙女ゲームは始まらないと思われる。
でもちょっと待てよ?
こういうパターンは知っているぞ。
『乙女ゲーム転生でヒロイン不在』パターンは、『乙女ゲーム転生モノ』の小説やマンガのテンプレだ。
そして『ヒロイン不在』となる理由としては――
その一、『ヒロインに転生してしまった女性が、ゲーム展開を避けるためにフラグを折った』
その二、『原作知識を持つ転生者の行動によって、ゲーム展開がバグった』
その三、『そもそも、ゲームの世界ではなかった』
などがあるだろう。
可能性が高そうなのは、一つ目だ。
私のように、『恋の花が咲き乱れる花畑』に「ウヘァ……」となってしまう人物がヒロインに転生していたならば、何がどうなろうがフラグはへし折りたいと考えるだろう。
そしてもしもそうであったならば、ヒロインちゃんのお母様も亡くならずに済むかもしれない。……まあ、癌みたいな治療の難しい病だった場合、ヒロインちゃんに前世知識があったとしてもどうにもならんのが辛いところだが。
ヒロインちゃんが、前世天才外科医だった……とかいう展開、ないかな。でも外科手術の知識だけあっても、設備とか薬品とか衛生観念とかが足りないか……。世の中、上手くいかんもんだな……。
二つ目に関しては、私の行動によっても展開がバグる可能性があるのだが、ぶっちゃけ『私の行動で展開が~』はないと踏んでいる。
何故なら、メインヒーローであるクリス様との初対面時に、既にクリス様がマンガとは大違いのお人柄だったからだ。
そしてマンガには登場していない『婚約者』だ。しかもこちらがねじ込んだのではなく、あちらからのお申し出だ。
クリス様は初対面の時から現在に至るまで、とても真面目で誠実で穏やかなお方だ。彼の人格形成に、私が関わる余地がない。
もしかしたら、クリス様の周囲にゲーム知識がある転生者がいるのかもしれない。だとしたら、その人には力いっぱい「グッジョブ!!」と言いたい。
そして最後の三つ目だが、これはもう、私如きちっぽけな人間には推し量れぬ事だ。
……というか、そもそも私は、オリジナルのゲームを知らんのだ。『ゲームを原作として、ゲーム内の一つのルートを描いたマンガ』を読んだだけだ。
なので、攻略対象が何人居たのかも知らなければ、クリス様以外のルートがどうなるのかも知らない。そしてもっと言えば、クリス様ルートも原作再現率百パーセントなのかどうかも分からない。コミカライズするにあたって、端折ったり付け足したりしたエピソードはあるだろう。
そんなふわふわ知識しかないのだ。
小説やマンガにあるように「原作だと、この日のこの時間に、ここでこういうイベントが……」など、何一つとして分からない。
精々分かるのは、『コミカライズされたクリス様ルート』との差異くらいだ。
……もしかして、クリス様ルート以外だと、ヒロインちゃんが伯爵家に拾われないスタートとかもあったりすんのかな?
いや、物語の導入から変えるとか、そんな手間かかる事しないか……。
そんな事されたら、『共通ルート』がなくなって、周回攻略も手間だしな……。
可能性は色々あるが、別に私は『世界の謎』に迫りたい訳ではない。
迫ってみたところで、どうせ明確な解答を与えてくれる存在はないんだろうし。
ただちょっと思ったのだが。
こういう『乙女ゲーム転生でヒロイン不在』の場合のテンプレとして、『ヒロインになり替わろうとする転生者』という存在が出てきたりしないだろうか。
そしてそういう手合いは、「どうせなら、一番身分の高い王太子様を攻略したいわよね~☆」とかほざき始める。
そうなった場合、私は激烈邪魔な目の上のコブだ。
そういう手合いが登場しないといいな……と、切に願うばかりだ。
だが、乙女ゲーム展開を再現しようとする花畑ちゃんが登場したとして、クリス様がそれに篭絡されるとは思い難い。
マンガのクリス様と現実のクリス様では、言動から考え方から、何から違っている。
もしかして、ゲーム開始が近づくにつれて、クリス様は知能が下がり俺様に変貌してゆくのでは? と危惧した事もあった。
ものっそい杞憂だったが。
クリス様は十八になられる現在も、聡明で穏やかなド美人であらせられる。
マンガではちょっとやんちゃ(というか雑)であった言動はなく、見目そのままの優美で穏やかな言動の方だ。
知能が下がったような気配もない。
急に「民たちの為に、炊き出しを行おう!」とか言い出す事もない。……まあそれは、マンガではヒロインちゃんに吹き込まれたせいだけども。
炊き出しのような一時しのぎではなく、教育の拡充だとかの中長期的な支援策を摂っておられる。
まあ、多分、クリス様は大丈夫だ。
十八になった途端、知能が激烈に低下するとかでない限り。
ゲーム知識を持った転生花畑令嬢とかが出てきても、クリス様が靡く事はないだろう。
* * *
クリス様のお誕生日は、初夏である。
それに合わせて、盛大なお誕生日会がある。お誕生日会と言うとカジュアルだが、正確には『生誕祝賀の夜会』だ。カジュアル感などない。
他国の大使なんかも参加する、格式ばったデカい夜会だ。
婚約者である私は、当然出席だ。
お誕生日のお祝い自体は、クリス様のお誕生日の翌日にひっそりとやった。
クリス様の休憩のお時間をいただいて、一緒にお茶をしつつ、お祝いさせていただいた。
この国において、男性の十八の誕生日というのは、特別な意味を持つ。
男子は十八、女子は十六が成人年齢だからだ。
なのでクリス様は、もう『一端の大人』として扱われる。
ささやかなお祝いとして、刺繍入りのハンカチをプレゼントした。
当然、私がチクチクと刺したものだ。
実は私は、絵にはちょっとした自信がある。アニメ・マンガ風なイラストではなく、水彩画や油彩画などだが。
その私の絵心をもってすれば、刺繍の下絵など造作もない。……ウソです。ちょっと先生に手伝ってもらいました。
クリス様は、貴族たちから『白薔薇の君』などと渾名されている。
清廉で気高く美しい……という事らしい。
余談だが、クリス様の妹君は『紅薔薇姫』と呼ばれている。こちらも凛と美しく、そしてクリス様と比してご気性が少々荒い事からの着想のようだ。
白薔薇の君なので、薔薇でも刺繍しますかね~、とチクチクやったのだ。
刺すのは刺繍だけで良いというのに、指を大分チクチクやってしまった。
刺繍に必要なのは、絵心より、手先の器用さだ。私はそれを完全に失念していた。
針、ちっちぇえよ! 何だよ、このクソ細けぇ下絵! 描いたの誰だよ!? 私だよ!!
ちょいちょい指をぶっ刺すおかげで、まっ白なハンカチに点々と血の染みが着いてしまった。刺繍途中なので洗う訳にもいかず、誤魔化す為にその部分には小さな蝶を刺繍した。
おかげで、大分広範囲に大量の蝶が舞う、非常に華やかな図柄となった。
結果オーライ!
これ、誰も血染めのハンカチだとか思わないでしょ! むしろ、豪華でキレイな刺繍じゃん!
ただし、刺繍の先生には「刺繍が多すぎて、ハンカチとしましてはいささか使い辛いような気も……」と言われてしまった。……言わないでください、先生。私も途中からそう思いつつ、現実から目を逸らしてたんですから……。「刺繍多すぎて重てぇな」とか、うっすら思ってたよね……。
やっぱちょっと、ちょうちょ減らそう! と、完成した後にお洗濯をし、ちょうちょを一つ解いてみた。お洗濯したから、血の染みも落ちたかな、と期待して。
……バッチリ、ガッツリ残ってた。
しかも洗ったせいで、錆色に滲んでた。
アカン。
ちょうちょ居なくなると、完全に呪具か、事件現場の遺留品じゃん……。
そういう訳で、解いた個所にもう一度ちょうちょを刺繍し直した。
そんな裏話はキレイに隠し、ついでにハンカチも綺麗な箱に収納し、クリス様に差し上げた。
クリス様はとても喜んでくださり、「こんなに沢山の刺繍を入れるなんて、時間がかかっただろう?」と労ってくださった。
まあね。時間はかなりかかってますけどね。……日ごとに増えるちょうちょのおかげで。
とはいえ、謙遜して「それ程でもありませんので、どうぞお気になさらず」とか言っとくけどね。
「ああ……、嬉しいな。私の幸福まで、祈ってくれるだなんて」
広げたハンカチを隅々までじっくりご覧になり、クリス様は本当に嬉しそうにそう呟かれた。
この『幸福を祈る』というのは、そういう意味の古い古い言葉を刺繍してあるからだ。おまじないみたいなものだ。
誰かに物を贈る時、この言葉をどこかに入れてもらう……というのは、割と良くある。
何となく、入れてみただけの言葉だ。
何となく……、そう、何となく、毎日国の為にお忙しくしているクリス様に、『クリス様個人』の嬉しい事や楽しい事があるといいな……と。
貿易協定がこちらに有利な条件で締結できた、とか、巷を騒がせていた盗賊団を根こそぎひっ捕らえる事ができた、とか、そういう大きな『国にとって良かった事』じゃなくて。
クリス様が夜おやすみになる前にでも、ちょっと思い出して、『ああ、今日はいい日だったな』と思える程度の良い事が、沢山あるといいな……と。
「……嬉しいな」
ぽつりと、クリス様は先ほどと同じ言葉を繰り返した。手に持ったハンカチに視線を落として。
目を伏せ微笑むクリス様が、何故か、泣き出してしまいそうにも見えた。
口元は笑みの形を作っている。
けれど、眉根が僅かに寄っている。
それはまるで、泣き出したいのを、力を入れて堪えているように見える。
「……クリス様?」
どうしたのか、と問おうとした私に、クリス様は視線を上げ微笑まれた。
「セラ」
「はい」
呼びかけられたので返事をしただけなのだが、私の短い返事にクリス様はとても嬉しそうに笑われた。
……このカンストしてる好感度も、謎なんだよなぁ……。
無自覚にヒロイン乗っ取りでもしたか? でも、ヒロインちゃんみたいな『無邪気で元気で明るい博愛主義』なんて、私にはそんな素養これっぽっちもないしなぁ……。
「ありがとう。とても嬉しい」
「喜んでいただけたなら、何よりです」
私の指にあいた無数の穴も報われます。
「本当に、とても嬉しい」
そう繰り返されると、こんなショボい刺繍のハンカチで良かったのか、逆に申し訳なくなってくるからやめてください……。
「嬉しい……」
また繰り返すと、持っていたハンカチにそっと唇を寄せられた。
とても大切なものを愛おしむように、慈しむように、静かな穏やかな笑みを浮かべて。
いやぁぁーーー!!
無駄な色気がすごぉーーい!!
思わず心の中で叫んでしまった。
別に私が何かされた訳ではない。いかがわしい事をしている訳ではない。
ただ、手に持ったハンカチにキスしただけだ。
だというのに。
何と言うか、見ちゃいけないものを見ちゃった気分だ。
ヤバい。多分、私の顔は今、真っ赤になっているだろう。
何だろーなぁ、もう! 私が何かされた訳じゃないのになぁ!
恐らく真っ赤になっているであろう顔を隠そうと、私は軽く俯いた。
クリス様はきっとそれに気付かれただろうけれど、特に何か仰ったりはしなかった。
そして私は、早々に会話を切り上げ、逃げるようにクリス様の執務室からお暇するのだった。
* * *
クリス様の十八歳のお誕生日会も無事に終わり、日々はゆるゆると過ぎ去り、私は十三歳になった。
クリス様は現在二十歳だ。
一応、クリス様が十八歳であった一年間、私は乙女ゲームが始まったりしないかと警戒していた。
が、まっっっったく、これっぽっちも、そんな気配すらないまま一年が終わった。
クリス様の十八のお誕生日会には、国の内外から沢山の人々がお祝いにきてくれた。……招待した、とも言う。
国内の貴族たちは、自身の息子を伴って来た者が多かった。
クリス様の『側近』という椅子に、若干の空きがあるからだ。
そういう人々は、クリス様に対して、自身の息子を猛プッシュしていた。
ご令嬢を伴ってきた貴族も多かったが、クリス様と釣り合いの取れそうな年齢のご令嬢方は、会場に居る貴族のご令息をターゲットと定めていた。
どうやら端から、クリス様はターゲットに入っていなかったようだ。
あんだけ美人で、人格者で、権力も財力もお持ちの方なのに、ご令嬢に人気ないっておかしくない?
そう思い、私は後日、兄にそれを訊ねてみた。
兄は現在、恐ろしい事に、クリス様の側近という立場に居る。クリス様には「悪い事は言いませんので、もう少々慎重にお選びになられては……?」と再三言ってみたのだが、「慎重に選んだからこそのローランドだよ」と言われてしまった。
あ、ローランドは兄ね。特に覚える必要はないけど。
何故かクリス様の信の篤いらしき兄に「クリス様ってご令嬢に人気ないの?」と訊ねてみた。
すると兄は、呆れたように「お前はどこまで本気で言ってるんだ?」と溜息をついてきた。
兄曰く、人気は当然あるらしい。
けれど様々な夜会や茶会などで、常に私を隣に置いて、手をしっかりと繋いでニコニコしてらっしゃる姿を見ると、ご令嬢たちはスン……っとなってしまうようだ。
……言われてみりゃ、そらそうだ。
そしてご令嬢たちからの誘いは、『やんわり』ではなく『どキッパリ』とお断りになられる。絶対に気を持たせるような言動はしない。
それだけでも難攻不落感はすごいのだが、夜会での態度がまた、ご令嬢たちを「あ……、うわぁ……」とさざ波のように引かせるらしい。
『夜会』というのは、大抵夜半過ぎくらいまで開催されている。
私はクリス様の婚約者として出席するのだが、如何せん、未だ育ち盛りのお子様だ。九時過ぎくらいにはおねむになる、とても健やかな女児だ。ちなみに、朝は六時には目が覚める。健やか過ぎて怖いくらいだ。
そんな健やか女児なので、私は夜会に出ても夜九時前には退出する。それ以上居ても、おねむでがくんがくんと乱暴に舟を漕いでしまうからだ。
クリス様もそこはご承知なので、時間が遅くなってくると「そろそろセラは帰る時間かな」とあちらから促してくださる。有難し。
問題は、その後だそうだ。
私は帰ってしまうので当然知らなかったのだが、私が帰った後のクリス様は、誰が見てもはっきりと分かるくらいにテンションがガタ落ちするのだそうだ。
私を見送った数分後くらいから、「さっきまでの笑顔はどうした」と問い詰めたいレベルでつまらなそうなお顔になるらしい。
そんで、めっちゃ溜息が多くなるらしい。
毎度毎度そんな感じだそうで、そらご令嬢も引くわ、と納得せざるを得なかった。
ていうかマジで、このカンスト好感度、何なんだよ……。
もう大分、クリス様の前では猫被ってないんだけどな……。クリス様とお会いする時は、私自慢のつやつやの毛並みの猫ちゃんは、知らん顔で昼寝をしている。それも、結構前からだ。
猫ちゃんが居ない私など、生意気で可愛げのない子供だと思うんだけども……。
そんな十三歳の年の瀬、クリス様に呼び出された。
何かお話したい事がおありになるらしい。
改まってお話って何かしらね~。
そういや、すっかり忘れてたけど、ここ『乙女ゲーム時空』だったわね~。じゃあテンプレ的には、婚約破棄かしら~。
でも、『破棄』なんてされるような有責事項、私には身に覚えがないわね~。
……あれ、『破棄』じゃなくて、『撤回』とかじゃダメなんかね……? 『契約の破棄』って、結構強い表現よな。まあいいけど、何でも。
そう。忘れていたけれど、ここは(多分)乙女ゲーム時空だ。……クリス様、もう二十歳だし、ゲーム終了してそうだけど。
でも、身の回りに乙女ゲームっぽい事、なーんもないんだよなー……。
そんな事を考えながら、案内の侍従さんの後について歩くこと暫し。
案内された場所は、小さなサロンだった。
ここは城の大分奥まった場所にあり、王族の方々の居室も近い。故に、付近に人気がない。出入り口にドアなどがなく、ガラス窓も大きく、開放的な場所だ。
普段は恐らく、王族の方々が休憩されたりお茶を楽しんだりする場所なのだろう。
テーブルには、既にお茶の支度が整えられている。
お茶とお菓子、テーブルを飾る花、燭台、そういった諸々の他に、テーブルの上にドンと置かれている箱がある。
あの箱は……、あの引くくらい装飾の美しいビロード張りのジュエリーケースは……。
あれはそう、例の国宝が使われたネックレス入りパリュールのケースだ。
クリス様は、何故、あんなものを持ち出したのだろう。
やっぱ返してくれ、とか? そんなら、諸手を上げて「どーぞ、どーぞ!」なんだけども。
何やろ……。これから、何の話されるんやろか……。
クリス様は少々遅れるという事らしいので、先に一人でソファに座ってクリス様を待つ。
……しっかし、あの箱の存在感よ! すげー気になるわ! 中身が国宝だって知ってるせいもあるかもしんないけど、気になってしょーがないわ!
そわそわしながら待っていると、やがてクリス様がやって来られた。
「呼び立てておいて、遅れるような真似をしてしまい、すまない」
「いえ、どうぞお気になさらず」
お仕事、お忙しい事くらい、分かってますから。
侍女さんがお茶のカップをセットしてくれて、それが終わるとささっと居なくなってしまった。
遠目に護衛の騎士様が居るのが見える。でも、ざっと見える周囲には誰も居ない。
え? 人払いされてる? そんな重要な話?
私の隣に座ったクリス様は、お茶を一口飲まれると、カップを静かにテーブルに戻した。
『隣に座っている』とはいえ、相変わらず適度な距離は保ってくださっている。ホント、クリス様のこういうとこ好きだわ。
このサロンを選んだ理由もきっと、『人払いをしても完全に人目を遮らない』からだろうし。なんてジェントル。
「あの、クリス様……、今日は何のお話で……?」
我慢しきれず、思わず訊ねてしまった。
クリス様は深呼吸をするように一つ息を吐くと、私を見て微笑まれた。
「いつか、君が訊ねただろう? 『何故君を婚約者として選んだのか』と」
「はい」
頷いた私に、クリス様は目を伏せた。
「今日は、その話を聞いてもらおうと思ってね」
クリス様は視線を上げると、私を見て苦笑するように笑われた。
「長い話になる。長い上に、荒唐無稽でさして面白くもない話だ。……それでも、聞いてくれるかい?」
「はい」
確か以前お訊ねした時には、私に話すだけの勇気と覚悟が足りないから……とお断りされた。
そんな大層な決意が必要な話であるならば、長かろうがつまらなかろうが、最後まできちんと聞くのが筋だ。
即答した私に、クリス様はまた一つ息を吐かれた。
「では、これから話す事は、私と君だけの秘密にしてくれるかな?」
口元に指を一本立てて、私を見て微笑むクリス様に、私は頷いた。……ていうかクリス様、ホントにその無自覚にあざとい仕草、なんなんすか……。可愛いじゃないですか……。
「きっと、とても信じてはもらえないような話だけれど……。それでも、我慢して最後まで聞いて欲しい」
「どんと来いです」
つやつや猫ちゃん、絶賛昼寝中。
いや、クリス様がなんか不安そうな目をしてらっしゃるもんだからさ……。つい……。
私のふざけた返事に、クリス様は「ふふっ」と小さく笑われた。
「やっぱり君は頼もしいな」
クリス様はなっがいおみ足をゆったりと組むと、その上に頬杖をつくようにして、こちらをご覧になられた。
わーぉ。無駄に絵になるゥ。美人って、何してても絵になっていいわね~。私の絵心が疼くわぁ。
そんな事を考えている私に、クリス様はその姿勢のまま小さく笑った。
「君を婚約者に選んだ理由は単純で、……少々恥ずかしいのだけれど、初恋の人、だったからだね」
言葉通り、僅かに照れたように目を伏せるクリス様。その目元も、ほんの少し赤くなっている。
美人の照れ顔、ご馳走様です。
でも待ってくれ。
初恋……って、何歳のクリス様が、何歳の私に!? 払拭された筈のロリコン疑惑、再燃!
そろそろロリータも卒業の私だ。クリス様がガチもんだった場合、ぼちぼち射程から外れる年齢だ。
やはり……、婚約破棄だろうか……。
許可なく勝手に成長するなど、言語道断! みたいな……。マンガとか小説でも、ここまで理不尽な理由での婚約破棄、ちょっと見ないぞ……。
そんなとっ散らかった事を考えている私に、クリス様はとても静かな声で仰った。
「君に初めて引き合わされたのは、五歳の頃だった」
……ん!?
五歳? え? いや、私とクリス様の年齢差、七歳……。
「五歳の私は、同い年の君に一目で恋に落ちた」
……は!? 同い年? え? 何ソレ。どこの世界線の話!?
混乱する私に、クリス様はまたにこっと微笑まれた。
「順を追って話すよ。……少し、長くなるけれどね」