16.行こうぜ、デッドエンドの向こうへ……。
文字数、1.5倍(当社比)。
クリス様のお話は、ご本人が『長い』と仰っていた通りガチで長くて、日没サスペンデッドとなった。
サスペンデッドなので、続きは後日、となったのだ。
余談だが『日没サスペンデッド』とは、野球なんかで暗くなって球が見えなくなった場合、試合をそこで一旦中断して後日再開または再試合する……というものだ。まあ最近、あんまり聞かないけど。ちっちゃい市民球場とかでも、ナイター設備ある場所の方が多いだろうからね。野球以外だとゴルフではまだあるね。
そして後日、クリス様に呼び出されてお城へ行くと、クリス様の他にマローン公爵令嬢フェリシア様がそこにいらした。
お? 今日はこないだの続きじゃないのか? と思ったら、ガッツリ続きだった。
フェリシア様、まさかの『巻き込まれ型タイムリープ』な方だった。
……ちょっと「いいなぁ」とか思ってしまった。ご本人たちからしたら『いい事』なんて特になさそうだから、間違っても口には出来ないけど。
でもちょっと、羨ましい……。
いや、言うても私の『前世の記憶がある』ってのも、相当に不思議現象だけどもね! 何の役にも立ってないけどね!
……役に立ってねぇよなあ……前世の記憶。フツーこういうのって、それを駆使してフラグ回避! とか、そういう展開になりそうなのに……。
その展開、全部クリス様が持ってっちゃってるからなぁ……。
しかももう乙ゲー展開も終わっちゃってるから、なけなしの乙ゲー知識も役に立たねえよ……。
知識チートできる程の『知識』もないし……。切ねえわ……。
フェリシア様も交えて、『今回』のお話を聞いた。
それもやっぱり、相当に長い話だった。
ただ、フェリシア様が『セラ』を語る時の表情が優しくて、「セラってすげー愛されキャラなんじゃね!?」と思った。……まあ、『今の私』じゃないんだけどね。
そして『今回』は、クリス様がこれまで繰り返されてきた『やり直し』の中でもかなり穏やかで、クリス様のお話もフェリシア様のお話も、「あの裏側ではこんな事が!?」と楽しく聞く事が出来た。
「そうそう……、わたくし、セラにお土産がありましたのよ」
思い出した、という風に、フェリシア様が仰った。
お土産とは? どっか行ってきたんすか?
フェリシア様が目配せすると、マローン公爵家の侍女さんが小さなバスケットを持ってやって来た。
「『前回』セラが好んで食べていたものなのだけれど……、貴女のお口には合うのかしら?」
言いつつ、フェリシア様は受け取ったバスケットを膝に乗せ、そこから何か取り出した。
……デニッシュ? かな? それに何か挟まってる? デニッシュサンドなんて、八割美味しいヤツじゃないすか。残り二割は、中身が「あぁ~……」ていう味だった場合ね。
「殿下に聞いたかもしれませんけど、『前回』わたくしとセラは、異国へ留学へ行っていましたの」
「はい、聞きました」
フェリシア様は「うふふ」と笑うと、何かが挟まったデニッシュを薄紙に包んで渡してくれた。
意外と重量があるな……。中身が見えないんだけど、何挟まってんだろ?
「そちらの国にある豆を、セラは大量の砂糖で煮込んで食べていましたの。……甘い豆料理なんて、わたくしは余り美味しいとは思わないのですけれど、セラは『これよ!』とすごく喜んでいて……。それを思い出して、豆を取り寄せて作ってみましたのよ」
豆を……、大量の砂糖で……。
それはもしかしなくても、もしかしますな!?
フェリシア様が「どうぞ、召し上がってみてくださいな」と仰って下さったので、遠慮なくがぶっといかせていただいた。
うおぉぉ……。これは……、これは良いものだ……!
「これですよ! これ!」
「……だから、どれよ?」
フェリシア様が呆れたように言う。……フェリシア様、ホントはそういう言葉遣いなんですね? しっかり聞きましたよ。
思わず薄く切られて二枚重ねられているデニッシュを、ぺろっと広げて中身を見てしまった。
ステキ……! ふっくら炊かれた小豆ちゃんが、つやつやしてらっしゃるわ! マローン公爵家の料理人、やるな! しかもデニッシュにはバターが塗られている。粒あんバターサンドだ! しかも何か高級なお味! ……ホントはマーガリンの方が安っぽくて好みなのだが、貴族に貧乏舌は似合わない。……つぶマガ、食いてぇなぁ……。
えー! 私、知識チートやってんじゃん! しかも料理系とか、女子力高くない!?
……あ、でも、フェリシア様「あんまり好きじゃない」って言ってたな……。やっぱあんこは好き嫌いあるか……。日本人でも好きじゃない人居るしな……。しゅーん……。粒あん&ホイップとかにしたら、フェリシア様もイケるか!? 今度やってみよう。
そんな事を考えながらも、もっしゃもっしゃとあんバタサンドを食べていると、フェリシア様が溜息をついた。
う……、がっつき過ぎたかな……。叱られちゃうかな……。ドキドキ……。
ちょっとビクビクしていると、フェリシア様が細い綺麗な指で私の口元をすっと拭ってくれた。
「もう。そんな大きな口を開けて食べるものではないわよ。貴女、いずれ王妃になるのよ?」
「おかん……」
ごめんね、おかん。今度から気を付ける。
「誰がおかんよ」
おう、声が低い!
流石に失礼だったかな……とちらりと見ると、フェリシア様は声とは裏腹に何だか嬉しそうだ。
とりあえず、『おかん』て呼んでも大丈夫なのかな? 大丈夫そうだな。良かった。
もっしゃもっしゃとあんバタサンドを食べる私を、クリス様がにこにこしてご覧になっている……。……視線が気になりますよ、クリス様……。そんな微笑ましいものを見る目で見ないでくださいよ……。
もっしゃもっしゃと食べ終え、フェリシア様にお礼を言うと、フェリシア様は「残りもどうぞ」とバスケット毎渡してくれた。
ありがてぇ……! このご恩は、必ずお返しします!
バスケットをしっかり膝の上に抱えて、私はにこにこしてらっしゃるクリス様を見た。
フェリシア様のお話の中で、すんごく気になった点があったからだ。
「クリス様、ちょっとお聞きしたいんですが……」
「うん? 何かな?」
こてんと小首を傾げるクリス様。……いつ見てもあざと可愛い。
「先程のお話の中にありましたけれど……、過去の『やり直し』を細部まで全て思い出せる、というのは……」
「『今回』に限った話なのだけれどね。本当だよ」
うわぁ……。
黒歴史とか、寝る直前に思い出して「ぬおぉぉぉ……!!」てベッドの上を枕抱いて転げまわるものなのに、寝る前どころかいつでも思い出せるなんて……。それ、なんて拷問?
容赦ねぇよ、精霊の石……。
クリス様の過去のお話、やけに細部まで覚えてらっしゃるな……とか思ってたんだよね。SNSでよく突っ込まれる『会話とかよく覚えてんね笑』的な。
SNSの場合『作り話だから細かい』んだけど、クリス様の場合、『本当に覚えている』だけとか……。凄すぎて言葉もないわ……。
「今までの『やり直し』で得た情報を、いつでも思い出せるように……とかなんですかね……?」
良い方に解釈するなら、そういう事なのかもしれない。
クリス様は苦笑すると、「かもしれない」と頷かれた。
「己の愚かさを忘れぬように……という戒めかもしれないけれど。どういう意図があっての事かまでは、私には分からないね」
両方……なのかなぁ?
石の意思(笑)が深慮遠謀すぎて、短慮軽率な人間如きにははかれないっすわ。
「でもまあ、助かっている部分が多いかな。過去にシュターデンについて調べた細かな事柄なんかも、思い出せる訳だし」
「それはそうですね」
そうなんだけど、どうなの……?
「意識して見ていた、聞いていた以外の事柄なんかも覚えている……んですよね?」
うん、と頷いたクリス様に、私は聞いてみた。
「じゃあ、クリス様が初めて会った時の、フィオリーナ嬢の服装や髪型、アクセサリなんかは?」
「服装、は……、淡いバラ色のドレスだね。プリンセスラインのふんわりとしたデザインで、今思えば相当に手の込んだ金のかかった品物だったから、シュターデンの気合の入れようが伺えるな。髪はサイドを編み込んで、細かな細工の髪飾りで留めていた。髪飾りの石はシトリンかな? 彼女の髪色に似た、黄色い石だ。デコルテには真珠とピンク色の石のチョーカー。石は何だろう? トルマリンかスピネルだろうか。透明な石だ」
つらつらと、まるで目の前に彼女が居るかのように語るクリス様に、私はちょっと「ひぇ……」と思ってしまった。
きっとそういう何とも言えない顔をしていたのだろう。クリス様が「セラ? どうかした?」と訊ねてきた。
「いえ、あの……、ちょっと……、クリス様の前で、迂闊な格好はできないな、と……」
激烈手抜きファッションとか、そういうのも覚えてらっしゃる訳でしょ!? ちょっと寝癖が直らなかった髪とか! 怖い! 怖いよ!!
「セラ……」
怯えている私の肩に、隣に座っていたフェリシア様がぽむと手を置いた。
フェリシア様の方を見ると、彼女は「うふふ……」と何とも言えない笑顔をしてらした。……何すか?
「大丈夫よ。貴女は七割方、迂闊な格好しかしてないから」
「大丈夫とは!?」
大丈夫の意味、分かんないんすけど! 何が大丈夫なんすか!? ねえ、フェリシア様!
ウフフ……と笑うフェリシア様を愕然として見つめていると、向かいに座るクリス様も「大丈夫だよ」と笑いながら仰った。……どうせまた、何も大丈夫じゃないお話でしょ?
「そういった『細部まで記憶している』のは前回以前までの話で、『今回』に限って言えば、普通に記憶は薄れるし忘れたりもするんだ」
「あ……、そうなのですか……?」
「うん。だから余計、どういう仕組みなのかがさっぱり分からないのだけれど」
確かに、そうっすね。
でもまあ、クリス様の場合、『これまで』に学習の大半を修めてらっしゃるし、シュターデン関連の事なんかはそれこそ『これまで』の積み重ねが物を言う部分だろうし。
『今回』が普通に忘れたりする……ってのは、生きていくうえで都合がいいんじゃないかな。……クリス様の地雷原が、これ以上悲惨な事にならない為にも。
一通りお話をして、フェリシア様は「またお話しましょうね」と言い残し帰って行かれた。
「クリス様……」
「うん?」
あ、やっぱクセなんすね、その小首傾げるの。いいなぁ。私もそういう、あざと可愛いクセ欲しいなぁ。
「後はもう、危険なんかはないんですよね……?」
シュターデン一派は全員捕らえられている。私に関して言えば、フェリシア様の語られた『異国の洞窟遺跡での落盤事故』は、そんな所に行く予定がないから大丈夫だ。クリス様の『やり直し』で私が殺された一回目は、シュターデン絡みだから、それも大丈夫。二回目の弟(現・兄)は良く分からんが、兄に私を殺すような動機は今のところないだろう。先週、兄の分のおやつをむしゃむしゃしてしまって、アホ程怒られたりしたが、そんなもんで殺人はないだろう。あったら笑う。いや、笑い事じゃないが。
「私の知る限りの関係者は、全員処分したけれど……。……まあ恐らく、セラに関して言えば、大丈夫だと思うよ」
「では、クリス様に関しては……?」
「分からない、というのが正確なところかな。何しろ私の場合は、最初の『餓死』以外、毎度殺しに来る相手も違えば、日時なんかも違うからね」
うわぁ……、そっか……。
「毎度同じであるのは、『二十五歳の一年間の内』……という事ですか」
「そう。今回はもう『餓死』はなさそうだから、それ以外の何かだけれど……。ない、と言い切るには、まだちょっと早いかなと」
けれど、それでも。
「石は、『これで最後』と言ったんですよね?」
「言っていたね。どういう意味かは分からないけれど」
「『誰かの願い』を叶えるために、クリス様を何度も『やり直し』させていたのだとしたら、『今回』でその誰かの願いは叶う……という事なのではないでしょうか」
「そうかもね」
「その『誰かの願い』は、『陛下の願い』なのではないでしょうか……?」
クリス様の健康と幸福を願った、優しいお父上の。
「……だと、いいね」
目を伏せるように微笑んだクリス様に、私は「きっと、そうですよ」と言い募った。
だってさー……、いい加減もうホントに、クリス様も幸せになっていいんじゃないかと思うし。デスループ繰り返し過ぎて、色んなとこボロボロになってらっしゃるし。
擦り切れて、疲れ果てて、もう座り込もうとしたところを、石にケツ叩かれて『やり直し』させられて……って。私だったら、石が何言おうが、もう全部ぶん投げる自信あるわ。どーせまたやり直させられるんだから、もう好きにやるわ! てなりそうなもんなのにさ。
今もこうしてちゃんと、何一つ投げ出す事なく『立派な王太子殿下』でいらっしゃるし。
この人が幸せにならないんなら、『精霊の石』も大した事ねぇな! とか思うよ。
「でもね、セラ」
呼びかけられてクリス様を見ると、とても穏やかな顔で微笑んでいらした。
「私は今、充分に幸福なんだよ」
「そう、なんですか……?」
この人、『過去』がアレ過ぎて、ちょっとした事で幸せ感じられるようになっちゃってるからなぁ……。省エネでエコな感じはするけど、そうじゃないんだよなぁ……。
「国内の情勢は安定しているし、『簒奪派』となる連中も信頼できる者たちが目を光らせているから大人しい。シュターデン一派は捕らえられたし、本国の方のコミュニティも解散された。こちらに流れてきた連中を捕らえるついでに、国内に巣食っていた犯罪組織も多数摘発できた。おかげで治安が向上した」
そう。シュターデンの残党の整理ついでの一斉摘発は、それはまあ見物だった。
ケチな窃盗集団から、大掛かりな人身売買組織まで、網に引っかかった連中は根こそぎ摘発され、牢へぶち込まれた。おかげで今、牢獄がパンパンだ。司法官たちも毎日大忙しだ。
でもこれって、『国にとって良かった事』で、『クリス様個人にとって良かった事』じゃなくない?
そう思っていると、クリス様はまた視線を伏せるように微笑んだ。
「それに、今回も良い友人に恵まれたし、家族との関係も良好だ」
それは素直に良い事ですね。
「そして何より……」
クリス様は軽く言葉を切ると、伏せていた視線を上げ、真っ直ぐにこちらを見て微笑んだ。
いつものあの、少し眩しそうに目を細める笑顔だ。
「君が生きていて、私の目の前に居る」
だからですね……、そんなもんを『何よりの幸福』に据えないでくださいよ!
これからもしかしたら、もっとすんごい『いい事』とかあるかもしんないんですから!
「クリス様は、これらの話を聞いて、私がクリス様を見限ると思われたのですか……?」
何か確か、そんなような事を言っていた。
訊ねた私に、クリス様はまた視線を伏せた。
「かつての私は、余りに自己中心的で、擁護のしようもない愚か者だ。今、様々なものを取り繕ってこうして君の前に居るけれど、『かつての愚かな私』が居た事は事実だ。それを君がどのように感じるのかは、私には分からない」
『取り繕って』とクリス様は仰るが、貴方の経験はそんな簡単なものではないでしょうに……。そして『かつて愚かであった』事が糾弾されるべきというのであれば、大抵の人間にその科はあるのではなかろうか。それらをきちんと省み、今誰からも後ろ指などさされる事ない人物となった人に、私如きが一体何を言えるというのか。
「君は何の疑問もなく私の話を信じてくれたけれど……、余りに常軌を逸した事態であるので、私がおかしくなったと思われるのも仕方ないかと覚悟していた」
ああ……、はい。それは確かにそうですね。
まあでも、それに関しては前世の知識様様だわなぁ。タイムリープ物とかの創作、溢れまくってて珍しくもないし。もし日本に居て、友達がいきなりそういう話始めてきたとしても、とりあえず最後までは聞くだろうしね。……まあ「お? 遅れてきた中二病か?」とは思うだろうけど。
それにこの世界にはまだ、『時間を操る』という概念の物語がない。『時』とは不可逆なものであり、『遡行する』という発想をした者は居ない。なのでクリス様のお話が創作なのだとしたら、文学史に名を残せるレベルの作家になれるだろう。
「見限られるかもしれない……と思われながらも、私にお話してくださったのは、何故ですか?」
「君が『危険をそれと知らされない方が恐ろしい』と言ったからだね。……それを聞いて、『ああ、前回もそうすれば良かったのか』と思ったんだ。私だけが警戒するのではなく、君にも知らせて注意していてもらえば、あるいは……と」
確かに、知っていたなら、防げずとも時間くらいは稼げたかもしれない。……でもまさか過ぎる身内の犯行だから、知ってても手の打ちようはなさそうだけど。
「そうして何度も間違えて、君を失って……、今またこうして、君の前に居る。もしも私がまた何かを間違えたら、……また、君に何か起こるかもしれない……」
クリス様は顔が見えなくなるくらい、深く深く項垂れてしまった。
でもなあ……。私、思うんだけども……。
「人生において、何一つ間違う事のない人間など、居ないのではないでしょうか」
「俺の人生に間違いなんてない! 俺は全部正しい!」なんて言い切れるの、一回目のクリス様くらいお花畑な人か、詐欺師か、極悪人だけだと思うんだよね。
「極個人的な持論なのですが……、優しい人ほど、過去を悔やむのではないでしょうか。そして、臆病な人ほど、過去を嘆く」
俯いたままのクリス様が、ふっと小さく笑われた。
「私は……後者だろうな」
「いいえ」
絶対に違う。
「クリス様は、過去を嘆き、悔やみ、……そしてそれらをきちんと省み、自らの足で乗り越えてこられた、とても強い人です」
……黒歴史と正面から向き合うだけでも、相当の強メンタルだと思うし、マジで。
そこから一つずつ、『何が悪かったのか』『どうしたら良かったのか』を自分で考えて、見つけて、全部自分自身の力で乗り越えてきた。
これを『強い』と言わずして何と言うのか。
「そうして身に付けてきた様々な力を他者の為に揮える、とても優しい人です」
最初こそ、自分自身の為だったのだろう。何せ、スタート地点はあの俺様花畑だ。
けれど直近の数回の『やり直し』は、自分の為ではない。シュターデンを捕らえるのは国の為だし、セラフィーナを死なせない為だ。……『やり直し』の目的が途中から変わってたの、きっとご自分でも気付いてらっしゃるでしょうに。
「そして、また間違えてしまうかもしれないと恐れながらも、それでも歩みを止めない、勇気ある人です」
絶望デッドエンドがある事を知っていて尚、それでも今度こそ……と足掻こうとする。動かなくては変わらないと分かっていても、きっと普通は躊躇する。足が竦んでもおかしくない。
けれどクリス様は、足掻く事をやめない。
そんなのもう、『カッコいい』しか感想ないよ。
「そういうクリス様を、私は心から尊敬しますし、カッコいいと思いますし、……好き、ですよ」
……しまった。最後の最後で照れが出た……。よりによっての『好き』をガッツリ噛んだ……。
いいシーンなのになぁ! 決めろよ、私ィ! 何だよ「ちゅき」って!
ぐぬぅ……! と、一瞬前の過去を嘆く私に、クリス様が俯けていたお顔を上げた。
……笑うなら笑ってくだされ……。ええシーンで噛む阿呆でございますよ……。
しかしクリス様は笑っていなかった。人の失敗を笑わない。素晴らしい人間性でございますよ、クリス様!
クリス様は笑っては居ない。代わりに、泣き出すのを堪えるようなお顔をしている。
「……それは……、『ここ』に、居てくれる……という事だろうか……」
そんな縋る目をしなくてもいいんですよ。……この人、こんな弱点丸出しでいいんだろうか……。他はほぼ完璧なのに……。
ま、いいか。
「末永く、宜しくお願いします」
言いつつ頭を下げ、再度頭を上げると、クリス様はまた項垂れてらした。
「……今度こそ、守るから……」
小さな小さな声で言うクリス様に、呆れて笑ってしまった。
「ですから、いつも守っていただいてます」
前も言いましたよね?
「それに……、いつも、守ってくださっていたでしょう?」
上手くはいかなかったかもしれないけれど。その時、その時で、最大限の事はしていてくれた筈だ。
「『いつも』セラフィーナを守ってくださって、有難うございます」
『前回』も『その前』も、そして『今回』も。
言葉通りの『命懸け』で、セラフィーナを守ってくれる。……正直、多少重てぇが。まあ、女冥利に尽きるという事にしておこうじゃないか。
「礼を言うのは、私の方だ……」
顔を上げたクリス様は、目元に涙が浮かんでらっしゃる。絶妙に零れそうで零れない涙に、「この人もしかして、自分がどう見えるか全部分かってやってんのか?」と疑いそうになってしまう。分かってやってたら、あざといなんてモンじゃないが。
「私を選んでくれて、有難う、セラ……」
伏せられた目から、ぽろっと涙が零れ落ちた。A・ZA・TO・I☆
クリス様、もしかしなくても『ヒロイン属性』お持ちじゃない?
とりあえず、クリス様が落ち着くまで、お茶のおかわりでもいただこうかしらね~。
なんかいい感じに、私が告白の場面で噛んだ事、サラっと流れたしね~。
は~……、いいお天気ね~。お茶も美味しいわ~。
……私は知らない。後日クリス様に、笑いながら「『ちゅき』って……」と蒸し返される事を。そして軽くブチ切れた私がクリス様に「そういうクリス様は嫌いです」と言ってしまい、クリス様がどん底に沈まれる事を。
私とクリス様の結婚式の日取りは、クリス様が二十六歳を迎えてから、に延びた。というか、延ばした。
クリス様は「一年も延びた……」とえらい不満そうだったが、そもそもクリス様の一番ヤベー年だからなんですからね! 一年間、ガッツリ警戒して生きてっていただきたいんですよ!
その前にお式挙げて、新婚から未亡人直行コースはご免なんですよ!
あと、めっちゃ気になってた『直近の二回でヒロインちゃんの義父となった隠密』が、今どうしているのかをクリス様に訊ねてみた。
お答えは「今年は小麦が豊作過ぎたから、お裾分けです……と、……送って来られても困るんだけどね……」との事だった。
……毎度、隠密氏は人生エンジョイしてんな……。
そして実はすんごい気になってた、『お祝いの時に配る粉菓子』とやらを、クリス様が分けてくれた。ヒロインちゃんに二人目の子供が産まれたお祝い、だそうだ。
落雁をもっと素朴にしたみたいな味で、確かに美味しかった。お花の形をしているのは話に聞いたとおりだったが、思っていたより細かな細工で綺麗なものだった。……お盆の落雁みたいなヤツだと思ってたのよ。でもちゃんと洋風な、可愛いお花だったわ。菊じゃなかったわ。
余談だが、隠密氏には今回、男の子と女の子の双子の子供が居るらしい。……マジで隠密だけ、毎回楽しそうなんだよな……。
そして私が十五歳の春、兄に嫁が来た。
侯爵家という高位貴族であるにも関わらず、後嗣の嫁取りを「まあ、その内ね~」と家人全員が面倒くさがる……という我が家らしい理由から、兄にはずっと婚約者なども居なかったのだ。
そのぼんやり風味な我が家に嫁に来た勇者の名は、フェリシア・マローン公爵令嬢だ。
なんと向こうからゴリ推してきた。マローン公爵家、つよい……。
フェリシア・おかん・マローン様によれば、兄は「放っておけなくて、世話が焼きたくなる」タイプなのだそうだ。……おかんの血が騒いでしまったのですね、フェリシア様……。
現在、兄はガッツリおかんの尻に敷かれている。何と言っても、あちらのご実家は公爵家だ。ぼんやり侯爵家な我が家が太刀打ちできる相手ではない。
しかし兄も満更ではなさそうなので、これはこれで良いのではないだろうか。
美人でデキる嫁なんて、素晴らしいじゃないか。正直、兄には勿体ない気持ちだ。
父はうっかり公爵家と縁続きになってしまい、「粗相がないか胃が痛い……」と言っている。
そのおかん――もといフェリシア様からは、「お姉さま、と呼んでくれていいのよ」と言われた。なので素直に「お姉さま」と呼んだらば、何故かそれをクリス様が羨ましがっていた。……なんでやねん。
それ以降、クリス様が時々自分を「お兄様」と呼ばせようとしてくる。意味が分からなくて怖い。
私が十七歳、クリス様が二十五歳の因縁の年。
私の十七歳は、全く何事もなく過ぎた。……翌年の挙式に備えた準備に、私よりクリス様が張り切っていた以外は。……いや、ですからクリス様、ドレスはもう足りてますから。これ以上増やしても、着る時間もありませんから。アクセサリも足りてますから! 大丈夫ですから!
クリス様が二十五歳の春。夏がくると二十六歳になる、という頃だ。
お城の一般開放というイベントがあった。
城の広間や庭園の一部を開放し、その日は誰しもが城へ入って良いというイベントだ。
そのイベントの様子を見に行ったクリス様に、襲い掛かろうとした人物が居た。杖をついた老人で、相当に身体が弱っており、クリス様に大事はなかったが。
捕らえた老人を調べたところ、例の宗教コミュニティの残党だった。コミュニティの解体を恨んでの犯行だったようだ。
禁固刑となったのだが、老人はひと月と経たず獄中で死亡した。食事を出しても手をつけず、衰弱しての死亡だった。
老人に襲われた際、クリス様を身を呈して庇った人物が居たのだが、それが何と現・農夫な元隠密だった。愛する妻と子供たちを連れての王都観光の最中だったらしい。……マジで人生楽しそう。
クリス様を庇ったという事で国から褒賞が出るからと、受け取りに来ていた彼をこっそり覗き見た。
亜麻色のすっきりとした短髪で、浅黒く日焼けをした、精悍な印象のオッサンだった。……精悍な印象ではあるのだが、健康的過ぎて『隠密』には見えない。
ただ頬に大きな古傷があり、その辺に『隠密』っぽさが……と思ったのだが、その傷も実は村に狼が出た時に追い払う際に付いた傷だったらしい。……人生エンジョイ勢め……。
隠密氏は褒賞にピカピカの農具を沢山もらい、「村人もとても喜びます!」とにっこにこで帰っていった。……もうマジで、ただの農民じゃねぇか……。
事件らしい事件はそれきりで、クリス様は無事に二十六歳の誕生日を迎えた。
クリス様と私と国王陛下とフェリシアお姉さまとで祝杯を挙げた。
そしてそして。
クリス様と私の婚姻の式典は、厳かにド派手に無事に執り行われた。
一日の怒涛のスケジュールを終え、所謂初夜というヤツだ。ここから五日間、私たちには何の予定も組まれていない。思う存分、だらだらと過ごさせてもらおうじゃないか。
現在はお風呂も済ませ、ベッドの上で「ふい~……」とダラダラしている。言っておくが、『事後』ではない。まだだ。クリス様は今、お風呂行ってらっしゃるそうだ。
一人でアホ程広いベッドでだる~んだら~んとしてたら、眠くなってきた。
いや、ここで寝ちゃダメだろう。……疲れたけど。すんっっっごい疲れたけども。
寝ちゃダメよ~……。がんばえー……、寝るなー……。
「……ファッ!?」
いかん、寝てた! と慌てて飛び起きたら、すぐ脇に座ってらしたクリス様が、めっちゃびっくりした顔で私を見ていた。
「……驚いた……」
胸元に手を当て、ふー……と息を吐いておられる。……驚かせて申し訳ない。
激烈、頭スッキリしてる。これはもしかしなくても、相当寝てたか?
「あの……すみません、クリス様。私、もしかしなくても、かなり寝てました……?」
「いや、多分、そんな事はないんじゃないかな?」
言いつつ、クリス様はベッドサイドにある時計を指さした。
まじだ。二十分も経ってない。……あれか。授業中とかにカクンってなって目が覚めると、異常にスッキリしてるあの現象か。
寝起きなので、恐らく髪がぼさぼさなのだろう。クリス様が手を伸ばし、私の髪を丁寧に指で梳いてくれる。
以前、私に触れるのに非常に気を遣ってくれていたクリス様だが、その理由は「一回目の時、不用意に君に触れて、振り払われた事があって……」という切ないものだった。いや、そら、『俺様』の不用意は、ホントに不用意でしょうからね! しょーがないですわね!
それと「余り近くに居ると、自制が効かなくなりそうで……」というものだった。
今日からはもう、自制は必要ない。
クリス様が私の髪を梳いていた手で、そのまま私を抱き寄せた。
「セラ……」
「はい。……いや、痛い痛い痛い」
クリス様、力強いですって! 痛いよ! 思わずフツーに口から出たよ!
私の言葉にクリス様は慌てて腕を解くと、「すまない、大丈夫だろうか!?」とおろおろしながら私の腕や肩をさすってくれている。
その狼狽ぶりが面白くて、つい笑ってしまった。
「大丈夫ですよ。でも、もうちょっと加減お願いします」
「すまない。嬉しくて、つい……」
言うと、クリス様は私の額に自分の額をこつんと合わせた。
「セラ」
「何ですか?」
「……生きていてくれて、有難う」
そんな当たり前の事、お礼言わないでくださいよ。人間、死なない限り生きてんですから。
でもそれ言うならさ。
「クリス様こそ、生きていてくださって、有難うございます。……諦めないでくださって……」
もう嫌だ、終わらせてくれ、と言っていたのに。それでも諦めず、投げ出さず、今日まで来た。
「有難うございます……」
きっと、クリス様が諦めなかったから、今私はこうして生きている。
お礼を言うのは私の方だ。
二人で暫くお礼を言い合い、何だかだんだん可笑しくなってきて、最終的には二人で笑い合うのだった。
明け方、ふと目が覚めた。
窓の外から、鳥の鳴き声がする。……が、まだ暗い。いや、暗いのはカーテンのせいか?
時計を見ようと思ったのだけれど、身動きが取れない。……と思ったら、背後からクリス様にがっちりホールドされていた。
クリス様、意外と着痩せなさる方でしたわ……。中々のマッチョでしたわ……。ご本人曰く「護身くらいはと思って」と、身体を鍛えておられたのだそうで。
そのクリス様の腕が、私をがっちりぎっちりホールドしている。
……何で外れねえんだ、この腕。寝てるよな? 何でこう、ぎっちぎちに力入ってんだよ……。
ふんぬ! と頑張ってみても、びくともしない。どうなってんだよ……。
多分私、呼ばれてるのに……。
「……セラ?」
「あ、起きちゃいました?」
そんならちょうどいいから、この腕外してくださいません? そういう意味を込めてクリス様の腕をぺちぺち叩いたら、逆に力を込められた。
「ぐぇ」
「どうしたの? ……まだ、夜も明けてないだろう?」
「そうなんですけども……」
クリス様が腕を離してくださったので、ベッドに身体を起こした。時計を確認すると、確かにまだ夜明け前だ。
でも、行かねばなるまい。
「私、どうも呼ばれてるみたいで」
あっちかな? という方向を指さした私に、クリス様も身体を起こした。
「一緒に行こう。……私がついて行って、どうなるものでもないだろうが」
「クリス様は、呼ばれてる感じとかはしませんか?」
「ないね。だから今回は、君なんだろうね」
そっかぁ~……。
今度は私がデスループ? それは勘弁願いたい。
着替えて、燭台を片手に部屋を出た。
本来部屋の外には騎士様や侍従や侍女なんかが居る筈なのだが、誰も居ない。
「……やはり、誰も居ないな」
「居ませんね……」
怖いくらいしんとしている。
宝物庫の場所は知っているけれど、そちらの区画へは私は入った事がない。
けれど、呼ぶ声に従うように、足が勝手に動く。中々に気色悪い現象だ。クリス様居てくれなかったら多分、私めっちゃ独り言いいながら歩いてるわ。怖いから。
だって、道中がマジで無人なんだもん! オカルトは聞く分にはいいけど、経験はしたくないんだよぉ!
目的地は分かっていたけれど、思っていた通り宝物庫の扉の前に着いた。
私は鍵など持っていない。そして、開け方も知らない。
「開けてごらん」
やっぱ、それしかないっすよね……。
豪華なノブに手を伸ばし、扉を開けてみる。
本当に、重さも何もなく、扉はすいっと簡単に開いた。そして中から溢れてくるのは、真っ白な光だ。
天井から壁から床から、一面全部真っ白だ。ゲームでテクスチャの指定を間違った場所みたいだ。
そこに、ケースに入れられていた筈の『精霊の石』が嵌まったネックレスが浮いている。石の色は当然、綺麗に透き通った青だ。
<望みを聞こう。異世界の娘>
うわ、きっしょ!! マジで頭ん中に響く! これ気持ち悪い!
……ていうか、『異世界の娘』!? この『石』って、何をどこまで知ってんの!? もしかして、私の『異世界転生』って、この『石』がやってんの!?
<望みは?>
とっちらかる私の脳内にお構いなしに、石の声が響く。
「……クリス様には、石の声とかって、聞こえてるんですか?」
横に立つクリス様を見ると、クリス様は苦笑した。
「いや、今は、何も。君には何か聞こえるかい?」
「『望みは?』と」
言うと、クリス様がふふっと笑った。
「そうか。……一回目の私のように、迂闊な事を願わぬようにね」
それ、笑い事じゃないですよね……?
望み、かぁ……。
クリス様のデスループが終わったのかどうか教えて欲しいとかって、アリかなぁ?
<それは終了した。ループは抜けた>
うお!? 答えたァァァ!!
<娘よ、望む事を言え>
今の『回答』、サービスっすか!? 気前いいっすね、石さん!
<いいから、望みを……>
ちょいタイム!
「クリス様!」
これはお教えせねば!
「な、何?」
恐らく満面の笑みであろう私に、クリス様がちょっと戸惑っておられる。可愛い。
「クリス様の『やり直し』、終わったそうです!」
「え……? 本当、に……?」
「今、石さんがそう言いました!」
「石、さん……、が……」
<もういいか? 望みは?>
今の『タイム』を望みとカウントしないとか、石さん太っ腹!
『三つの願い』系の話で良くあんのにね。そういう下んない事『願い』ってカウントして、「ではさらばだ」みたいなヤツ! それに比べて、石さんの気前の良い事ったら!
<だから、望みを……>
私の『愛する人』の、幸せを!
実はひそかに、ずっと考えていたのだ。
もし自分だったら、何を願うかなあ……と。これはアレだ。「宝くじで三億当たったら、何買おうかな~」と同じ発想だ。取らぬ狸の何とやらだ。
そしてひねり出したのが、これだ。
なるべく広範囲に、そしてなるべく効果を限定しない。ぼんやりとした願い事だ。『愛する人』はクリス様は勿論、実家の家族たち、国王陛下や王妃殿下、いつもお世話してくれる使用人たちなどなど、大量だ。その人たちに、何かいい事ありますように! というぼんやり感だ。
どうかね、石さんよ。叶えてくれるのかね? ん?
<承知した>
マジか!! 正直、無理かと思ってたわ! 見くびってスマンかった!
私の願いを聞き届けてくれたらしい石は、そのまますうっと色を青から緑に変え、部屋の中を真っ白に染めていた光も消えた。石があった場所には、パリュールのケースが安置されている。
はえ~……。ホントにこんななるんだぁ……。
ほけっとその光景を眺めていると、再度、頭の中に声がした。
<感謝する。特異点の王子と、異世界の娘よ>
……『特異点の王子』?
怪訝な気持ちで隣を見ると、クリス様も怪訝な顔をしておられた。
「……『異世界の娘』?」
おぅわ!
「今の声……、クリス様にも、聞こえて……?」
……た、んでしょうか……?
「聞こえたけど……、どういう意味だろうか?」
う~~~ん……。
ぶっちゃけ、クリス様の『特異点』というのは、分からない。石さん、致命的に言葉足らず。
ただ、私の『異世界の娘』は、言葉通りだ。
そうだなぁ……、何かすっかり目も覚めちゃったし、その話でもしてみようかな。どうせ今日から暫く、何の予定もないんだし。暇つぶしくらいにはなるかも。
私は隣に立つクリス様の手を、繋ぐように取った。もう最近じゃ、夜会なんかでも手を握られる事もなくなったから、何だか久しぶりだ。
「とりあえず、お部屋に戻りましょうか」
「うん。……セラ、寒くないかい?」
「大丈夫です。……で、今度はクリス様が、私のお話を聞いてください」
長くもないし、面白くもない話ですけど。
何故か異世界の記憶を持って生まれた女の子が、乙女ゲームの登場人物の七つ年上の王子様にいきなり婚約を申し込まれて困惑する話を。
いいよ、と笑うクリス様と一緒に、宝物庫を後にした。
ここから先は全部、何度も『やり直し』てきたクリス様も、知らないお話ばっかりですからね。一緒に色んな事を経験していきましょうね。
楽しみですね、クリス様。
一応これで本編はおしまいです。
お付き合いありがとうございました。




