15.「おかん」と呼ばれたい令嬢
「待つ……とな?」
陛下が不思議そうなお顔をされている。
多分私も、そういう顔をして王子を見ている事だろう。
けれど王子は真っ直ぐに陛下を見て、きっぱりと「はい」と頷いた。
「勿論、無期限に……とは言いません。私の成人までに彼女が見つからねば、別の女性を妃として迎えます。ですが……、それまでは、彼女を待たせてほしいのです……」
お願いいたします、と王子が頭を下げた。
「……と、言われてもな……」
うーむ……と、陛下が難しそうなお顔で唸っている。
「現状として、その令嬢は居らんのだろう?」
私たちをご覧になり訊ねられた陛下に、私と王子はそれぞれ頷いた。
「これから、カムデン侯爵家に女児が生まれてくる、とでも思っているのか?」
王子を見て不思議そうに訊ねた陛下に、王子は軽く目を伏せた。
「分かりません。もしかしたら、姿も名も変えて、世界の何処かに存在しているのかもしれません」
……そんな事があるのかしら?
でも、ないとも言い切れない。何しろ、『二十五歳まで生きて、その記憶を持ったまま時間を遡る』なんていう現象があるのだから。
「そうであったなら、私にはもうどうする事も出来ません。ただ、彼女が今度こそ平穏に幸福に生きていけるように……と祈るばかりです」
言いながら王子は、足の上で自分の両手を組み合わせた。それはあたかも、神への祈りの仕草のようであった。
その手をぎゅっと強く組み合わせると、王子はまた陛下を真っ直ぐに見た。
「私は『精霊の石』に願ったのです。彼女の――セラフィーナの幸福な生を。石はそれを聞き届けたと言いました。……ですので彼女は必ず、何処かに居る筈なのです」
「お前はそれを探す……とでも言う気か?」
砂漠で砂粒を探すより難しそうな話だ。
何しろ、本当に居るのかどうかも分からない。そしてもしかしたら、女性であるとも限らないし、もっと言えば人間ですらないかもしれない。
可愛らしい猫ちゃんに生まれ、優しい飼い主の元でぬくぬくと暮らすのも、『平穏で幸福な生』だろう。
そうであった場合、王子はどうしようと言うのか。
「彼女を探したりするつもりはありません」
あら、意外! この王子の事だから、草の根分けても探そうとするかと思ったのに。
陛下も意外に思われたのだろう。少し驚いたようなお顔をされている。
「私は彼女が、幸せに生きていてくれたら、それで良いのです。……彼女が私の目の前に現れないのであれば、それは石がきっと『その方が幸せである』と判断しての事でしょう」
……『石』に、そんな判断力があるの? いえ、あるのかもしれないわね……。あの石は、とにかく得体が知れないもの。
「ですが、もしかしたら、彼女はまた私の前に現れてくれるかもしれません。……そんな日が来るか、それとも来ないのか……、それは分かりません」
「だから『待ちたい』と……?」
訊ねた陛下に、王子は「はい」と頷いた。
「私の妃の候補となる者は、陛下や宰相で見繕っていただいて結構です。ですが、それを『確定』としないでいただきたい。……私に、もう少しだけ、夢を見る時間をいただきたい……」
呟くような声量で、またしても視線を伏せ言う王子に、陛下も黙ってしまわれた。
王子もきっと、自分が無理を言っている事は分かっているのだ。
『いつかセラが私たちの前に現れる』という事が、夢物語くらいの確率でしかないであろうと。けれど、それを信じたいと思っているのだ。
そしてそれはきっと、私も同じだ。
いつかまたセラがあの笑顔で、私の前に現れてくれると。そんな日が来るのか来ないのか分からないけれど、来るといいなと。そう願わずに居られない。
「何度も何度も、変わらぬ事態を繰り返し……、その度にやり直し……。漸く少しずつ、全てが良い方向へと動いていく中で、……セラだけが、救えない」
ぽつぽつと、まるで独り言を言うかのような声量で、王子は言葉を吐き出した。
恐らく、誰に語って聞かせるという訳でなく、ただ己の心情を文字通り『吐き出して』いるだけなのだろう。
「今度こそ、と。全ての問題を片付け、セラを奪う者を捕らえても……、また彼女は、理不尽に奪われてしまう」
確かに、理不尽だ。
王子の話では、セラは『殺される』のだ。
彼女に、誰かに殺されるような謂れはない。いつも笑顔で、無駄に敵を作るような事はせず、「喧嘩をするのも体力を使うから」と苦手な相手からは距離を置くような子だ。
「何をしても、どんな手を打とうと、セラだけが救えない……。もう嫌だ、と。もうこれ以上、彼女を奪わないでくれ……と。石はそれを、承諾してくれたのです……」
王子は深い息を吐くと、更に深く項垂れてしまった。
「もう……、こんな『繰り返し』も『やり直し』もご免だ、と。もう終わらせてくれ、と。そう言った私に……」
それは、『死なせてくれ』と同義なのでは。
陛下が痛ましいものを見るように眉を寄せている。その気持ちが良く分かる。
ああ、少しだけ分かってきた。
この人にとって、セラが何であるのか。
何度も『死んではやり直す』という、常軌を逸した出来事の渦中において、セラはきっと『生きる為の寄る辺』なのだ。
精神に異常をきたしてもおかしくない状況で、それでも自分自身を保っていられるのは恐らく、『セラが生きてそこに居てくれる』からだ。
もしもまた、セラが理不尽に命を散らすような事があれば、この人はきっと『生きる』という事を放棄するだろう。
純粋に『愛情』と呼ぶには、歪なものかもしれない。
けれど間違いなく、王子にとってセラは『命より大切な存在』なのだろう。
これを五歳の子供が言っていたなら、微笑ましい気持ちにもなるかもしれない。
けれど今の王子の独白は、そんな軽さの言葉ではない。
ふー……と、陛下が深い息を吐かれた。
「……分かった」
ぽつりと言った陛下に、王子がゆっくりと顔を上げた。きっと王子にとっては、思い出すのも辛い記憶なのだろう。憔悴したような顔をしている。
「成人までは、待とう。……だから、クリスよ」
「はい……」
「自ら命を捨てるような真似だけは、しないでくれ」
懇願するような口調で言う陛下に、王子はふっと笑った。
え? 笑うところ!?
「いたしません。……そのような真似をしたところでどうせ、また石に『やり直し』をさせられるだけですから」
ああ……、そういう事か。
絶望して命を絶ってみたところで、また石によって『やり直し』を強制させられる。きっと、石の望む結末を迎えるまでは、それこそ永劫に。
そんな中での唯一の希望が、セラだなんて……。
ねえ、お願いよ、セラ。早く王子の前に現れてあげて。
……この王子、ホンっトに怖いから……。
こんな重たい執着、『怖い』以外に感想がないわ……。
「ところでクリスよ」
お声をかけてこられた陛下に、王子は「はい」と返事をした。
「今年……は、もうないな。来年以降か。もしカムデン侯爵家に娘が生まれたならば、何とする気だ?」
確かに今年はもう、セラがカムデン侯爵家に生まれるという事はないだろう。侯爵夫人の懐妊の話なども聞こえてきていないし。早くとも来年だ。しかも、来年とも限らない。
今で既に六歳差。来年生まれたとして七歳差。……中々の年の差じゃないかしら。
けれど王子は、そんな事はまるきり眼中にない、とても良い笑顔で言い切った。
「叶うならば、妃に望みたいかと思っております」
陛下が! 「わぁ……」みたいなお顔に!
「ら、来年でしたらまだ、七つの年の差ですから、何とか……」
どうして私がフォローしているのかは分からないけれど、思わず言ってしまった。その私に、陛下が少し疲れたような笑顔を向けてきた。
「フェリシア嬢は、七つ年上の男に求婚されたら、どう思うかね?」
……言えない……。ちょっと開き過ぎじゃないかしら、とか。普通に考えて、おかしな趣味をお持ちじゃないかと疑ってしまうとか。
言えないわ……。
「……年齢差が、まだ、一桁年数でしたら……、何とか……」
ならないような気もするけれど……。
何とか絞り出した答えに、陛下はやはり疲れた笑みで「気遣い、痛み入る」と仰ったのだった。
お願いよ、セラ……。
できるだけ早く、この王子を引き取りに来て頂戴……。
十八までは待つ、と言っているから、下手したら貴女、十八歳上の男の妻になってしまうわよ……! 急ぐのよ、セラ……!!
それから一年経った、晩秋。
木々もすっかり葉を落とし、落ちてくる雨粒が直に雪になるのだろうなと感じさせる寒い日。
カムデン侯爵家に第二子となる女児が生まれた。
そしてその女の子は、『セラフィーナ』と名付けられた。
その報せを聞いた王子の喜びようは、すさまじかった。
生まれたばかりのセラに会いに行きたい、などと言い出し、「お前はカムデン侯爵家に迷惑をかけるつもりか」と陛下に叱られたりしていたようだ。
そして陛下は、届け出に書かれた『セラフィーナ』という名に驚いていたようだ。
私たちの話を疑っている訳ではないけれど、本当にカムデン侯爵家に娘が生まれ、尚且つ名前が『セラフィーナ』だったものだから、「不思議な事というのは、本当にあるのだなぁ」という気持ちだったらしい。
王子ほど浮かれはしないけれど、嬉しい気持ちは私も同様だ。
ずっと会いたかった友人に、また会えるのだ。
ああ、でも、私も七つ年上なのよね……。『前回』のような友人関係は、難しいかしら……。ちょっとガッカリ……。
まあ、いいわ! セラは細かい事を気にしない、良く言えば『おおらか』、有体に言えば『大雑把』な性格だもの。何とかなるでしょ!
セラの誕生以来、王子はそれまで以上に、シュターデンの調査に精力的に乗り出した。
確か私に協力を頼んできた際、王子は『国を蝕む害虫を駆除したい』と言ってきたけれど、本音は『セラを害する可能性のある者を排除したい』だけだったのではないかしら……?
まあ、放っておいたら国が傾く事は私も知っているから、前者も決して嘘は言っていないのだけれど。
王子にそれを訊ねたら、何も言わずにただにーっこりと笑われた。
ああ……、セラの為なのね。セラの為というより、巡り巡って『自分の為』なのかしらね。本当、厄介な王子様だわ。
我が国では、きちんとした法的効力を持つ『婚約』という契約は、契約者同士が互いに六歳を過ぎねば結べない事になっている。
一応、子供の口約束のようなものを真に受けない為、とされてはいるが。……六歳だって、子供よねえ? 私には遠い記憶過ぎて、ちょっとどうだったか思い出せないけれど。
まあそういう訳なので、王子にはまだできる事がない。
ない……筈なのだが。何やら裏でコソコソ動いている気配がある。
何をしているのか訊ねたら、もういっそ爽やかな作り笑いで「別に何も?」と言われた。『何も』じゃないでしょうよと調べてみたら、どうやら『カムデン侯爵家の娘』に興味を持ちそうな家に、ちょいちょい横槍を入れているらしい事が分かった。
……分かりたくなかったわ……。何してんの、王子……。そんなの陛下が知ったら、きっと泣くわよ……。
あと、セラが知ったら、ものすごく『引く』わよ……。
「いや、セラは知る必要のない事だ」
……そんなキリっとした顔で言われても、カッコよくもないし、逆に情けないだけだし……。
「セラには……、言わないでもらえないだろうか……」
今度はそんな、捨てられた子犬みたいな顔で……。……この人、どこまでが本気で、どこからが演技なのか、全然分からないのよね……。
まあ、口止めなんてされなくても、言うつもりはないけれど。
ただもし、何かの弾みでぽろっと零れてしまったら、ごめんなさいね?
「お願いだ、フェリシア嬢……、セラには、どうか……」
泣き落とし、やめてくださらない? 噓泣きとばれた瞬間に舌打ちするのも、やめて欲しいわ。
……何かしら……。この曲者王子、逆にセラとすごくお似合いな気がしてきたわ……。
シュターデンの一派への包囲網を狭めつつ、待つ事六年。
漸く、セラが六歳になる年になった。
王子の浮かれ方がすごすぎた……。
王子は非常に外面が良い。
見た目は繊細優美で、物腰も穏やか。所作には小さな粗もなく、聡明で博識。誠実な人柄でも知られ、将来を嘱望される王太子。
大抵の貴族から、そういった賛辞が聞かれる王子だ。
当然、王子が六歳の頃から、「我が娘を妃に!」という貴族は多かったようだ。
それらは全て陛下が、「クリスの妃は十八までには決めるが、今はまだその時ではないな」と突っぱねていたようだ。
その鉄壁のガードで知られた王子が、婚約を発表した。
貴族界隈のざわつき方は、尋常ではなかった。
何しろ、相手が七つも年下の少女だ。更に、政治的に重要とも言い難い家の娘だ。
裏でひそひそと、カムデン侯爵家を僻むような連中が、誹謗や中傷などを囁いていたようだ。が、それらは全て王子によって潰された。
初めてセラに会いに行った後、やはり王子の浮かれようはすごかった。『地に足がついていない』とは、ああいう状態を言うのだろうな、という風情だった。
私は王子から、セラがどれ程愛らしかったかという話を、二時間以上に渡って聞かされた。
……何かしら、この拷問。というか、本当に拷問に使えそうだわ。囚人相手にこの同じ話を何度も繰り返す惚気を聞かせてやれば、どんな凶悪な犯罪者も折れるのではないかしら。
ねえ、王子……、その『猫舌のセラが熱い紅茶で眉をしかめてた』って話、もう四回目よ……。セラが王子を『クリス様』って呼んでくれた話は、もう六回目。
……お願い、帰らせて……。
あと何時間、この話に付き合えばいいの……? お願いよ……、誰か助けて……。
死んだ表情で王子の話に相槌を打つ私に、お城の侍女が気付いてくれてさりげなく助け船を出してくれたのは、それから三十分後だった……。
婚約披露の宴で、漸くセラの姿を見る事が出来た。
記憶の中の小さなセラそのままで、懐かしくて嬉しくて、少しだけ泣きそうな気持になった。……のだが、一瞬でそんな気持ちはすんっと冷めた。
セラのドレス……、アレ、王子やりすぎじゃない……?
淡い青から緑へグラデーションする布地に、金糸で蔓薔薇が豪勢にたっぷりと刺繍されている。王子の自己主張、つっよい!!
……セラにいつか、教えた方がいいかしら……。あのドレス、王子が自分で布から選んでデザインしたものだ、って。私は「うわぁ……」という感想しかなかったけれど、セラならもっと可愛らしい感想……は、ないわね。きっとセラも「うわぁ……」てなるわね。うん、黙っておきましょう。
あのドレスのデザインは、王子が繰り返してきた中の『前回』、婚姻式典の後のお色直しの候補に挙がっていたドレスなのだそうだ。
来賓のドレスと色などが被りそう、という理由から没になったものだそうで、「セラが気に入っていたから、今度こそ着せてあげたくて」と王子が自らデザイン画を描いたそうだ。
細かな刺繍の柄や、女性のドレスの装飾など、良く覚えているものだ……と感心(半分、気色悪い思い半分)していたら、王子がとんでもない事を言い出した。
「石の恩恵なのか呪いなのかは定かでないが、私は繰り返してきた『やり直し』の記憶を、全て思い出す事が出来るんだ」
……え? 何それ、どういう意味?
意味が分からず問い返すと、王子が簡単に説明してくれた。
つまりは言葉通りで、王子は『今までのやり直しの中で見たもの、聞いた事を、全て覚えている』のだそうだ。
意識して見ていた、聞いていたものだけでなく、『その時ただ視界に入っていただけの花瓶の花』だとかまで、その気になれば思い出せるらしい。
それは確かに、恩恵なのか呪いなのか分からない。
人には誰しも、忘れてしまいたい記憶はあるものだ。それすら、あの石は許さないのだろうか。
「ただ、意識しなければ忘れていられるんだ。このドレスの柄なんかは、『細部まで思い出そう』と意識したものだね」
……『思い出そう』とするものが、気色悪いですわ、王子……。……言えないけど。
そして王子に恩恵だか呪いだかを授けた『石』を、王子はセラにプレゼントした。
得体の知れない石だが、国宝だ。ほいほい動かして良い代物ではない。けれど王子の「セラに贈りたい」という要望に、陛下は二つ返事で「好きにせよ」と仰ったそうだ。
王子がセラにあの石を贈った理由は一つだ。
王子は今回やり直す前、あの石に願ったのだ。『セラの平穏な死』と『幸福な生』を。叶えてくれると言うのであれば、何としてもセラを守ってくれ。そういう思いから、王子は石をセラに贈った。
カムデン侯爵家の人々というのは、面白いくらい欲がない。
いや、あるはあるのだ。あるのだがそれは、名誉や金銭などの欲ではない。もっと良く分からない欲ばかりだ。
そういう家なので、いきなり贈られた国宝に恐れおののき、侯爵は陛下に何度も「どうか返上させてください」と直談判していた。
当然そうなる事くらい、王子は事前に承知している。
なので王子から陛下に「お願い」してあったのだ。もしも侯爵家が石を返したいと言ってきたならば、陛下はそれをのらりくらりと躱してくれ、と。シュターデンの連中が全員捕まったならば、その時には返上を受け入れて欲しい、と。
婚約披露の宴の後、城の庭でいつものようにお茶をしている時に、公爵令息が王子に言った。
「国宝たる『精霊の石』を他者に贈る……などという事を、よく陛下がお許しになりましたね」
ホント、それよね。いくら陛下は事情を知っているとはいえ、曲がりなりにも『国宝』よ? 得体が知れなくて、ちょっと気味悪いけど、国宝は国宝なのよ。
「ああ……、あの石にはね、ちょっと不思議な逸話があって」
王子の言葉に私は、『不思議しかないじゃない、あの石』と思ったが、王子の話は本当に不思議だった。
「実はあの石は、過去に何度か盗難に遭っていたり、紛失して行方知れずになっていたりするんだ」
「は!?」
思わずおかしな声を上げてしまったが、それは私だけではなかった。他の三人も、思い思いに声を上げていた。
「え!? いえ、あの、しかし、そんな話、聞いた事が……」
えらく驚いている子爵令息に、王子は少し楽しそうに笑った。
「うん、ないだろうね。所謂『王家の秘密』というものだね」
「そんなもん、軽々しく喋らないでくださいよ!」
侯爵令息が嫌そうに言うが、全くその通りだ。
けれど王子は楽しそうだ。
「君たちになら、話しても大丈夫かと思って」
ぐ……。そう言われてしまっては、これ以上何も言えないわ……。こういうとこズルいのよね、この王子……。
「何度かそうして姿を消しているのだけれど、数年もすると、宝物庫に勝手に戻ってくるんだよ」
…………は?
「勝手に……とは?」
言っている意味が全く分からないので、私たちは全員『何言ってるの?』というような怪訝な顔をしている。同じ表情の公爵令息が、私たちの疑問を代表してくれた。
それにも王子は、やはり楽しそうな笑顔だ。
「言葉の通りだね。ある時は他国からの献上品に混ざっていた。またある時は、買い取った商人が返還に来てくれた。他国で捕らえられた盗賊団の荷物から出てきた事もあるし、記録によれば『ある日宝物庫の中を確認したら、いつの間にか台座に収まっていた』という意味の分からないものもある」
……最後の、本当に意味が分からないわ……。
でもあの石なら、そういう事もあるかもしれないって思っちゃうわ……。
「そういう具合に、あの石は何らかの手段で持ち出されたとしても、勝手に戻って来るんだ。だから、誰かに贈ったとしても、きっといずれ戻って来る。何の心配もない」
心配ないって言うより、怖いんだけど……。
私以外の三人も、何とも言い難い表情だ。やはり代表するように公爵令息が「そう……なの、ですね……」と何とも言えない口調で呟いた。
まあ今回は、いずれカムデン侯爵家から返されるでしょうから、本当に心配はいらないのだけれど。
相変わらず王子の惚気を死んだ顔で聞き続ける日々を送り、私たちが十六歳になった年に、シュターデン一派が全員牢へと繋がれた。
五歳のあの日、王子が用意したリストに載っていた人間は、全員何らかの容疑で捕縛されたらしい。
ついでとばかりに、国内に巣食っていた犯罪者集団の一斉摘発のような事をやり、大分国内がスッキリした。
そしてその数か月後、カムデン侯爵家から何度目かの『精霊の石』の返上の申し出があり、陛下はそれを受諾された。
王子が言うには、次の『山場』は王子の成人の生誕祝賀だそうだ。
確かに、私の知る『前回』のセラは、その日に事故に巻き込まれた。そして王子の知る『セラの二度の死』もこの日だ。
事故は他国の洞窟遺跡という、今のセラには全く縁のない場所での出来事だ。
そして王子にとっては一度目のセラを殺した主犯は、捕らえられて牢の中。
問題は、王子が直前にやり直した回の、セラを殺す相手だ。王子に聞かされ、ひどく驚いた。
ローランド・カムデン。私の『前回』の記憶では、セラの弟。今はセラの兄。
その彼が、セラを殺すというのだ。
理由は、姉であるセラに対する嫉妬。
そこで王子が出してきた対策が、『ローランドにきちんと自信をつけてもらえば良いのでは』というものだった。
セラが飛びぬけて個性的であるから目立っていただけで、ローランド自身も決して劣っている訳ではない。それを理解してもらえば、セラに対する的外れな嫉妬などはなくなるのでは、と。
その為の一歩として、王子は自身の側近として、ローランドを登用する事にした。
私には『前回』のローランドの記憶しかなかったので、会ってみて驚いた。
セラをそのまま男性にしたような人。それが、『今回』のローランドの印象だ。
髪や目の色もセラと同じ。顔立ちは彼の方が鋭角的であるが、目元などはセラと良く似ている。それに何より、無駄に溌溂としている点や、良く回る舌や、他者の目がなくなると途端にだらけるところなんかも、セラとそっくり!
そして笑顔……というか笑い方が、セラと全く同じ。気を許した相手には、警戒心も何もない全開の笑顔を向けてくる。
カムデン侯爵家、クセが強い……。クセが強いのよ!
ローランドが余りにセラに似ているものだから、つい世話を焼きたくなってしまう。
そうしてローランドに小言を言う私を、王子が……物凄くにこにことしながら見守っている……。
やめて、王子! ローランドにセラを重ねないで! 笑顔が緩み過ぎてて怖いのよ! 時々、ローランドを『セラ』って呼びそうになるのもヤメて! 気持ちは分かるけども!
……私の知る『前回』のローランドにとっても、セラは『姉』だったのだものね。きっとあのローランドも、セラに対して鬱屈した思いはあったのでしょうね。
セラの陰に隠れていなければ、きっと本来こういう人なのでしょうね。……クセが強い。
そうしてローランドの世話を焼いていたら、ある日、ローランドが楽し気に笑いつつ言ってきた。「妹にフェリシア嬢の話をしたら、『おかんやんけ……』と言っていたよ」と。
その言葉にうっかり泣きそうになってしまった私に、目の前のローランドが酷く狼狽していた。
珍しいくらいおろおろとするローランドを見ていたら、涙は引っ込み、逆に笑いがこみ上げてきてしまったけれど。
……どうせなら、貴女の口から直接聞きたいわ。もう何年聞いていないかしら。
まあ、セラに言われたなら私は、ちょっと腹を立てながら「誰がよ」と返すでしょうけれど。
一つの山場である、王子の十八の生誕祝賀は、それは盛大に行われた。
王太子の成人の祝いだ。国の内外から、沢山の人が祝福に訪れた。
王子は一段高くなった場所で、来場者からの祝辞を受け取っている。その隣にはセラが居る。
セラは王子にがっちり手を繋がれていて、その手をしきりに気にしていた。……ええ、気持ちは分かるわ。「ちょっとくらい離してくれないものかしら?」とか思ってるでしょ? 私も思うわ。でもきっと無理よ。
……だって王子は、その手を離してしまったら、貴女が居なくなるかもしれないと思っているのだもの。
でも確かに、あれはないわよね! 来賓の方も気にしてらっしゃるものね! 恥ずかしいわよね! 分かるわ!!
ああホラ、セラ! アホの子みたいに口を開けるんじゃないわ! 目の前の伯爵が不自然な頭髪をしてらっしゃるからって、そんなまじまじ見て「ほえ~……」とか声に出さずに呟くものでもなくてよ! 疲れたからって、きょろきょろするんじゃありません! ……ああ、直接言いたい……!! 言ってやりたい……!!
夜も更け、眠くなってきたらしいセラを先に帰す事になった。
当然、セラには知らせていないが、すさまじい数の護衛が付けてある。馬車は城から出したもので、剣を突き刺してもちょっとやそっとじゃ貫けない仕様のものだ。御者も、ただの御者ではなく、実は騎士である。
そしてセラの胸元には、例の石のついたネックレス。
……ここまでして駄目だったなら、王子は本当に死んでしまうかもしれないわね。お願いだから、無事に明日の朝を迎えられますように……。
翌朝。
不穏なニュースが届いたりしないかと一日ビクビクしていたが、何事もなく時間は過ぎた。
夕刻、王子から書状が届いた。出仕したローランドから「セラは寝不足以外は元気で、朝食のミルクを零して母親に叱られていた」という呑気な報告があったそうだ。
一つの山を越えたわ……!
そして後日、王子から「生誕祝賀の日のセラがどれほど可愛かったか」という話を二時間も聞かされた。
……私もその場に居たから、知ってます。聞かなくても知ってるって言うのよ! もういいわよ! 本当……誰か、助けて……。
次の山は、王子の二十五歳だ。
ただセラの方も、もしかしたら『セラが十七の年』というのが死の条件の可能性もある。
どういう偶然か、今回は『王子の二十五歳』と『セラの十七歳』が同じ年にやってくる。
その年さえ乗り切れたら、きっと王子の『やり直し』は本当に終わる。
どうか無事に……と、祈る気持ちがあるばかりだ。
……はー……、ローランドが城の庭で虫を集めているわ……。注意してこなきゃ……。いい加減、妹の寝室に虫を放つ悪戯はおやめなさいな。貴方もセラも、もうそんな子供でないのだから。
『今回』は、セラの成人のお祝いが出来ますように。
私はまだ一度も、彼女の成人をお祝いした事がないのだもの。
今回こそ、皆で揃って、盛大にお祝いしましょうね。ね、セラ。




