12.オブジイヤーじゃないの?
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「私は……、死ぬのですか……?」
まさかの私死亡!
ていうか何で!? どーして!? ホワーイ!?
「落ち着いて、セラ。これは、過去の『やり直し』の中の出来事だ」
言いながら、クリス様がそっと背中を撫でてくださった。
あ……、私、何かちょっとパニクってたのか……。
クリス様の手の感触で、何かちょっと落ち着いた。やっぱ『人の手』ってすげぇ。ぬくもりてぃ、大事。
クリス様に背中をさすさすしてもらってちょっと落ち着いてきた私を見て、クリス様は私に触れていた手を戻した。
……もちょっとさすさすしてくれてもいいんですよ?
「殺された……って、言いました?」
「侍従は、そう言ったね」
ちょっと落ち着いて、さっきクリス様から聞いた話を思い出してみる。
クリス様の十八のお祝いの後だ。
その『やり直し回』の私はクリス様と同じ十八歳なので、夜会に最後まで居残るだろう。しかも、仲良しのお友達の成人のお祝いだ。先に帰るなど、むしろあり得ない。
お開きになるのは午前二時くらいだろうか。
お城から我が家までは、馬車でニ十分程度だ。通る道は広い道で、貴族の邸などが立ち並ぶ区画を行く。貴族の邸が多いので、街灯もきちんと整備されているし、警邏の騎士様も巡回している。
この道中での凶行……というのは、かなり難しいと思われる。
なら、家か?
いや、家で私を殺すってのは、道中を襲うより難度高いだろ……。
……考えても分からん。
素直にクリス様のお話を聞こう。
『自分を殺す方法』とか訳分かんない事考えてたら、なんか落ち着いてきたし。
「私は、どこで、どのように殺されるのですか?」
「城からカムデン邸へと帰る馬車が、何者かに乗っ取られるんだ。馬車はカムデン邸へは戻らず、王都の郊外で見つかる。中からはセラとお付きの侍女、護衛の私兵二人、そして御者の遺体が見つかった」
「護衛が付いていて……それでも……」
「そう。……つまり、犯人は素人ではない」
そうなりますよね!
しかし玄人さんに殺されるような覚えはないんだが!? ……まあ、私個人ではなくて、カムデン侯爵家が知らん内に恨み買ってる可能性は、どっかにあるかもしんないけど。……なさそうだけど。人様に恨み買う程、ウチの人間アクティブじゃないからなぁ……。
「いきなり起き抜けにそんな話を聞かされても、一瞬全く理解できなかった。侍従が今何を言ったのか……を、何度も何度も頭の中で繰り返し、……意味は理解できたのだが、信じたくない、認められないと、思った……」
* * *
夜が明け、早速侯爵邸へと訪問の伺いを立てたのだが、「立て込んでいるから」と断られた。
娘が殺されたのだ。それは立て込みもする。
しかもセラには殺されるような理由がない。
特に誰かに恨みを買っていたような事もないし、彼女を殺したところで誰かが得をするような事がない。
セラ個人ではなく『カムデン侯爵家』に恨みがあるのなら、セラではなくローランドを狙うだろう。侯爵家はセラに婿を取らせるのではなく、ローランドを次期侯爵として認めている事は周知の事実だったのだし。
……などと、冷静に考えられるようになったのは、セラが殺されてから実に一月ほど経ってからだった。
侯爵邸への訪問が許されたのは、セラが殺されてから三日後だった。
私が侯爵邸を訪れると、私以外の友人たち四人が既にそこに居た。
まだ何も信じられぬ思いだったのだが、公爵令嬢の泣き腫らした目が、侯爵令息の沈痛な面持ちが、子爵令息の固く握られた震える拳が、公爵令息の伏せられた目と嚙み締められた奥歯が、聞かされた話は現実なのだと、何よりも物語っていた。
午後には教会へ移送されるという棺が、玄関近くの客間らしき部屋に安置されており、その中にはセラの身体が横たえられていた。
顔には何か所もガーゼを貼られ、胸の上で組んだ手には手袋が嵌められ、首には不自然に幅の広いチョーカーが巻き付けられていた。
騎士から報告は受けていた。
セラには、恐らく抵抗したのであろう傷が多数ついていた、と。一刀に切り捨てられたと思われる侍女に、覆いかぶさるように倒れていた、と。状況から見るに、恐らく侍女にはまだ息があり、セラはそれを庇おうとしたのではないか……と。
その話を聞いた時、ショックで頭がぼんやりとしてはいたものの、酷く納得したのを覚えている。
そうだな。セラなら、庇うだろうな、と。
棺に収まった遺体は、何の表情も浮かべていなかった。
苦痛も、苦悶も、恐怖も、何も。
痛かっただろうに、恐ろしかっただろうに。誰かに心配される事を嫌うセラだ。そんな表情をしていては、遺された者が気に病むだろうからと、そう思ったのかもしれない。
けれど逆に、いつもくるくると良く表情を変える彼女が、何の感情もない表情で目を閉じているその様が。
余計に、『セラはもう生きていない』と、強く感じさせた。
ああ……、何だろう、これは……。
何が起きているんだろう……。
何故私ではなく、セラが死んでいるのだろう。
おかしな話ではあるだろうが、私はこの時、初めて『人の死』というものに触れたのだ。
それこそ一回目から今まで、周囲で沢山の人間が死んでいる。一回目などは、王都に残っていた貴族たちはあらかた『処刑』されていた。フィオリーナも殺された。父もだ。
けれどそれらは全て、『私の見えない場所で』行われた。
なので私は、『死んだ』という結末は知っていても、彼らの遺体などを見る事もなかったし、それが本当かどうかすら確認できていないのだ。
最も身近である筈の『私自身の死』というものは、もう繰り返し過ぎて感覚がとっくに麻痺してしまっている。『二十五歳の恒例行事』くらいのものだ。
そしてそれまでに命を散らしてきた数多の人々に関して、申し訳ないのだが、私は特になにがしかの『特別な思い』というものを抱いていた訳ではない。
繰り返す『やり直し』の中での彼らの死は、『そこまでに何かを変えられなければ必ず起こる出来事』としか認識されていなかったのだ。
けれど今回、これまでのやり直しで関わって来なかったセラフィーナが死んだ。
偶然かもしれない。
けれど本当に、偶然だろうか。
セラが殺されたのは、『やり直し』の中で重要な意味を持つ、私の十八の生誕祝賀の日だ。
これは『偶然』で片付けて良い出来事なのだろうか。
もしもこれが『偶然』などではなく、『私が関わってしまったから』起こった出来事だったとしたら?
私は一体、どうしたら良いのだろう……。
セラの葬儀の様子は、良く覚えていない。
ただ、棺を地中に埋めてしまう時に、『何故、そんな暗く冷たい場所に埋めるのだろう』と思っていた事だけは、良く覚えている。
それからの事も、なんだか夢の中をふわふわ漂っているような感覚ばかりで、鮮明に記憶している事の方が少ない。
セラが亡くなった三か月後、国と侯爵家で共同で捜査を行った結果、セラを殺した実行犯が捕まった。
金と引き換えに人を殺す、プロの暗殺者集団だ。
数か国から手配されている集団で、『集団』とされているが、実態はたった三人だった。彼らは捕らえられ、極刑となった。
彼らに金を渡しセラを殺させたのは、とり逃していたシュターデンの一派の残党だった。
また『やり直し』たら、今度はこいつらだけは絶対に捕らえよう……と、ぼんやり考えていた事は覚えている。
何故セラを狙ったのかについては、主犯曰く「自分たちから大切なものを奪った王族の、『大切なもの』を逆に奪ってやろうと思った」からだったそうだ。
つまり、……私のせいだ。
私がセラを、大切に思ってしまったから。
司法官からその取り調べ結果を聞き、自分の中で何かの糸がぷつりと切れたのを感じた。
そして、話を聞き終え、私の視界は暗転した。
ぼんやりと目を開けると、そこは自室の寝台の上だった。
倒れた……のだろうか。
頭が上手く働かず、とにかく酷く眠い。
寝かせて欲しいのに、寝台の周囲には人が沢山居り、その人々がばたばたと忙しなく動き回る気配のせいで眠れない。
一体、何だと言うのか。
何故、私の自室の寝室に、これ程の人が居るのか。
いいから寝かせてくれ。触らないでくれ。出て行ってくれ。
随分と久しぶりに、癇癪でも起こしたい気分になっていた。
けれどもう、何をするにも億劫だ。
寝返りを打つという、ただそれだけの動作ですら面倒くさい。
口をきくのも、瞼を持ち上げる事すら、全てがただただ面倒で億劫だ。
もうこのまま寝かせておいてくれ。
遠い遠い意識の向こうで、父の「何故だ!? お前はまだ十八ではないか!」という、血を吐くような悲痛な叫びが聞こえた。
そして気付くと、またあの真っ白な宝物庫で石と向かい合っていた。
* * *
「クリス様……、死んじゃったんですか……?」
え……? 十八で?
だってクリス様が死んじゃうの、いっつも二十五歳ですよね?
「どうやらそのようだね」
苦笑しながら言うクリス様の口調は、あくまでも他人事のようだ。
ホントこの人、『自身の死』ってものに関して、感覚が麻痺してらっしゃるんだわ……。
「死因なんかは、自分でも良く分からないのだけれど……。過労……なのかな?」
ああ……、クリス様は寝てただけなんですもんね……。そら、分かりませんわね……。
「後になって思い返してみて、そういえばセラが亡くなって以降、余り寝てなかったような気がするな……と。食事も、摂っていたのかどうか、殆ど覚えていない」
うわぁ……。
何か、栄養失調に低血糖に過度の睡眠不足にその他諸々コミコミで、『過労死』ってヤツじゃね?
てかクリス様、餓死系多くないすか? ゴハン、大事すよ? 私の食欲、分けてあげたい。
悲しかろうが辛かろうが、容赦なく腹が減る。それが切ない乙女心……。きっと乙女の皆様なら「わかるゥ~!!」て言ってくれる筈!
いや、ハラヘリの話は今はどうでもいい。
それよりも、だ。
「クリス様って、二十五までは死なない……んじゃ、ないんですか……?」
それが毎度お決まりのパターンだったので、何となくそう思っていた。
私の言葉に、クリス様はちょっとだけ笑われた。
「何故か、私もセラと同じように思っていた。けれど、そういう訳ではなかったようだ」
「そっか……。でも、それはそうですよね……。人間なんですから、死ぬ時は死にますよね……」
「普通に考えたらね」
そう。『普通に考えたら』当たり前だ。
けれど、『普通では考えられない』経験の渦中のクリス様だ。
何となく、デッドエンドルートは『二十五歳までを繰り返す』ものなのだと思い込んでいた。
どんなに危険な事があったとしても、謎のご都合主義バリアーで奇跡的に回避できるものだと。その代わり、二十五歳までに全フラグを回収しきらなければ強制デッドエンド、みたいな。
けれど、今聞いている話は、ゲームのシナリオではなく、『クリス様が経験してきた人生』だ。
そう考えると逆に、毎度享年が同じという方が不自然だ。
て事は、『二十五歳までを繰り返す』んじゃなくて、『最長で二十五歳で強制デッド』が正解か。
……どっちもイヤな事には変わりがないけど。
「クリス様……」
「うん?」
またちょっと首を傾げてこっちを見るクリス様。だからそれ、可愛いんですってば。
「……あと、五年しかないんですが……」
『今』目の前に居るクリス様が、二十五歳になるまでに。
言った私に、クリス様が「ふふっ」と楽し気に笑われた。
「そうだね。あと五年だね。私たちの結婚式まで」
ぅおっと、そう来たか。
五年後。
クリス様が二十五歳、私が十八歳で、私たちは夫婦となる事が決まっている。
男女ともに十六歳から結婚できるのだが、何故か婚約申し入れの当初から、『婚姻はセラフィーナが十八歳を迎えてから』とされていた。
ただでさえクリス様は私より七つも年上だ。婚姻を急ぐ事はあれど、遅らせる意味が分からないと少し不思議に思っていたのだが、もしかして……。
「私が……、十八になる前に死ぬかもしれないと……?」
先ほどの話でセラフィーナが死んだのは、クリス様の成人の祝賀の日だ。
私の誕生日は、クリス様より遅いのだ。つまり、セラフィーナの享年は十七だ。
訊ねた私に、クリス様は目を伏せた。
あ、ヤバい。これ、今までのどんな話より、クリス様の地雷だったくさい。
「絶対、死なせない。……そんな事は、許さない。何があろうと、今度こそ死なせたりしない」
目を伏せ、ぐっと強く拳を握り言うクリス様の声は、悲壮な決意に震えている。おまけに、顔に表情がない。ごっそり感情が抜け落ちたような、見た事のないお顔をされている。……ヤベー地雷踏んだわ、私……。
フォロー! フォローするのよ、セラフィーナ!
ここで小粋なトークで場を和ませてこそ、デキる女というものよ!
えーと、えーと……。
あ! 最近寒くなってきたから、時蕎麦なんて粋じゃない!? って、ちげーよ! この国、蕎麦ねぇよ! 時パスタ!? 粋も風情もねぇわ!
よぅ寒ィな、親父! ペペロンチーノ、一丁貰おうか!
どんな物売りだよ!
私が一人でそんな風にとっ散らかっていると、クリス様が深呼吸をするように息を吐かれた。
時パスタ、聞かれます……?
「……すまない」
小さな声で謝られ、何がかな?とクリス様を見ると、クリス様は私を見て小さく笑った。
「大丈夫だよ。セラの事は、何としても守るから。心配いらないよ」
そんな事より、クリス様の方が心配なんですが……。
お話を聞けば聞く程増える、クリス様の地雷……。地雷マックスまで増やしたマインスイーパー並みの難易度なんすけど……。
* * *
また、ここか。
もう見慣れた真っ白な空間で、私はそんな風に思っていた。
もう疲れた。
あのまま眠っていたかったのに、どうして私はまたここに居るのだろうか。
この石は、誰の願いを叶えようとしているのだろうか。
少なくとも、私の願いではない。
私の願いであれば、あのまま放っておいてくれた筈だ。
<あの結末を望むか?>
もういい。
私が生き延びたとして、彼女が死んでしまうのなら意味がない。
もういい。もう疲れた。
<彼女の死を回避しようとは思わないのか?>
思わない訳がない。
けれど、何か一つでも失敗したら、彼女はまた死んでしまう。それはきっと、耐えられない。
<失敗しなければ良い>
簡単に言うな。
何度繰り返したと思ってる! どれだけ連中を追い詰められたと思ってる! それでも! あと一歩、あと一手足りなかったじゃないか!!
<その足りなかった『あと一歩、あと一手』を、既に君は知っている>
それは、そうだが……。
<さあ、やり直そう。もう一度だ。君が繰り返してきた『これまで』は、絶対に無駄にはならない>
また視界が真っ白になり、私が居たのは、五歳のあの日の庭園だった。
* * *
「え、あの、クリス様、ちょっといいですか?」
「何かな?」
「『あと一歩』だったのですから、その直前から『やり直す』とかじゃないんですか?」
言った私に、クリス様が明らかに「???」という顔になってしまった。
ん~~……、何て言ったらいいかな……。
「えーとですね……、さっきの『セラフィーナが死ぬ』回の、その直前まではいい感じで進んでいましたよね。チェスで言うなら、まさにチェック目前くらいの感じで」
「……うん」
少々の考える間をおいて、それでもクリス様が納得したように頷いて下さったので、話を続ける。
「そのチェック目前で、相手に盤面をひっくり返された。なら、その盤面を『チェック目前』だった状態にまで戻して、そこから次の手を指しなおしていけばいいのではないですか?」
要するに、その『セラフィーナ死亡ルート』の、十八の祝賀あたりにでも戻れば良いのでは? という話だ。そしてそこから、『セラフィーナの脅威』となる相手を排除だけしてやれば、グッドエンドに到達出来るのではないだろうか。
デカい分岐前にはセーブは必要。そしてセーブデータは上書きせずに分けておくのが常識(ゲーマー的には)。ついでに言うと、オートセーブは味方の振りをした敵だ。
クリス様に『ゲーマーの常識』で話をしても分かんないだろうから、チェスに喩えてみたけども。
どうかしら? 理解できたかしら? ドキドキ……。
「セラの言いたい事は分かった」
うん、と頷きながら仰るクリス様。良かった、伝わった!
そんじゃ、前回のセーブデータをロードして続きからは!?
「でもそれは、不可能なんだ」
苦笑しながら言われ、私は思わずめっちゃ素で「え、何で!?」と言ってしまった。……猫ちゃん、帰っておいで……。『迷い猫探してます』の貼り紙が必要な気がしてきた……。
だが流石はクリス様だ。私がスーパーナチュラルに素を出しても、全く気にされてない。
「チェスで喩えて言うならば、確かにその『セラフィーナが死んでしまう』回はチェック目前ではあった。けれどね、その回の盤面は、私が負けると全部『なかった事』になるんだよ」
ほ……? なかった事、とな……?
「私は死ぬ度に、真っ白な場所で石と対面する訳だけれど……、その『石と向き合っている私』は、一回目の『離宮に幽閉され餓死寸前の私』なんだ」
え……? えぇぇ! うわぁぁ! そういう事か!!
「じゃあ……、クリス様が死んでしまった時点で、その回の盤面というのは……」
「全部なくなって、目の前の盤面は『一回目のゲームの最終局面』になる。つまり、そこから何手戻そうと、『直前のゲームと同じ盤面』になるとは限らない」
うわぁ……。うっわぁぁぁ……。
思わずクリス様をまじまじと見てしまった。
この人……、『死にゲー』をノーセーブで『最初から』なんて縛りプレイやってんのか……。いや、『やってる』んじゃなくて、『やらされてる』が正解か……。
つまりクリス様は、死ぬ度に『一回目の死ぬ直前』に戻される。そこから逆行できるのは全部、『一回目のどこかの時点』でしかない、という事だ。
さっきの『セラフィーナが死ぬまでは上手くいっていた』回のどこかの時点へは戻れないし、次にやり直したとして同じ結果になるとも限らない。
データのセーブ&ロードが出来るゲームの方が易しいぞ、コレ……。
「そういう仕組みなので、私はまた五歳のあの日に戻された。……理解できたかな?」
「……できました……」
……ゲームだとしたら、某オブザイヤーを狙えそうっすね。「オブジイヤーじゃないの?」と言うと「うるせー馬鹿」と返されるあのスレの。
* * *
五歳のあの日だ。
私の為に集められた、五人の少年少女。
直前の回では十八だったので、私にとっては十三年振りの光景だ。
既に大人になった彼らの印象の方が強かったので、面影そのままに小さくなってそこに居る彼らに、言い知れぬ懐かしさを覚えた。
ああ、そうだ。
私の貴族間の評判は、この時は最悪だったのだ。
彼らは私を品定めするような目で見ている。一回目は気にしなかったし、直前の回では「彼らに私を認めさせねば」と奮起する材料になったものだ。
今は、ただ懐かしさだけがある。
その五人の中に。
当たり前なのだが、セラフィーナが居た。
彼女も私を、少々険のある目で見ている。けれど次の瞬間、彼女の顔が驚いたものに変わった。
私が、泣いていたからだ。
懐かしさと、嬉しさと、……そして虚無感と。
様々な感情がない交ぜになって、言葉が出なかった。言葉の代わりと言わんばかりに、ただただ涙が出た。
突然泣き出した私に皆は驚き、席を立ちこちらへと歩み寄ってくれた。
口々に「どうされたのですか?」や「大丈夫ですか?」などと言ってくれる中、セラが「お腹でも痛みましたか?」と言ってきた。
セラの声だ。
どうしてこの状況でまず発する問いが「腹が痛いのか」なのだろう。本当に、本物のセラだ。
私の目の前で動いている。少し心配そうな表情をしている。話している。……生きている。
守れなかったという悔しさと、それが私の慢心故であった申し訳なさに、私は知らず「すまない」と繰り返していた。
彼らにしてみたら、謝られる心当たりなど全くないだろうが。
それ以前に、私が泣いている理由が不明過ぎて、戸惑うどころではなかった事だろう。
私は知っている。
こういう場を収めるのは、公爵令息の仕事だ。前もいつもそうだった。
そんな風に思っていると、案の定、公爵令息が「とりあえず、お席へ行きましょう。歩けますか、殿下」と言ってきた。
私はそれに「ああ、大丈夫だ。有難う」と返した。
繰り返すが、その時点での私の評判は最悪だ。
小さな事で癇癪を起こし、礼儀作法もなっていない、獣の方が可愛いのではないかとすら思われる化け物。それが、五歳時点での私だ。
けれどこの直前の回で、今まさに目の前に居る五人と、対等に渡り合ってきたのだ。
礼儀も作法も修めたし、これから学ぶであろう学問も頭に入っている。
何より、愛する友が心配してかけてくれた言葉なら、礼くらい幾らでも言う。
だが彼らの頭の中に居る『私』は、その印象最悪の私だ。
私の発した『有難う』という言葉に、五人ともがえらく驚いた顔をしていた。
その顔を見ていたら可笑しくなってきて、私は今度は泣き笑いになるのだった。
直前の回と同じ時点からやり直しなのだが、私にはその『直前の回の記憶』という通常考えられないアドバンデージがある。その直前の回では私は、『通常の貴族程度には出来る』からスタートだったが、今回は『将来王となる事を期待された王太子だった』という地点からのスタートだ。
五人の信頼を得るのは一年もかからなかった。
そして早々に、父に全ての事情を話した。
直前の回では友人たちに手伝ってもらったのだが、あれ以上踏み込むとなると、彼らにも危険が及びかねないからだ。
父は五人との顔合わせの日以来、人が変わったような息子を不審に思っていたようなので、それも父に信じてもらう為の良い材料となった。
ついでに、父から隠密を一人もらい受け、フィオリーナの村へ派遣した。
当然、フィオリーナの嫁入りの日に喜びだか悔しさだかの涙を流した、あの隠密だ。
彼は相変わらず良い働きをしてくれ、フィオリーナの母と三時間も話し込んでしまった、と嬉しそうに報告してくれた。……嬉しそうなのは結構なのだが、話し込む時間が伸びているのはどういう理由だ?
そして今回も、「誰かに潜入して欲しいのだが……」と切り出すと、力いっぱい身を乗り出してきたので、彼を快く村へと送り出してやった。
大人たちは実に手際よく動いてくれて、私が十歳になる頃にはシュターデンの縁者はあらかた投獄されていた。
* * *
「やっぱり、『大人』強いですね」
前回も強かったけど、やっぱつよい。
「そうだね。父はいつも私を信じてくれて、それがなんと有難い事なのかと、本当に思うね」
「クリス様が頑張ってきたからですよ!」
「だといいね」
いや、そうでしょ。
我儘、傲岸不遜、傍若無人、常識皆無なクリーチャーが、ある日を境にこの人になったら、「何起こった!?」てフツー思いますよ。
そこで「実は中身は五歳じゃないんです」て言われたら、もう「あ、そっかー」て信じるよ!
しかもその『中身』だって、クリス様が何度も失敗して、後悔して、ご自分で学んでこられた賜物だ。
こんだけ頑張ってきた人の人生が報われなかったら、悲しすぎる。
あと……。
「例の隠密は、フィオリーナ嬢のお母様と再婚は……」
「村へやった三か月後には、家族になっていたね……」
遠い目で仰るクリス様。
ていうか隠密、何でお前までスピードアップしてんだよ……。……で、どーせヒロインちゃんが嫁に行く時、また泣くんだろーな……。
「村へやった時期が違うからか、再婚した歳が違うからか、今回フィオリーナには弟が出来ていた」
「いずれにせよ、幸せそうで何よりですね」
「そうだね」
クリス様は呆れたように笑いながら頷いた。
* * *
直前の回を元に、今までになかった早さで事態は進んだ。
ただ、セラを殺した主犯――暗殺者にセラを殺せと依頼した男だけが、捕まらなかった。国中を探しても、そんな男が居ない。
どうなっているのかと思っていたのだが、その男は私が十三の歳に捕まえる事に成功した。
男は元々この国に居たのではなく、例の宗教コミュニティの一員だった。その集落があちらの国王により解体された事で、この国に流れてきたのだ。
そして事態の元を辿り、私たちに行き着いた。そういう訳だった。
男が依頼する筈だった暗殺者は既に捕らえられており、男が別の暗殺者に接触を試みようとしたところを捕らえる事が出来たのだ。ついでに、暗殺者も捕らえておいた。
これで、直前の回で出来た事は全てやった筈だ。
もう脅威などない筈だ。
セラフィーナは死なないし、私だって二十五を超えて生きていける筈。
そう期待して、私はセラフィーナに婚約を申し込んだ。
彼女は少し照れたように、困ったように笑いながら「断る理由が一つもありませんので」と承諾してくれた。
このまま。
どうかこのまま。
平穏なままで、時間が過ぎ去ってくれれば。
祈るような気持ちで日々を過ごし、何度目かの十八の宴の日になった。
私たちは既に婚姻を結んでおり、セラフィーナは王太子妃として城で暮らしていた。
『城から侯爵邸へ帰る最中を襲う』という事は、もう不可能なのだ。城の中は騎士が警備に当たっているし、それがなくともいずこかには人目はある。暗殺などには不向きだ。
大丈夫。
大丈夫な筈。
私は何度も、自分にそう言い聞かせていた。
その頃、セラフィーナは腹に子が居り、大事を取る為にも先に休ませる事にした。
――会場から出るセラフィーナを見送った数十分後、またしても彼女の訃報を聞く事になるとは思わずに。
* * *
また死んだァァーーー!! うおぉぉぉーーー!!
「クリス様……」
ふと横を見ると、クリス様はまたしても無表情で項垂れておられた。……ヤベェ。これはヤベェ。私が取り乱してる場合じゃねぇ。
とりあえず、クリス様のお背中さすさすしとこう。
よいしょ、よいしょ……とクリス様の背中をさすさすしていると、クリス様のお顔に生気が戻ってきた。
良かった……! クリス様、蘇生した……!
「……ありがとう、セラ。もう大丈夫だよ」
声、めっちゃ細いんですけど、ホントですかね?
「あの……、今のお話……」
聞いて大丈夫なのか分かんないけど、気になるとこがあり過ぎる。
「数十分後、真っ青な顔をした侍従が、足をもつれさせるように走り寄ってきた。……彼はその直前の回、私にセラの訃報を届けた人物だ。状況があの日と重なって、私は血の気が引いていくのが分かった」
うわぁ……。
何て言うか、『シナリオ毎にイベントは変わるけど、キャラの役割は変わらない』のか。キッツ……。
「祝いの場にそぐわない表情の侍従は、私に『どうぞこちらへ』と退場を促してきた。もう嫌な予感しかしない。……広間を出ると、そこには侍女や騎士なども居た。皆、青褪めて沈痛な面持ちをしている。侍女などは今にも倒れそうな風情で、隣の騎士が腕を貸してやっていた」
あー……、もう。それ、誰が見ても最悪な話しかない状況じゃん。
「誰が私にそれを告げるか、全員に迷うような間があり、やがて騎士が非常に言い辛そうに口を開いた。『妃殿下が、お亡くなりになられました』と……」
クリス様のお顔が! また無表情に!!
さすさすせねば! さすさす……!
ていうかこの人、『セラフィーナの死』が何よりのトラウマなんだな……。
そんでもって分かったぞ、初対面の時のクリス様のあの笑顔。
あれ単純に、『私が生きてそこに居る事』が嬉しかったんだな……。猫被って大人しくしてようが、はっちゃけてようが、『私が私で、ただそこに居る』だけで、この人嬉しいんだ……。
はー……、もう。何それ……。
そんなんマジで、『好感度カンスト』じゃん……。
そんな事を考えつつ、クリス様のお背中をさすさすしていると、クリス様がまた復活なさった。
「ごめん。……ありがとう」
「いえいえ、全然」
謝られる事も、お礼言われる事も、なんもないっすわ。
クリス様は気持ちを落ち着けるように、深い深い息を吐いた。
「……セラフィーナは、応接室の一室で殺された」
城での刃傷沙汰って、すげぇな……。可能なんだな……。殿中でござる! 殿中でござるぞ!
ていうか、どうやって入り込むんだよ。
「セラフィーナを殺したのは、全く予想外の人物だった。シュターデンの一派は、もう全員処分済みで居ない。王位簒奪派はたきつける者がないから大人しい。……それらと全く関わりのない人物……、ローランドだ」
「お! にい、さま……!?」
ビックリしすぎて、変なとこで切ってもた。
つうかアレか。セラフィーナがクリス様と同い年だから、『兄』じゃなくて『弟』なのか。ややこしや。
「何故……?」
『今』、私と兄は、べったり仲良し♡ ではないが、仲は良い。
兄は私をからかって遊ぶのがライフワークと言って憚らないし(憚れ)、私も兄を信用も信頼もしている(部分もある)。
歳が離れているので、喧嘩らしい喧嘩はした事がないし、可愛がってもらっている(多分)。
……カッコ書きが多いが、気にしないでいただきたい。
兄が『私の知るローランド・カムデン』であるならば、兄に私を殺すような動機はない。けれど、セラフィーナ周囲は色々と『今』と違っている可能性が大きい。七年はデカい。
そして、案の定だった。
「ローランドは、セラフィーナに嫉妬していた……のだそうだ。嫡男である自分より、数倍出来の良い姉に。時折周囲から聞こえる『ローランドでなく、セラを侯爵家の後継に据えた方が良いのでは』などという半ば冗談に、一人鬱屈したものを溜め込んでいたらしい……」
お兄様……! なんてお暗い……!!
「そして、彼のそういう思いに気付きもせずに笑う姉を、次第に憎むようになったそうだ……」
知らんがなーーー!
ていうかそれ……。
「……逆恨み、と言いませんか……?」
セラフィーナ、悪くない。アイツ、悪い。
「そうとしか言いようがないね」
ふっと、クリス様が嘲るように笑った。
「とにかく、そんなものにセラフィーナは殺されてしまった。……セラフィーナの肉親である事、当のセラフィーナから『二人で話したいから』と人払いをされた事などから、凶行は止められなかった……」
とりあえず、『今』の兄にそういった鬱々と屈曲した部分はない。ちょっと安心。……ただ、単純に歪んでる人ではあるけども。
「騎士に取り押さえられたローランドは、それでもまだ事切れた姉に対して呪詛を吐き散らしていた。……これは、カムデン侯爵家の中の問題だ。何度やり直したとして、私に手出しできる場所ではない。……今度こそ、と、思ったのに……。……ふと、視界に何かが入った。取り押さえられたローランドの手から落ちたのだろう、血塗れになったナイフだった」
わー!! ダメ! クリス様、ダメ!!
「私はそれを拾いあげ、自分の喉に突き立てようとした」
「ダメです!!」
またしてもクリス様の腕をしっかり掴んで言ってしまった。
クリス様はそんな私を見て、ふふっと笑った。えらく力のない笑顔で、怖い。
「……大丈夫。出来なかったよ」
「……良かったぁ……」
この人、セラフィーナ居なくなると、途端に投げ遣りになるな……。怖いなぁ。
「ナイフが私に届こうかという瞬間、私はまた、宝物庫に居た」
……てことは、要するに、クリス様、そこで死んじゃうんですね……。
何も気にしてなかったけど、あの『クリス様の十八歳の生誕祝賀』って、こんなとんでもイベント満載な日だったのか……。
「何故放っておいてくれないのか……と、もう嫌だ、終わらせてくれ……と、石に向かって一通り喚き散らした。すると、石が言った。『鍵が全部揃った』と」
お!?
何か、ミステリ終盤の探偵のセリフじゃね!? て事は!?
「続けて『もう一度聞こう。君の望みは?』と問うてきた。なので私は、心から願った。セラフィーナを奪わないでくれ、と。あのように他者に理不尽に奪われるのではなく、自然に天へ還れるように。彼女に、平穏な死が、幸福な生が訪れるように……と」
一回目が自分の事ばかりだったのに、今度は真逆だ。
セラフィーナの事ばっかりだ。
もー、ホント……、何なの、この人……。
「私の言葉に、石は『確かに、聞き届けた。さあ、これで最後だ。やり直そう、……全てを』と言うと、また視界は真っ白に染まった。それから暫くの間は、温かな泥濘の中で微睡んでいたような気分だった。やがて意識がはっきりし、私は自分が『生まれる時点からやり直し』ているのだと理解した」




