マンジュゲリの呪い
春風達がいる場所から二十キロ、アルファン達がいる場所から十キロのところに、合同レクのゴールの祠があった。
祠には本校の教師が五名いて、そこに分校教師のマンソンもいた。
春風が召喚した嵐の神アクアルスが起こした局部的台風は、このゴール地点からも目視できるほどだった。
晴れ渡った日の青空に急に出現した巨大な積乱雲と荒れ狂う竜巻が覆った東の空を見たマンソンは、アクアルスの出現を直感し、生徒達に危険が及ぶのを恐れた。
ブリテン神官学校の生徒約三百人がこの雑木林の中にいる。
マンソンはアクアルスの起こす台風の恐ろしさを知っていたし、この近くに神を召喚する程の腕を持つ正体不明の魔術師がいるのだとしたら、アクアルスが第二級神に分類される低位の神とはいえ、それは放っておけない由々しき事態だった。
「私が様子を見てきます」
東の空をぼおっと見上げる本校の教師達にそう言って飛び立とうとしたマンソンに本校の教師の一人が、
「持ち場を離れないように」
と言った。
マンソンは耳を疑った。
東の空を指差して、
「あれは明らかに自然の雲や竜巻じゃない。誰かがアクアルスを召喚したに違いない。このまま放置するのは危険過ぎる」
と言うと、その本校の教師はマンソンに数歩歩み寄り、
「そんな事はわかっている。どう対応するかは本校の合同レク実行委員会本部に確認するからそれまで待てと言っているんだ」
と、憮然とした顔で言った。
本校の教師は、マンソンにアクアルスと言われてようやく自然の台風ではないと気がついたが、さもわかっていたかのように取り繕った。
そしてそれを分校の教師に指摘されたのが気に食わなかった。
合同レク実行委員会は本校のすぐ隣のブリテン聖教会大聖堂に設置されている。
そこには本校の校長ウォーリスや副校長のドイルを始め、ブリテン王国の名ばかり重臣が集まっていて、委員会とは名ばかりのパーティをしていた。
今からそんな場所まで確認に行くなど時間がかかり過ぎる。
危機対応としてあり得ない。
それにもしそこへ行ったところで、緊急事態が発生するなど考えてもいない面々にしかるべき判断が下せるはずはないではないか。
もし考えていたなら、そんな遠い場所に委員会など決して設置しない。
「それでは遅い。分校に実行委員会の支部がある。デルタ校長がいらっしゃるから確認するならせめてそちらにしてくれ」
デルタの名を聞いて、本校の教師の顔に浮かんだ不快感が一層強まった。
マンソンはしまったと思った。
彼らには今ここで起こっている問題に対処するつもりがないのだ。
彼ががしようとしているのは、決められた通りの手順を実行する事であり、それをしなかった場合に罰せられる事を回避する事だ。
そして、彼らの心の根底には分校への差別意識がある。
本校は分校の上部組織であり、分校教師の指示に従うなどあり得ない。
デルタ・オサロが校長にいるからと言って分校教師は図に乗っているのだと判断した本校教師は完全にへそを曲げ、皆がマンソンに向かって杖を構えた。
このまま魔法で飛んでいくなら攻撃も辞さないと言う、嫉妬と差別が極まった行動に出た。
「ここで揉めている場合ですか!あれがこっちに来たら生徒達が飛ばされてしまう!」
マンソンは大声を上げ説得を試みたが、教師達はまるでそぶりを変えない。
なんて馬鹿な。
子供達より自分の身の上が大事なのか。
その時、マンソンの元に小さな水の精霊シーラが飛んできた。
いつものように声もなく笑いながらマンソンの周りをくるりと回るとマンソンの顔の正面で止まると、シーラはマンソンに精霊の言葉で囁いた。
マンソンは上を見た。
安全警備の任にあったソフィエがいた。
ソフィエはシーラに伝言を託し、東の空に飛びさった。
"私が行きます。心配いりません。あれはきっとハルです"
シーラはソフィエの言葉を正確にそのまま伝えた。
ハルが、ここへ来たばかりのあの若者が、古代魔法を使い神を召喚したというのか。
春風に古代魔法を教えると言うデルタの方針は知っていたが、神の召喚は古代魔法の中でも暗黒魔法の領域に入る。
さすがにデルタがそこまで許可したとは思えなかったが、許可したとしてこれほどの短期間で召喚できるようになるものだろうか。
先日の規格外のゴレム召喚に続いて、今日は嵐の神を...。
マンソンは改めて月落人を恐れた。
"いったい月落人とは何者なのだ..."
ソフィエが東に飛ぶ少し前、春風達は喧嘩の中にいた。
といっても喧嘩していたのはポルポとマロンだった。
マロンが空中でポルポを捕まえて駆け降りていた時、ポルポは離せと大暴れし、そのせいでマロンは体制を崩した。
春風がアクアルスに命じて三人を風に包んで地面に降ろしたから事なきを得たが、もしそうでなければ三人とも大怪我以上の惨事になっていた。
それなのに地上に降りた後ポルポはマロンに謝るどころか一目散に周辺を掘り返し始め、そして虎蜂の巣を見つけて大喜びをしていた。
虎蜂の巣の蜜はめったに食べられない高級食品だったが、マロンは一度だけ食べた事があった。
それはえも言われぬほどにまろやかな甘さで、マロンはまたいつか食べたいと思っていた。
自分にも寄越せとせまったマロンにポルポはひとつもやれないと言った。
目を覚ましてその様子を見つめるメロンとともに春風はマロンとポルポのやりとりを見ていた。
「なんだよっ!そんなでかいんだからちょっとくらいくれてもいいだろっ!独り占めするなんてずるいぞ!」
大声を張り上げて怒鳴るマロンに
「絶対だめだ。これは食べるために取ったんじゃない」
とポルポは一歩も引き下がらない。
「食べないだと!そんなうそがあるか!」
「うそじゃない!僕とハルはこれを探しに来たんだ!」
そういうと虎蜂の巣を抱きしめてポルポは丸くなってうずくまった。
誰にも触らせないという意思表示だった。
「おいハル!どういう事だ!」
「どういうって言われても...」
春風は困った。
ポルポと自分はマンジュゲリの実の呪いがかかっている。
ウーノに関する事は誰にも話す事ができない。
ウーノに関する事、すなわちその解毒剤作成に必要な虎蜂の巣についても誰かに説明しようとすれば、呪いが発動して記憶が飛んでしまう。
説明しようにも説明する術がなかった。
「言え!食べないのに虎蜂の巣がほしいなんて、そんな馬鹿な話があるか!ケチ!」
白い顔を真っ赤にしてマロンは起こり続けた。
メロンはその様子を見ていたが、あんなに高く飛ばされたのに今自分が地面の上にいる事が信じられなくてそわそわしていて、何をもめているのかよくわからなかったし、どうでもいい気がした。
とにかく生きていると言う事にメロンは安堵していた。
がみがみと怒鳴り続けるマロンに耐えかねたポルポが
「なんと言われてもこれは渡さない!僕はウーノを助けるんだ!」
と言った。
「それとウーノがどう関係あるんだ!ウーノだってそんなでかいの食べ切れるもんか!」
とマロンが返した。
「食べないって言ってるだろ!これは薬なんだ!ウーノを助けるための!」
「そんなの信用できるか!虎蜂の蜜が薬だなんて、ボクは知らないぞ!」
「君が知ってるかなんて関係ない!これは...」
そこまで言って、ポルポははっとした。
今、ウーノの話しをしている。
なのに、記憶が飛んでいない。
ポルポが驚いて口を開けて春風を見ると、同じく驚いて口を開けた春風と目があった。
「なんで、僕らこの話ができてるんだろう?...」
口を開けて見つめ合うポルポと春風を交互に見たマロンは、春風に怒鳴った。
「ハル!さてはお前もグルか!もういい!それを寄越せ!」
マロンがポルポに飛びかかろうとした時、
「もしかして、マンジュゲリの呪い?」
とメロンが言った。
ぴたりと動きを止めた三人はメロンを見た。




