入学式 バルトとマリア
刹那すぎて誰も何も出来ずただ見守るしかない状況で、ヒュンという空気を切り裂く鋭い音と共に何かが空を走った。
魔法の古剣の柄に黒い紐のようなものが巻き付き、古剣は美麗な少女の手元へ引き寄せられた。
刃先を下に古剣を左手で掴んだ少女はそのまま剣を地面に突き刺し
「何事だ?」
と言った。
メロンはアルファンの上にへたり込んだまま右肩越しに振り返り、すぐ横にいる声の主を見上げた。
ぴんぼけするメロンの目にはまず、その人物のすらりと伸びた細い脚が目に入った。
赤の差し色の入った黒いスウェードの靴と白いタイツのようなズボンを履いていて、最初メロンにはその人物が生徒ではないように思えた。
さらに上を見上げると、その人物は水平に止められた三つボタンを繋ぐ黄色の紐がついた白い上着を着てきてその胸には二つの勲章がついていた。
その服は誉れ高い騎士服で、男装である事をメロンは知っていた。
だが窮屈そうな胸の膨らみは胸筋にしては丸みを帯びていたし、その腰は折れてしまいそうなほどに細かった。
その騎士らしき人物は裏地の赤い黒マントを羽織り、つばの広い帽子を斜めに被っていたが、その帽子の左脇にはニ本の長い白鳥の羽が刺さっていて、黒い髪の大部分は帽子の中に収められていた。
視力の問題と逆光のため顔はよく見えなかったが、その人物は自分を見ているようだった。
メロンがまだぼんやりとしているとその人物はしゃがみ込みメロンの前にその顔を晒した。
息のかかるほど直近からメロンの頬を右手で触り、その親指がメロンの上瞼を広げ左手でマロンの首筋を触り、
「大丈夫そうだな」
と言って立ち上がった。
メロンの心臓の鼓動が速くなったのは、ふわりと花をついた花のいい香りやその人物の美しさだけが原因ではなかった。
メロンはその人物を知っていた。
いや、今この校庭にいる生徒で知らない人間はいなかった。
メロンだけでなく多くの生徒の憧れマリア・フォンデルグその人だった。
ブリテン剣武大会で一度も負けた事のない彼女は学校剣武順位一位の剣の達人だった。
マリアの右側の腰に愛用のレイピアが下げられていた。
左利きの彼女は剣を左手一本で持った。
その連撃が速過ぎて、対戦者も観戦者もいったい彼女が何度突きを放ったのかさえわからないほどで、剣武大会で敗れた相手の鎧の剣撃痕は、ブリテンの満天の星空のように数えきれない程の穴が空く事からマリアの剣は「天空突き」(スカイショット)の異名を取った。
今年卒業の彼女が今年も優勝すれば前人未到の二百戦無敗の記録を打ち立てる事になり、そしてそれは達成されて当然だと誰もが確信する強さがマリアにはあった。
昨年すでに騎士試験に合格したマリアはもう卒業資格があったが、三か月後に行われる夏の剣武大会に出るまで神官学校に生徒兼剣術師範として残る事になっていた。
マリアは鞭を使う事でも知られていた。
だが、騎士になるものがそういうものを使う事は恥とされていたし、ましてや女性が使うなどもっての外という教えのもと育てられた彼女はいつも腰に下げてはいたものの、あまりおおっぴらに使う事はなかった。
今咄嗟に鞭で剣を掴み事なきを得て、鞭の腕がなまっていない事がわかり、なにより鞭をふるえて気持ちよかったのでマリアは上機嫌になっていた。
「マリア、どうした?」
と若い男性の声がした。
遠巻きに見つめる群衆の隙間から、同じような騎士の正装に身を包んだ若い男が現れマリアへ近づいていった。
「バルト。いざこざのようだ」
バルトもまた有名人だった。
マリア同様、隣国の貴族の子息でマリア以外に負けた事のない剣の達人だった。
バルトも去年騎士資格を取りマリア同様の処遇で学校に残った。
バルトがしゃがみ込み、うずくまる春風の顔を覗き込んだ。
「君、大丈夫か?」
そう言ってバルトは春風の左の方に左手を置いた。
手袋越しに強烈な熱さがバルトの手に伝わった。
あまりの熱さにバルトはすぐ手を話した。
革の手袋ごしに伝わった熱は、まるで熱した鉄でも触ったかのような錯覚を起こさせたが革の手袋には何の変哲もなく、匂いを嗅いでも何の匂いもしなかった。
「何をしている」
とマリアはバルトに言った。
生徒を触った手の匂いをかぐなどバルトらしくない失礼な行動だなとマリアは訝しんだ。
「なんとか。あの、ここ、血出てます?」
と春風はバルトに返事をすると額を見せた。
赤く腫れ上がった額は、もうすでに大きなたんこぶができていた。
バルトは右手で春風の額を触り
「こぶ程度だ」
と言った。
春風が悲鳴をあげ、またうずくまった。
バルトにはその姿が大げさに見え、だらしない奴だなと思った。
転げる春風の体が光に包まれるとこぶが小さくなり、春風の体からすっかり痛みが消えた。
「...あれ?痛くない?」
春風が自分の額をさすっているとマリアが
「少年。そろそろ整列の時間だ」
と言った。
入学式の開始時間が近かったので、医務室の先生のところへ連れて行くほどではないと判断したマリアがいつの間にか神性魔法の回復魔法を唱え、春風を治療したのだった。
相当の早業だった。
マリアは腰をかがめ
「バルト。がさつだぞ」
と、生徒の匂いを嗅いだりこぶを触ったりしたバルトの耳元で囁いた。
「…ああ」
バルトはすっかり元気になって喜んでいる春風を見ながら、小さな声で言った。
「…バルト?」
マリアが怪訝な顔をしているとバルトは立ち上がり
「…気のせい、か」
と言って、マリアとバルトは辺りの野次馬に整列するよう呼びかけた。
メロンは立ち上がり、群衆に呼びかけるマリアにお礼を言おうと近づいて行った。
それに気づいたマリアが振り返りメロンに微笑み
「元気そうだな」
と言った。
「あ、あの、ありがとうございました」
と言ってメロンは頭を下げた。
「気にするな。あのバカが君に何かしたのだろう。私が謝るよ。すまなかった」
まるでアルファンをよく知っている風に言ったマリアは帽子を取って胸に当て、メロンに頭を下げた。
その姿は凛として翳りがなく、メロンはしばし見とれてしまった。
我に返ると、
「い、いえ!そんな。あの、本当にありがとうございました!」
と言って顔を赤くし、春風を置いて一人で走っていった。
「あ、メロン!ちょ、おーい!」
走り去るメロンに声をかけ、後を追おうとした春風はマリアとバルトに気が付き
「あの、なんかいろいろすみませんでした。ありがとうございました!」
と言ってびしっとお辞儀をすると、メロンの方へ走っていった。
その様子を見て微笑んだマリアは地べたに寝そべったアルファンを振り返り
「やれやれ」
と言って回復魔法をかけた。
やがて入学式が始まった。




