祭壇事件
新国王のために建てられた祭壇のある校庭は約八万平方メートル、東京ドームおそよ六倍、もあった。
平に慣らされた校庭の地面は一見すると日本の校庭と変わらなかったが、マナの豊富なウルガ山の土が敷き詰められていて、魔法実習を行う生徒たちのマナ不足を補助する役割を果たしていた。
今年は異例ながらこの校庭で神官学校の入学式が行われる事になった。
入学式を明日に控えた春休み最後の日、最終準備のために駆り出された教師と生徒の一部が校庭と剣武館で忙しなく準備に追われていた。
寄宿舎を背に作られた祭壇は四角柱の形状で寄宿舎の三階より少し高く一番上に立てば、校庭の北の先の丘まで見渡す事ができた。
やぐらの下に設置された儀式専用の玉座がブリテン城から遠く離れた場所まで運ばれた事も、こんな危なげな場所に設置された事も今までにない事だった。
祭壇の足場を固める土台の木材は宮大工の手によってしっかりとグラウンドに打ち付けられ、祭壇の背後に作られたジグザグの階段から静かに昇り降りするだけならば、この木製の祭壇はびくともしない強度があった。
祭壇の足元には日除けのテントが横一列にずらりと左右に広がっていて、テントの下には列席の貴賓者が腰掛ける木製の椅子が計四十席並べられていた。
昼休憩を迎え、皆が校庭から寄宿舎へ引き上げたばかりの頃だった。
昼休みの間は祭壇の監督者が若い魔術教師サイファーからマンソンに変更になるてはずだった。
だが、別件で外出したマンソンの帰りが遅れていた。
全員寄宿舎に戻ったと思ったサイファーが校庭を後にしたのをマロンが校庭の影から見ていた。
誰もいない隙に祭壇に登ると言い、メロンは必死で止めようとしていた。
「マロン!登っちゃだめだよ!危ないよ!」
「大丈夫だよ。ボク身軽だし」
マロンは階段ではなく祭壇の骨組みの中を器用にすり抜けて一番上のやぐらまで駆け上っていった。
それを校庭から見上げるメロンが怒った。
マロンは地面から見上げるメロンを見下ろし得意げに鼻を鳴らして言った。
やぐらに到達したマロンは、絹の布に覆われたものを見た。
布を剥ぎ取ってみると、それは大きくて装飾の施された椅子だった。
「変な椅子」
マロンはその椅子に飛び乗って踏み台にすると、さらにその上のやぐら屋根へ登りそこから遠くを見渡した。
「うん。まあまあだな」
寄宿舎より高い場所からウルガ山の方を見渡してマロンがつぶやいた。
マロンを下ろそうと祭壇の階段を登って上まで来たメロンも玉座を見つけた。
「これって、玉座じゃ...?」
もしそうでなくても、目に見立てた二つの三日月と大鷲の印は王国の紋章に違いなく、紋章付きの椅子に何かあれば大事になるのはわかりきった事だった。
屋根から逆さまに顔を出したマロンが
「お前、高いとこ怖いんだろ。無理すんな」
と言った。
「バカな事言わないでよ。僕飛行魔法得意なんだからね、誰かさんと違って」
メロンが呆れるようにおおげさに肩をすくめて言うと、飛行魔法が出来ないコンプレックスを突かれたマロンは
「なんだとっ」
と怒鳴り、祭壇の最上段から身を乗り出すと、やぐらの屋根のへりに脚だけで捕まり全体重をかけぶら下がってみせた。
「飛べるからっていばるなよ!お前にこんな事できるのかよ」
「ちょっ、マロン!だめだってば!食堂のごはん、なくなってもいいの?」
メロンはなんとか祭壇からマロンを降ろそうと食べ物の話しで釣ってみたが、ついさっき作業を抜け出して一足先に食堂に行き、すでにたらふく食事を済ませていたマロンには効かなかった。
「ほーれほーれ」
そう言ってマロンは祭壇を揺らした。
ちょうどその頃剣武館の準備を終え、寄宿舎の一階の食堂へ向かって歩く春風の目に校庭の祭壇ではしゃぐマロンが目に入った。
「ソフィエ、あれ、大丈夫かな?」
校庭を指差しながら自分のすぐ後ろにいたソフィエに声をかけた。
「え?」
ソフィエが数歩歩き春風のところまで来て校庭の方を見た時にはもう手遅れだった。
昼休憩に入ったばかりの立ち入り禁止の校庭には、二人の猫獣人の子どの以外に人影はなかった。
マロンが玉座に足をかけた事で、ウォーリスの仕掛けた罠が発動した。
祭壇を構成する最も重要な部分の木が折れた。
それをきっかけにマロンが祭壇を揺らしたので、祭壇は揺れながら校舎側に倒れ始めた。
「わっ!」
振り落とされそうになったマロンは祭壇のやぐらから寄宿舎に向けて飛ぼうとした。
人間には無理でもマロンの跳躍力なら数メートル程度飛び、寄宿舎の屋上へ飛び乗るのは訳のない事だった。
だが、踏み切った場所が悪かった。
やぐらの床面に玉座を覆っていた絹の布があった。
布に脚の爪がひっかかって滑り、体制を崩したマロンは祭壇から落下した。
いかにマロンといえど無傷で着地出来る高さではなかった。
一方やぐら上のメロンは恐怖で足がすくみ一歩も動けないまま玉座と共に祭壇が倒れていくのに身を任せるしかできなかった。
ソフィエが魔法の詠唱をする時間もない一瞬の出来事で春風とソフィエは息ができないままその惨劇を見守るしかなかった。
その時、校庭に風が吹いた。
風の中を目視できないほどの速さで何かが駆け抜けると、悲劇に見舞われるはずだった二人の姿はもうそこになかった。
祭壇は大きな音を立てて崩壊し、最上段にあった玉座は校庭に叩きつけられて大破した。
マロンの爪をすべらせた絹の布が校庭の空に舞い土煙と共に崩壊して瓦礫になった祭壇と玉座の積み上がった地面に落ちた。
マロンとメロンは寄宿舎からずいぶん離れた校庭にいた。
両脇に抱えた生徒たちを校庭の地面に降ろすと、マンソンは二人の目線の高さまでしゃがみ込み、呆然とする二人の顔を見ながら
「ケガしてないか?」
と優しい声で聞いた。
「ボク、ボク…」
ことの重大さを察し、言い訳を探したが見つからない半泣きのマロンがそう言うとメロンがへたり込んで大声で泣き出した。
メロンにつられてマロンも立ったまま泣き出した。
マンソンは、顔を真っ赤にして耳を垂れて泣く猫獣人の子供たちの頭をぽんぽんと触り黙って両腕で抱きしめた。
マンソンはその日、ブリテン聖教会へ出張に行った帰りだった。
憂鬱な面々との会談を終え、使役する若いデカント・イーグルの背に乗ってブリテンの空を飛び学校に着く頃、上空から校庭に目をやった。
すると宿舎前に建てられた祭壇が揺れているのが見えた。
目を凝らすと、そこに生徒が二人いるのが見えた。
危険を察知し駆けつけようとしたが、鳥の速さでは間に合わないと判断しマンソンは巨鳥から飛び降り、急降下しながら飛行魔法を詠唱した。
マンソンの飛行方法は魔術師の中でも独特だった。
通常、飛行魔法は全能神カノンの神聖魔法によって行われるが、彼はカノンではなく鳥神イラの神聖魔法を使い自分の背に翼を生やして飛行する事ができた。
だが二人を助けたこの時、彼の背に生えた翼の力だけでは間に合わない距離があった。
彼はイラの飛行魔法と共に、風の上位精霊テュリオンを召喚しその力を使った。
上位精霊と血の契約を結んでいた彼は精霊の力を自分の力として使う事ができた。
マンソンは翼を羽ばたかせ、風の上位精霊を力を使い自分の周りに発生させた風に乗り二人を窮地から救ってみせた。
その速さが尋常ならざる者として知られた彼は、「疾風」の称号が与えられた魔術師だった。
マンソンは、大破した祭壇を見た。
祭壇の周囲に散らばった大きな宝石が太陽の光を反射してきらきらと光っていた。
「それにしても…」
子供が二人登ったくらいで壊れるほど、国王用の祭壇はヤワなはずがない。
いったいなぜ祭壇が崩壊したのか。
ウォーリスやドイルたちに対する疑念が頭をよぎったが、彼らが何かを仕掛けたにしても証明する手立てが見つからなかったし、玉座が大破したのは疑いようがなかった。
玉座の大破など今まで聞いた事のない大惨事だった。
責任者としてデルタの命に関わる一大事であり、ヘタをすると分校の閉鎖もありうる緊急事態だった。
マンソンはすぐデルタの元へ向かい、二人はすぐにブリテン城へ向かった。




