メールダント酒場
ゲイル・トゥウォーノに託されたペンダントを持つべき人の手に返すためその夜、春風とソフィエは街へ出た。
城下町には酒場がたくさんあったが、「メールダントの夜」と言う名前の酒場は有名だった。
だがそれは、残念ながら悪名だった。
街の表通りから少し脇に入ったところに、その酒場はあった。
窓と扉は閉まっていたが、明かりとともに男たちの喧騒が漏れていた。
春風は地元住民が着る普通の服を着ていたが、ソフィエはいつもの魔術師用の白いローブを着ていた。
ローブの左胸、両腕と背中には刺繍があった。
特に人の目、鳥の羽と幾何学模様を組み合わせた腕と胸の刺繍を見ればソフィエが神官学校の教師である事は一目瞭然だったし、背中の刺繍を見る人が見れば、ソフィエがただの魔術師ではなく「白銀」の称号を持っている事がわかった。
本来、酒場などへ行くには正装すぎて不釣り合いだったが、服に無頓着なソフィエはいつもこのローブを着ていた。
そのため、二人が酒場に入った時一瞬喧騒が止んだのは無理のない事だったしその後起きた笑いも「メールダントの夜」に集う荒くれ者たちにちっては至極当然の反応だった。
「おいおい、俺ぁ飲みすぎたのか?聖女様が見えるぜ」
「俺もだ。しかもこりゃあずいぶんとベッピンじゃねえか」
「姉ちゃんいくらだ?弾むぜ」
「神官みたいな格好しやがって。そそるじゃねえか」
などと、男たちは酒の入った大きなジョッキを片手に、次々と軽口を吐いた。
春風の存在は全く見えていない。
「あの、ゲイルさんの奥さん、いらっしゃいませんか?」
と春風が言うと、皆いったいどこから声がしたのか、そして何を言ったのかを理解するのに少し時間がかかったがやがて、最初にソフィエを見た時とは違う、敵意に満ちた沈黙が訪れた。
春風の立っているその横のテーブルに座っていた男が
「てめえ、今なんつった?」
と、春風を間近から睨みながら言った。
男はけむくじゃらの裸の上半身に革のベストを羽織っていて、黒革のズボンの腰には両刃の斧をぶら下げていた。
春風の胴体より大きい斧は、男の腰にぶら下がっていると小さく見えた。
そして男の座る椅子の隣の椅子には、いったい誰が持ち上げられるのかわからないほど大きくて長い剣が無造作に立てかけてあった。
男の顔は春風にキスできそうなほど近く、肉とアルコールの入り混じった鼻を覆いたくなるような呼気が春風の顔に直接当たった。
「あ、あの、ゲイルさんの奥さんに会いたいんですけど...」
春風はおそるおそるその男に言った。
「あいつにカミさんはいねえ」
男は自分の頭を春風に当てていった。
男の額には金属製の額当てがあり、金属にはでこぼこがあったので春風は痛みで一歩後ろへ下がったが男も額をつけたまま腰を浮かして一歩進みでた。
「あの、ゲイルさんの彼女さんとかは?」
「俺があいつの彼女さんだ」
と言うと、数人の男たちが笑ったが、依然として店内は重い空気だった。
その時、奥から背の高いエプロン姿の女が現れた。
「ナナイロドウモンガメの丸焼きできたよ。誰だい?」
背が高くて赤い髪のきれいな女はそう言うと、店内の雰囲気がおかしい事に気が付き、辺りを見渡した。
入り口付近に立っている春風とソフィエを見て、さらに常連戦士の一人が春風を睨んでいるのを見ると
「アルゴ!新規の客にからんでんじゃないよ!」
と怒鳴った。
女の手にあったナナイロドウモンガメの丸焼きの入った皿を、別の男が無言でそっと受け取って持っていった。
「この小僧、ゲイルのカミさんを出せと言いやがったぜ」
アルゴは、額を春風につけたまま目だけを動かし、女を見て言った。
「お二人さん。奥に席あるから、そこに座んな」
女は笑顔で二人に言うと、春風とソフィエは奥へ進み、席についた。
入口を入って右には、入口から奥へ向かってカウンター席が八つあり、
その他はすべて四人掛けのテーブル席で、六席あった。
店内はほぼ満席で、全員が戦士風の大男ばかりだった。
もしここにゲイルがいたら、春風には見分けがつかなかったに違いない。
喧騒はなくなったが、店内に、がやがやとした空気に戻った。
女の給仕が水の入ったコップを持ってきて注文を待っているので二人は仕方なく黄金鳥のスープとハチマキウシの唐揚げを注文した。
「酒は?」
とぶっきらぼうに言われ、水で、と言ったがないと言われ、これまた仕方なく万丈大麦ビールをふたつ注文した。




