医務室の少年
医務室に運ばれた春風は少し寝て、すっかり元気になっていた。
ゲンスイが処方した魔法の小瓶の効き目で暗黒マナがすべて抜け、ベッドに横たわっているのが申し訳ないほど絶好調だった。
トトがお盆に食事を乗せて医務室に帰ってきて、一緒に食べようと声をかけた。
春風はベッドから降り、トトと机を挟んで向かいに座り木製のスプーンでスープのようなおかゆのような食事を口にした。
薬膳草入りのおかゆのようなそれは五臓六腑に染み渡る美味しさで、しばらくぶりに食事をしていると気がついた。
温かいおかゆだった。
のどを通るたびに体と心が暖かくなった。
どこの誰ともわからない自分を介抱し、食事を出してもらっているという事実に手が止まった春風は感謝を述べた。
「あの、ありがとうございます。すごく美味しいです。着替えまでしてもらって」
「すっかり元気になったみたいだね」
春風の看病と入学式の準備で大忙しだったトトも椅子に座ったまま同じ食事を口にしながら言った。
「はい。あの、俺...」
「大丈夫。熱いうちに食べた方が美味しいから先に食べちゃおうか」
半泣きで頷いた春風はもくもくと食べた。
二人とも食べ終わるとトトがお茶を入れ、机の上に置いた。
春風がそのお茶の入ったカップを手に取って覗き込むとまるで紅茶のような匂いがした。
「紅茶?」
思わず独り言を言ったら、
「うん。迷いの森のマッカソウを煎じたお茶で、紅茶って言うんだ。ブリテンの名産なんだよ」
とトトが言った。
ドアをノックする音がして、校長たちがやってきた。
「おお、元気そうじゃな」
ゲンスイが春風のそばまで行き、春風の頭をがしがしとなで回した。
「こんにちは。君とお話しがしたいのですが、いいかな?」
とデルタが言った。
「はい」
春風は椅子から立ち上がっていったが、座るようにと手の平を見せられてまた座った。
デルタたちが自己紹介をしていき、春風が最後に名前を言うと
「いい名前じゃない、ハル。呼びやすいし」
とメリッサが言った。
説明を受け春風は自分が学校にいるのだとわかった。
学校という場所に入るのは久しぶりだった。
最も、魔術師や神官を養成する学校に足を踏み入れたのはもちろん初めてだった。
自分がここではない全く別の場所から来た事は認識されていたので少し安心した。
そうでないとどう説明していいかもわからなかった。
だが、どうやら地球ではなく月から落ちてきた「月落人」と思われている事もわかった。
「なるほど。その宇宙ラジオってのが何かの鍵かもしれねえな」
「月から来たんじゃないんだー。びっくりー」
そしてその月落人なる存在には何不思議な力があるのだと聞き、春風は時間が遅くなる話しと心臓が苦しくなる話をした。
「昨日君が倒れている間に体を確認しました。あなたの心臓と体をめぐる血管はまるでマナ、この世界の力の根源、そのもので構成されているように見えます」
デルタはそう言うと、何か心当たりがあるかと聞いたので春風は鳥事件について話した。
「あなたの心臓を貫いた石はもしかすると魔法石かもしれませんね」
「魔法石?」
「ええ。マナが結晶化した大変貴重な石です。この世界でも貴重ですが、あなたのいた世界に魔法がない事を考えると、地球でもきっと珍しいものだと思います」
「それじゃ、小僧の心臓はマナそのものでできていると?」
「おそらく。しかしそのような例は聞いた事がありません。とても興味深い事例です」
「あの、僕の体、というか心臓、大丈夫でしょうか?」
春風が言って、皆がデルタを見た。
「わかりません。しかし君の中にあるマナは私が今まで見た事がないほどです。それが急に拡散して消えてしまうというのは考えにくいので当面は大丈夫でしょう」
「当面、ですか?」
「ええ。それがいつまでかはわかりませんがおそらく数十年は問題ないはずです。しかし今朝の件のような事があると危険です。ここでしっかり魔術について学んでください」
「そうよ。あなたの心臓はあなたの個性で才能よ。あんなゴレム初めて見たわ」
などと医務室で雑談が交わされた。
「それよりも重要なのは、君が今危険な立場にあると言う事だよ」
とサイファーが切り出した。
この国が王と王弟の勢力に分かれ、王弟の勢力が自分を捕まえにくるのだと聞かされた春風は
「もし捕まったらどうなるんでしょう?」
と聞いた。
「それはわからないが、よくない処遇になるでしょう」
デルタに言われ、春風は面々を見渡した。
人を見かけで判断してはいけない、と言うが、ここの人たちはよさそうな人たちに見えた。
どのみちここを出てどこへ行っていいかもわからない。
「心配ないわ。ここでみんなと過ごせば大丈夫よ」
ヨランダンが満面の笑みで言った。
丸い顔がさらに丸くなった。
「ハル。あなたをこの学校の生徒として受けれたいのですがいかがでですか?」
デルタも優しい顔で言った。
「ありがとうございます。まだよくわかってないんですけど、よろしくお願いいたします」
春風は椅子から立ってお辞儀をした。
「ふむ。若いのにしっかりしとるな。武道の心得が?」
大股を開き木刀を杖代わりにして椅子に座っているマーレが聞いた。
「いえ、特には。強いて言えば登山かな?でももう十五年くらい登ってないし」
「十五年?」
そこで時間の話になった。
地球は太陽の周りを一周して一年、惑星バルデラは二連太陽(大きい太陽とそのすぐそばの小さい太陽)の周りを400日で一周して一年になる。
自転と公転軌道はよく似ていて、同じ一年でもバルデラの十歳は地球の十一歳にあたった。
「昨日三十歳になったばかりなので、こっちだと27歳くらいか?」
なんだか若くなった気がして少し得意げに言った。
「じゃがおまえさんはもっと若く見えるな。地球ってところの人は皆そうなのかのう」
「ええ。マンソン先生とさほど変わらない年齢にはとても見えないですわねえ」
「日本人だからかな?若く見られるんです、地球でも」
「こちらに来てから鏡を見た事は?」
デルタが聞いた。
「え?いや、ないかな」
医務室の奥に姿見があった。
「一応確認しておうた方がいいかもよー」
とメリッサに言われ春風は何気なしに姿見の前に立った。
そこには、すいぶんと幼い顔をした少年が立っていた。
まるで中高生時代の自分だった。
春風は絶句した。
「やはりか。さすがに三十歳には見えぬからな」
マーレが言った。
鏡に映る少年になった自分をしげしげと見つめると、首元に傷跡のようなものが見えた。
服の隙間から上半身を覗き込むとそこに大きな傷があった。
傷は上半身全体に十字の形をしていた。
「その傷も見覚えがないのか?」
「さっき話していた結晶石の傷かも」
「なるほど。それならわからんでもない」
皆が口々に色々話す中、春風は自分の体を触りながら昔を思い出した。
顔や体がこんなに痩せていて引き締まっているのは高校生までだった。
ならば自分は十五歳近く若返っている事になる。
鳥事件で死んだ時に戻ったのかもしれないと春風は感じた。
「ハル」
ソフィエが春風に寄り添い微笑んだ。
「皆がついています。私も」
ソフィエにそう言われ、春風は自分の状況がまんざら悪くないな、と思った。




